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アクロイド殺し
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【この小説が収録されている参考書籍】
アクロイド殺しの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全199件 141~160 8/10ページ
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このトリックを最初に思いついたと言う事がクリスティーの天才たる所以。 ぜひともご一読下さい。 | ||||
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今から80年以上前の出版当時、イギリスで家庭に友人を招いてご婦人も一緒に麻雀が行われていたとは!! ポン、チーと鳴いてばかり、鳴き間違えもしょっちゅうで、安上がりを続けて勝っている人と大きな手を狙いながら上がりきれない人との言い合いなど、我らのヘボ麻雀と同じで笑えます。 また、オバサンの噂好きとそれに伴うあくなき好奇心や図々しさも、洋の東西を問わないなと感心。このオバサンが真犯人を察知するのかどうか、読後に残る興味です。 | ||||
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みんないい人ですよ。嘘なんてつけないんですから。これを読んで下さってるあなたも。でも本当のことは、言えないですよね。フェアかアンフェアかといえば、アンフェアかな。でも推理は必要ないかもしれない。少なくとも私は推理はしませんでした。犯人はこういう人ですよ〜って、読みとる事が出来るっていうか、書いてあるって言うか、それなら犯人は、この人ですね!って。あとは、ポアロさんが、他の容疑者の身の潔白を証明していく業務日報を読んでた次第で。おもしろかったです。 | ||||
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一度読んだら二度と読まなくても 永遠に犯人はだけは忘れないのでは・・・ 始めて読んだ時は「ずるい!」 と悔しかった(笑) 再読で、どこで犯人と分かるか 違う意味で夢中になれます 設定は平凡ながら、 完全無敵な推理小説だと思います | ||||
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この本を最初に読んだのは中学生の頃だが、衝撃で眠れなかった。それまでは人の話を素直に聞くウブな性格だったが、その後は全ての事項に関してやや懐疑的になっていく。素直なお子さんは読まない方がいいかも(笑)アンフェアですよ!一番重要なことを、隠して書いているわけだから。但し、人は常に正直とは限らないと教えてくれるので、評価はします。 | ||||
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物語はシェパード医師の語りで進行し、ポアロが途中で登場して二人三脚で事件の概要を追っていくのだけれど、 この作品のキーは途中で明かされる、一見なんてこと無い事実にある。(ある意味これがトリックとして一番衝撃的かも) それはこの作品が一人称語り手ではなく、文書だったということ。私たちは彼の手記を読んでいたのだ! 解説だったか何かで笠井潔氏が触れていたと思う。何がこれほどまでに絶妙なのか。 「一人称小説」と「手記」。この作品がただの一人称小説だったとすると、アンフェアになってしまう。 何故なら語り手である一人称小説の「私」は物語進行役。ある意味、神の視点で私たちに情報を提供する係。 ・読者に対し嘘をつかないこと。 ・故意に事実を隠さないこと。 これがフェアであるためのお約束事だから。 読者はまさかこれが手記だと思ってないので、一人称語り手の(と勘違いしている)「私」は、読者にフェアだと思いこんでしまう。 だけど後半、この一人称小説だと思っていたものが書き物だったことが分かる。 そうなると「私」は自分に都合の悪い事実を隠すができる。いくらでも私見を含んで良い。これはもちろん反則でもなんでもない。 このトリックに拍手喝采を送りたい。 ちなみにヴァン・ダインはアンフェア支持派だったと思う。 確かにヴァン・ダインの二十則、第2項には反しているけど、私はそもそもこの二十則が好きじゃない。 ノックスの戒の方がよくできているように思うが、どうだろう。 | ||||
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忘れられない作品です。クリスティーの作品中、というよりあらゆる推理小説中で最も有名な作品かも知れません。 最初に読んだのは中学生の頃。 まったく予備知識がないまま読むことが出来たのは最高の幸福でした。 あの衝撃の真相知ったときに驚きは今でも思い出します。 文字通り椅子から転げ落ちるほどでした。 この作品を語るときに必ず言われるのがフェアかアンフェアかの問題ですが、推理小説の楽しみはそんなことよりも、面白いか面白くないかが問題であり、この作品は文句なく面白いです。 フェアかアンフェアかの問題提起はヴァン・ダインが言い始めたことだと思いますが、あの有名なトリックで先を越されたことに対する悔しさでクリスティーを非難したのでしょう。 これから、この本を始めて読む人がうらやましい。 | ||||
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“世の中”を勉強させてもらえます。 おしゃべり(当たり前のことなので…)おばさん・ご婦人の 想像力と情報ネットは素晴らしい。 推理立て・手品はもちろんですが、 登場人物のセリフ、言い回しも面白い。 とにかく楽しめます。 | ||||
