わらの女
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.75pt |
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緻密に練られた計画は思わず関心してしまうくらい。個人的には最後のあれも含めていい作品だと思います。 | ||||
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酸っぱさだけが舌に残ってしまう。 | ||||
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いつの間にか主人公を応援している自分がいました。 | ||||
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一応、物語の背景を多少は理解しておいた方が良いでしょう。この小説が発表されたのは1956年。大戦後のドイツのハンブルグで暮らすヒルデガルデ・マエナーは34歳の独身女性。爆撃で両親も友人もすべて失くし未来には何の希望も見いだせない毎日。翻訳の仕事で生活費を | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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. 第二次大戦終結からしばらくして後、ドイツのハンブルクに暮らすヒルデガルトは、身内のいない34歳の独身女性だ。ある日、フランス在住の大資産家が出した新聞の求縁広告に目を留める。ハンブルク出身の女性を求めており、裕福な暮らしを約束すると書いてある。ヒルデガルトが思い切って手紙を出したところ、カンヌで面接を受けることになる。面接会場のホテルに到着したヒルデガルトを待ち受けていたのは、初老の紳士だった。そしてその紳士から奇妙な取り引きを持ちかけられるのだが……。 ------------------------ フランスの作家カトリーヌ・アルレーが1954年に発表したサスペンス小説『La femme de paille』の翻訳です。『 藁の女 』の邦題で安堂信也訳版が出版されていましたが、5年前の2019年に出た新訳版がこの『わらの女』です。 抜群に面白いサスペンス小説でした。 まずなんといってもプロットが秀逸です。初老の紳士であるアントン・コルフから持ちかけられた取り引きは、一筋縄では実現しません。ドイツどころかハンブルクからすら出たことのなかったヒルデガルトが異国の地で、しかも連続する不測の事態を、頭をフル回転させて必死に乗り越えていこうとします。 そもそもヒルデガルトの目指すゴールは、ひとつふたつの嘘の積み重ねが前提になってはいますが、法の裁きを受けるほどの犯罪とまでは――少なくとも計画段階では――言えないものです。難局にひとつまたひとつと対処していく彼女の勇気と逞しさに、読んでいて思わず心から応援したくなっていきます。 ところがこの物語は後段になると突然、取り返しのつかない凶悪犯罪へと姿を変えていきます。度胸を胸に新たな人生に乗り出そうとしていたヒルデガルト――そしてそれを応援していた読者――は、大きな罠にかかっていた事実を突き付けられて呆然とします。 今の時代のマッチングアプリに相当するのが新聞の求縁広告ですが、その胡散臭く、犯罪に直結する可能性がある点はいつの時代も同じということでしょう。 こうしたひねりの利いた展開に唸らされました。 もうひとつの魅力は、この新訳版の訳者・橘明美氏の見事な翻訳文にあります。ピエール・ルメートルの<カミーユ・ヴェルーベン警部シリーズ>3部作(『 その女アレックス 』『 悲しみのイレーヌ 』『 傷だらけのカミーユ 』)を読んだときにも橘氏の訳文にはほれぼれしたものです。その文章にはバタ臭さが一切感じらません。去年(2023年)読んだローラン・ビネの歴史改変SF『 文明交錯 』でもその思いは変わりませんでしたが、『わらの女』の翻訳文も本当に素晴らしい。 そして最大の魅力といえるのは、この物語がひとつの立派な戦争文学である点です。 あまりにもうますぎる話に、大人の分別があってしかるべき34歳の女性がやすやすと乗ってしまうのは、彼女が戦争によってすべてを失ってしまっているからです。 「どうやって家賃を払おうか、新しい靴はどうしたら買えるのかと頭を抱えずにすむ日は、月に十日くらいしかありません。配給に頼らず暮らせたらどんなにいいかと思う毎日です。【……】青春のすべてを犠牲にしたので、どうにかして埋め合わせをしたいんです。不平じゃありません。事実を言っているだけです」(28-29頁) 「爆撃の時代、女の人生が決定的に打ち砕かれた時代。廃墟と化した街をネズミのように這い回る日々、慢性化した恐怖、空腹、凍え、孤独。そんな状態に追い込まれてもなお人は生き続け、その時間その時間で習慣となっている行動を取る。擦り切れた毛布一枚しかなくても、それにくるまって眠るし、穴のあいた缶しかなくても、それを食器にして食事をする。隠れ家を求め、あるいはジャガイモ一キロ、乾いた薪一束を求めて何時間も歩き続ける。恋でさえそんな風に有り合わせで調達するしかなく、骨組みだけの建物の中で、火炎でひしゃげた鉄の梁のあいだで崩れた壁と穴だらけの水道管とガラスのない窓に囲まれて経験するしかなかった」(81―82頁) こうした敗戦国女性の置かれた厳しい現実の中で、求縁広告は一筋の光となった。そう言って何が悪いのかという気がします。 だからこそ、夢を実現させたかに思えたヒルデガルトが「それはこれまで身を置いたことのない環境であり、抗いようがないほど引き込まれる世界だった。彼女は、その世界を大いに堪能し、惜しげもなく金を注ぎ込み、人生は生きるに足るものだと知った」(116頁)と感じる心に寄り添いたくもなろうというものです。 だが、ニューヨーク到着後に転落したヒルデガルトのことをアメリカはサディストのドイツ人としかみなしません。1945年に終結したはずの戦争は、こんなふうにどこまでもヒルデガルトにつきまとい続けるのです。 表題である「わらの女」とは「わらの男」というフランス語の言い回しをもじったものだとか。この物語における「わらの女」の意味を知った時、わたしの背筋を冷たいものが走りました。 