■スポンサードリンク
長いお別れ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全241件 1~20 1/13ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
フィリップ・マーロウのシリーズは一度読みだすと止まりません。古い作品ですが、今どきない作品なので余計に読みたくなってしまいます。The ハードボイルドです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
こちらの作品で初めてチャンドラーを読みました。 全文格好いいし、読みやすいし、大好きな作品になりました。 後から村上春樹訳を読んだのですが、村上さんの方が日本人にわかりやすい丁寧な表現をしている印象です。 しかし、普段から洋画を見たりチャンドラーと同時代のアメリカ作品に触れているなら、田口さんの翻訳の方が自然に感じると思います。世界観が合っている感じがしました。 「タフぶっている駐車場係の喋り方」ひとつ取っても、田口さんの訳の方が荒っぽくて好きです。 ハマってしまい、紙と電子両方で買いました!カバーデザインも格好良くて好きです。(持っていて恥ずかしくない文庫カバーには、なかなか出会えないので…) 素敵な翻訳ありがとうございます! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
翻訳ではあるものの、村上春樹さん特有の文章で読み応えが抜群です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
コレとヒギンズ『鷲は舞い降りた』は全国の中学校の道徳の時間の必修にするべき、と言い切ろう | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
困ったことに巻き込まれていくマーロウが、それを解決していく人間模様。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハードボイルドと言えばチャンドラーと思い、初めてチャンドラー作品を読みました。想像していたハードボイルドより、何だか横溝正史の金田一っぽさを感じました。 個人的には映画のアンタッチャブルとか、ダーティーハリーみたいなハードボイルドを想像していました。ですが、主人公は思ったより受け身で判然とせず、回りくどい印象を受けました。単に自分の性格的なものや理解力の問題かもしれませんが。 自分はこれを読んでいて、横溝正史の金田一探偵が浮かびました。マーロウは金田一よりダンディで言うことも格好いいですけど、何だかんだ流れに流されているだけで、事件をどうこうと言うより、事件が綺麗さっぱり更地になる直前に突然カッコつけ始める感覚を受けてしまいました。 言葉や社会も今から考えればかなり古いので、その点で馴染めないと感じてしまうこともありました。 あと、チャンドラー作品が初めてなので余計にそう感じたのかもしれませんが、台詞が恐ろしく長いところがちょいちょいあります。一人の人間が会話の中で話す量としてはかなりの長さだと思い、そこは驚きました。 探偵物ですが事件とか推理云々ではなく、マーロウさんのやり方を見て「これは格好いい!」と思えるかどうかを試される作品だと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
清水俊二さんの訳は、たしかに原文の全てをそのまま訳しているわけではありませんが、その例示を『九月の暁』に求めるのは如何なものか 村上春樹さんの訳の『ロング・グッドバイ』は2007年にハードカバーが出て、2009年に軽装版、2010年9月に文庫本が出ていますが文章は少しずつ直されています、多分増刷の度に細かく直されているのでしょう。 言われているのは29章の事でしょうか、私が持っている軽装版初版では、 「着ていたローブの前が開かれた。その下はまったくの裸だった。九月の暁のごとく遮るものもなかったが、その露わな眺めには九月の暁ほどのはにかみの色はなかった。」とご指摘の様な『 』印で明示はされていません。 おそらく、2010年10月発行の松原元信さんの『3冊の「ロング・グッドバイ」を読む―レイモンド・チャンドラー、清水俊二、村上春樹―』の指摘を受けて修正したものと思われます。 清水俊二さんは1988年5月22日に亡くなられているので、自身では直しようがありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
冒頭部分について、清水訳と村上訳を読み比べ、直訳風の前者清水訳を読み易いと考えて清水訳を購入し読み終えた。読書中、訳文からも分かる明らかな誤訳も含めて意味の取り難いところや情景の想起し難いところがいくつもあり、気になった。 清水訳を読み終えた直後に村上訳を読み始めたところ、驚くほどスムーズで自然に読み進むことができている。翻訳の分かりづらさが一切ない。素晴らしい。まだ途中だが、村上訳を読むべきかを迷っている方々に伝えたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