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ミステリ好きを自認するも、恥ずかしながら、クリスティの作品を読了するのは『そして誰もいなくなった』と本作だけ。 本作は、一見、名探偵(ポアロ)が、ラストに、もつれた糸をほぐすがごとく謎ときをするくだりは、往年のミステリの王道。しかしながら、犯罪そのものより、本書の全編に隠されたトリック=ミスディレクションが特色であって、フェア、アンフェアの論争がおこったとのこと。発表された当時(1926年)のミステリには疎いのだが、この手法に前例がないのであれば、大きな話題となったのだろうと想像する。近年の、奇をてらったものに慣れているせいか、やられた感は、今ひとつだったけれども。 本作は、子供と一緒に読んだのだが(子供の方は、偕成社文庫版『アクロイド殺人事件』)、犯人探しや、伏線について、途中途中で、ちょっとした議論を楽しませていただいた。他のクリスティの作品も、親子で読んでみようと思う。 | ||||
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この作品は3回読みました。犯人を知っていると、犯人を知らないときとは別の楽しみ方ができます。 この作品には「フェアかアンフェアか」という論争が絶えないようですが、僕はフェアだと思います。 | ||||
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新訳ということで約20年ぶりに読みました。字も大きくなり、非常に読みやすくなっています。また、超有名作品であるが故に、そのトリックについて論争も巻きおこっています。しかし推理小説ファンならこれは読んでおくべきです。似たようなトリックが氾濫する中、この推理小説こそがその旗手なのです。何の予備知識も無く読んで騙されてああ面白かったというのが最高の読み方だと思います。この作品の評価が低い方は、似たような小説を先に読んでしまっていたか、もしくは推理小説の定義が狭い方ではないでしょうか。少なくとも、後世に多大な影響を与えた小説であることは間違いありません。 | ||||
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クリスティーなら本書と「そして誰もいなくなった」、この2作を読めば充分だろう。他の作品はこの2作から格段に落ちる。といって、クリスティーが悪いのではなく、この2作品が群を抜いて優れているからだが。 後に執筆された作品群の多くが、エラリー・クイーンやディクスン・カーの作品に較べるとどうしても本格推理ものとしては落ちる感じがするのは、読者に与える手がかりが少なく、その一方で(犯人が探偵に対して仕掛けるトリックではなく)作者が読者に対して仕掛けるミス・ディレクションによって誤魔化される感が強いからだが、本書は読者に充分すぎるほどの手がかりを与えながら(アンフェアだという人は、いったいどこを見てアンフェアだと言ってるのだろう?)、最後の最後であっと驚かせる趣向がすごいのだ。 この驚愕のラストに匹敵する作品は、私が知る限りでは、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」と「レーン最後の事件」、それにモーリス・ルブランの「813」だけだ。 | ||||
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クリスティーなら本書と「そして誰もいなくなった」、この2作を読めば充分だろう。他の作品はこの2作から格段に落ちる。といって、クリスティーが悪いのではなく、この2作品が群を抜いて優れているからだが。 後に執筆された作品群の多は読者に与える手がかりが少なく、その一方で(犯人が探偵に対して仕掛けるトリックではなく)作者が読者に対して仕掛けるミス・ディレクションによって誤魔化される感が強いだが、本書は読者に充分すぎるほどの手がかりを与えながら、最後の最後であっと驚かせる趣向がすごいのだ。 この驚愕のラストに匹敵する作品は、私が知る限りでは、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」と「レーン最後の事件」、それにモーリス・ルブランの「813」だけだ。 なお、その本書をアンフェアだという人は、いったいどこを見てアンフェアだと言ってるのだろう? エラリー・クイーンも本書について、手がかりとフェアプレイの点で10点満点を評しているのに。(創元推理文庫『フランス白粉の謎』巻末解説参照) | ||||
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ミステリー好きな私ですが、アガサ・クリスティーの長編作品を読むのは初めて。 ポアロの引退後の話でしたが、予備知識もいらず楽しめました トリックについては、ぎりぎりフェアなだけに「どうなんだろうか?」と考えてしまいましたが、やはり彼女が書く作品には独特の切れ味があります。 この作品のトリックは日本の作家にも応用されていることが多いので、感動が少なかったですが、原点ともなる作品なので流れの構成、完成度が素晴らしいと感じました。 あと、日本語に翻訳する時点で表現力のクオリティダウンしていることは明らかなので、表現力を感じる点から、英語で読むことが重要なのではないでしょうか | ||||
