■スポンサードリンク
グロテスク
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
グロテスクの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全210件 1~20 1/11ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ふと手にとって読む始めると、上巻はわたしの世代にもあった学校でのカーストの話でもあったので、どんどん読み進みました。そして下巻は読むことが耐えられないほどグロテスクでした。 昔は優等生の和恵の成れの果てが面白すぎました。会社の人からヤバイと言われてる場面が特に気に入りました。いわゆる境界線を越えてしまった女性の話ですが、私自身いい年をして、派手なファッションをしたり、メークをしたり、もしかして回りから笑われてるなんて思うときがあります。そして、男が若い女を好む下りもやけに心に染みました。現実にはあり得ない話と思う一方、自分の中にもこんなモンスターがいるような気がするのでした。現実を受け入れられない時に生まれるモンスターです。 会社で浮いていると思うたびに、主計さんの域にはまだ達していないと安心するのでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ニクヨさんが度々熱く語っておられたので、そんなに言うならどれ読んでみるか、と上巻のサンプルを読みました。む…これは面白いぞ、と嬉々として上巻を購入、あっという間に読んでしまい下巻もポチりました。 和恵の日記部分が、もう圧巻!創作の粋を越えた凄みがありました。各登場人物の日記や語り部分は著者の技量に感嘆する余裕があったのですが、この章は息を詰めて夢中で展開を追っていました。 自分にとっては結末にリアルさを感じなくて、「フィクションの物語」を読破したぞ!あー面白かった!とスッキリ現実に戻れた感じがある。 だがユリコの姉の思考や口調をインストールして嫌な人と対面する場面を想像してみると…意地悪することに愉悦を感じる感覚が湧いてくる。こうやって現実を乗り切るのも案外悪くないかも?と思う自分も、怪物の素養を持っている…のかも。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
探していた本です とても嬉しい 大切に読みます | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
以下は2004年初読時に書いたレビュー。いま読むと情報が古い箇所がある。 -------------------- 「東電OL殺人事件」を下敷きにした作品である。ただし、通俗的な事件読み物など比較にならない深みに達している。 ドストエフスキーがありふれた強盗殺人のニュースを下敷きに『罪と罰』を紡いだように、三島由紀夫が金閣寺放火事件を下敷きに『金閣寺』を書いたように、桐野夏生は想像力を全開にして、通りいっぺんの犯罪報道の背後にもう一つの現実を構築してみせた。 3人の女性の物語である。 「怪物的」なまでに整い過ぎた美貌をもった、「生まれついての娼婦」ユリコ。ユリコの実の姉でありながら、似ても似つかない平凡な容姿に生まれた「私」。そして、「私」とは名門Q女子高で同級であった、秀才ではあるが平凡な女性・和恵。 ユリコと和恵は30代後半になってから街娼となって渋谷のホテル街に立つようになり、1年の間に相次いで殺される。 2つの殺人事件を軸にストーリーは進むが、読者を牽引するのは犯人探しの謎解きではない。『罪と罰』と同程度に「ミステリーでもある」小説だが、むしろ、事件に至るまでの3女性の心の軌跡を精緻に描くことにこそ、作者の主眼がある。 東電OL殺人事件の被害女性がモデルになっているのは、和恵だ。和恵は、昼は一流建設会社のエリートOLだが、夜には街娼となる。「誰も自分のことを見てくれない」昼間の暮らしの空虚を埋めるために……。 和恵1人を主人公にしていたなら、佐野眞一のノンフィクション『東電OL殺人事件』をなぞっただけの凡庸な作品に終わっていただろう。和恵の心を描きつつ、彼女と運命的な関わりをもつユリコと「私」を対置して描くことによって、重層的な傑作になった。三者三様の根深い孤独が重ね塗りされて、油絵のマチエールのような効果をあげている。都市の闇、人の心の闇を描き出す極彩色の地獄絵図。 「40歳になったら死のうと思っている」とは、桐野の近作『ダーク』の衝撃的な書き出しだが、この『グロテスク』もまた、多彩な登場人物のうち、少しずつ壊れ、破滅に向かって歩を進めていくユリコと和恵の姿が最も強い印象を与える。 ユリコは和恵に言う。 「体を売る女を、じつは男は憎んでいるのよ。そして、体を売る女も買う男を憎んでいるの。だから、お互いに憎しみが沸騰した時に殺し合いになるのよ。あたしはその日が来るのを待っているから、その時は抵抗せずに殺されるわ」 奇妙な言い方に響くかもしれないが、この小説の最大の美点は作者の“研ぎ澄まされた悪意”である。3人の女性たちを描く筆致、さらにはその周囲の人たちを描く筆致が、鋭敏な悪意に満ちている。 女性が女性の容姿や服装、性格などを評する言葉は、時として残酷なまでに鋭いものだ。