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長いお別れ
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【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全290件 101~120 6/15ページ
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とても面白かったが、いくつか難点がある。 テリーやアイリーン、あるいはロジャーの書き込みがもう少し必要。 とりわけテリーについては訳者が「これはテリーの物語だ」という程テリーの人間が見えてこない。 最終章でテリーが再登場するのはいささか興醒めだ。せいぜいが手紙だろう。あるいはどうしてもというのであれば、偶然〈ヴィクターズ〉で再会するというところだろう。 村上の翻訳についても疑問がある。訳すべきものはきちんと日本の文脈に流し込むべきではないか。 例えば「ミスタ」という呼びかけ。 敬体の使い方。 逆に面白いと思ったことは植物や鳥の情景描写が頻繁に登場すること。 他のチャンドラーの作品も読んでみようと思った。 どうでもいいが単行本のカヴァーデザインは酷くないか。もうひとつ。邦題は『長いさよなら』が妥当だろう。 | ||||
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”博識である上、ひねった特異の言い回しの”チャンドラーのこの長編傑作は、推理小説の範疇を超えてる。”キザで嫌味なスタイル”と”英国贔屓のアメリカに対する味わいの濃い文明批評と社会批判”が重なり合い、訳者の清水氏を大いに刺激し、悩ませてる所がとても新鮮で興味深い。 流石、清水氏の含蓄豊富な語彙力が物を言い、チャンドラーの魅力を我々凡人が共感出来る所まで、最大限にまで引き上げてる。彼はこの時代の自由気まま過ぎるアメリカを鋭く冷たく批判する一方で、この豊か過ぎる大国で慢性的に発生する組織的犯罪に、寛容な面も見せる。マーロウは紳士的とは言えないが、英国的な実直なクレバーさと硬派で無謀とも思える強かさで、この国の得体の知れない闇の世界に敢えて首を突っ込んでいく。それだけ、チャンドラーにはこの大国が魅力的にエレガントに俗っぽく映るのだろう。 私は思うに、これだけの最高傑作を訳すには、それに見合う知の資産と知的好奇心が必要だろう。下手に訳すれば、大衆がいきり立つような、キザっぽく安直な探偵物語に成り下がるケースも少なくない。まさに、清水氏の基本に忠実で実直な高度な教養が、この大作を堅固に支えてる。 誰もがこの『長いお別れ』を翻訳してみたいと思う筈だ。しかし、訳者を選ぶ傑作であるのも事実だろう。読者からすれば余計な装飾で濁らせることなく、チャンドラーの真っ向勝負の実直で純朴な描写にひたすら酔っていたいと願うだけだ。 この作品には3人のエレガントな令嬢が登場する。ともに容姿端麗で、それぞれに強く深い個性を持つ。ハードボイルドに登場しがちな判で押したような美女と異なり、それぞれに特異の生き様を持つ。マーロウは彼女たちの魅力に惹かれつつも、所詮は”50ドルの淫売女”と揶揄しつつ、この国の悪と富と権力と俗社会を痛烈にこき下ろす。 誰もが彼に憧れ、推理小説やハードボイルドを描こうとした。が、あまりにもモノが違いすぎる。そういう私も、チャンドラーといえば、『可愛い女』に代表される探偵小説の大家くらいに思ってた。それが大きな誤りだと判り、とても嬉しくなった。彼の本は誰もが気楽に読めるが、誰もが十全に理解できるものではないと思う。 《あとがき》がとても短くアッサリとしてるのも、清水氏の崇高な知性を漂わせる。これだけの大傑作を締め括る解説となれば、主観的感傷的になり、長々と余韻に浸っていたいものだが、”サヨナラを言うのは、僅かの間死ぬこと”とあるように、この作品に”僅かに酔う”だけで、簡潔に纏め上げ、”短いお別れ”として書き終えてる。全く、最後の最後までマーロウになりきってるのが憎い。` | ||||
