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グロテスク
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グロテスクの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全288件 221~240 12/15ページ
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桐野の筆は常に容赦がない。むき出しの癒されない痛みやささくれを書くその筆は、醜いものを醜く、無残なものを無残なまま吹きさらしの状態に置き、わずかな癒しも与えようとしない。しかし、読み行くうちに、癒しや優しさがむしろ、汗まみれの手で頬を撫でるような、本当は薄気味悪いものであることに読者は気づかされる。この小説は渋谷で殺害された一人の女性をモデルにしているが、彼女の闇が読者の心にえぐるような痛みを持って忍び込んでくる。とにかく読むべし。いったん読み始めたらもう手放すことはできない。そして読了後、自分を取り巻く空間が冷たさと重さを持って忍び寄ってくるのを、じっと感じるしかない。そんな一冊です。 | ||||
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「要するに、まともだった(メインの)登場人物は、和恵とミツルだ」と、私は思いました。和恵は滑稽すぎて頭がおかしいんじゃないか、とはじめは思いました(特に高校時代のところを読んでる時)。けれど、よくよく考えてみれば、和恵は単に一生懸命なだけだったんじゃないかな、と。一生懸命になりすぎて、後に行くところまでいってしまったけれど…。でも私は、そんな和恵がけなげに思えて、一番同情しちゃいます。ミツルも結婚後一線を踏み外してしまうけれど、誰でもそういう状況に陥ることはありうると思うし…つまり「○○者と普通の人は紙一重」ということが言いたいのですが(あまり書くとネタバレになってしまいますね)。主人公は、本当に「悪意が迸った」人間ですよね。そこまでするか!と言いたくなるほど、ひどいことをしていましたよね。だけれど、私自身、それぞれの登場人物に似ている部分を持っていて(特に和恵と主人公)、いろいろ考えさせられました。なので、みんなある意味「強烈」なキャラで「強烈」な人生を送ったけれど、どの人物についても否定はできないです(「こんな人、現実にはいるわけないよ!」ていう否定です)。とにかく、私はこの本に多少なりとも影響を受けました。読んでよかったと思います。稚拙な感想文ですみません~ | ||||
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本屋で買って読みました。わたしは姉妹なのでよく理解できました!同姓の兄弟とか姉妹ってたいてい、似てないんですよね。どっちが美人か。どっちの方が親にかわいがられているか。小さい頃からくらべられます。勝負は決まっているんですがね。この作品についておもったのは「体にとってなにが良いのか」は、当人にとってはわからないことであること。もし食欲が旺盛で心は満足していたとしても、あまりに食べたいだけ食べてしまったら病気になるように。結局欲望に生きてしまった二人の女たちは自分の身を滅ぼしてしまいました。なにを食べたら体にいいのか、いい状態が保てるのか。教えられないとわからないですし。幸せになる方法は自分なりに掴まなきゃいけない。欲望に忠実なだけでは生きていけない。登場人物はみなタフで好きです。文章も巧いよっ。オススメです。 | ||||
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佐野氏の「東電OL殺人事件」を読んだ時に妙に引っ掛かったのは、筆者の使う「堕落」という言葉だった。この本の底流には「娼婦になること」=「堕落」という社会的な決め付けのようなものが先にあって、それから高学歴を持った女性が娼婦になった「堕落」はどうして起こったのかが書かれているように感じたのだ。娼婦になることが堕落でない、と言いたいのではない。ただ、そうした決め付けが、事件を外側から捉えただけで、被害者の内面にたどり着いていないもどかしさのようなものに結びついていると感じたのだ。被害者の内面を描くことは、むしろフィクションでなければ不可能なのかもしれない。しかし、だからと言って本作品が被害者の内面を完璧に暴いたものだと考えている訳ではない。小説である以上、それはあくまで作者の想像・創造の中のものでしかないからだ。ただ、この作品の中で「娼婦になること」=「堕落」という単純な図式で割り切れないものが描かれたように思うのである。