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コンビニ人間
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コンビニ人間の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.99pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1009件 761~780 39/51ページ
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読みやすい文でスラスラ読めますが、内容が感動的なものでもなく「火花」のように、不思議な結末で、後に残りませんでした。 | ||||
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現代人ならほとんどの人が脳内再生できる、音から始まる書き出しなど、とても引き込まれる表現は面白く読み始められました。 コンビニそのものや、そこに生活の一部を置いている人々の描写力もすごい。 …ですが、それも前半三分の一くらいまで。 とにかく不快で気持ち悪く、読後感も嫌なものが残ったままです。 メインキャラクター以外の周りの人々も、そこまで「普通」の人々に嫌な人はいないよね…とリアリティが急に無くなります。 好き嫌いがあるのは分かるにしても、読んだ時間がもったいなかったです。 芥川賞作品って、こんなものでしたっけ。 | ||||
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さすがコンビニで働いているだけあって、細かいディテールまで、人間観察も含め正確にできていることに感心しました。意外な結末も、力が入っていない主人公の生き方にぴったりで、救われた人が多いと思います。 | ||||
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しあわせの価値基準は人それぞれ、人と違った生き方でもなんら恥じることはないとおしえてくれる本です。 | ||||
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普段フィクションは読みませんが、面白くて一気に読み終わってしまいました。 主人公は天職を見つけたのだと思います。コンビニで働くことで自己実現を達成している。自分はこのままでいいのか?とよく悩む私からしたら、ラストの主人公の迷いのなさを羨ましいと感じました。 | ||||
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内容は、つまらなかったです。 なんで、こんなに評価が高いのか自分には理解できないです。 結局、白羽さんもダメ男のまま、終わりますね。 あまり、感情移入できないかな。 | ||||
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本書は2年前に書かれて以降、18ヵ国語に翻訳されるそうだ。その理由は、今の日本社会の最大の矛盾を正面から描いているからだろう。本書は、日本が経済成長のただ中にあった1960年代ではなく、今でしか書かれえない本だ。今の日本社会の矛盾とは、「現代は機能不全世界なのだ。・・・結局、縄文時代から何も変わっていない。少子化が進んで、どんどん縄文に回帰している」(p107)、「結婚して子供を産むか、狩りに行って金を稼いでくるか、どちらかの形でムラに貢献しない人間は異端者なんだ」(106)ということである。主人公の恵子は、36歳で独身、大学入学以来この18年間コンビニのバイトで生きている。どこか発達障害のアスペルガー症候群を思わせるところがあり、家族からは「普通じゃない」と言われているが、コンビニではてきぱきと働き、機械的作業は得意。ただ「面接を落ちた」とあるから、正社員にはなれない何かがあるのだろう。恋愛経験も性経験もないが、別にそれを不満に思ってはいない。もう一人の35歳の白羽は35歳の男で、大学中退のダラダラ人間で、コンビニのバイトでさえ、勤務不良でクビになる。行き所のなくなった白羽を、恵子が自分の6畳アパートで生活させるという話。二人はたしかに極端ではあるが、状況と主題には普遍性がある。「僕は誰にも迷惑をかけていないのに、皆が平然と僕の人生に干渉してくる。僕はただ静かに息をしていたいだけなんだ」(白羽)という思いを恵子も共有しているが、二人の家族や友人は激しく彼らに干渉し、「正社員で働け!」