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金も伴侶も友達も親も兄弟も組織も出世も必要としない。 必要とするのは少しの仕事と酒と行きずりの女だけ。社会通念上必要と言われるものほぼすべてにノーを突きつける人間。 友達は本当の友達以外要らないというこだわり。 色んなところに頭をぶつけながらも、どれほ孤独な男というのはかっこよく生きられるかという挑戦。 彼は権威と社会通念へのかっこよすぎる反逆者。なんらかの権威に属していても社会通念にへいこらしていても彼の真似はできない。 マーロウに少しでも近づきたいと思う。 | ||||
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ハードボイルド小説の金字塔ということで、好きな人はきっとすごく好きなんだろうなと思います。翻訳は読みやすいし、生き生きとした言葉をぶつけ合う登場人物たちには好感が持てる。ただハードボイルドというジャンルをどう楽しんでいいのかわからない、私のようなタイプにとっては500ページ越えという長さを補うような面白さは本作から感じ取れなかったかな。 一応ミステリー小説という区分ですが、それを期待して読むと肩透かしを食らうのではないかなと思います。トリックはさほど難しくないですし、あらゆる奇抜なトリックが出尽くした感じのある今読んでしまうと古さすら感じるかも。 謎解きや推理よりも男の生きざまを楽しむ小説です。ちょっと斜に構えた小洒落た言い回しだとか、ハードボイルド小説を読んでるなぁという気にさせられます。男の憧れる男の世界に浸りたいという方には最適の小説かも。特に盛り上がる場面もなくひたすら読んでいてだるさを感じていた私には守備範囲外の小説でした。☆2。 | ||||
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ハードボイルドの名作と知りながら、その分厚さと翻訳の相性に不安を感じ、なんとなく手に取らずに十数年。 ある日なんとなくAmazonで検索すると、Kindle版が村上春樹訳で出ているのを見つけ、即購入。 オールドアメリカンの情景、私立探偵、登場人物達の気の抜けない駆け引き。ハードボイルドの世界を村上氏のリッチな文体で味わえる。 読み始めの期待は、訳者あとがきまで変わることなく、満足して本を閉じました。 ちなみに小生、高校生の頃に初めて読んだ村上作品「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以来のファンです。 | ||||
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本書『ロング・グッドバイ』は、村上春樹ファンには必読の書である。 村上春樹が何度も丁寧に検討した上で訳し直している労作だから。本書は、訳文が594頁もある上、「訳者あとがき」が50頁続く。村上春樹がつむぎだす文字が本書にあふれていて、読者がおぼれそうになる文量だ。本書の厚さにまず圧倒される。訳者が真面目に真摯に真剣に考え抜いて、たゆまずあゆまず長い年月をかけぬけて翻訳に取り組んできた、訳者の長い人生のおもみがずっしりと手に重い。このおもい思いが伝わってきて、気分が重くなる。村上春樹のようなベストセラー作家が、この準古典小説の翻訳にうちこむ姿には、言葉が出ない。 本書奥付の増刷回数は、ファンのあつい支持を示している。なんのふあんもない。ボクも立派な自称村上春樹ファンのつもりである。だけど『ロング・グッドバイ』に関しては、原文も読んでいないし清水俊二訳の「長いお別れ」も読んでいない、ファンの風下にも置けん奴なんだ。 先日、何気なく煙草に火を点けるようにテレビのスイッチを点けたら、ロバート・アルトマン監督の映画が流れていた。ので、なんとなく見た。そしたら、なんとなく本も読んでみたくなった。ネットで本を注文しようとサーフィンしてたら、原文と清水訳と村上訳の3冊を読み比べた本が目に付いたので、その本を読んでみた。その本には、村上訳の ”September Morn” が「気になった」と書いてあった。なんで気になったのか知りたくなって、とうとう本書を注文した。 本書『ロング・グッドバイ』333頁には、 ”September Morn” が「『九月の暁』のごとく遮るものもなかったが、絵画にあるようなはにかみの色はなかった。」と適切に訳されている。編集という観点からも、『九月の暁』が絵画であることが、村上訳では『』が付けられており、絵画という一語と相まって、一目で分かる。さすが丁寧な訳と編集者のおかげだ。 「セプテンバー・モーン」と言えば、9・11の朝のアメリカ同時多発テロ事件を思い出す人も多いだろう。ニール・ダイアモンドの「セプテンバー・モーン」という曲も良かったな、高齢者には。村上春樹さんもこの曲を聴けば、なつかしく思い出すのでは。 | ||||