分かりやすさ 田口訳>村上訳≧清水訳 ハードボイルドさ 清水訳>田口訳>村上訳 こんな感じでしょうか。清水訳・村上訳で首を捻った箇所が色々腑に落ちました。ただ、ハードボイルド小説を読んでいるという気分になれるのはやはり清水訳に一歩譲ります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最初は冗長に感じたが、後半は優れた展開で堪能出来た。ドストエフスキーの長編が、そうであるように。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容は今更言うまでもなくミステリ史に、いやアメリカ文学史上の金字塔のような名作。 昭和の翻訳ミステリらしい生硬な文体だが、たまらなく甘美な叙情を漂わせた清水俊二のポケミス版、愛するチャンドラーを訳す悦びに満ちた村上春樹翻訳。それら先達の訳業に比べて、今回の田口俊樹版は最もニュートラルで平易な読みやすい文章となっている。 音楽に於けるリマスター版のように、偉大な名作に相応しく読者は折に触れて好みのヴァージョンを手にすることが出来る。慶賀の至りに他ならない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
漢です。 噛みしめて読み返してます。 訳が異なるとまた新鮮です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1953年に刊行されたレイモンド・チャンドラーの長編六作目である。 アメリカ推理小説作家クラブで1955年の最優秀長編にも推薦されており、チャンドラーの作品の中でも代表的傑作との呼び声も高い本作は、一番ページ数の多い著作でもあり、読み応えも十分。そして匠の技をじっくりと味わえることは非常の悦びだ。 たまたまテリー・レノックスという片頬に傷を持った酔っぱらいと出会った私立探偵 フィリップ・マーロウは、なぜか嫌いになれない、そしてどこか危なっかしさを感じさせるレノックスに対し、無償の親切心を度々表す。 そして二人は、夕方の落ち着きのある時間帯のバーで、頻繁にギムレットを酌み交わす仲になっていた。 結婚生活と自分自身に対して自暴気味な態度を見せるレノックスはいう。 「アルコールは恋愛のようなもんだね。最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がすだけだ」 或る日の早朝、レノックスは不意にマーロウの自宅を訪ねてくる。その手には拳銃があった。 またマーロウにトラブルが舞い込んできたのだった。 じっくりとした文体、比喩の巧さ、会話のセンスの妙味、切れ味鋭い語り口、クールなキメ具合、その筆力は成熟の域に達している。 また、登場人物も数多いが上滑りしておらず、それぞれが魅力的だ。 これは、マーロウの第一人称で進む語り口こそ従来通りであるものの、これまでの作品に比べてみると、対峙する人物たちの心情までマーロウが汲み取って述べているからこそ、それぞれのキャラが存分に立っているのだと思う。 マーロウも本作中において既に42歳である。彼自身のキャラクターも熟味を増しているのだ。 この稼業の人間にはよくあるように暗い路地で往生しても、悲しがる人間は一人もいない、とうそぶくマーロウ。 数々の登場人物たちとのやりとりも争いも、ロマンスめいた出来事も彼にとっては一抹の泡のようだ。 いつだって物語の終わりには、マーロウは独りに還る。 「ただ、警官だけはべつだった。警官にさよならをいう方法はいまだに発見されていない」 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
エドワード・ホッパーの<Nighthawks>をカバー。田口俊樹堂々の新訳で読むことのできるチャンドラーの最高傑作。ううむ、何という贅沢なのだろう。 ぼくがこの作品を清水俊二訳で読んだのは、一体何十年前なのだろうか。マイPCにレビューが残っていないということは、冒険小説フォーラムでレビューを発表するようになる前だから、パソコン通信以前のアナログ時代だろう。ハードボイルド読者になったのは、きっと二十代。私的には登山全盛時代。山の中でニューヨークやロスの私立探偵の物語を読んでいた。例えば大雪山系クヮウンナイ川をザイルや草鞋で遡行しながら、夜にはテントの中、酒を飲みながらヘッドランプでミッキー・スピレインを読んでいたことは今でも覚えている。 少なくともPCやパソコン通信に参加したのは30代だ。チャンドラーのフィリップ・マーローも、ハメットのサム・スペイドも、亜流と言われたスピレインのマイク・ハマーなど、全作読んでいるはずだが、ぼくの読書ノートにはほとんど読後文章の類いが残されていない。 それなのに、心の中に彼ら個性的な私立探偵たちはぼくの人生を通じて生きているような気がする。