「結婚しろ!」と強い圧力をかける。正社員にもならず結婚もしない二人は、「ムラの異物」であり、厳しく排除される。経済も行き詰り少子化が進行する日本は、この圧力が日々強まっているが、しかし他の先進国にもこれからありうる状況だ。だから18ヵ国語にも翻訳される。働いて家庭を持ち、子供を生み育てることは、誰もがそうしなければいけない人間の義務なのだろうか? 本書は、「人生の目的を持たない無頼漢」を描いたディドロの『ラモーの甥』にも通じる、重い主題に挑戦している。最後、恵子が正社員を諦め、またコンビニで働こうとするシーンは本当に素晴らしい。コンビニで機械的な仕事ができることは、立派に働くことであり、それで十分ではないか。胸を張って、生涯、コンビニバイトを続けてほしいと思う。 | ||||
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人間がどう生きていくのか、社会とどのように関係を保っていけばいいのかという難しい問題を提起している。 それをコミカルに表現し、飽きさせない。久し振りに一気読みができた純文学。 | ||||
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他人の顔色を伺ったことはありませんか? 周りの空気に合わせて笑っていませんか? みんなが買っているからと買ったものはありませんか? 私たちは自分のうちからはなにも生み出さない、そういうふうに作られた機械です。 まずはこの本を読みましょう。 読んで、そこから生まれたものに従って生きましょう。 理解も不理解も、こういう本を読まなければ生まれないと私は思っています。 だから読みましょう。読んで考えましょう。 この本はそのためにあると思うんです。 | ||||
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芥川賞ってこんな作品も取るんですね。肩肘張ったようなところや難しい表現はなく、小説というよりは誰かのブログ(というよりはてな匿名ダイアリー)を見ているような感覚で一気に読み終えました。主人公にはすべてではないですがコアの部分はわりと共感できました。この本が芥川賞に選出され、売れて、レビューにも共感できるという意見がわりとあるので、きっとこの主人公に共感できる人は自分以外にもそれなりにたくさんいるのだろうと思うと少し安心です。 主人公の思考が、普通はそこまで言語化しないよなというところまで細やかに、かつ軽やかに書かれており、いろいろと自分の日常を顧みて考えさせられる点が多かったです。 たとえば口調が人からうつるという描写が繰り返し出てくるのが印象的でしたね。コンビニの音の描写といい、主人公は(著者も?)かなり聴覚優位なのだということがうかがえます。周囲の人が変わると話し方も変わるというのは当たり前といえば当たり前なのですが、あまりちゃんと考えたことがありませんでした。語尾を伸ばすとか具体的な描写が伴っているのがとてもリアルで、自分や友達に当てはめていろいろ考えてしまいました。 他の人の反応を見て学習して、自分も同じように振る舞うというところは、一見いかにもアスペルガー的で普通ではない思考パターンかのようにもみえますが、似たようなことは自分もやっているなと思いました。 主人公が同棲してると知った周囲の反応がリアルすぎておもしろかったですが、もし私が主人公の同僚だったらどう反応していたか想像すると、やっぱり「ずっと恋人のいない人に恋人ができた時の他人の反応」を自分の中にコピーしてそれを演じると思うのですよね。そんなに心から良かったねと思っていなくても、こういう時は良かったねと言うものだから言っているという部分がどこかある気がします。あとは単にホットな話題として楽しんでいるだけだったりとか。主人公の同僚や友人たちもそのどっちかまたは両方なんじゃないかなと思いました。妹は違うでしょうけど。 また、コンビニの店員からは客がどう見えていて、何を考えているのか、こんなに詳しく知る機会が今までなかったのでそこはとても興味深かったです。明日からコンビニに行った時に見る視点が変わりそうです。 主人公には、普通になろうという意思はあっても、向上心とか将来の夢、目標みたいなものは一切ないみたいですし、それがないことに特に他人からも言及もされないんですよね。白羽についてはネガティブな文脈でネット起業という言葉は出てきてはいますが。主人公に、他にやりたいこととかないの?と聞いてくる人がいてもおかしくないような気がします。