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発表当時、メイントリックがフェアかアンフェアかを巡って物議を醸し、問題作扱いされた本作。 しかし、トリック自体には、すでに前例があり、趣向そのものが問題というわけではありません。 本作がミステリとして成立しているか否かは、以下の二点から考えることができます。 ひとつは、読者に事件を推理するための手がかりが十全に与えられているかどうか、ということ。 もうひとつは、犯人の行動が、その時その時の彼(彼女)の心理状態と矛盾しない、ということです。 つまり、前者が〈犯人当てミステリ〉として求められる論理的整合性の観点、 後者が犯人が当然持つべき心理的一貫性・必然性の観点、ということになります。 個人的に本作は、前者に気を配るあまり、後者がおろそか となり、不自然さを露呈してしまった、という印象です。 ただ、現代に至るまで、本作を雛形として改善が試みられた、 同趣向の作品が数多く生み出されている、という現実があります。 ゆえに、いくら瑕瑾があったとしても、本作の歴史的価値が揺らぐことは決してないのです。 ◆本作のバリエーション作品 ・『第二の銃声』(アントニイ・バークリー) ・『夜歩く』(横溝正史) | ||||
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このトリックを思いついた時点で、クリスティの勝ち。 クリスティの最高傑作として、本作を採るか「そして誰もいなくなった」を採るか、意見の分かれるところだと思いますが、僕は「そして誰も」を採ります。圧倒的なサスペンス物として。 僕はどちらかというと「アンフェア」派ですが(というか、「ズルくないか?」って思う)、本作の歴史的価値は認めます。もしまったくこの作品のトリックを知らない、ピュアな青少年は読んだほうがいいと思います。素直にだまされる快感に目覚めるから(笑)。 あ、考えてみれば、読み終わってすぐ読み返したくなるっていうことでは、こっちが上かあ。 うーん、クリスティやクイーンやカーをむさぼるように読んでた頃に戻りたいなあ。今そういう時期にいる人は幸せ。 | ||||
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読み終わった感想として、かなり質の高いミステリ小説で面白い 私は読む時間があまり取れなくグダグダと読んでましたが 20ページづつぐらいに区切りがあるので内容を忘れず読めました 話しの内容はある村でアクロイドと言う人が殺害され 村に引っ越して南瓜の栽培をしていたポアロが調査に乗り出すといった感じです 事件をややこしくするために、「偶然」を入れてるので納得いかない人もいるかも 犯人についてはアガサ・クリスティーの小説を読んでいる方は薄々気が付くかもしれません 私は何の根拠もありませんでしたが、中盤辺りから「もしかすると○○が犯人かも」 と思っていたら当たってました しかしその裏にあるアガサの仕掛けにはまったく気が付きませんでした その仕掛けとは読み終わってからのお楽しみということで、お薦めです | ||||
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1926年に書かれたものだが、とても読みやすかった。また27の章に分かれていて章ごとがの展開がわかりやすく読みやすい。ABC殺人事件やオリエント急行殺人事件と比べても読みやすかったし面白かった。とにかく、誰が犯人なのか25章までわからない。私は真犯人を当てることができなかった。100人の読者中当てることができるのは3人くらいしかいないのでは?と思った。あまりにも意表を突くこの結末は、前後のアガサの小説にもなく、最初で最後の展開と言えるだろう。巻頭に「殺人事件が起き、検死があり、登場人物が次から次に疑われる、本格推理小説が好きな、パンキーに捧げる」とアガサが書いている内容どおりだった。まさに「登場人物が次から次に疑われる」アガサの素晴らしい最高傑作だと思う。 | ||||
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言わずと知れた名作ミステリーです。トリックについて言及出来ないので(ネタバレになってしまいますし、ミステリーのネタバレは特にキツイですから)読んでいただくしかないのですが、面白かったです。 当然今の作品の方が洗練されているとは思いますが、この時代の、科学捜査でなく、人間味の妙を、人間観察を、灰色の脳細胞を働かせるポアロの推理はとても面白かったです。フェアか?アンフェアか?犯人が当てられたか、分からなかった、とかも、もちろん議論されてしかるべきですし、それで良いのですが、私は単純に楽しめました。私はフェアだと思いますし、犯人が分からなかったのですが小説として楽しめました。 いろいろ書きたいこともあるのですが、この本の感想を書く(未読の方へが、また)のが難しい!!!に挑戦してみたのですが、本当に難しい!! ミステリ好きな方で未読の方はもちろん、物語の面白さ、人間観察からの推理など、に興味のある方にオススメ致します。 | ||||
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良質のミステリーは何度読んでも面白い。犯人がわかっていても面白い。この「アクロイド殺し」はむしろ犯人がわかっていて、二度目、三度目に読んだほうが、プロットがどのように展開していくのかを確認できるのでより興味をもって接する事ができるのだ。 このミステリーの展開をアンフェアだとする意見があるが、私は決してそうは思わない。「早いもの勝ち!」で、クリスティーが最初にやってしまったことだから許されるのだ。ミステリー・プロットの展開は同じトリックを何回も使ったり、他の作者が、二度目、三度目に同じことをやるからアンフェアになってしまうのだ。 クリスティの作品は、再読に値する良質のミステリーが揃っている。特に本書はお薦めである。 | ||||
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