「男にはとてもそこまで言えないし、そこまで観察できない」というところまで、鋭く観察し、真贋を見分け、辛辣な批評の刃を向ける。この『グロテスク』の描写には、そうした女性ならではの悪意の視線がマックス・レベルでつらぬかれている。 私が思うに、一流の小説家というのは「一般人には見えないものが見える人たち」である。 一般人なら気づかず見過ごしてしまう人の心の裏側(たとえば、嫉妬や見栄や憎悪などの「負の感情」、あるいは逆に、ふつうの庶民の心の奥に時として輝く崇高な人間性などという「正の感情」)が、くっきりと見えてしまうのが「一流作家の眼」なのである。 桐野夏生もまた、まぎれもない「一流作家の眼」をもっている。そうした眼にも2種類あるが、桐野や車谷長吉は、とくに人間の「負の側面」を鋭敏に感じとる眼――研ぎ澄まされた悪意の視線をもっているのだ。 その悪意の視線がひときわ輝きわたるのは、物語の前半、主人公の3女性が揃って通うお嬢様学校・Q女子高で過ごした少女時代を描いた数章だ。 初等部から上がってくる本物のお嬢様たち――「オーナー企業のオーナーの娘。就職なんか絶対しない人たち。したら、恥だと思っている」――だけが「主流」を成し、勤め人の娘たちはどんなに勉強ができても「主流」にはなれない「階級社会」。 そこで行なわれる、暴力を用いない隠微ないじめと差別を描きだす手際の鮮やかさが、桐野の真骨頂だ。 その「階級社会」で根こそぎ誇りを奪われる「私」と和恵。並外れた美貌ゆえに「主流」のお嬢様たちからさえ一目置かれるユリコ。その差が、後年の悲劇の源となる。 男の作家が娼婦を描く場合、多少なりとも“聖なる娼婦幻想”に呪縛されてしまい、娼婦に同情的な視線を向けがちだ。 しかし、桐野夏生が2人の娼婦を描き出す筆致に、そんな甘さは微塵もない。若いころには一晩300万の高級娼婦だったこともあるユリコやエリートOLである和恵が、最下層の街娼に落ちるまでの過程を、微に入り細を穿って容赦なく描き尽くすのである。 冷ややかな悪意に満ちた桐野の視線。その代弁者となるのは、物語の語り手である「私」だ。 「私」は、ユリコと和恵の転落の過程の目撃者となる。平凡な秀才にすぎなかった和恵は、高校でユリコに出会ったことで、その毒に感染して少しずつ道を踏み外していく。 「私」は実の妹であるユリコを憎み、和恵を軽蔑するが、じつは「私」の心の底にも、ユリコと和恵のように生きたいという願望が渦巻いている。だからこそ、物語の最後、「私」もまた渋谷のホテル街に立つのだ。 欠点も、ないではない。 たとえば、主要登場人物の1人・ミツル(女性)が、オウム真理教をモデルとしたカルト教団の一員となって「私」の前に現れるあたり、ご都合主義でリアリティがない。東電OL事件にオウム事件を継ぎ足せば現代が描けるわけではあるまいにと、小言を言いたくなる。 また、殺されたユリコの忘れ形見が盲目の美少年で、しかも彼もまた女性相手の街娼として渋谷の街に立つ、という終章のエピソードも、話が出来すぎているし、いびつな少女趣味にすぎる(ちなみに、桐野はかつて少女向けのジュニア小説を書いていた)。 それに、作品全体がいささか長すぎる。あと100枚分くらい、余分なエピソードを削ぎ落とすべきだったと思う。 ただし、そうした瑕疵を補って余りある多くの美点をもった作品である。 『グロテスク』というタイトルはそっけないが、読み終えると、このまがまがしい物語にこれ以上ないほどふさわしく思える。 「グロテスク」は、たんなる醜悪さとは似て非なるものだ。それは美が前提になっている。美しさがある一線を越えておぞましさに変わったとき、美が腐り果てて醜悪さに転化したとき、初めてそこに匂い立つのが「グロテスク」なのである。 「美という奴は恐ろしいもんだよ」とは『カラマーゾフの兄弟』の名高いセリフだが、この小説に描かれたのはまさに、グロテスクに成り果てた恐ろしい美、かつては美であったおぞましい醜悪さだ。 ディケードごとの「セックス・シンボル」があるように、一つの世代、ディケードを象徴する犯罪がある。たとえば、私の世代(1964年生まれ)にとっては宮崎勤の犯罪がそうだ。いまの20代にとっては酒鬼薔薇聖斗の犯罪がそうだろう。 同様に、いまの30代半ば~40代半ばの女性、とくに独身女性にとって、東電OL事件は、自分たちの世代を象徴するように思える「特別な犯罪」だったのではないか。 桐野夏生が東電OL事件に材をとった『グロテスク』を描いたのは、必然だった。この事件は桐野の作風にこそふさわしい。「女性ならでは」という言い方は性差別につながりかねないが、それでもあえて言うなら、男の作家には、どんなに優れた作家でも、東電OL事件をこんな小説には出来なかったと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一見、「私」が誰かに独白している普通の小説です。 でも、読み進めるにつれて、この「私」が自惚れが強く自己評価は高い嫌な面が見えてきます。 それぞれの視点で同じ経験を語ることで、その人自身を浮き彫りにし、誰もが「自分にとっての本当」を語っている。 とても興味深く読みました。下巻が楽しみ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