夢(それこそ小説家になるとか)のためにバイトしながらがんばっているなんてありがちですしね。私が主人公より多少若いせいかもしれませんが、普通でなければならないという圧力と同じくらい、夢や目標を持たなければならないという圧力もまた、私が結構息苦しいと感じる点なので、個人的にはそのあたりも描いてほしかったです。ただ、現実の作者は実際にはコンビニバイトであるだけでなく小説家でもあるわけで、そのあたりは満たされている以上、描く必要がなかったのかもしれませんね。 各国語に翻訳されているということですが、海外の人が読んだらどう思うのかも気になる作品ですね。 ついいろいろ考えて長くなってしまいましたが、これだけ自分の日常に当てはめて考えさせられる小説はかなり稀有でした。読んでよかったです。 | ||||
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(以下、作品からの引用も含め、ネタバレにご注意ください) ・文学の真の価値というものが、ストーリーテリングの巧拙や魅力ある登場人物の創造にあるのではなく、これまでだれも書かなかったことが文学表現として提示されたことにあるとすれば、『コンビニ人間』は、内容的に実に興味深い作品だと思う。本作品には、主人公の女性が物音へ過敏に反応したり、彼女の「普通」でない言動によって周囲のパニックを招いたエピソードが何度も描かれ、背景に発達障害が存在することが示唆されている(ただし、発達障害だと明言するシーンはない)。そういう主人公にとって「普通の人間」として振る舞える場所こそがコンビニだった。なぜなら、「私はバックルームで見せられた見本のビデオや、トレーナーの見せてくれるお手本の真似をするのが得意だった。今まで、誰も私に、「これが普通の表情で、声の出し方だよ」と教えてくれたことはなかった。」(p20)からだ。本作品は、人の感情がうまく理解できない主人公の「生きづらさ」が1人称の視点で描かれており、小説の「現在」はコンビニ勤務の18年後として設定されている。本作品の主眼は、36歳になった主人公がコンビニを辞めて、就活を開始するまでの周囲との様々な軋轢を描くことにあった。 ・かつて、大学1年生の主人公は、コンビニ勤務の初日、自分の業務を無難にこなし、こんな感慨を持った。「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。」(p25)、と。世界の部品となる、とは、社会が求める役割を引き受けること、「つまり、皆の中にある『普通の人間』という架空の生き物を演じるんです。あのコンビニエンスストアで、全員が『店員』という架空の生き物を演じているのと同じですよ」(p95)と解釈されていた。その後の彼女には、「朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。」(p27)という精神的な安息が訪れる。 ・主人公はまた、こんなことも考えていた。「店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。」(p57)。つまり、コンビニには同じ名称の商品が「ずっとあるけれど」、新陳代謝のように個々の商品は少しずつ入れ替わるし、働く人間もまた「店長」「店員」として「ずっとあるけれど」、人事異動により少しずつ入れ替わっていく。会社制度では、「法人」である会社がその社員である「自然人」=生身の人間を入れ替えながら存続することで、継続的な取引の安定性が保証されるが、コンビニの原理も同じというわけだ。さらに、主人公は、「18年間、「店長」は姿を変えながらずっと店にいた。一人一人違うのに、全員合わせて一匹の生き物であるような気持ちになることがある。」(p46)と考えるが、この発想は、歌舞伎役者が同じ芸名を何代目何々として襲名し、その芸名からイメージされる芸風を守っていく慣習に似ている。昔は、商家などでも代々の名跡を継承する慣習が珍しくなかった。 ・主人公は、コンビニで働くようになって、同窓会で旧友から「変わったね」「雰囲気違ってみえる」といわれて、内心でつぶやく。「だって、私の摂取する「世界」は入れ替わっているのだから。前に友達と会ったとき身体の中にあった水が、今はもうほとんどなくなっていて、違う水に入れ替わっているように、私を形成するものが変化している。」(p38)。生身の人間の身体も、コンビニの新陳代謝に似て、「ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている」と捉えられる。 ・コンビニの店舗は、煌々と輝く照明器具によって「光の箱」と化す。