とりわけマーローは、ハードボイルドというジャンルの代名詞として。マーローに語らせる一人称文体は、磨き上げられたその成果として歴史に刻まれて然るべき存在だろう。文体こそが、ハードボイルドなのだから。 ぼくの世代では、ネオ・ハードボイルドと言う言葉もよく使われていた。その中で一番のめり込んだのは、ローレンス・ブロックのアル中探偵マット・スカダーだろう。そこでこちらが一方的に親しく感じてやまなかったのが、田口俊樹という翻訳家である。記録によれば、現在までに田口訳作品を66作読んでいる。そして今日家に届いた新作が奇しくも田口訳、今日から67作目にとりかかろうとしているわけだ。 その田口俊樹という翻訳家が書いた『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』の読書会は昨春、コロナ下によりZoomで行われた。それにより北海道の僻村からも参加することができたのは幸運だった。田口先生とPCを通して動画での会話もできて嬉しかった。 そしてとうとうこの≪『長い別れ』新訳刊行記念トークイベント(全国翻訳ミステリー読書会YouTubeライブ)≫にも、視聴者として無言参加。田口氏の柔らかく、楽しく、人間味たっぷりの翻訳裏話を聴くことができたのだ。感激ったら、ないよね。 さて本作。4/28発行。ライブイベントは6/12であった。 本来、一度読んだ本(清水俊二訳『長いお別れ』)を再読する時間はあまり取りたくない主義のぼくなので、本書についても翻訳者がたとえ村上春樹に変わっても(村上訳では『ロング・グッドバイ』)あまり関心がなかったのだが(ちなみに、村上訳作品は結構読んでいるのですよ)、田口先生のこのネットライブでの入れ込み度、そして本気度、この翻訳家がこの再々訳に取り組んだ経緯・意気込みなどをお聞きして俄然ふつふつと好奇心が湧いてきてしまったのだ。 というわけで遅まきながら本書を取り寄せ、過去既読のストーリーに再度取り組んだのだ。なるほど、本作、チャンドラーの世界だが、いつもの田口訳の伝でやはりとても読みやすい。忘れていたディテールを追うにつれ、本書が少しも古びていない名作であるということもしみじみとわかる。 半世紀以上前の作品なのに人間は、その頃も今も少しも変わらない。悲しく、愚かであり、情と非情をやむなく使い分けたり、損得勘定だけでは動けないくらいにものわかりが悪かったり、譲れないものを持ち合わせてしまっているために、自分自身が厄介ごとに巻き込まれたりする動物なのだ、そうでない軽々しい生き方は人間の屑みたいな存在になることを容認するか、人間であることをやめても構わないという後ろ向きの愚かな存在だ、云々。そんなことをぼくはマーローの言葉から勝手に読み解いているようだ。 映画版も記憶に強く残る。大好きなエリオット・グールド主演、大好きなロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』で1970年代に物語を移し替えたものだが(既にこの時代すら古いのだが)、年代ばかりではなく原作から大幅に転換し、探偵像そのものも変更した自由度の高い映画なので、こちらはアルトマン作品という別物として楽しみたい。何と言ったって『M☆A☆S☆H』の監督なのだ。自由にさせておいた方がよい人である。 閑話休題。本作だが、さすがに詳細は忘れても、ラストシーンは覚えている。当然ネタばれモードでの再読となるが、やはり清水訳と異なるのは、現代の人間が、70年前の作品を訳していることによるからだろう。語り口のこなれ方を感じる。それが本書の魅力だと言ってよいと思う。 僕の子供時代は、映画館へ入ると大抵、洋画の字幕は清水俊二だった。自分が俊司なので、親しみやすい名前なのだ。だからそれなりに清水訳にも思い入れはある。字幕と小説は違うと思うけれど。 しかし、2022年現在の言葉で、それもこれまでもスカダーのシリーズを訳してきた筋金入りのハードボイルド作品の翻訳家によるものとなると、文章の流れは流石にスムースで、頭に入りやすい。それが本書の最もよいところだし、若い世代にもこの古い作品を読んで頂きたいなと思う。この文章なら読めるんじゃないか。この私立探偵をカッコいいなあと思えるのではないか。 そもそも何故いろいろな方がチャンドラーを訳したいと思うのか。それを考えると、チャンドラーの良さもわかる。一人称文体、そのものがフィリップ・マーローという人物なのだ。会話も文体ともに、へらず口とメタファーに満ちている。説明文に入り込まない一人称ならではの、世界への批判や挑戦とアイロニー。文体こそが命と言ってよい。それがハードボイルドであり、それがチャンドラーだろう。 本書では、日本語化された新訳での作品をストレートに楽しむことができる。また70年という時間を経てなお錆びることのない、人間と人間の間に起こる発火現象、せめぎ合い、駆け引き、情の繋がり、孤高の志といったものを伺読み取ることができる。ハードボイルドの手本となるのが頷ける教本のような一作だ。