作品は4人の女性の独白の形で進んで行く。違う人物のはずなのに、どこか区別が曖昧なのは、この4人が別の人間でありながら、実は「女であること」に縛られた、同じ人間の別の相であるからではないのか。特にユリコの姉は、ユリコ自身ではないのかとすら思ってしまう。ユリコの美貌を厭い、憎んでいたのは、ユリコ自身も同じだったのではないか。彼女の名前が最後まで語られなかったのは、そこに理由があるように思えてしまう。4人が見ている周り人々の姿は、どこまでが真実のものであるのか。誰かの目を通して見えてくる誰かは、その見つめている人の目からは逃れることができない。そこに見える歪みは、見つめている本人自身の歪みなのだ。結局、娼婦になった彼女たちは、娼婦になることでしか自身を救えなかったのだ。どんな自分であれ、醜かろうと、仕事ができなかろうと、他から「女」であること認められ、自分自身に「女」であることを実感させてくれたものが、娼婦であったのだから。それを「堕落」と言うならば、その通りであろうが、少なくとも、この作品の中で彼女たちは、娼婦になることで、さまざまな差別からの自由を得たのであると思う。 | ||||
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既に多くのレビューがされていますので、内容についての論評を書くつもりはあまりありません。ただ、私はこの本を5回読み返しました。人間の深層心理、心の闇の部分、例えば、嫉妬心、競争心、虚栄心、堕落へのほのかな憧れ、等々が、微に入り、細に入り、これでもかとばかりに描写されています。怖いものと見たさで、つい読み返してしまうのです。そして、心に残るのは心理描写による「グロテスク」以外にも、登場人物の風体、仕草、持ち物等についても、「グロテスク」さが十分に表現されている点です。グロテスクを通り越して、滑稽なものもあり、思い出しては、つい笑ってしまう描写もあります。読み返しても十分に楽しめます。最後に、できれば、夜暗いベッドで読むと小説の世界にシンクロするようで楽しめます。 | ||||
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この作品を読むと、人間のおそろしく汚い部分を見せつけられているようで、胸が苦しくなりました。けれど読んでいるうちに、登場人物たちと自分との差はさしてないのではないか、と思えて来ました。誰の心の中にも、人を憎んだり、うらやんだり、嘘をついたりするみにくいものが、住み着いている、と感じました。そのみにくいものを、見て見ぬ振りをするのか、堂々と、向き合うのか。桐野さんの人間に対しての観察眼にはまったく恐れ入ります。人間のこんなにみにくい部分をありのままに書くのは、きっと桐野さんにとっても苦しかったのではないか、と思います。読んだ後、どっと暗い、どうしようもない気持ちになりますが、私たち(特に女性)のなかに巣食うみにくい固まりと向かい合うため、読む価値はあると、思います。 | ||||
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東電OL殺人事件を根本にかかれた本。桐野さんの本は、初めて読みました。とても興味深いものでしたが、チャンの手記がちょっと、長すぎないかと。「東電OL殺人事件」の方も読んでみたくなりました。 | ||||
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実際の事件を参考にして書き上げられているこの作品、出来事自体の羅列は殆ど事件と同じと言う、身もふたも無い作りだが、実はこの小説そんなことなどどうでもよい、事件はただのきっかけではないかと思いました。この小説は何人かの登場人物の語り部、手記という形をとって流れていき、そこから出てくる話は微妙なずれを見せてきます(そう羅生門タイプです)。そこから醸し出される世界はまさに「グロテスク」。これでもかと言うぐらいに人間の闇の部分にだけとことん焦点をあて、自分自信の意識がすべてと言う恐ろしいくらいにリアリティある人たちを書き上げています。語り部によっては全然違うことを主張し、誰の言っている事が真実、事実なのか深い謎になり、手記の形を取っている章は、書き出されたものと言うことで、リアルさはあるが真実性が乏しく、物語をますますの迷宮えと落としていきます。まさに人間のエゴ。誰も彼もが本当の事を言っていて、また平気で嘘も吐いている。視点によって世界が違う、まさに醜悪な人間を映し出しています。これをグロテスクと言わずして何と言いましょう。実際の事件はバッググランドもあり、それなりの物語を持っていると思いますか、この事件においては小説のグロさが勝ったと感じます。「OUT」のある種ストレートな内容に比べて、少し難解なストーリーに見えますが、良く読めばそれほど難しい話でもありません。ただ恐ろしく気の滅入る話が続きます。読む人によってまったく違う世界が広がるとおもいます。これは一読する価値のある一冊です。自分自信と向き合うためにもぜひ読んでみてください。 あなただけが感じる真実が見えてきます。 | ||||
