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コンビニ人間
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コンビニ人間の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.99pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1009件 641~660 33/51ページ
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勧められなかったら読まなかった本。レビューを見ると、賛否両論ですが、僕は面白かったです。みんなと同じことが安全な日本では、みんなと違う考えは異分子扱いされがちですね。この本は、異分子扱いされてる主人公の物語です。 そもそも普通とは何か?自分はマイノリティと自覚してる方にお勧め | ||||
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普段本を読むのは苦手で、読書家の方からすれば頓珍漢なことを言っているかもしれませんが書きます。 私はこの★の数なだけに他の低評価の方のレビューを読みましたが、その方々はいかに感情移入が出来るかを作品に求めていてナンセンスだと思いました。この作品は端から心地よく感情移入をするためには書かれていないと思います。あくまで現代の社会構造にメスを入れている、それまでだと思います。「同じでなければならない」そのことについてあらゆる角度から疑問を呈しているのです。そして表面上は(文末の中村文則氏の講評のとおり)コンビニを表現した文字ツールを用いたアートであるように感じます。私自身は少なくとも、この本を通して自分に見える社会の分断の仕方がまた一つ増えて満足です。 しかしコンビニ店員としてひとつ疑問だったのが、なぜ18年働いていてパートに昇格しないままなのかという部分。 最後にコンビニ店員としてひとこと。私は大学生アルバイトとして社会人店員を見つめています。確かに大人の社員の中には「普通」ではない人もいますが彼らも彼らなりに苦労してプロフェッショナルしててそこにも人間の生があります。(白羽みたいなのは論外ですけどね。そういう人がいるのもまた事実) | ||||
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主人公はとても特殊な人間であるが、それでいてどこか現実に存在していてもおかしくない、と言う絶妙なキャラクターデザインになっており、読み進める中で非現実的ながらも物語に引き込まれる中々ない体験が出来た。 そして主人公の考え方や世界の捉え方も当然「普通」とは随分ずれているのだが、どこか納得、共感できる、不思議な感覚だった。 本全体としても長すぎず、それでいて視点、考え方が一貫しているのでとても読みやすかった。 | ||||
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徹頭徹尾 素直な文体で読みやすい 文章表現で唸らせる文学独特のセオリーも無視して 古倉の心情表現にのみ注目が集まるように 読者が自然に誘導されている点も秀悦だ 白羽という自分をフツーというカテゴリーから排除した社会に対して ギャフンと言わせたいという願望を持つ象徴的人物を据えることで 古倉の隠蔽的擬態としての人生観を一層際立たせることに成功している 本作品を素直に評価できる審査員がいた点は 日本文学界も捨てたもんじゃない 10年後には古倉的な価値観がメインストリームになっていると感じる 日本だけでなく、もしかしたら先進国もすべて | ||||
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私も学生時代に半年コンビニでアルバイトしていました。 地理的な違いか、私はコンビニの仕事で社会との繋がりを感じる事はできませんでした。 ですが、筆者はイキイキとコンビニの仕事をされていて羨ましいと思いました。 コンビニでの人間模様は、あるある話を思い出していく感じで面白かったです。 コンビニの仕事を見下して見ていた自分は何だったんだろうと思います。 | ||||
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主人公の人物像はかなりデフォルメされています(いわゆるアスペルガーは主人公のように無感情というわけではない)が、自分が社会の異物であるという感覚に共感を覚える人は多いでしょう。 ある意味宇宙人のような扱いを受けるなかで、なんとか周囲の人間を真似して、地球人に擬態する様は痛々しいものです。それでも彼女はコンビニ店員としては上手くやれているという自己認識を持っているのだと思いますが、飲み会からハブられていたことや、退職を引き止められなかったという事実から、それすら怪しく思えてくるのがまた悲しい。 ラストで彼女は「普通」の人間を目指すことをやめ、コンビニ人間として生きていくことを決意します。しかし、再度コンビニに勤務できるとは限らないので、中盤で登場する謎の店員モドキのおっさんになる可能性も残されているという恐ろしさがあります。 | ||||
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ちょっと現実離れしたところもありますが、何しろ読ませる。 現在の一つの断面を淡々と無機質に、書かれているのが好かったと思います。 | ||||
