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長いお別れ
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【この小説が収録されている参考書籍】
長いお別れの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全290件 201~220 11/15ページ
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元祖である。ロング・グッドバイである。現在巷で溢れている赤と黄色の、拳銃の表紙の、アレである。アレの元祖である。僕は10年ほども前に、本書を読んでいるのだが、正直全く内容を忘れてしまっていた。 今回、例の赤/黄/拳銃本を読んだ後、本書を再読したのであった。ムラカミ版のあとがきにおいて、本書の訳については、若干「細部を端折って」いるとのことであったが、それほど気になるモノではなかった。ムラカミ版との比較を厳密にするほどの野暮はしておらず、原書との突き合せは一部やったのであるが、確かに比喩や挿入文の一部は訳出されていないトコロもあるにはあった。しかし、同時に「アレ?ここ端折ってる?」と当たってみると意外にちゃんと言葉を拾っていたりして、「しっかりやってるじゃん!」てなことも少なからずあった。要するに、訳の端折りは、読むに当たってはほとんど問題にならぬということ。また、やはりムラカミ版が出た「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「グレート・ギャツビー」で強く感じた、訳文の同時代感の喪失というか、要するに「元祖・野崎孝版」の訳文に感じられた古色蒼然たる賞味期限切れ感はなく、「まだまだ、このままでもイケるジじゃん」てな感じであった。映画の字幕も書いていた訳者によるあとがきも洒脱で良く、1976年という文庫版の発行時期の「時代の空気」がそこはかとなく感じ取れて楽しい。1988年に亡くなった訳者は、今回のPlay Back「ロング・グッドバイ」をあの世から、どのように見ているのだろうか? | ||||
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元祖である。ロング・グッドバイである。 現在巷で溢れている赤と黄色の、拳銃の表紙の、アレである。 アレの元祖である。 僕は10年ほども前に、本書を読んでいるのだが、正直全く内容を忘れてしまっていた。 今回、例の赤/黄/拳銃本を読んだ後、本書を再読したのであった。 ムラカミ版のあとがきにおいて、本書の訳については、若干「細部を端折って」いるとのことであったが、それほど気になるモノではなかった。 ムラカミ版との比較を厳密にするほどの野暮はしておらず、原書との突き合せは一部やったのであるが、確かに比喩や挿入文の一部は訳出されていないトコロもあるにはあった。しかし、同時に「アレ?ここ端折ってる?」と当たってみると意外にちゃんと言葉を拾っていたりして、「しっかりやってるじゃん!」てなことも少なからずあった。 要するに、訳の端折りは、読むに当たってはほとんど問題にならぬということ。 また、やはりムラカミ版が出た「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「グレート・ギャツビー」で強く感じた、訳文の同時代感の喪失というか、要するに「元祖・野崎孝版」の訳文に感じられた古色蒼然たる賞味期限切れ感はなく、「まだまだ、このままでもイケるジじゃん」てな感じであった。 映画の字幕も書いていた訳者によるあとがきも洒脱で良く、1976年という文庫版の発行時期の「時代の空気」がそこはかとなく感じ取れて楽しい。 1988年に亡くなった訳者は、今回のPlay Back「ロング・グッドバイ」をあの世から、どのように見ているのだろうか? | ||||
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村上作品は3冊ほど完読し自分の性に合わない事が分かっているから、たとえ女性ファンが多く何かにつけアドバンテージを得ると知りつつも無視を続けてきた。私はミステリファンではなく、ハードボイルドの支持者である。ハードボイルドとは自己規範を貫徹することの美学を描いた作品のこと。簡単に言って西洋人であれ日本人であれ、武士道に則っているかどうかが、ハードボイルド作品であるかどうかの私の基準である。 村上氏は相対主義的価値観を超えていない思想にある。その思想はモダニズムと言っても良い。ゆえに超現実的描写を良しとする。三島由紀夫がモダニズムを仏教的相対主義にアレンジして作品にした手法と同じである。 しかしながら、ハードボイルドの世界にはシュールな世界は存在しない。なぜなら、自己規範を貫くという事は、絶対性を表現することだからである。このことを村上氏はどうお考えなのか。絶対性に憧憬、あるいは希求、飢餓感でも持ちながらオリジナル作品において絶対性を表現せず、あるいは出来ずと言うのは。 旧訳の「ぼく」を「私」に変えるだけでもずいぶんとマーロウらしくなる。翻訳の仕事はお見事でした、村上さん。 余談ですが、チャンドラーもパーカーも武士道を知っているはず。民族文化に関係なくハードボイルドとは武士道哲学で極められた事は、論理的な帰結として証明できる。西洋の作家は武士道に勇気を得てハードボイルド作品を創作したに違いない(笑)。 | ||||
