邪悪の家
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邪悪の家の総合評価:
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全2件 1~2 1/1ページ
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薄い。 | ||||
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クリスティの作品によくある「この人が死ぬことによって得をするのは誰か」という動機の問題。 | ||||
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ニックと間違われて殺されたと思われていたマギー。しかし、その殺害の真相がわかった時、犯人が取った行動のおぞましさに絶句してしまった。「彼女は人々を惹きつけるのに、誰もやがては”興味をなくす”」というポアロの言葉が、犯人の抱えていた哀しみを表しているようで切ない。 入院していた時期に、手紙にそのことが一切書かれていないことにポアロが気付いたのも、流石。 | ||||
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『ビッグ4』の事件から数年ぶりにヘイスティングスが帰国しており、彼が語り手となる一冊。 文中に『アクロイド殺し』時に側にいなかったことを残念がる一文がある他、『青列車の秘密』以降であることも明記されている。 それに関して興味深いのは、本作は『青列車の秘密』から著者の再婚を挿んで、四年後に上梓された作品ながら、青列車で起きた事件は「今年の冬」(P.9)で今は8月だと書かれていること。 『青列車の秘密』が出版されたのは1928年3月で、そちらにヘイスティングスは登場しておらず、それは流れ的に自然なのだが【注1】、その年の9月に雑誌掲載された短篇「二重の罪」には、なぜか彼が登場していて謎だった。おまえは南米に移住した割に、英国に一時帰国し過ぎじゃないかとw もちろん「二重の罪」はポワロとヘイスティングスが同居していた時代の回想だとすれば問題はないのだが、本青にて青列車事件の年の8月前後に、ヘイスティングスが英国に一時帰国していたことが確実になったので、この事件の後、コーンウォールの休暇が中途半端に終わって過労気味のポワロをあらためてバス旅行に誘ったとすれば、すんなり納得できるw これはたまたまか、著者なり編集者なりの配慮か……。 アーサー・C=ドイルと違って、基本的に著者は事件の発生時期を明記しないのが常だが、本作で「チョコレートの箱」の事件が1893年の出来事だとわざわざ書かれていた。元の作品には書かれていなかったのに。この時期はポワロの活躍年表を整理しようとしていたのかもw 作品自体は、ポワロの謎解きの説明が始まると事件の様相がガラリと変わるのがとても見事なのだが、そこに至るまでは結構退屈である。『アクロイド殺人事件』の感想に、(ヘイスティングスの語りじゃないから)中盤はややつまらないといったようなことを書いたが、となれば、彼の語りでポワロとの掛け合いもある本書ではそこは面白くなってる筈なのだが、意外にそうでもなかったw 厳密に言えば、ユーモラスな二人のやりとりはプラスに作用するとして、ヘイスティングスのいつものアホアホ光線のマイナスでチャラといったところかww このあたりは、読者が彼の反応を「役どころに乗っ取った演技」として好意的に処理できるかどうかで評価が変わるところだろう。 退屈とは言っても、すらすら読めるのはもちろんである。むしろ比較的にオーソドックスな射殺事件一本だというのに、あーだこーだと考えさせるテクニックはさすがである。 例えば、――これは著者の本を何冊か読んでる人ならうなずけると思うが――ヘイスティングスが「そう、彼が関わっているとは思えないんだ」(P.63)と熱を込めて言えば、ああ彼はなにがしか関わってるのねと勘ぐるし、登場人物のひとりが体が不自由で家にこもりがちと言えば、ああいつもの欺瞞ねと思うわけであるw そしてそれらの疑念はある程度の意味で間違っていないのだが、中心の事件との関係が深いとは限らない。犯人の作為によって事件となる中心のストーリーと、それとは直接には絡んでいないような他者による作為のストーリーが幾つか、それらが重なり合って読者には全体像が見えにくくなるわけである。 実際本作の中心となる欺瞞についても、わたしは可能性の一つとしては挙げていたのだが、到底有機的にうまく説明づけられるわけもなく、ポワロの解説でパタパタパタと収まるところに収まっていく際に、爽快感を十分に味わった。 ここでふと気がついたのだが、いくつかのストーリーが賑やかに同時発生するという点は、『チムニーズ館の秘密』と近い。著者の“探偵小説”には、本格推理小説とロマン味に振ったスパイ小説があって、随分ジャンル的には異なる。本作は全然スパイでも活劇でも賑やかでもないが、作劇的には共通のものを感じておもしろかった。 というわけで、十分満足して読了したのではあるが、★4でも★3.5ですらなく、★3評価にしてしまったのは、冒頭に一点腑に落ちないことがあったからだ。 本作のヒロイン、ニックとはじめて出会ったシーンで、「突然ポアロは立ち上がり、~階段を下りていった」あと、「足元を見ていなかったらしく、木の根につまずいて倒れて」(P.16)しまい、すぐそこに歩いていたニックに起き上がるのを手助けしてもらい、彼女と近づきになった。 なにやらニックと近づくことにポワロの作為を感じないか? そして三人で座っているところを銃で撃たれたらしく、彼女の帽子に穴が開く。それまでヘイスティングスがそそのかしても、引退を続けると宣言していたポワロは、ここから自ら積極的に介入していくのである。 帽子の形状や被り方がよくわからないので、つばを撃ち抜かれることはあるのだろうが、銃弾がそれでエネルギーを失って、足元に落ちるというのは奇妙ではないのかな。つばの強度があって、婦人用の火薬量の少ない22口径とかならあり得るのだろうか。たしかモーゼルだったが。 そして、もしポワロたちがそこにおらず、ニックが射殺されていたら、後で銃を握らされて、自殺として処理されただろうとかなんとか……。 口内とかこめかみとか、自殺として不自然じゃない場所に命中していないとならないことをさて置いたとしても、消炎反応の問題は? 上にも書いたように、読みながらいくつもの疑念疑惑が浮かんできて、それがどのように絵に収まるのかを期待しながら読むわけだが、疑惑の取っ掛かりになったのは、これら冒頭のシーケンスのポワロの行動と態度にあったw で、それらが説明されることはない。えーっ……。 【注1】『青列車の秘密』の元になった作品1923年の「プリマス行き急行列車」には、ヘイスティングスは登場していた。 | ||||
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アガサクリスティの作品は全部好きなんですがこの作品もインパクトがあって面白かったです。流石ミステリーの女王! | ||||
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おもしろかったですよ。 | ||||
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クリスティの初期の傑作だと思いますが、評価は他の皆さんが色々して居られるのでそちらへ譲ります。 この作品のメイントリックは、クリスティはミス・マープル物でも使って居ます。 タイトルですが、この作品は新潮文庫では「エンド・ハウス殺人事件」創元推理文庫では「エンドハウスの怪事件」で出版されて居ます。 原題を見れば「Peril at End House」なので直訳すれば「エンドハウスで危険に晒されて」とでもなる処でしょうか。 作中で登場人物が「この家(エンドハウス)は不吉な家よ」(新潮文庫版)と言って居る処を、このハヤカワ版では「この家は邪悪の家よ」と訳され、これがタイトルとなって居ます。この辺りも翻訳家のセンスの違いでしょうか。 | ||||
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