未読の方にも既読の方にも、変わらないもの、人間の起こす悲喜劇、卑しい街に生きるからこそ、しがみつくべき手綱のような誇りを、最後には味わって頂ければと思う。 傑作は決して錆びることがない。半世紀後の未来では半世紀後の言葉でまた誰かがこの作品を新しく訳すことになるのかもしれないが、それはまた別の話である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハードボイルド小説の金字塔。 35年以上前に読みました。 男の友情の物語です。 傑作ですが物語は面白くはありません。 「ギムレットには早すぎる」 この台詞が有名でとても印象的です。 まだお客さんが少ない開店したばかりのバーでギムレットを飲みたくなりますよ。 しみじみと沸き上がってくるような矜持ある歴史的な作品です。 こんな時代があったのだと灌漑深く思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
こんなに厚い本だったかと、改めて嬉しい。ハードボイルだと思わないで読了した経験から、また。読みたいと思っていました。まさかの新訳。期待しつつ読んでいます。新訳っていいですね。マーローの魅力が改めて蘇りました。これからが楽しみです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハードボイルドは読まず嫌いだったのですが 翻訳が 名手・田口氏だったので読んでみました そこには 軽妙洒脱であくまで真実を追い求めるマーロウの姿がありました 先の先のそのまた先を見通す推理力に脱帽です 田口氏の訳で 他の作品もぜひ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
己の馬鹿をさらすようだが、世の翻訳ミステリファンや読巧者各位たちが高評価している、 この作品の面白さがよく理解できない。 読み落としているところがあるのだろうか。 おれは猛烈にさみしいぞ。 いつか老人になって読み直したら視界が開けているだろうか。 その時のジブンのために、ちょっとだけ記す。 ほんの端役も含めアタマやココロの螺旋が緩んでいるか外れている人々による群像劇。 として受け止めている。 主人公で一人称による語り手であるフィリップ・マーロウだって、 あんないかれた人々がうごめく世界を受け止めているのだから相当にいかれている。 これは第一作からずっと感じていることで、 チャンドラーの描く登場人物たちに、おれのココロは共鳴しないのだ。 本作では、そもそもマーロウとテリー・レノックスとの出会いと友情からして、よくわからない。 なにこれ。どんな関係なんだ。 日常生活においては周囲の配慮が多めに必要だと思われる人々は、 その後も続々と登場する。 探偵を逮捕して尋問する刑事たち、 作家を捜索する過程で探偵が出会う連中。 全員が実にもう結構な壊れ具合だ。 それだけを延々と書き連ねた小説であったなら、 おれはきっと夢中になってのめり込んだかもしれない。 長くなりすぎる。 続きは酒場で。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
清水訳は原作路線に沿っていい感じだった。まあ、省略が多いものの、それなりの完成度はあった。 村上訳はぐちゃぐちゃだった。省略が少ない分、誤訳のあらが目立ち、意味不明な文が各所にあった。なにより、原作の、切れ味、ウイット、皮肉比喩などが消し飛んでしまっていた。たとえばマーロウが元妻に皮肉を込めて「あなたがテリーの身を心配しいるのはわかります」というところを村上訳では「あなたはテリーの身など気にしていない」と身も蓋もない訳になっていた。この本は比較的誤訳、意味不明か所も少なく、雰囲気も出ている。大きなジャンプアップ。読むなら断然こちらをおすすめします。 将来決定版、これで打ち止め、が出ることを期待しますが、この本は決定版が出る予兆を感じさせる画期的な名訳じゃないですか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
このたび田口俊樹氏による新訳が出たので手に取ってみました。チャンドラーの「The Long Good-bye」を読むのは清水訳と村上訳も合わせて5~6回目ですかね。 今回の翻訳はミステリーの読者に寄り添った訳なんだそうで、なるほど、今まで読んだなかで事件の真相の説明が一番スッキリしている気がします。まぁ、やはり本格ミステリーが好きな方にはお勧めしにくい話ではありますが。 個人的には、メインの上流階級の事件よりも傍役の刑事やギャングたちのエピソードの方がよりハードボイルドらしくて面白かったかな。あいも変わらずマーロウはひとこと余計で、事あるごとにボコられるし。 以前NHKでやったドラマ版ではテリーの役は綾野剛でしたが、正直私にはピンときませんでした。“雨のなかに捨てられた子犬”感を出せたのは若い頃の奥田瑛二ぐらいかも、となんとなく思っています。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!