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村上春樹の小説やライフスタイルが好きで、愛読しております。今回、レイモンド チャンドラーの作品を翻訳したと知って、早速購入しました。途中から、「これは村 上春樹の小説では?」と思ったほど、村上氏が影響を受けた本だと感じました。 村上小説に出てくる「僕」のタフな発言やコーヒーやカクテルのこだわりなどのラ イフスタイルも、チャンドラーから受け継いだような気がしました。また、村上小説 の「鼠」のような影と寂しさを持ったキャラクターは、ロンググッドバイのテリー・ レノックスを思い出されます。 訳者あとがきが最後についています。 一部、引用します。 チャンドラーは、 「作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも一日四時間くらいは、書く ことのほかには何もしないという時間を設定することです。別に書かなくてもいいの です。もし書く気が起きなかったら、むりに書こうとする必要はありません。ただ何 かを読むとか、手紙を書くとか、雑誌を開くとか、小切手にサインするといたような 意図的なことをしてはなりません。(中略)ルールはふたつだけ、とても単純です。 (a)むりに書く必要はない。 (b)ほかのことをしてはいけない。」 上記のチャンドラーの言葉に対して、村上氏も「彼のいわんとすることは僕にもよ く理解できる。(中略)たとえ実際には一字も書かなかったとしても、書くという行 為にしっかりとみぞおちで結びついている必要があるのだ。それは職業人としての徳 義に深くかかわる問題なのだ。おそらく。」と答えています。 確か村上氏の他の著作でも同じようなことが書かれていました。それは、作家とい う職業に対する心構えのようなものであり、仕事の根幹、好きを仕事にする代償のよ うな気がしました。 私も自分の進む道がこれだと決めたのであれば、とりあえずその道を極めるための 「時間」を確保して、それに集中する努力を「継続」することが大切だと感じました。 | ||||
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作家には「この1文のために」という作品があるようですが、この小説もまさにそう。終盤に出てくる「ギムレットにはまだ早すぎるね」の1文を語るために、チャンドラーは壮大なミステリーと人間模様を構築したのでした。それ以前のストーリーは、この言葉に重みを持たせるための伏線に過ぎません。マーロウの生き方は非常に男っぽく不器用で、効率優先の現代社会では通用しないでしょう。それだけに、どことなく憧れを抱いてしまうのです。 | ||||
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作家には「この1文のために」という作品があるようですが、この小説もまさにそう。終盤に出てくる「ギムレットにはまだ早すぎるね」の1文を語るために、チャンドラーは壮大なミステリーと人間模様を構築したのでした。それ以前のストーリーは、この言葉に重みを持たせるための伏線に過ぎません。 マーロウの生き方は非常に男っぽく不器用で、効率優先の現代社会では通用しないでしょう。それだけに、どことなく憧れを抱いてしまうのです。 | ||||
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以前からチャンドラーやマーロウの噂は聞いていましたが、読んだのはやっと最近です。村上版を読む前の予習として、ハヤカワ文庫版を読みました。ハードボイルドの代表的作品と聞いていましたが、中々の読み応えで面白かったです。たっぷりと楽しめた本です。誉める人は大勢いるようですからそこはお任せして、自分なりに感じたコトを書くと、男の子が描く夢を見せられるような本ですね。周囲と馴染む方法も知らず、自分を正当化しヒーロー視するような人が、喜んで浸る本だと思いました。家族に囲まれ、でも軽んじられ、お腹が突き出て、小さい家で生活しているお父さんが、孤独を愛するヒーローに成りきり、現実逃避するためにトイレで読んでいそうな本と書けば分かりやすいかな。お小遣いを貯めてパイプを買ってしまうような(それを使う場所もなくてね)、あるいはデスクの引き出しにウィスキーを隠していそうな、あるいは夜なのにサングラスを外さないのがダンディだと信じている人にとっては、バイブルのような一冊なのでしょう。時代を超越して、と書けば格好いいけれど、夢ばかり見て現実に向き合えない、と書けばなるほどと思ってしまう、寝癖とヨレヨレの服が似合うアナクロな男達のオアシスのような本だと思いました。読み終わると、現実って厳しいと思ってしまう本ですね、大人の童話かな。 | ||||