主人公は、コンビニとその「歯車」である自分に絶大な信頼を寄せる。「ドアをあければ、光の箱が私を待っている。いつも回転し続ける、ゆるぎない正常な世界。私は、この光に満ちた箱の中の世界を信じている。」(p36)という。こうなると、コンビニのありふれた店舗が神秘的な宗教性さえ帯びてくる。主人公は、「普通の人間という皮をかぶって、そのマニュアル通りに振る舞えばムラを追い出されることも、邪魔者扱いされることもない」(p95)と考えている。しかし、「自然人」である限り、コンビニからの退場を避けることはできず、主人公の「老い」のきざしが、結婚して家庭を持つという社会性や、病気・老後への備えの欠如の問題を顕在化させることになる。小説中で、彼女の家族や無職の中年男などから、アルバイト身分を批判されるシーンが続き、さすがの主人公も、コンビニを辞めて、就活に挑むことにしぶしぶ同意する。実は、彼女自身が、「電話を切ったあと、ふと、鏡の中の自分を眺めた。コンビニ店員として生まれたときに比べると、私は老いていた。」(p79)と気づいていた。 ・クライマックスで、主人公は、就活の面接に行く途上、たまたま立ち寄ったビジネス街のコンビニで、商品の陳列がマニュアルどおりでない棚を見て、勝手に並べ直していくうちに、突然、神の啓示のような「コンビニの「声」」を聞く。「そのとき、私にコンビニの「声」が流れ込んできた。」「コンビニの中の音の全てが、意味を持って震えていた。その振動が、私の細胞へ直接語りかけ、音楽のように響いているのだった。」(p154)。主人公は就活を中止し、揺るぎない信念のもと、コンビニ人間として再出発することが暗示されて、小説は終わりを告げる。作家の中村文則氏は、巻末の「解説」で、「この小説をある意味ハッピーエンドと捉える人もいるかもしれないし、バッドエンドと捉える人もいるかもしれない」と述べている。この言い回しは微妙だが、中村氏には本作品の結末が少し意外で、素直にハッピーエンドとは受け取れなかったようだ。主人公が、「コンビニ店員として生まれたときに比べると、私は老いていた」と自覚し、細胞レベルで「私を形成するものが変化している」と感じているにも関わらず、コンビニ人間として再出発するというラストは、顕在化した問題の解決を放棄するに等しいからだ。「コンビニの「声」」というのも、単に、自分自身のルーティンの無意識を第三者の声のように錯覚したにすぎないだろう。 ・以下は、主人公が発達障害だと仮定しての話になるが、『コンビニ人間』の主人公がどう生きるべきは、親族のだれにもわからなかったし、本人自身の態度も、やむをえなかったとはいえ、発達障害をクローズ(非公表)すべきものとして終始している。彼女の人生の最初の躓きは、小学校高学年時のカウンセリングで、「「とにかく、愛情を注いで、ゆっくり見守りましょう」と毒にも薬にもならないことを言われ」(p17)たことだった。このような事実は、彼女がライフステージに応じた専門職の支援と結びつく機会を失う原因となっていて、現在でも発達障害の専門医が少ない情況下にあるものの、やはり主人公は、生育過程で適切な診断を受ける必要があったと思う。ラストの就活シーンでは、本来、ハローワークに相談に行って、就労支援担当者にありのままの実情を話し、発達障害を就職先にオープンにするかクローズにするかも含めて、彼女の適性や意思に応じた職業紹介が行われ、就労後のフォローアップも視野に入れた継続的な支援が行われるべきだった。そういう非文学的(実務的)な視点で眺めると、あのラストはバッドエンドだったと思うが、コンビニという小さな空間を通じて、世界の「歯車」になるという発達障害の当事者の生々しい世界観が語られた小説として、『コンビニ人間』は記憶されるべきものではないかと思う。レビュアーは、本作品を読みながら、自閉症の当事者が書いた驚嘆すべき著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』(東田直樹著)を連想していた。 | ||||
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主人公はアスペルガー症候群の女性。 何をやらせても失敗ばかりだが、 偶然出会ったコンビニのアルバイトという職業に適応し、 完璧にコンビニの業務をこなせるようになった。 現在は「普通じゃない人」は「普通」になるように強制され、差別される時代。 100年後はきっと「そんな時代もあったんだ」と笑い話になっている。 この本を読んだ人が「普通じゃない人」をそのまま受け入れられるようになれば、 社会は少しずつ良くなると思う。 | ||||