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とても面白かったです。 普通とは何か。幸せとは何かについてすごく考えさせられました。 自分にとっては普通のことでも、自分以外の誰かにとっては普通ではないのかもしれないので、これからは価値観を他人に押し付け過ぎず、お互いに尊重し合うべきだとこの作品を通して学びました。 文章も分かりやすい言葉が使われていて、中高生でも読みやすいかなと思います。 | ||||
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最後はほとんど飛ばし読みでした。 こういった考え方の人もいるのだろう、とは思いますが、自分は本にわくわくするようなストーリーを求めるので、自分の好みとは大きく外れており、中盤からは早く終わらないかな、と思い読んでいました。レビューを書きながら星5をつけた人は、どういったところが良かったと思ったのか、レビューを見てみようかな、と思いました。 | ||||
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高校の試験問題に出てた本です。気になって購入しました。読書苦手な私でもスイスイ引き込まれ読めました。 | ||||
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今までなんとなく感じていたけどはっきりとは考えなかったこと、私の頭の中をどんどん言語化されていくような気がしました。 | ||||
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なんか斜に構えすぎなのかなぁ。ストレートに入ってこなくて、回りくどくて、読んでいてイライラしてしまいました。内容どうこうというより、言葉のチョイス、表現方法などが私にすんなり入って来ませんでした。これが現代的な作品ということなのでしょうか。。。。?人好き好きだとは思いますが。 | ||||
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読んでいくとどんどん場面が変わり、読んでて飽きませんでした! | ||||
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「よくもこれほどいらんことを書いたな」と痛快な気分になる読後感でした。 ブラックユーモアに満ちた、読みやすい文体をもって未熟、軽薄と評価すべきではありません。事実、試し読みをした瞬間私はお腹が空いてコンビニエンスストアに食べ物を買いに走りました。破壊的なまでに効果的な文体と評価すべきであって、コンビニの売り上げに貢献こそすれコンビニを貶める効果は一切持たないと言えるでしょう。主人公が「普通」とは言えないことを考えればこれは驚くべきことです。 奇妙な主人公はコンビニエンスストアで働くレクター博士のごとく、読者に代わって凡庸さと闘いながらもサバイバルを図る喜劇女優です。「普通」であることに疲れたすべての大人に向けた、「自分らしさ」を回復させる物語であるである一方、凡庸に隷属する事からの脱却が凡庸の象徴であるコンビニを必ずしも排除しない、そこは実のところ問題ではないことを示し、「自分らしさ」の立脚点を完全に自由なものにしていることに意味があります。 もっとも、この作品は未成年に勧めがたいほど過激な反社会性を持つと思います。決してそれは暴力や性表現を含むからではありません。そうではなく、作者が登場人物たちに対して正誤の判断を下さず公平だからです。「この言動はひどい」「その考え方はどうなのか」という判断はあくまで読者にゆだねられており、しかも、わかりやすい犯罪でも暴力でもないからです。主人公にははっきりとした病名もありません。ただただ感情移入して読む読者には不向きでしょう。他方、主人公の反社会性や、それを描写することの差別性に反応し、排除する読者にも向いていないと思います。 主人公が「コンビニ人間」として自分を見出すことは、たとえ間違ったことであったとしても主人公の人生を現実問題として輝かせています。他方で、その間違いは決して正さなければいけない性質のものではないが、指摘し笑いものにしたいと思う人がいることもまた否定しない、という公平な姿勢で作者は書いています。主人公にとってゴールである「社会適応」について、別に正義とも何とも言う気はないのです。主人公に対して読者は違和感を持って当たり前だが、苦笑しつつも付き合ってやってほしい、というのが作者の立ち位置のように思います。また、そのメッセージが良く伝わるように、あえて何の障害と特定できない設定にしているのではないでしょうか。 | ||||
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「普通」になれない主人公が、 「コンビニ」という箱の中では、 「普通」でいた。 他人事の話ではない気がした。 自分自身にも当てはまる話であり、主人公同様に見られていることもあると感じた。 あることをきっかけとして、主人公は正常と思われるが、それも非正常のなれの果てでしかない。 主人公は「コンビニ」という箱で一生を終えるのだろうが、彼女のひたむきさを汲んでくれる人が現れてほしいとも思った。 | ||||
