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グロテスク
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グロテスクの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全288件 161~180 9/15ページ
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語り手(=空前絶後の美貌の持ち主・ユリコの姉)に名前はありません。全てを冷静に見渡しているように取り澄ましている「わたし」の語り口も時々綻びを見せます。この名前の無い「わたし」の自意識の在り方が私立の名門学校という階級社会で加速しながら歪んでしまった様が語られる上巻。 | ||||
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桐野夏生氏による東電OL殺人事件をモチーフとしたフィクション。 主な語り手である名も無き姉。 美しき怪物であるその妹ユリコ。 そのユリコ殺人の嫌疑がかかる中国人チャン。 そしてユリコのかつての同級生である和恵。 本作は、2つの事件を、4つの視点で、2つの文体を用いて描かれている。 (正しくは、主な語り手である「姉」が読者に向かって語りかけながら、 日記や手記、上申書を挿入しつつも、ストーリーの主導権を握り続けるといったところか) ストーリーに鬱屈した雰囲気を一貫して保ちつつ、異なった視点を取り入れ、 背景には一つの事実(事件)が常に揺ぎなく存在している。 ストーリーは至って単純である。 それを一方的でそれぞれ異なった、やや屈折した視点で描いた点が本作最大の魅力だ。 まさに「見事」の一言に尽きる。 | ||||
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社会的立場の高い女性には行動の自由が許される。生活に困らない収入もある。その自由が自我の肥大を生み出す。東電OL事件に興味を持って読んだ感想。本当にグロテスクである。 いみじくも作中のQ女子高の木島教師が「僕たちは学校で科学的なことしか教えていなかった。もっと人間性を教えるべきだった」と悔いるように、Q女子高という小さな世界の中に進化論的なパワーゲームの世界が縮約されている。そこで育った4人のグロテスクな女たち。 この小説は悪意に満ちている。まったく歯に衣を着せないやりとりが読んでいて爽快になるぐらい。そして4人の女性とも孤独である。孤独への恐怖が4人をねじ曲げていく。 作品中、もっともグロテスクなのはやはり和恵である。自己が分裂してしまった彼女は、しだいに社会と自分、という壁を失っておぞましい怪物になっていく。なぜ高校時代の地味な彼女が変貌したのか。それは多分、ユリコの姉が言うように、自分や世間に対して、あまりにも鈍かったから。彼女の変貌を彼女なりの「成功」と呼べるだろうか。私はそれは違うと思う。彼女が摂食障害であるというエピソードはあまり語られていないが、摂食障害というのはまさに「自分」と「世間」の境界を失っていく病気だし、その根本的な原因は和恵が直面した問題と、基本的に同じである。ミツルがカルト教団の幹部になってしまった所や、容疑者チャンの身上書(彼の作り話かもしれないが)は多少演出が大仰だと思うが、チャンの住んでいた中国内陸部の貧困と日本に来てからの底辺の生活は、現代の日本で起きている「過剰と腐敗」の鏡となっている。 女は年を取るごとに「モノ」ではなく「人」になっていく。だからモノとして扱われる売春の世界では、客も本人も辛くなっていくのである。もっと「人」として輝いていく道などたくさんあったのに。私たちは和恵や「ユリコの姉」に似た部分はあるけれども決して同じにはなれない。 | ||||
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主人公がいくら正義感をふりかざしても、びくともしない現実の残酷さ。その中で、ずっと浮き続けて壊れていく主人公の描き方がスゴイと思った。やっぱり女性の作家だからこそ、女子校の意地悪さとか書けるのかな?事件の真相はともあれ、この本はスゴイし面白いと思った。 | ||||