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主人公がヤバいクレーマーとかを処理していくお話かと思ったら、一番ヤバかったのは主人公だった コンビニ愛に感服 | ||||
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同じ窓から揃いも揃って見る景色 窓の向こうからこちらを見ている人がいる こちら側は満員電車みたいな箱の中 あちら側はどこまでも続く土の上 正しさは幻みたいな凶器 自分で磨いたものですか? 箱の中は酸素が薄く頭が回らない 思考停止 横一列にスタートなんか切らなくていい 速度と強度の競争に飽きている 風船に針をさす | ||||
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内容は少し暗め。結局、主人公は何がしたかったのか、単純な毎日がええのか?ちと退屈感あり。 | ||||
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【ネタバレあり!?】 (1件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する | ||||
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【ネタバレあり!?】 (1件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する | ||||
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主人公は子供の時クラスメートの男の子同士のケンカを止めようとしてスコップで思いっきり殴り付けたり、死んだ小鳥を見つけて友達が悲しんでいる時、焼き鳥にして食べよう!と言い出したり、奇妙な行動を起こす。 彼女にとっては合理的に思える行動も周囲には受け入れられず、本人は悩んだ末それらを外に表すことを避けるようになる。 そしてある時出会ったコンビニ店員としての生き方。 無機質な商品に囲まれ、マニュアル通りに行動していればよい居心地のよさ。 人としての多様性は肯定されるべきであり、世間と同じであったり、普通であることを強要される必要はないことは言を俟たない。 結婚しない、子供を作らない、同性を愛する、友達がいない等、これらの生き方は尊重され他人にとやかく干渉される筋合いはない。 しかし、特別な理由もなく働かないとか、嘘をつくとなるとちょっと少し評価は変わる。 まして幼児への性的傾倒とか猟奇的思考等となるとそのまま見過ごしにしておく訳には行かないこともある。 しかし彼女のように自分の本性を偽ったままの生き方を続けることが正しいのか? 異なった価値観や感覚はどこまでが自由に表現して良くて、どこからは迷惑や犯罪になるのか? 個人の人権や多様性はどこまでが守られ、何は容認されないのか? その基準は誰が決めるのか? 容認されない感覚を持ってしまった人はどう生きれば良いのか? そんなことを考えさせながら文章のタッチや物語の設定には透明感がありクールは作品だった。 | ||||
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今っぽい作品。現代人の現代病みたいなものが上手く反映されている。途中まで小説ではなく作者の実話と思っていた。それぐらい主人公のキャラクターがぶれていない。淡々とした書きぶりと、どこまでもぶれない台詞がすばらしい。 脇役の男も、ひたすら嫌な奴だけど意外と身近にいるタイプだと感じる。周りの人が説教をする相手を探しているというのもホントによくわかる。世の中嫌な人ばかりだ。みんな自分だけが普通と思っている。そんな感じで共感できるポイントがたくさんある。 インタビューによれば、この作者は本を書くのが大好きだと言うが、それが作品から垣間見える。ぜひ応援したくなる。 | ||||
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こんなにしっかりと仕事のできる人がどうしてアルバイト待遇なのか?古倉さんはコンビニで働いている時、とても魅力的に見えるとおもうのに! 主人公のカラッとした狂気と現代の若者らしい従順さの共存が不思議にリアルである。 数年前、原宿のトアルコーヒーチェーン店で18年後の古倉さんに会った気がしてきた。 | ||||
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