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タイトルの「ロング・グッドバイ」とは、長い別れに対するさよならではなくて、さよならを中々言い出せない長い時間、惜別の情を言うんだろう。前から読みたかった本。チャンドラーの原作で村上春樹の訳。フィリップ・マーロウのハードボイルド振りも噂に聞いていた。だけど、読みきれなかったなぁ。二度読み返したんだけど。 | ||||
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とても良い商品でした。日々愛用しております。家族の人気者です。 | ||||
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必要なくない? Kindle版にはこういう不統一だったりおかしなタイトルがよくあるね | ||||
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フィリップ・マーロウ42歳の格好良さは群を抜いている。ライセンスを与えられた私立探偵請負人であり、殺しの経験を問われて躊躇せずに「ある」と応える、その覚悟のほどよ。 「スカッチをストレートで」(p422) バーに自然に溶け込む振る舞い方は、ぜひ見習いたい。 偶然から知古となった浮浪者然の男、テリー・レノックスとの短い交誼を経て、突如殺人容疑者となった彼の国外逃亡を何も言わずに扶助するマーロウ。警察による「体に問う」尋問にも耐え、退屈な留置所暮らしは、しかし突如打ち切られる。 なかったことにされる殺人事件を横目に、新しい依頼に従事するマーロウだったが、テリー・レノックスを想う彼を、絡みに絡まった運命の糸がある終着点へ導いてゆく。 ・第二次世界大戦の記憶も新しい1950年代のアメリカ。古き良き時代の新聞記者、大富豪、独特の保安官システム、検事、地方マフィアと多彩な登場人物。カリフォルニア州が舞台だけあって、南米諸国出身者の登場人物も多い。 ・世界最強の大国となった祖国、民主主義国家アメリカの文明への批判の件は痛快だ(p322,p496)。この偽善的な社会システムがそのまま現代日本の姿でもあり、どう対峙するかを問われるな。 ・イギリス海軍機動部隊の突撃、ナチスによる捕虜虐待、男3人の友情。そして「とるにたりない嘘」と「自分だけの思い出」(p421)が、ある女を極限にまで駆り立てる。 ・しびれるシチュエーションと含蓄に富んだセリフの数々に酔いしれること幾たび。 濃い、苦いコーヒーは「疲れた人間には血になるのだ」(p447) 「正直にいおう」と、私はいった。「そんな考えもなかったわけじゃない」(p505) 正しいことをしようとして夢中になること(p481)、それを信念と呼ぶ。 530ページを経たラストシーンはやはり印象深い。本当のさよならは「もう言ってしまったんだ」。 男の眼に光る涙は、ギムレットの味がするのだ。 | ||||
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雰囲気抜群。 ちょっと、ミスプリ? ロールス ロイス を ロールズ って、こだわり? まあ、なんだかんだ、男のバイブルだね。 | ||||
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ギムレットが飲みたくなりました。 また、ギムレットに誘う友達がほしくなりました。 | ||||