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何をもってグロテスクと呼ぶのか、は人それぞれです。 主人公(絶世の美女を妹に持ち美に対してコンプレックスのある語り手である女)、その妹「ユリコ」(絶世の美女、生まれながらの娼婦)、主人公のクラスメイト「和恵」(ちょっと鈍いあるいは堅物で融通の利かない、イケてない女)、主人公のクラスメイト「ミツル」(非常に頭の良い冷静に見える女)の4人を中心に物語は進みます。 40歳になった主人公が娼婦として殺された「ユリコ」と「和恵」の裁判を傍聴しに向かう場面から、過去を振り返りながら進むのですが...。 やはり 女 であるという事は大変な事なのでしょうか? テーマとしてこの小説は楽しめました。が、物語として、その世界を楽しめたか?と聞かれると悩みます。出てくる登場人物の、「求めるモノがあまりに高い為に生じている辛さ」にオナカイッパイ になってしまいます。登場人物達の絡みもちょっと都合良すぎるかな、と。 女である事はグロテスクでも何でもないと思います(男性と比べる事において、習慣や文化や年代等あらゆるものから影響を受け、そして有る程度刷り込みとして、前提があり、その差はありますが)、しかし「なりたい」、あるいは「あるべき」(幻想として使われる言葉を使うなら『本当の 私 』)女を意識するならば 女 である事は難しいかも知れません。 でも、それならば小説でやらなくても良かったのでは?と思ってしまいます。 | ||||
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愕然とした。私の中にも主人公(名前すら与えられていない)、和恵、ミツル、ユリコ、そして女子高の生徒たちの闇の部分が存在する。読み終わり、奥底に隠したその醜い部分を目の前に突きつけられたような気分である。私は奥底の「悪意」を出す勇気がない。なぜなら人の和から外れるのが怖い。彼女たちのような生き方をしていたら社会の和からはじかれてしまう、結局彼女たちは自分を特別とあがめてくれる人を探していた故このような人生を歩むことになったのであろう。 この小説のテーマはどうにもできない「格差」である。 それは容姿であり、富であり、知力である。 その格差を認めまいとして精神的なバランスを崩した和恵、認めているがゆえにそれをネガティブなエネルギーでつつんだ悪意の主人公。知力で他の人から抜き出したつもりが現実を突きつけられ、最悪の選択をしてしまうミツル。 その三人に絡まず、しかし大きな影響を与えるのが完璧な美少女ユリコである。 ユリコはその並外れた美貌ゆえに社会に順応できず、肉体の快楽に走る。その結果娼婦に身をおとし惨殺されるのである。これらの女性たちは、誰もがうらやむ名門高校の出身であり、人々に羨望される人生を歩むことが想像されていた。しかし格差の存在に耐え切れない気持ちが各々の人生を狂わす。 この小説は娼婦となったユリコと、一流企業の総合職でありながら夜は街娼をしていた和恵の死から始まる。 そこで彼女たち、そして犯人と目される中国人が歩んできた不条理ともいえる社会の構造がわかってくる。 和恵の事件は東電のOL事件をモデルとしているのであろうが、彼女の壊れる様はあまりにも悲しい。その事件の被害者も同じような闇を心にかかえていたのだろうか? ラストがあまりにもお粗末ではある、そして読後感は最悪で、かなり落ち込んでしまったが久々に心をえぐられた小説であった。 | ||||
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東電OL殺害事件が元になっているので、そちらも一応チェックして読み始めました。 この作品はどうなるかはあまり重要でないのでしょう。あまりに有名な事件がモチーフになっているのですから。上巻と下巻に別れているけど、毛並みがだいぶ違います。 上巻は女子校を舞台とした昼間の世界、とはいえ、鉛色の空が見えてくるよう。物語はテンポよく進み、どんどん読めてしまいます。学校の中ということもあり、事件性は希薄で、そして誰もが経験もしくは触れたことのある、からかいや、ちょっとかわったクラスメイトが描かれています。 下巻はもう漆黒の告白です。そして、普通の世界ではない、あちら側の視点から語られる告白。容疑者の告白にはやや冗長な部分もあるものの、下巻全体を通して読み返したくなるようなフレーズや情景が満載。異様なハイテンションと崩壊の描写は不気味で、見てはいけない物が露見してしまったようでもあり、同時に何も守る物がない、捨てた潔さも見え隠れする。 ラストは期待しない方が良い、むしろ、この作品への評価はラストによって影響を受ける物ではないはず。 | ||||
