国境の南、太陽の西
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国境の南、太陽の西の総合評価:
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全1件 1~1 1/1ページ
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この作品は俯瞰的であり、主体的である。ある一部は私のの軌跡を見るようであり、未来を想像させるようでもある。 | ||||
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何度も読みたい名作。 有難うございました。 | ||||
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友達と離れ、寂しさ感じますが、絆でつながれてると思います。 | ||||
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相変わらずの「僕」のやりたい放題。 内向的、ジャズが好き、一人エクササイズ好き。なのに女に困らない。そして勝手に周囲を巻き込み、一人カタルシスを起こしつつ、不思議に最終的にハッピーエンド。 でも、こんな「僕」に私は憧れていた気がします。 ・・・ 高度経済成長期前後。当時めずらしかった一人っ子の「僕」、ハジメ。小学校でおおよそ例を見なかった一人っ子にあって、唯一の一人っ子が、転校生の「島本さん」。子どもながらに「僕」、は彼女の中に「僕」だけにとってある場所・何か、運命的な何かを感じる。 別の中学校にそれぞれ進学し、彼女のことを思いつつ平凡かつ面白みのない中高時代を過ごす。高校で「イズミ」という彼女を作り、大々的に傷つけ、東京の大学へ進学。鬱々とするなかで、有紀子と出逢い、結婚。面白みのない教科書編集社をやめ、義父のサポートでバーを開業。 独立が軌道に乗るさなか、「僕」はとうとう「島本さん」との再会を果たしてしまう。「島本さん」に没入する「僕」はその後。。。 ・・・ で、本作、ごくごく簡単に、誤解を恐れずに言えば「僕」の浮気の話です。それ以上でも以下でもない。気がします。 「僕」も「島本さん」も、心中死の予感を漂わせつつ、かつそれに抵抗もせず、自らを修正できずに互いに没入する様子は、人に惚れたことがある方なら理解できるかもしれません。歯止めが効かない。 ・・・ 考えさせるのは、「僕」の奥様「有紀子」の対応だと思います。 最終的に元のさやに納まる結末ですが、彼女は旦那をどうやって受け入れるのか。その心の動きは「僕」中心の視点で描かれる本作で、はかりようがありません。もちろん楽しいはずはありません。 察し想像するだけで陰鬱になりますが、気楽なのは男だけだなあ、という気持ちもふつふつと湧いてきます。 ・・・ ということで久方ぶりの村上作品の再読でした。 不倫や浮気はかつては男の甲斐性などと言われたことが有りましたが、今は個人の話では収まらない感すらあります。社会から叩かれる。 というより、これだけ自由な世にあって、受け止める関係を続ける方の傷の深さよ。 私は勝手に「有紀子」のその後が気になりました。 皆さんはどういう感想を持たれるのでしょうか。 | ||||
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文学や芸術は左翼であっていいと思っている。 本当に自由だ。 そもそも政治思想などという土台に載っていないのだから、 「左翼」なんて言葉もいらないくらいだ。 だから、フリンも自由。それは肉体の呼吸やスタイルに過ぎないのだから、 コーヒーを飲むことやプールでちょっと体を動かして水に馴染ませたい気持ちと一緒のくらいの感覚。 それを現実的に生きるサラリーマンや必死に働いている労働者から見て、無責任な左翼の戯言・・・ だからふらふらしているいつまでたっても喪失感を味わっている国家観のない男<ぼく>。 などと言われてしまう。 だが、これはエンターテイメントだし、本当の意味での自由ということを考えれば、 村上ハルキが作ってきた世界というのは本当に成功していると思うし、 やはり文芸になっていると思う。 この作品は彼の主張や世界観の中でもおそらく、(すべてを読んでいないのでごめんなさい) 特徴がよく出ている作品なんだろうと思う。 現実的な所与で言ってシマエバ、 GHQに支配されてから、日本人は日本国家の思想性と精神を脊髄から抜かれて、 自虐史観と平和の白ハトをずん!とアタマに打ち込まれ、 スクリーンとセックスとスポーツ漬けにされてしまった。 ひたすら欧米より働きまくる官僚機構に支配された忠実なロボットにされてしまった<ヒト>なのだが、 時折、風が吹いてきて昔抱いていた心の風景を思い出すようなノスタルジー感を 経済成長の中で思い出すのである。 その風と感じている感傷が妙に切なく、人によっては泣きたくなるのである。 そこを村上ハルキはわかっていて、(この世がどういう歴史を背負い、現在のシステムがどのようなものであるのかを知っている)実にうまく作品のモチーフとして何度もぶち込んでくる。 だから、同じような背骨を持ったロボットたち(読者)が疲れた体の中でも安らぎを覚え、 思い出しかのように、懐かしい失われた世界を求めて恋こがり、泣き、何度も作品を読み返すのである。 これに気付けていても、やはりなんらかの干渉が邪魔をするので、村上ハルキはクセになる。 どうしてそうなるのかは、結構面倒くさいのであとにする。 それだけ日本の立ち位置、歴史、人の情緒・・・などが日本は特殊なのである。 <ヌマ>作家の「ヌマ」本。 | ||||
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村上春樹全部読むチャレンジは講談社文庫からはじめてるが、順番に読んでる中で、ノルウェイの森や、ダンスよりも、ずっと楽しめた。 でもなー、結局は30代向けの話であって、この主人公は歳をとれば誰かを好きになる、ならないなんていう状況から解放される、あるいは相手にされない、ということを微塵も想定せず、可能性ありを前提に悩んでいることは、若いな、青いな、と思わせましたわな。 この点、村上春樹はブ男の分類なのに、いい男と錯覚してる感じがして、共感はできないんだけど、まぁ話としては面白いと思った。 | ||||
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