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私は ・ ミステリの類はまず読まない ・ 村上春樹は、発売日に買う程度のファン ・ 「長いお別れ」は読んだことがない 無論原典も読んだことがない という人物である。 読んでみて確かに面白かった。個人的にはマーロウ氏の行動規範が最後までよく理解できなかったけど。あれがハードボイルドというものです、という納得でいいのかな? ミステリ、なるものもたまにはよいかと思った。 で、これから先は個人的感覚。仮にこの本に挿絵があったとして、それを選んでよいと言われたら「安西水丸さんの書く村上春樹」がハードボイルドしてる、みたいなことがどうしても頭に浮かぶ。村上春樹はまったくハードボイルドな印象はないのに。 それは、なんだろう作中の登場人物が村上春樹自身の作品と似通った(そっくりと言ってもいい)しゃべり方をするからかもしれない。しゃべり方以外も全部村上春樹が自身の作品として書いているみたいに思えて仕方なかった。ポッター氏の金庫から落花生おじさんでも出てくれば完璧な村上ワールドだ。 かつて村上春樹は翻訳について「自分はできるだけ出てこないようにしている」と言う趣旨の発言をしていたように思う。氏の翻訳作品もいくつか読んだことがあるけど、たしかに氏独特に言い回しとかニュアンスを感じたことはなかった。 それが今回、物凄くハルキムラカミのにおいを、全編にわたって感じるのはなぜだろう。なんだろうね。 正直に言って、訳者である村上春樹のことばかり頭に浮かんでしまったので、ちょっと集中できない部分があった。 原典ならそうじゃないのかな? マーロウ氏がなんであんなに偏屈なのか、面倒なのか、しっくり飲み込めるのかしら。それとも「あれがハードボイルドなんです」って納得するしかない? | ||||
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最近といっても一月以上も前であったと思うが、NHKのBSだったかケーブルテレビ映画だったか記憶にないのだが『ロング・グッドバイ』を観てしまった。 言うまでもないレイモンド・チャンドラー原作のハードボイルドミステリ小説の映画化されたものである。 評者は、かってこの映画を観た記憶がないので、つい引き込まれて観てしまった。 1973年製作のこの映画の監督は、ロバート・アルトマン、主演エリオット・グールド。 この映画のファーストシーンで主人公フィリップ・マーロウが夜中に飼い猫に起こされ食い物をねだられたのだが、運悪くキャット・フード缶が切れていたので仕方なくスーパーへ買いに行くのだが、いつものものが品切れでなかった。 マーロウは、やむなく他のメーカーのものを買って帰り、猫に与えたが猫は匂いを嗅いだだけでそっぽを向き食べようともしない。 飼い猫がいつも食べているキャット・フードの空き缶に、新しく買ってきたものを詰め込んで猫に与えたが食べるわけがない。(このシーンが愉快であった) この映画はこんなシーンで始まったのだが、『長いお別れ』は、大昔になるが二度ほど読んだはずだが、冒頭にこんな場面はなかった記憶であり、頼んでいる本もまだ入手できないから、本棚や押入れを探して本書を見つけたので読むことにした。 奥付には昭和51年(1976年)となっていたが、評者は今回で三度目に読むことになったと記憶している。 やはり冒頭に映画のようなことは書かれていなかったので、映画だけの脚色だったようである。 が、映画のファーストシーンが面白かったから本書を再読することになったのであるから文句は言えない。 何十年も前に読んだ『長いお別れ』を再読することになり、あらためてチャンドラーの卓抜した才能を堪能させてもらうことになったのである。 本書の時代背景が第二次大戦後まもなくの1950年代だからといっても、決して古臭く感じることがないのは、やはりチャンドラーが人間や社会の出来事を普遍的に観察する(少々シニカルではあるが・・・)才能を持っていた作家だったからだろうと想像することができる。 原書の英語文章の流れの良さは知らないが、清水俊二氏の訳を読んでいても原書が名文で書かれているだろうと想像することができる。(最近翻訳本を出した村上春樹氏のものを読んではいないのだが・・・) 評者は、ここでストーリーのことについての感想は書かないが、あとがきで本書を訳した清水俊二氏が、やはり映画の冒頭シーンのキャット・フードについて詳しく解説していたので興味深く面白く読んでしまった。 