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以前からチャンドラーやマーロウの噂は聞いていましたが、読んだのはやっと最近です。 村上版を読む前の予習として、ハヤカワ文庫版を読みました。 ハードボイルドの代表的作品と聞いていましたが、中々の読み応えで面白かったです。 たっぷりと楽しめた本です。 誉める人は大勢いるようですからそこはお任せして、自分なりに感じたコトを書くと、男の子が描く夢を見せられるような本ですね。 周囲と馴染む方法も知らず、自分を正当化しヒーロー視するような人が、喜んで浸る本だと思いました。 家族に囲まれ、でも軽んじられ、お腹が突き出て、小さい家で生活しているお父さんが、孤独を愛するヒーローに成りきり、現実逃避するためにトイレで読んでいそうな本と書けば分かりやすいかな。 お小遣いを貯めてパイプを買ってしまうような(それを使う場所もなくてね)、あるいはデスクの引き出しにウィスキーを隠していそうな、あるいは夜なのにサングラスを外さないのがダンディだと信じている人にとっては、バイブルのような一冊なのでしょう。 時代を超越して、と書けば格好いいけれど、夢ばかり見て現実に向き合えない、と書けばなるほどと思ってしまう、寝癖とヨレヨレの服が似合うアナクロな男達のオアシスのような本だと思いました。 読み終わると、現実って厳しいと思ってしまう本ですね、大人の童話かな。 | ||||
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チャンドラーは映画の脚本執筆もしていたということなので、セリフが粋な感じで、読んでいるうちにその状況が映画のように頭に浮かびました。とにかくマーロウがかっこよく、描写もオシャレでノスタルジックで話に引き込まれて楽しめました。シャーロック・ホームズのように架空の人物ですが、実在するような妙な気持にさせられました。 | ||||
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村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」が話題になったようだが、私は清水俊二訳のハヤカワ文庫版の「長いお別れで十分」である。私にとっての表題は「ロング・グッドバイ」ではなく「長いお別れ」なのだ。確かに今、初めて読む人にとっては、村上の新訳が今風で良いかもしれないが、昔からのチャンドラー・ファンの者にとっては、清水訳を支持するのではなかろうか。両者の訳に多少違いがあるようだが、瑣末な問題に過ぎない。昔の作品であるし、時代背景を考慮すれば、むしろ清水訳の方がノスタルジーがあっていいと思うのだが。つまらいこだわりかもしれないが、ミステリは文庫がいいのだ。「ロング・グッドバイ」の装丁画もマンガ的で気に入らない。ま、しかし、村上春樹の新訳が出たことによって、若い読者にチャンドラーの名作が見直されることになったことは良いことかもしれない。また、いつの日か購入することになっても、私は文庫版の「長いお別れ」を選ぶだろう。 | ||||
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村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」が話題になったようだが、私は清水俊二訳のハヤカワ文庫 版の「長いお別れで十分」である。私にとっての表題は「ロング・グッドバイ」ではなく「長い お別れ」なのだ。確かに今、初めて読む人にとっては、村上の新訳が今風で良いかもしれない が、昔からのチャンドラー・ファンの者にとっては、清水訳を支持するのではなかろうか。 両者の訳に多少違いがあるようだが、瑣末な問題に過ぎない。昔の作品であるし、時代背景を 考慮すれば、むしろ清水訳の方がノスタルジーがあっていいと思うのだが。つまらいこだわり かもしれないが、ミステリは文庫がいいのだ。「ロング・グッドバイ」の装丁画もマンガ的で 気に入らない。ま、しかし、村上春樹の新訳が出たことによって、若い読者にチャンドラーの 名作が見直されることになったことは良いことかもしれない。また、いつの日か購入すること になっても、私は文庫版の「長いお別れ」を選ぶだろう。 | ||||