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今までにない「凄い」小説でした。 桐野作品の登場人物に「普通の人」はいません。 今作は特に。 「グロテスク」な女性ばかり登場します。 えぐ過ぎて笑えてきます。 女は恐ろしい。 この作品を読んでいて思ったんですが、桐野作品を好きな読者層ってどんな人たちなんだろう? 特にこの小説は好き嫌いが真っ二つに別れるはず。 女性が読んで満足する小説なんだろうか? 聞いてみたい。 後味悪そうで、意外に読後爽快な気分になるんですよ。 もしかしたら桐野作品の中ではN01かもしれない。 そんな泉鏡花賞受賞作でした。 | ||||
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初めて読んだときはさほど目新しくもない女同士の争いが克明に書かれているだけのように 思った。しかし時間を置いて読み返すとまた別の怖さがある。それは女性のもつ業と言おうか。 男性からは外見で選別されてなおかつ同性同士でも常に比較しあいチェックの目にさらされる女っつう生き物の面倒臭さ、生き難さ。 これはやはり女に生まれてみなければわかるまい。私は名門ではない女子高出身だがこの作品を読むと思い当たるフシがいっぱい。 たしかに階級の差みたいなものはあったと今にして気づく。作者は成蹊大学出身だが、そういえばエスカレーター式の学校だな、と余計な邪推をしてみたり。 まだ下巻は読んでいないけれど、ぜひこの女達の結末を見届けたい。 | ||||
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読者を圧倒する小説、というランキングがあればこの小説はトップを狙える。 面白い小説、あるいは推薦する小説といわれると・・・。この小説を友人に 薦めるのははばかられる。それは決してこの小説がそれに値しないからでは 無い。むしろ逆。だが、「これを読んで、よかった。」と素直に人に認めが たい、ある種の問題作だと思うから。 この本は、Q大学付属(女子)高校(私学ナンバーワンといわれる医学部を 持つ有名大学系列の学校がモデルと思われる)に在籍していた4人の女性の、 高校〜三十代後半までの生き様とを描く。植えつけられた競争社会の価値観 や劣等感などに無意識に影響を受ける彼女たちは、それぞれの方法で生き抜 こうとするが、集合的な差別、競争の中で歯車が狂って言ってしまう。 特に下巻に詳しく語られる和恵の生き様はまさに”凄惨”の一言。心の闇、 異常心理というものをここまで大胆に描き出す著者の力量にただただ脱帽 するばかり。 さらに特筆すべきは、名前すら与えられていない「わたし」が持つ悪意の 凄まじさだ。和恵が動的だとすれば、「わたし」は静的である。が、 ですます調で淡々と語る「わたし」が内在する悪意、情念ははちきれん ばかり。和恵は凄惨ではあったが自分の生き方を見つけ、全うした。 しかし「わたし」の情念は小説を通じて膨らんでいくばかりで、昇華 されることが無い。この恐ろしさはまさに圧倒的である。 東野作品に「悪意」という作品がある。が、私はこの作品こそ、 「悪意」というタイトルがふさわしいと思う。 小説の「凄さ」を改めて感じさせる作品だ。 | ||||
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正直この小説を読み終えて現実と言う苦々しさを感じる。 しかし、この小説は実際に起きた東電OL殺害事件をベースに書かれていて、その事件が起きた当時の状況もまざまざと立ち浮かび、様々な社会問題を背景にしながら、読者を最後まで飽きさせない。 本の構成は、書き手の私が主人公の私になったり、友人の和恵が私になったりとした各々の日記や手紙を通した形になっているので、その「私」の思うがままを語っている。それゆえに、人間のシニカルな部分が露呈していて、時として愕然とさせられ嫌悪する。特に印象深いのは、学歴一辺倒で努力すれば何でも実るという神話に踊らされ、またそれに自覚せずに堕ちて行く和恵の姿は本当に読んでいて辛い。でも、そうやって他人を卑下した主人公は、自分の矛盾に気付きながらも、今度は自分が堕ちて行く。 この小説は、人はいつでも堕ちて行く準備が出来ているということを教えてくれる。 | ||||