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アスペルガーっぽい主人公の物語。アスペルガーの私としては、初めは無感情過ぎる主人公を当事者として共感出来ませんでしたが、普通側である登場人物との会話のズレがかかれている中盤辺りからは現実的な視点で読んでいました。ただ主人公の性格はいくら小説とはいえ、理屈優先で冷たいなと思いました。 とはいえ普通派とアスペルガー側のズレは共感する事が多く、リアルな社会の現状を作者は書かれていると思いました。 具体的には主人公は仕事の段取りが優れ、市場動向を踏まえた視点まであるのにもかかわらず、コンビニのバイト以外の仕事は落ちていたという事。 あるいは主人公が、男性である白羽と同棲してるのを知った周囲の普通側の人達は、主人公をコンビニ店員ではなく、古橋さんとして接するようになった事。この事をアスペルガーの主人公は不思議がっていたが、普通サイドの社会性や真面目過ぎないで楽しむという視点が表れているんじゃないかと感じました。 小説の内容を見るに、おそらく多数派の作者が、いろんな面に配慮して、集団思想、個人思想、両側の良い面を悪い面を俯瞰している事に驚嘆しました。 ただ当事者の私的には、主人公が集団側の考え方に「気付いてから」、アスペルガーとして自然体でいる事の難しさや苦しさを書いて欲しかったです。主人公の今後を想像すると、前向きさは素敵でしたが、ハッピーエンドではないと思うので。 蛇足ですが主人公がやめた後のコンビニの売上が、主人公一人では変わりないかもしれませんが、少し気になりました。 少数側からすれば、私自身を含め、主人公と同様に苦しんでる人も沢山いると思いますし、多数側からすれば、集団としての視点が欠けているアスペルガー等の少数側を受け入れづらいのかもしれませんが、主人公のように真面目に仕事に取り組んだりする事など、良い面を見て、受け入れてくれる方が多くなったらとても嬉しいなと思っています。 | ||||
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主人公は学生時代から、時折ズレた言動をする。18歳からコンビニのバイトを始めて、就職や恋愛をせずずっとコンビニのバイトを続けている。そこへ、新人バイトとしてやってきたのが、社会になじめないやつ。 どこか似ている2人だが、惹かれることは絶対にない。しかし、妙な関係性が生まれている。 綿矢りさ「蹴りたい背中」のストーリーと似ている感じがしました。 人の生き方は多様だけど、どこかはみ出した人を社会が許さない風潮がある。 本来人は、自分が納得して生きていればいい。 このアンビバレントさを絶妙に描いている。 読み終わった後、考えさせられる作品でした。 | ||||
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いつか、古倉さんの「コンビニ経営コンサルタント」的な才覚が認められ、現場・本部の両方で愛される人材になっていきますように | ||||
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子供のころはサラリーマンになって「普通」の人生を送るだけなら簡単・楽勝なんだろうなと思ってました この歳になって「普通」であり続けることの大変さをしみじみと実感しています 世の中には「天馬空を行く」ように「普通」の人生を送っている方もいるのでしょうが、この主人公ほどではないにせよ、大抵の人はともすれば滑り落ちそうになる一線を踏みとどまって、なんとか「普通」であり続けているのではないかと思いました | ||||
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コンビニ人間 村田 沙耶香著 社会生活を行っていく上で本来の自分とは異なる「社会的な外面」を誰しもが持っているが、その社会的外面は、本来は「個人の要請と、周囲・社会からの期待・要請との間の折り合い」の上に形成されるものである。ところが、同調圧力の強い日本では、「個人がどうありたいか」よりも「社会、コミュニティが期待する像」により比重がおかれる。 また、内向型人間は興味が内側へ向いているため、興味が外側へ向く外向型人間よりも「社会的な外面」の重要性に疎く、社会で自分がどう見られたいか、ということに問題が生じる。 主人公の古倉は子どものころから、過重な「社会、コミュニティが期待する像」を受け入れることが難しく、また外向型人間とは違う感覚、考え方のため、適切な社会的外面をまとうことができなかった。しかし、社会で生きていくための必要からどのような人が最も求められているかを考え、たどり着いたのが、「コンビニのような何でもでき、何でも置いてあり、必要であればいつでも対応できる人物」であった。そこで、コンビニと自我を一体化することで、自分の居場所を発見し、間接的ながら社会と接点も見つけたのだと考える。 「皆、制服を着て同じように働いていても、前よりも店員ではない気がする」 同居する白羽とのことが店内で話題になったときにそう感じたのは、古倉にとって理性的で機能的であったコンビニに、肉や情念が入り混じり始めたためであろう。 同居する白羽は、社会的外面を被る能力もないため、分離できていない母親の代わりに古倉の子宮の中へ(象徴的に)入りこもうとした。そして、コンビニ店員では自分を守ってもらうためには不十分なため就職を勧めるが、自我形成が十全でなく、コンビニ店員の外面を借りてきてようやく生きてこられた古倉は結局はコンビニへ戻り、関係が終了する。 社会に適合できない、コミュニケーション障害など、社会にうまく合わせられない個人が非難されがちだが、多様性を認められない日本の構造の方にこそ問題があるのではないか。それらをうまく捉えた作品であった。 | ||||
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