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東電OL事件がモチーフの小説。本物の事件については佐野眞一氏の著書に詳しいので、興味のある方はこちらを。500ページ2段のボリュームであるが、一気に読むことが出来た。作者の力量は本物である。登場してくる女性についても、各人の視点からの記述でどれが本当のことなのだろうと、興味深く読み進めることができた。このようなテーマは小説としては書きつくされていると思うし、ここまで現実の事件をモチーフにするのはどうか、との感想も持ちました。あと、あのラストは個人的には納得してません。女性に向けて書かれた本だと感じました。 | ||||
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OUTでおなじみの桐野サンこの人はほんと人間の悪意を表現させるとうまいねしかし文章には独特のクセがある 特に本作はその傾向が強い結論としての「売春するのは世の中に対する復讐」という理論はちょっと弱いかな これじゃ村上龍 ラブ&ポップの「援助交際する女子高生はお金やブランド物がほしいわけじゃない 彼女達は小冒険がしたいんだ」というアフォな理論と変わらないあと気になったのが主人公(ユリコの姉)の名前が最後まで出てこないのはラストのオチのための何かの伏線だと思ったが結局なんの意味もなかったのは合点がいかなかった私は東電OL事件なるものを知らなかったが 事件の経緯を見てみると本作はまんま模倣している 引用というレベルではないようだこのような作品の作り方はどうかと思う | ||||
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普通の人が普通に見過ごすある特定の本音。誰が主人公というわけでもない。女の、日頃気づかない細部に渡る差別意識、偽善という言葉を微塵も寄せ付けない厳しい世界観を、これでもか、と読者に叩きつける、文字通りグロテスクな小説である。「女に産まれたら、オシャレして綺麗な服着て、彼とデートするんだー。」こんな幸せ漂う文章などはこの本の中には存在しない。ひたすら妬み・差別・階級・比較・軽蔑を繰り返す。繰り返す日々の中で、女達の人間関係も少しずつある方向へと変化していく。和恵は何を思っただろうか。世の中に対する差別への怒りを”そういう形”でしか表現できなかったんだろうか。自分にもまた差別化を課すことで、自分に対しても怒りをぶつけたのだろうか。被害者気取りになりながらも、無意識に見下す容赦ないどす黒い本音と、極端に痩せたりする徹底的な行動は、”何か”に対して言葉では表現できないほどの憎悪をつのらせた結果なのかと、今でもふと考える時がある。「綺麗でしょ?私綺麗でしょ?」彼女の悲壮なまでの声が聞こえてくるような気がする。 | ||||
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読み終えた後、なんとも言えない嫌な気持ちが残った。精神が弱っているときはあまりおすすめしない。女は所詮美しくなければならないのだといったあまりにも当然のことへの焦燥感?差別に対するあきらめ?いや、それだけではない。周囲の言うことにまるで耳を傾けることができず、壊れていく和恵。彼女が怖かった。和恵が病気だと言ってしまえばそれまでだ。しかし、人間は誰しもまわりが見えなくなりがちである。そして一歩間違えば彼女のようになってしまうのかもしれない。さらに、今自分がそうであるが気付いていないだけかもしれない。和恵は、会議室の机で寝たり、極端にやせたり、トイレで昼食をとったりして、自分が気味悪がられていることくらいはわかっていた。だが、根本的なところが見えていなかった。そこがまた奇妙にリアルであった。 | ||||
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よくぞここまで、努力馬鹿と引きこもり系独善者を描写してくれました。決して、いい気分になれる本ではありません。彼女達の言動に、思い当たる節のある方は、へこむこと必至です。この本を読んで、自らの偏り具合を省みるのが、最適かと思われます。 | ||||