『三つ数えろ』のハンフリー・ボガード、『かわいい女』のジェームス・ガードナー、『ロング・グットバイ』のエリオット・グールド、 『さらば愛しき女よ』のロバート・ミッチャム、などがフィリップ・マーロウを演じて映画出演しているが、訳者の清水俊一氏は、フィリップ・マーロウを演じた俳優で、あえて選んだとしたら、『ロング・グットバイ』のエリオット・グールドだろう、と本書解説で語っていた。(評者は、この『ロング・グットバイ』だけは観ていなかったのでTVで幸運にも今回観ることができたが、エリオット・グールドはなかなか良かったと思う) チャンドラー自身は、このフィリップ・マーロウ役には、ケーリー・グランドがいいと思っていたそうであるが、残念ながら実現することはなかったのである。 歴代探偵小説ベストテンに本書『長いお別れ』が、毎回入ることが当然だろうと思いながら、楽しく本書を何十年ぶりに読み読み終えたのです。 | ||||
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NHKのドラマが良かったので,原作を電子ブックで買い,昨日やっと読了. それまでわたしの中では,ハードボイルドという単語がまとったオーラだけで魅せられていたのだが,53章まであるこの小説の最後の章を読み,夜勤の休憩時間に何度も何度もこの章を読み返して,ハードボイルドとは何ぞやというのがおぼろげに見えてきた気がする. 以下はネタバレです.あらかじめ了承の上「続きを読む」をクリックしてください. 私立探偵フィリップ・マーロウはある日,テリー・レノックスという酔いつぶれた男を拾う.大富豪の娘シルヴィアと結婚して大金を得ながらも,酒浸りになることにのみ生きる意味を見出す男.あまりに優しく,それゆえ弱い男.バーでギムレットを酌み交わすうち,いつかマーロウは彼を親友と思うようになっていた. しかしシルヴィアは惨殺され,容疑をかけられたレノックスはマーロウに助けを頼んで国外へ逃亡,そこで自殺する. レノックスの無実を信じるマーロウは,警官にボコボコにされても,ヤクザにボコボコにされても,大富豪とその弁護士に脅されても真実を追求し,そのためにアル中の作家ウェイドにまつわる依頼を引き受けることになる. その後,ウェイドとその美人妻アイリーンは様々な騒ぎを起こし,そのたびにマーロウを巻き込み,その末・・・・・・ ウェイドは拳銃で死ぬ.最初自殺として処理されるが,マーロウは犯人がアイリーンであり,さらにアイリーンは戦争中のごく短い期間,レノックスと結婚していたことを突き止める. 結婚して一月かそこらのうちに,二人は戦争のどさくさで別れ別れになっていた.そして,レノックスとシルヴィアの結婚式で二人は再会し,その時にはアイリーンもウェイドの妻におさまっていた. マーロウがこれを突き止めた直後,アイリーンもまた自殺.彼女は遺書で,最初の事件の犯人も自分であることを明かす.ウェイドとシルヴィアが不倫をしている現場に突入し,シルヴィアを殺したが,ウェイドを殺す前にそこにレノックスが現れたと. ここでアイリーンの動機ははっきりとは語られないが,「自分とレノックスがせっかく再会したのに,その時には自分もレノックスも薄汚い相手(大富豪の尻軽な娘,アル中でやはり女たらしな作家)と結婚していたという運命に絶望し,それを消去しようとした」ということになる. マーロウはこうして,レノックスの無実を証明した.しかしその代償はウェイドとアイリーンの命. しかし,最終章.マーロウの前に死んだはずのレノックスが現れる.顔と名前と国籍を変え,アル中も恐らく克服して第三国で悠々自適の逃亡生活を送っているのだ.「また前のようにギムレットを飲もうよ」としつこく誘うレノックスに,「オレの友達のレノックスはもういないんだ」と撥ねつけるマーロウ.余りにも優しく,それゆえ酒浸りになるほどに弱い男レノックスはもうどこにもいない.かつてレノックスだった男は,アイリーンが自分のために殺人を犯すのを目の当たりにしても,そしてその後自殺したと聞いても,痛痒を感じないような利己的な男となって遠い世界で別人として生きている. 本書の初めから,マーロウは友情のため,そして真実を知るため,自分の持てるものを惜しげなく犠牲にしてきた. そしてレノックスの逃亡のせいでいくつかの命が失われた. だが最終章でマーロウが知る「真実」とは,その「友情」がもう消えてしまったということ. しかし,二人の間にはかつて確かに親友の情が存在した. だからレノックスはマーロウの拒絶を受け入れた時に涙を流したのだ. そして,マーロウも自分の行動を後悔はすまい.レノックスのために奔走したことも,しかし最後にレノックスを拒絶したことも. 恐らく,それがハードボイルドってもんだ. | ||||
