羊をめぐる冒険
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何度目かの再読でした。最初に読んだのは10代の頃。あの頃はよく分からなかった部分も、アラフィフになった今読むと、しみじみと心に響いてきます。なんとなく憧れていた世界を、気づけば30年かけて追いかけてきたような気さえします。 この作品は、単体でも楽しめますが、『鼠三部作』と呼ばれるシリーズの完結編にあたります。 一作目の『風の歌を聴け』は、難解だと紹介されることもありますが、本作の舞台や世界観を知るうえでおすすめです。著者のデビュー作でもあり、「カッコいい!」というのが素直な感想でした。 二作目『1973年のピンボール』は、まだ学生気分の抜けない20代が、少しずつ社会に取り込まれていく物語。双子やピンボールといったモチーフを通じて、現実と非現実の境界があいまいになっていく、村上春樹らしい幻想的な世界が広がっています。 そして三作目となる本作では、主人公の「僕」と「鼠」が、それぞれのやり方で社会と折り合いをつけていく姿が描かれます。 私と同じ団塊ジュニア世代には、「子どもを持たない」という生き方を、人生の流れの中で自然に選ぶ人が少なくありません。本作には、そうした時代の空気感――弱さや「こうあるべき」といった一般論との葛藤――が、「羊をめぐる冒険」という形で映し出されています。 物語の冒頭では、三島由紀夫の自決の日を「我々にとってどうでもいいこと」として登場させています。「なぜ人は繁殖を手放し、自ら墓仕舞いを選ぶのか?」という問いが、人口増加のピークを迎えていた時代の若者たちに投げかけられている、そんな名作だと感じました。 随所に印象的な描写も散りばめられています。なかでも心に残ったのは、埋め立てられた海を前にして水の流れに目を向け、「そもそもの最初から街は彼ら(水)のものだったし、おそらくこれから先もずっとそうなのだろう。」と語るシーン。心に残る場面です。 こうして語り始めたら止まらなくなるような、奥深く魅力的な作品でした。 | ||||
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★3.2/累計2211冊目/2025年10冊目/1月10冊目/『羊をめぐる冒険(下)』(講談社文庫/講談社)/村上 春樹/P.264/2004年/476円+税 #読書 #読書2025 #読了 #読了2025 最後まで読んでも何を読者に伝えたいのか分からなかった。ヤマやオチなど緩急をほぼ感じず、読み進んでいたらふんわり終わった印象。これが村上春樹流であり、彼の良さなのか…?ー「正直さと真実との関係は船のへさきと船尾の関係に似ている。まず最初に正直さが現れ、最後には真実が現れる。その時間的な差異は船の規模に比例する。巨大な事物の真実は現れにくい。我々が生涯を終えた後になってやっと現れるということもある。だからもし私が君に真実を示さなかったとしても、それは私の責任でも君の責任でもない」p183 | ||||
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高校時代に読んで、村上先生のファンになり、30年以上がたちました。 久しぶりによんで、若返った気がしました。 | ||||
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村上春樹の作品は二つのストーリーで展開する。つまりは僕というプライベートな問題と社会や政治というワールドワイドな問題が複雑に絡み合い影響し合い進んでゆくのだ。今回で言えば離婚を経験し、友人を亡くした主人公が大手広告会社を立ち上げ、政治と経済を支配した男の物語だ。それらの問題は独立して存在するのではなくお互いに干渉し合う。個人の問題は社会問題によるものもあるし、またその逆も然りだ。 この作品のキーワードは羊だ。それが何を暗示しているのか?を言葉で語るのは難しい。ある羊が男を乗っ取り日本を牛耳る。男をコントロールした後に羊は男から立ち去り、また主人を探す。 我々は似たような存在なのかもしれない。何かに駆り立てられるように権力や金を欲して突き動かされる。それらは時に自分の意思とは関係のないところで突き動かさられてるようでもある。自己顕示欲や保身に縛られある日全てを失う。羊抜けとはつまりそのことではないだろうか。主体性を失うということは「本当に大切なものを理解していない」ということだ。 羊はまた主人を探し出す。それは未来の支配者のことだ。我々は器であり社会の影響によって変化してしまう脆弱なものだ。私たちが考えてること、もの全てが周りからの影響なしに湧き上がるものではないのだ。羊抜けはある意味で社会の犠牲者だ。アウトローで生きて「ある意味でまとも」な主人公はその社会の犠牲者を傍観する。 | ||||
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学生時代に読んで改めて読みたいなと思って購入。 やっぱり村上春樹はひつじ三部作がいいなぁ。 前に進んでないようで進んでる感じが好き。 | ||||
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