幼少期から高校時代まで長々と書かれていて、特にという衝撃的な出来事もなく淡々と長々と書かれていて途中一度飽きて辞めてしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昭和の未解決事件 東電OL事件をモチーフにしている作品です | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本を機に桐野夏生さんにハマりました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とんでもない21世紀という世界を桐野さん、描き出してしまいましたね。グロテスクそのもの、ページをめくる手が止まらない、もう読みたくないけれど読み終えてしまいました。評価は5であり、1でもあります。見たくない一種の真実を突きつけられました。参りました・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
悪意に満ちた人間群、それぞれの描写に気分が悪くなりさえしましたが、それでも、どこか惹かれてしまうのは何故か?と思った。救いのない世界が描かれているというのに。。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ものすごく面白い。主要な登場人物達がみんな頭がおかしいので、次に何を語るのか、何をするのかが知りたくてわくわくしながら読んだ。読む前はすごい文章量で腰が引けたけどその内気にならなくなる。最後は、お前もそうなるのかよ、と思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間の闇の部分がリアルに描かれていて、重苦しい読後感に包まれるタイトル通りグロテスクな作品。単にグロテスクと表現するだけでは足りない、悲しい人生を歩んだ人の悲惨さのようなものが伝わってくるので、合わない人は合わないだろう。小説の質は素晴らしく著者の力量が感じられるのだが、これを読んで以来、どうも桐野作品からは遠ざかってしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間の闇の部分がリアルに描かれていて、重苦しい読後感に包まれるタイトル通りグロテスクな作品。単にグロテスクと表現するだけでは足りない、悲しい人生を歩んだ人の悲惨さのようなものが伝わってくるので、合わない人は合わないだろう。小説の質は素晴らしく著者の力量が感じられるのだが、これを読んで以来、どうも桐野作品からは遠ざかってしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白かった! ただ、中国人の生い立ちあたりはムダに長く退屈だったので、要らなかったと思う。 東電OL殺害事件をベースに書いているようだが、こんな風な作品が書けるなんてさすが作家だと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
女性は男性よりも社会性が高い、とはよく言われる。しかし、より社会的な動物である、ということは他者との比較で自身を把握する傾きが強い、ということも同時に意味する 美醜、貧富、ブランド、学歴。女たちは、関係性の中にある、ありとあらゆる差異を微分し、こぼれ落ちた愚鈍な他者を差別し、群体の中で確固とした階級を形成していく グロテスクに登場する四人の女性たちも、他の女との比較して競い合うことにより崩壊していく 主人公のわたしは絶世の美少女の妹との比較によって 容姿の階級が違うユリコは母に拒絶された原体験によって ガリ勉のカズエと優等生のミツルはQ女子校の差別的な獲得形質によって、それぞれの人生を凋落させていく 他者と比較し、差別せずにはいられない。それは女の偉大なる人間苦だ 主要人物の四人の内三人までが、娼婦という存在に行き着くことは興味深い 拷問のように彼女たちを責めさいなみ続けた「女の階級」からの自由 社会的な桎梏や男性原理からの解放、畢竟女という動物に戻るということ 人間のメスという珍種の生物についてのレポート グロテスクはまさに女の地獄の見本市のような傑作小説といえる | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みごたえがある作品でした。日頃の生活の心配事やなんかを脇に置いて夢中になって読めます。物足りなさは無く心の中をよくここまで書けるなと思います。私も悩みやドロドロしたものがあるから興味を持って読み時に癒されるのかな…桐野夏生さんの本のファンになりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ここまで女性の内面を描ききった作品を私は読んだことがないかもしれない。 嫉妬や羨望といった、簡単な言葉では語ることが出来ない暗い井戸の中のような底知れぬ女性の内面が見える。 勉強が出来なくても、家柄が大したことなくても、スクールカーストの頂点に一気に上り詰めることが出来る…美しければ。 それは幼少から始まり社会人になっても続く。美しくて可愛くなければ男から求められない。残酷な現実が私たちを動かす。 