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この作家の作品は初めてだったが フィリップ・マーロウの名前は 聞いていた。あ〜この作家が生みの親なんだ。やっと巡り合えたと思った。ハードボイルドはあまり読むこともなく、この作品もそのジャンルに入るらしいことから、最後まで読めるかと懸念していた。が・・・取り越し苦労に終わったし、それどころか結構な厚さの文庫はあっという間に最後のページにたどり着いた。単なる殺人事件ではない。男の友情が絡んだ事件。これが結末か・・いや違う。本当に奥が深かった。 | ||||
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この作家の作品は初めてだったが フィリップ・マーロウの名前は 聞いていた。 あ〜この作家が生みの親なんだ。 やっと巡り合えたと思った。 ハードボイルドはあまり読むこともなく、この作品もそのジャンルに入るらしいことから、 最後まで読めるかと懸念していた。 が・・・取り越し苦労に終わったし、それどころか結構な厚さの文庫はあっという間に最後 のページにたどり着いた。 単なる殺人事件ではない。男の友情が絡んだ事件。 これが結末か・・いや違う。 本当に奥が深かった。 | ||||
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私の知っているマーロウはこんなくだけた男ではなかった気がする。初読は十代で読んだ記憶は曖昧だが、なんだか小説に温度があるというか、人間臭さがあるというか、読んでいくうちにタイトルの「ロング・グッドバイ」もしくは「長いお別れ」が胸に沁みてくるようだった。なによりマーロウとそれぞれの会話が新鮮だった。私は、テリーよりもリンダとの会話が好みだった。 マーロウが深入りしなければ真相はわからなかったし、なぜ踏み込んではいけないのかの謎も読者側に提示しつつ、クエスチョンマークがついた部分を最終的に答えてくれる。読み深めていくうちにマーロウの悲しみが伝わってくるそんな村上版の訳だったと思う。 | ||||
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巻末に村上春樹さんの訳者あとがき「準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」が延々45ページにわたって掲載されています。フィッジェラルドのグレート・ギャツビーとレイモンド・チャンドラーのロング・グッドバイの作家間、作品間の対照などです。訳者のこれらの作品に対する愛着と思い入れがよく分かります。 ストーリーは殺人事件に思いがけなく関わりを持った私立探偵フィリップ・マロウを語り手として、実質的な主人公テリー・レノックスの物語です。 金持ちたちの、非生産的でものうげ、そしてアルコールに毒され退廃的な男女の関係、戦争を引きずりまたトラウマを抱えた日々が描かれています。訳者が述べてるようにグレート・ギャツビーとの共通点を感じますが、この手の小説は好きになれません。 | ||||
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旧・清水訳は省略も多く、語学的な問題も少なくない。では、新・村上訳を買うかと言えば、答えは否である。「グレート・ギャツビー」の翻訳はこれまでのものに比べて村上訳が圧倒的に優れていたが(なにせ、初めて最後まで読み通すことが出来たというだけでも価値がある)、チャンドラーのこの傑作に関して言えば、清水訳を読むことをお勧めしたい。 村上氏は、翻訳には賞味期限があると主張しているが、現代風の表現を用いればそれで作品そのものが新しく生まれ変わるかと言えば、そう単純な話ではない。歳月を経て味に深みが出たり、透明度が増したりする酒のように、優れた翻訳もまた同じ言葉によって成り立っている以上、時によって成長しうるのである。村上氏の訳は正確で省略はないかも知れないが、味わうにはコクも薫りも足りなさすぎる。要は、成熟度が不足しているのである。 清水訳を読んだら、かつての友人(あるいは恋人)を思ってコーヒーを入れ、そのかたわらに火をつけた煙草を置きたくなるだろう。 もちろん、作品それ自体は文句なしの傑作である。 | ||||
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大学生の時にハヤカワ文庫の「長いお別れ」を読んだ後にもギムレットを飲みたくなりましたが、 この「ロング・グッバイ」を読んでもやっぱりギムレットが飲みたくなりました。当たり前ですが。 で、実際にギムレットを飲むと、すこしだけ大人になったような気がするのです。 そういう本です。 ついでに書くと、文章もプロットも完璧。村上訳も悪くない。 時間がある人は読んで損はないです。 | ||||