救いのない物語に拒否反応を示す若い読者がいるという話が巻末の解説で紹介されています。その気持ちはわからなくもありません。ですが、このエンディングだからこそ、戦争の痛ましさを強く読者に突き付ける作品になっている、そうわたしは信じたいのです。 ------------------------ ひとつ気になった点を記します。 *49頁と51頁の「時計」について :雇い主リッチモンドがジャマイカ人の使用人に対して傲慢な態度を取る場面が以下のとおり描かれます。 「そして金の懐中時計を取り出すと、大きく腕を振って壁に投げつけた」(49頁) フランス語の原文は以下のとおりです。 「Et dans un grand geste il jeta sa montre en or contre la cloison.」 和訳文にある「(金の)懐中時計」は原文では「(sa) montre (en or)」です。(原文には「取り出すと」に相当する言葉は見当たりません。) そして数ページ先に、実際に使用人に時計を与える場面が出てきます。 「そこでようやくリッチモンドは満足し、その犬に腕時計をやった」(51頁) フランス語原文は以下のとおり。 「Alors Karl Richmond, qui ne s’amusait plus, lui donna la montre.」 和訳文にある「腕時計」は「(la)montre」です。 つまり文庫本の49頁と51頁はどちらも原文では「montre」(=「時計」)としか書かれていませんが、訳者の橘氏は前者を「懐中時計」と訳しておきながら、後者をうっかり「腕時計」と訳し替えてしまったようです。リッチモンドがこの「montre」(=「時計」)を腕から外した様子はないので、橘氏が書き加えた「取り出すと」に照らして、これは「懐中時計」と見て間違いないでしょう。 . | ||||
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一気に読めました。 ストーリー構成、表現が素晴らしい。 映画を見てるような視覚的な表現がゾクッとしました。 | ||||
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古い本ですが、一読の価値はあり。 個人的には老人が死ぬまでが面白かったが、その後の裁判沙汰の会話劇は詰まらなかった。 最後は悪党が勝ちます。後味が悪いです。 私は大空真弓の主演TVドラマを見た事あります。 ハリウッド映画もあるらしくて、ジーナ・ロロブリジダとショーン・コネリーとなってます。 キャスティグを見ると、アントン・コルフの名前はなく、ショーン・コネリーがアンソニー・リッチモンドという役名で同名のチャールズ・リッチモンドという役名が別にいる。 多分リッチモンドの方が養子か何かでストーリーも大幅に変更されている事でしょう。 原作よりもむしろこっちの方が見たい。Amazonさん、配信よろしく。 | ||||
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戦争で色々失った女性が新聞広告で自分の様な人物を求めた広告を見て募集するが・・・というお話。 読み終わって、自分の持っているミステリのベストテン表や名作表や名作事典等を色々めくってみたら殆どの本に本書が挙げられていたので驚きました。流石に1位になっているのはありませんでしたが、殆どの作品が英米の作品を占める中でのフランスの作品はこれ以外はあまりない事を考えると、史上最高の評価を得たフランスミステリ選ばれた作品といっても過言ではないと思いました。ジャプリゾと並んでフランスミステリの頂点を極めた作品だと言える作品かもしれません。 内容は殆どの方が仰っている事と同じ事を書く事になるので省略しますが、有名な非情さは流石だと私も思います。この辺はハードボイルドも好きだったという著者の好みの反映かもしれません。個人的にはハメットよりも非情に感じました。 瀬戸川猛資氏によると書かれた当時はドイツの占領から解放された直後で主人公のドイツの女性が嫌な目に会うのが、フランスの読者には快感だったかもしれないと仰ってられましたが、確かにそういう時代状況もあったかもしれませんね。 切れ目なく長く続く文章は少し読み難かったですが、それ以外は現代の古典の風格を備えた作品に思えました。ただ、なんとなく5つ☆にする気になれずに4つにしときました。うまく理由は言えませんが・・・すいません。 非情に徹したフランスサスペンス秀作。機会があったら是非。 上記はこの小説の新版を読んだ際の感想ですが、今回新訳で読み返してみて、改めて色々思いました。解説にある様に整合性に問題があったりもするそうですが、それでも中盤の緊張感等、今読んでも迫真的で一気に読み終わりました。やはり史上最強のフランス・ミステリと言っても過言ではないとも思いました。 前は☆4つでしたが、今回は気が変わり、5つにしました。いい加減ですいません。アルレーさんは他の著作も面白いそうなので、機会があったら新訳にして頂きたいです。 何とも冷酷非情なサスペンスの問題作。必読。 | ||||
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あまりの面白さに一気読みしました。 勧善懲悪でないラストをめぐっては賛否両論あるようで、 確かに読者の倫理観には引っかかるだろうな、という気がしました。 作者としては工夫して、ヒロインはじめ主要人物をドイツ人、 つまりついこの間まで戦争相手・敵だった人々、 憎むべきよそ者たち、に設定することでフランス人読者へのインパクトを 和らげたんだろうな、にもかかわらず当初フランスの出版社からは断られて (中立国の)スイスから出版したんだな…等々、いろんなことを 読みながら考えさせられました。 巻末の解説で紹介されている、英訳版や映画版での勧善懲悪への改変も 興味深く、どっちのラストが好きか、読む人によってはっきり分かれる、 その意味でいつまでも生命を持ち続ける古典ですね。 訳文も、さすがこの訳者さん、翻訳でなくはじめからこの方が 日本語で書いた小説かと思うくらい、すいすい読めました。 | ||||
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