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タイトル通り、「グロテスク」な作品ですね。 登場人物のほとんどが「狂っている」とも言えるほど歪んだ性質を持っていて、 ただでさえヘビーなそんな人物の手記をいくつも読む形で人生を疑似体験していくことになるので、かなり読んでいて疲労感があります。 特に主な語り手である「わたし」はしょっぱなから被害妄想的・過批判的で「この人頭おかしいなぁ」と思わせる言動を連発するし、 ユリコや和恵の手記の章に入ると「闇」の深さのせいか胃に来る不愉快さがあり、まるで濡れて重たい土砂をお腹につめこまれるような感じさえ受けました。 読破したその日は1日中この本と本から受ける負の影響のせいで、平凡な自分の人生について振り返ってしまったり登場人物に共感しようとしてみたりと、沈んだ心を引きずったまま過ごしました・・・。 自分とは違う世界にいる人間の人生を通して未知の世界を知る、というと聞こえはいいですが この作品はちょっとヘビーすぎます。 作品としては読み応えも引き込まれ方もすごくて素晴らしいんでしょうが、あまりにも読後感が悪いので星3つにしました。 他のレビュアーの方同様、もう2回目は読みたくないですが、ここまで迫力と重圧のある作品を読んだのは初めてだったのでいい経験にはなったと思っています。 | ||||
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ゾクゾクするぐらい面白いです。 長編だったため、読むのに二・三日かかりましたが、没頭してしまいました。 美しさに天と地ほどの差がある姉妹、日本における有名私立校の微妙な内側、女同士の美醜・成績・家柄における優劣の関係・・・。 それらが巧みに書かれていて、また、色々な人の視点から、まるでカメラワークを違えているかのように斬新に書かれていて、とても面白かった。 人間のドロドロした残酷なブラックの部分が、リアルに上手く書かれていて、ゾクゾクします。 はっとするほど美しいハーフの妹は、芸能人でいうと誰のようなんだろうと思わず考えてしまいました。 そして、その美しさで青春を謳歌した女性の悲惨な最期。 ちょっとえぐかったですね。 桐野夏生さんの作品全般に言えることですが、難点はラスト。 ラストは何じゃこりゃ!と思いました・・・。 でも、素晴らしい作品です。 一度読まれることをオススメします。 | ||||
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作中に何度か「悪意がほとばしった顔」という言葉が出てくるのだが、この作品を一言で言い表すと「悪意のほとばしった小説」ということになるのだろうか。 著者に名前さえ与えられていない、語り手の“わたし”をはじめ、中心となる4人の女性の手記、手紙、日記、会話、どれもが自己中心的であり、その内容は、齋藤美奈子氏が書いているように「陰口」「つげ口」「悪口」ばかりである。しかも、それが「ですます調」で書かれているので、小説全体が異様な雰囲気となっている。 読むのが止まらない。ではなく、止めるに止めれない。そんな小説である。 著者は、この作品で読者の共感を得たいなど考えてもいないであろう。逆に拒絶されたい、あるいは置き去りにしても構わないと考えながら筆を進めたのでは、と思ってしまうほどである。 人間の心に潜む闇をこれだけ描くことのできる作家は、著者のほかに日本にどのくらい存在するのだろうか。 凄い小説を読んでしまった。そんな感じの読後感であった。 | ||||
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前に薦められましたが読む気になれませんでしたが、 ここで購入して「上巻」を読みましたが、 本当に感情がドロドロしていて途中嫌になりました。 というのも私も幼稚園から大学までエスカレーターで 本当に内部と外部との差は確かにあり、 見栄のオンパレードだったかも。。 その描写、感情、家族・・・様々な問題が巧く? ドロドロ感で埋め尽くされています。 今「下巻」を読み始めました。 多かれ少なかれ女はこういう人と比較していく生き物なのかな。 | ||||
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題名どおりだった。 気持ち悪い、いびつ、異常、悪趣味、エロチック・・・。『グロテスク』という題からそんな言葉が連想できるけど、まさにそんな内容の長編小説。何がグロテスクかというと、人間のどろどろした内面。人の世。 でも、面白かった。 かなりの長編なので、ページを繰っても繰っても終わりが見えないので読み進めるのがワクワクした。『どうして和恵が娼婦になったのか?』私も書き手と同じように疑問に思い、ハードルをびゅんびゅん飛ぶように一気に読んだ。こんな読書は大好き。個々人の手記という形式で、一人称で綴ってあるので、そのたびに主観が混じる。誰が正しいのだろう?ミステリーを読むような楽しみ方。 作中の『悪意が迸る顔』という表現が気に入った。私も気をつけよう。 | ||||