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恥ずかしながらこの本でチャンドラーを知った人間です。 この本を知らなかったのが「(本好きとして)恥ずかしい」と思える一作です。 まだよんだことのない人はこれが機会、読んでおきましょう。 読んだことがある人も、思い出すのを含めて悪くありません。あとがきの春樹解説読むと、春樹小説の理解がいっそう深まるかもしれません。 今私は清水さん訳の「高い窓」を読んでおります。全部読み終わるまでは当分マーロウ漬けの日々を送りそうです。 | ||||
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ギャツビーの時もそうだったが、はじめの数十ページは文章の重厚さと直訳具合に違和感を覚えたがだんだん慣れていった。「ロールズ・ロイス」でまず洗礼を受け、「ぐさりと刺さって背中から十センチは突き出そうな視線」など過激な比喩の数々は村上ワールドのデジャヴュのようだ。10代の頃、当の村上が薦めるがままに清水訳を読み、原書も手にして、あらすじは概ね頭に入っていたつもりだったが、村上訳ではマーロウの印象はちょっと変わり、村上が「仮説的」というのも納得がいくようなエキセントリックなほどに挑発的に感じた。「ハードボイルドワンダーランド」の「私」が、僕にとってのマーロウに置き換わっていたからかもしれない。また作品の長さも「こんなに長かったっけー」という印象。村上の言う「寄り道エピソード」がまた長い長い。確かに「思い切って削りましょう」と言いたくなりそうだ。でも一番驚いたのはエンディング。村上訳になっているからなんだろうけど、「まんま『羊をめぐる冒険』じゃん!」 当時両方読んでたのに、ぜんぜんそんなふうには思わなかった。それにしても締めの文句はクールだねぇ。絶品です。 (その後、清水訳を読み直した。ひっかかりなくすらすら読めるし、マーロウが良い人のように見えてしまう。村上はあえて直訳調にしごつごつとしたひっかかりを加えることで、小説のテンポを抑えようとしている。たぶんそれは小説家としての村上がチャンドラーから読み取ったものなのだろう。その抑えたテンポが最後に効いてくる。ラストのしみじみした味わいは、清水訳からはでてこない) | ||||
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ロング・グッドバイは、フィリップ・マーロウという探偵が主人公のハードボイルド小説です。村上春樹さん翻訳にさきだって、清水俊二さんという方の名翻訳版が長年あり(そちらでのタイトルは「長いお別れ」)、長い年月の間に110万部も売れている有名な一冊です。とはいえ、イメージ先行で読んだ事がないという方も若い年代の方には多いと思いますので、あえて改めて紹介します。 ストーリーは、マーロウという探偵が、とある夜の酒場でテリーレノックスという青年と出会うとろから始まります。泥酔した彼を家まで運ぶマーロウ。なぜそんなところまで面倒をみたのかわからない彼ですが、数ヶ月後、マーロウのもとに再び現れた彼は、国境の外へ逃げだす車の運転を彼に依頼します。時をおいてマーロウには、別口の依頼でアル中になっている有名作家のボディガード(といっても誰かに狙われるのではなく自殺しようとする作家自身から)の依頼があります。 二つの事件は思いがけないところで絡み合って、予想しない結果へと繋がっていきます。 さて。ストーリーの方はそこまでとして、この小説、シーンシーンや台詞、行動が極めてかっこ良く、ダンディズムに溢れています。とにかく、気障であったり、洒落すぎているのですが、それが鼻につかず板についている感じで魅力的です。有名な、「男はタフでなければ生きていけない 優しくなければ生きている資格がない」という台詞も、このマーロウの台詞です。 また、この小説が長く語り継がれている理由の一つには、ストーリーや、台詞まわしもさることながら、描写や比喩の多さ巧みさがあげられます。ある意味、古典文学作品の域にまで高まっている作品です。いい悪いではなくて、向いている向いていないでいうと、そういう高め方の難しいミステリ小説でここまで完成された小説も珍しく、間違いなく傑作だと思います。 村上春樹さん訳のこの「ロング・グッドバイ」も、清水俊二さん訳の「長いお別れ」もどちらもいい作品ですので、訳の読み比べをする楽しみもあります。 | ||||
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