騎士団長殺し
- 山荘 (115)
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
騎士団長殺しの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読破して1Q84とやや似た構想のある作品だと感じた。物語の点と点が繋がるところに、男女の交わりがあるというところが。昔の村上春樹作品は男女の交わりに特に意味を持たせてなかった印象があるが、二作品続けてそこが物語の軸になっている点で、前作とやや構想が似ていると思った。 体験として面白かったのは、文字で描写してある絵画を想像したということ。良質な体験で、心地よい時間の過ごし方だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品を読んで、宮崎駿の映画「君たちはどう生きるか」との類似点を発見した。 ・日常に住む家に象徴的な鳥が現れる これは何かを暗示しているのかも知れない、猫でも犬でもない鳥である理由は ・異世界へと旅立ち自分の精神世界と向き合う 日常から非日常へとストーリーは展開し、そしてそのストーリーも曖昧模糊としていて何を意味しているのか一見してわからない。あるいは読者に解釈を委ねている この類似性が何を意味するかはわからないが、同時多発的にクリエイターが似通った構図のストーリーを仕掛けるのはあるいは時代がそれを求めていたのかも知れない。 はっきりとしたストーリーではなく抽象画のようになにかを表現して、受け取り側にあたかもガラスに写った自分の顔を見るようにそれぞれが物語を解釈する。それは星座のようにはっきりしたものではない。 意味はなくていい。 むしろわかりにくくなったほうがいい。わかりやすいシンプルなコンテンツが消費される時代に、こういう物語がむしろ際立ってくる。 太陽の光が強ければ強いほど、また影も強い影となっていく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
…といっても「街とその不確かな壁」は未読ですが。(元々、80~90年代の作品が好きだった) 本作品について。 初期作品(例えば「象の消滅」)のようなコミカルさある。静かな物語だが、決して暗くはない。 絵描きの主人公の一人称視点で、淡々と物語がすすむのが心地よくて良い。 主人公の仕事(=絵を描く)のプロセスを丁寧に描写してるあたりが、共感を持ててすごく好きだった。 村上さん本人の仕事のプロセスの説明なのかもしれない。 まあ、最後のほう、意味不明な展開もないではない。 また再読したい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
尻切れトンボな感。 気が向いたら、続きお願いします。 もしくは、この本の登場人物や設定を使って別の作品でも良いんでなんとかお願いします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んでいて色々と突っ込んだ中で、半分以上を占めたことは、「テメエ都合いいな」だ。そしてラスト50ページから圧倒的になったのは「気持ち悪い」だ。これは、テメエ都合いいなが一歩進んでの感想なので、テメエ都合いいなでもある。 登場人物たちが(主に主人公)客観的に物事を見ることができる人ですよ、的に思わせるように説明されるが、いやいや違うなあと思うし、リアクションに囲まれる現実世界ではそういうリアクションに囲まれた生活になるのに、まあ都合良い環境にリアクションに身を置き続けられるもんだ!主人公の妄想なのかな?、とも思うようにして最後まで読み進めた。読んですぐに否定的な感情だったが、こういう外に感想を言うなら最後まで読まないとダメだよなと思い、読み切りました。 ここからも批判的なことが続くので、少し補足です。自分は20年以上前の若かりし頃、春樹の小説で読書習慣がつき、多くの春樹作品を読みました。けっこうな数を読みました。そして、数冊を読んだ時、ほとんど何も作品のことを覚えていないし、なんか似たような感じだなと思い、10年ぐらい前に読むのを止めて、久しぶりの春樹でした。 ダメだと言われていたり売れてもいない小説なら、わざわざ書かなくても良いかと思いますが、真逆の状況ですので、こういう人もいると読み終わった感想を書いています。 で、小説ですが、いるんだかいないんだか?というおなじみの存在がいて、それが成り立つ手法と言えばそうなんですが、 細かく説明しているようで、そこはちゃんと言わなんだが多い。大きすぎず小さすぎずそこにあるべき大きさ、的な表現を大事なもので使い、他のものを具体的な数値など書く、そこまで細かくなくていいよとするのに。 大抵は見えないものの存在を明らかにしない、そういう行動をしない。都合よく自分解釈を展開し、そういうものなのだ!と自分解釈をひたすら展開し、周りも都合よく成り立っていく。 宗教勧誘のプロフェッショナルに「なんで神様は見えないの?分かるという痕跡を残さないの?」と聞いた時の返答のオンパレードといった感じだった。 何かを表現するときに完璧がしばしば使われるが、そんなこと使う人っている?特に自分は社会で優れていない普通だ的な立ち位置を言いながらなんですが、そういう人が完璧って説明するのって、すごく自己中心的な人だと思うんですが、その人を表現している状況は、慌てることが少なく 気取ってんなよ!というぐらいの人物。 それぞれはあっても変じゃないが、これとこれが同居するのは都合良いだろ!がすごく気になるし、高い文章力が、読んでいる側をケムケムさせることに費やされ、気にならない人はいるのかなあ?と思ってしまうし、そういうのが不快感につながる。 ケムケムは、もっと別な言い方がありますが、都合が良く、高尚でもなんでもない ケムケムぐらいがふさわしい。 文章は読みやすいし、イメージ湧きやすい例えもあるし、何より都合いいな!は、若い時には希望もあってありでは!とかもあるので、ある程度変わらない春樹作品では、自分が当たり屋なのかな とも思うので、また10年ぐらいは近づくことはない。あとは、短い絵本ならこういう不思議も自分には受け止められるのかな。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 721件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|