和恵が珍妙な格好をしながら男性に媚を売り、気味悪がられても『欲しがられる』ことに執着する後半は圧倒させられるほどの暗さと、父親への愛情に飢えたままの奇妙な幼さが入り交じり、混沌としてまさにグロテスク。 無理やり体の内部を直視させられているかのような気味の悪さが一貫して流れるものの、ここまで女性の本質に迫った作品は他に無いと思う。 それを描き切る力量にただただ圧倒させられる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「肉体地蔵」の章はとりつかれたようにむさぼり読みました。 会社にも家族にも男にも復讐してやればいい!と思って応援しました。 でも復讐ってなんなんでしょうね。 男や社会にしてみれば痛くも痒くもない復讐だったわけで 殺されちゃったら何にもならないんじゃないかなとも思った。 そう思ったらなんかいてもたってもいられない気持ち・・・ 「柔らかな頬」の結末が2つあるように、 佐藤和恵が生きている結末のグロテスクがもしあるなら読みたいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
★3.5です 表現力は抜群だった。 それぞれの人物に特徴がでていて、ものすごくよかった。 正直、主人公目線の和恵(上巻)を読んでいるときは痛い奴でうざったくて 嫌いったが、和恵の日記(下巻)を見たら好きになった。 なぜ上巻がうざったく見えたのか、文庫の解説同様、やはり和恵こそがこの小説で一番本当の人間らしいからだ 気持ちが分からなくもない部分が大いにあり、この話は和恵が軸なんだと思い出す。 形は違うだろうし、結果も違うかもしれないけれど、気持ちとは裏腹に、 彼女は望んでいた怪物になれたんじゃないだろうか。 けれど、ちょっと落ちを考えると長すぎる?かな。あと設定が消えている?? 上巻の男を見ると「わたし」の子供を想像するという設定が消えているような気がする。 あと学校生活を送るうえではミツルは必要だったと思うし、メッセンジャーとしてはよかったんだが、 ミツルのお母さんと祖父の話などなどは不要だった気が・・・とりあえず割に長いといった印象。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
つかこうへい氏の舞台作品 熱海殺人事件の山口アイ子は千円で体を売っていました。 劇中にも説明がありますが、売春婦の中でも千円で体を売るのは「コケ」と呼ばれる最低のランクだそうです。 彼女も本書に登場する和恵のように「トップになっちゃる!」と言ってたなあ。 そういいながら千円で体を売っていたのが悲しかった。 そして、故郷を汚したという名目(少なくとも私にはそう読めた)で、 こんなになった女は死ななきゃいけない、という理屈で、 山口アイ子は大山金太郎に絞殺され熱海のビーチに埋められます。 山口アイ子と大山金太郎は同郷の幼馴染なのですが、山口アイ子は東京で体を売るようになって以来 大山金太郎から見れば「怪物」化していた、と言っても良いだろう。 本書に出てくる和恵のような意味の「怪物」だったのか・・・ それは一度措くとしても、和恵はまるで山口アイ子だと思いました。 作品タイトルとなった「グロテスク」について。 人間性のグロテスク・・・それもあるかもしれませんが、 男が作り上げたこの社会のグロテスクを描き、激しく批判している作品のように読めます。 男が作った社会では女は搾取されるだけ搾取され、出る杭、男社会の脅威と判断されれば最後は殺される。 或いは故郷を汚したとか、カッとなった、もういらない、とかで殺される。 じゃあ殺されない女は?生かさず殺さず、いいように搾取される。 和恵やユリコが「怪物」ならば、怪物を殺害する男はなんだろう。 とはいえ著者は思想家ではなく小説家だと思いますので、批判などの意図はなく ただただこの現状を切ってよこして見せた、だけなのかもしれません。 「怪物」のネーミングの由来は、度を越したメイクや病的に痩せた体など表層的なことではなく どうやってもかなわない強大な男社会に2000円で復讐を試みる精神性のこと、と説明されれば合点がゆきます。 それでも「怪物」はあまりにつらいネーミングだが「ひどさ」を切ってよこす装置と考えればさらに合点がゆく。 和恵が2000円で体を売る一幕があるのですが、 これは人助けのような意図ではなく 「男がやりたくてたまらないこと、たった2000円の価値しかない」 とつきつけて見せる姿勢なのだがそれが男にはわからない。 ただ、人情のある娼婦だと思うだけ。 この構図はある種の復讐と言えなくもありません。 そして、どこまでの取材に基づいて書かれた作品なのかわからない中で差し出がましいかもしれませんが、 事件の被害者のご冥福を祈らせてください。 余談となりますが、 つかこうへい氏の熱海殺人事件の初演が1973年(Wikiより) 本書のもとになった事件が1997年 グロテスクが2003年 つかこうへい氏の先見性とみるべきか、社会構造がまったく変わっていないと見るべきか。 個人的には後者かなと考えております。 つかこうへい作] つかこうへい作 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!