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登場人物も会話もストーリーも雰囲気も、すべてがかっこいい。かっこよすぎて、嬉しくなる感じって、わかりますか? | ||||
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村上春樹訳を読んだので、続けて本書を本棚の奥から取り出しての再読です。大学時代、ハードボイルドの作品にはまっている友人がいて、かといって特に勧められたわけでもないのですが、横から手を伸ばすように読んだのが30年前。村上訳は初めて読んだのですが、もちろん先行する本書の言葉選びを意識せずには訳せなかったでしょうから、そのぶんこの清水訳の方がのびのびした日本語であるような印象を受けました。村上訳の巻末のあとがきにある田中小実昌訳は未読でそれとの比較はできませんが、村上訳も清水訳も手触りとしては同様のものを感じました。ただ、しばらく読んでいないとはいえ、自分にとってチャンドラーはハヤカワ文庫が原体験として決定的であったように思います。しかし、村上訳のチャンドラーはシリーズ化され、なにやらコンプリートの勢いなので、今回のようにハヤカワ文庫との読み比べを少しずつ嗜んでみようと考えているのですが、言い回しはもちろん、小説のシーンが懐かしかったりして、年を取るのも悪いことばかりではないようです。 | ||||
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清水俊二さんの訳で読んだことがあったのですが、村上春樹さんの翻訳でも読んでみたくなり再読しました。両方読んでみての感想は、まず清水さんのほうは意訳がされており、ハードボイルドな雰囲気がでてると思いました。それに比べて今回の翻訳は、丁寧に翻訳されており、物語や登場人物の会話を味わうという感じでした。どちらがいいとはいえないけど、村上春樹さんの小説が好きならこちらのほうがいいと思います。 小説に登場してくる主人公の友人である、テリー・レノックスは、村上春樹さんの小説の羊をめぐる冒険における鼠を、ダンスダンスダンスにおける五反田君を思い出します。 チャンドラーの作品はどれも好きですが、この作品は頭ひとつ抜け出ている名作だと思います。チャンドラー作品を読んだことがない人は、ぜひこの作品から読んでみてもらいたいと思います。 | ||||
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ややもすると30年ぶりの再読です。もっともハヤカワ文庫の清水俊二氏訳ではあるのですが、折に触れ拾い読みをしていたおかげか、今回遅ればせながら村上春樹さんの新訳を読んでも、よい意味でさほど違和感を感じませんでした。ただ、いま手元に清水訳と村上訳の2冊があって、村上訳を読みながら、何度となく清水訳の頁を繰ったりもしたのですが、やはり村上訳は先行する清水訳を絶えず参照しながら訳した印象を拭えなかったです。もちろん、これもよい意味で、ですが。また、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」では「文学界」に別途発表されましたが、村上春樹さんによる解説が本書の読みどころのひとつで、例の「さよならを言うのは」という一文をはじめ、作品そのものに鮮やかな彩飾を施されました。 | ||||
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村上春樹ファンなので 読んでみました。 チャンドラー 素晴らしい作家ですね。 この作品は、 羊をめぐる冒険 ですね。 男の友情 出会いと別れの物語。 村上さんの中の チャンドラーが見えました。 | ||||
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