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けっこうな分量のある本でしたが、一気に読んでしまいました。 ほかの方も書いておられましたが、確かに後味の悪い本です。でも寝る間をおしんででも先を読み進めてしまうこの魅力というか磁力というか、とにかくパワーのある本でした。 顔の美醜を始め、「そんなことで差別しちゃだめだ」とみんな言っているけど、本当は心の中では歴然と差別している自分もいたりする・・・そんな人には言えない自分の暗い負の感情を一気に表にさらされてしまうような気になりました。 人の悪口って言ってはいけないとわかっていてもたぶん女子にとっては一番盛り上がる話題。この「いけないんだけど、やっぱりやめられない!」的な面白さがこの本の最大の魅力のような気がします。 けど悪口って言い過ぎると後味が悪い。だからこの本も後味はよくない。悪口を言っているときの自分の顔ってきっと「グロテスク」なんだろうな〜と思ってしまいました。 | ||||
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しかし、何と言う物語でしょう。筆致は凄いが書かれている内容も凄惨。桐野氏はこの世の差別のすべてを書いてやろうと思ったのだそうです。「差別」とは他者に対する優越感、他者への容赦ない哄笑、仲間意識、色々な複雑な感情が込められています。日本には階級差別はタテマエ上ないことになっていますが、周知のごとく学校や職場でのイジメを含め、階級や派閥、そして差別のない集団など皆無でしょう。絶対に越えられない壁の存在、そういう差別社会の中での厳しいサバイバルと「解放」が嫌と言うほどに描かれています。特に女性がサバイバルするということはどれくらいに過酷なことなのか。浅はかな私のような男性には想像だにできない世界です。 勝つとか人より優れるとかいうこと。その底には、自分が自分であることを確認するという作業が潜みます。しかし他者の目を通してしか「自分であること」を確認できない現代の生。そこに潜む圧倒的な孤独みたいなものが透けて見えて、その暗さと深さには背筋が寒くなるほどです。狂おしい程に求めそして堕ち続けた彼女達、あるいは闘争から引くというサバイバル戦術を取った彼女=「わたし」。誰もが最後には、自分の存在を確認するために自らを滅ぼしてゆきます。 迸る悪意。他者と自分の、理想と現実の乖離。都合の良いように嘘に塗り固められた過去。救いようのない物語・・・。読んでいて吐き気を催すほどで、その生き様はまさに「グロテスク」。しかし、それ程までにして描ききった彼女達の生は、(ラストはちょっと甘いと感じたものの)小説という虚構を通して再構築され、彼岸の彼方へ昇華されてゆくかのようです。 | ||||
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グロテスクな例の事件をどう小説にしたのか恐る恐る頁をめくりました。 前半はあ〜いうの居る居ると学校生活のことなど面白く読み進み、 中国人の部分はグロテスクではあるけれど生活環境ががらり違うし 長かったので???でしたが 終盤の和恵とラストは本当にグロテスクで吐きたい気分で読み終えました。 例の事件を知ろうとしなければ良かったと思いました。 でも桐野さんてすごいですね。 | ||||
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いわゆる「東電OL殺人事件」をベースにした小説。わたしはこの事件に詳しくありませんので、現実の事件を下敷きにしたフィクションの成否、よく比較された佐野眞一氏のルポと比べてどうかという点については答えをもっていません。 そのようなほぼまっさらな状態で本作に接した感想は、桐野氏は彼女特有の土壌において進化し続けている、というものでした。 テーマについて書ききろうという執念というか徹底ぶりが、これまでの作品を上回っていると思います。至るところに存在する序列と差別。その中でサバイバルするうち、何かが過剰になると一瞬のうちにグロテスクさが剥き出しになる。その様を一歩も引かずに書き尽くそうという姿勢に圧倒されましたし、十分怖かった。 それだけに、姉妹の確執や序列の厳しい学校生活で苦しんだ経験のある人には読むのが非常につらい小説でもあると思います。 本書で、桐野氏が今後どんな作品を発表していくのか、たとえば十年後にどんな作品を書いているのか読んでみたい、そう強く感じました。 | ||||
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