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3人の女性が主人公として扱われているが人物描写に区別が出来てない美女もエリート女性も美女の姉妹も結局セックスに縛られた同一人物のようだ536ページ2段書きでセックスに対する吐露を読まされる売春によるこの世に対する復讐は、人間としての尊厳を失うだけこのことに気付かない寂しい女たちの根源が差別というのなら、差別を理由にした戯言小説にしか読めない | ||||
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正直言って、読んで気分が良くなる本ではないことは確かです。でも、「女」ってそうだよなーって読んでて、そうそうって頷く箇所が多かった。作者の「女」に対する洞察力に脱帽です!「美人は得」は世の常ですが、学校でも会社でも、それは、痛いぐらいに分かってしまうから、綺麗な女の子に対して、嫉妬して、憧れずにはいられない。最初から、「美人」ではない子は、それ以外で努力して、認めてもらおうとする。でも、「女」に生まれたからには、ちやほやされたいし愛されたい。本の中で、絶叫までにも似た「愛されたい」という気持ちは、共感できました。 | ||||
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この著者の作品は好んで繰り返し読むのだが、「グロテスク」はそのタイトル通りグロテスクであり、一気に読んでしまうほど引き込まれたが、読み終えた後は、どろどろとした暗い読後感で憂鬱になってしまうほどであった。つまり、それほどおもしろく、エネルギーに溢れた作品なのだ。ただ、気軽に読むことは、もう、私はできない。 | ||||
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この事件については「東電OL殺人事件」というタイトルで既に佐野眞一氏がルポとしてぶあつーい1冊にまとめてられている。ぶあつーいけど、あっと言う間。昼間は東電の総合職エリートとして働くOLが、夜な夜な渋谷で雨の日も風の日もフッカーとして立ち続け、殺された。捕まったネパール人男性は無実を訴え続けているにも関わらず、最高裁で有罪が確定している。 全ては闇の中であるこの事件。それ故に、今回は小説として死人を蘇らせ、殺された2人のフッカーを取り巻く人間達の告白という形で話は進む。 が、内容はイマイチ。佐野氏の「東電OL殺人事件」とは比較にならない。佐野氏は全裁判を傍聴し、警察の矛盾を暴き、ネパールまで行っていた。緻密に足でリサーチし、圧倒的な迫力があった。 作り物はやはり事実を超えられないのか。その他、小説に散りばめられたエピソードはどこかで聞いたような話。有吉佐和子の小説「非色」に描かれていたような出来がフツーな姉の美貌の妹に対する激しい嫉妬心。田口ランディの小説「コンセント」に描かれていたセックス神話、依存。(この小説もこの事件をコンセプトに書かれたのでしょう)それから、地下鉄サリン事件。 ↑という感想を持った自分に愕然とした。事実は小説より奇なりとはこのことで、毎日のニュースで流される事件に目新しさはUPDATEされ、数年前に度肝を抜かされたこの事件ぐらいではもはや驚かなくなっていた自分に。 それでも最後まで一気に読んだ理由は、登場人物達の病んだココロの闇っぷり。佐野氏がこの事件を外側から描いているとしたら、ここでは内側から描かれている。タイトルがグロテスクなのは、この事件が持っていた奇抜さではなく、心の中のグロテスクさ。それは誰もが持っているものなのだろう。 | ||||
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普通だった人間が常軌を逸した行動を取るようになるのは何故なのか。己の価値観と社会の不条理とのギャップ。友達。教師。悪意。嫉妬。時代。世間の価値観。孤独。自己を取り巻く様様な要因が絡み合い、最悪の場合には人を破滅に追いやる。誰の周りにもある要因を描くからこそ、この小説は読む者を虜にする。 | ||||
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モチーフは、東京電力OL殺人事件とオウム事件ですが、複数の当事者(犯人、被害者、その高校時代の同級生である私)の視点で描かれている点に関して、小説としての価値があると思います。非常に分厚い本ですが、意外にさくさく読み進められます。ただ、こんなにも当事者が手記だの、日記だのを事細かに書いているとは思えないのですが、その点は割り引いてもいいかなと思います。桐野作品で、ひとつの事件を複数の当事者の視点で描いた作品はこれ以外に『リアルワールド』があります。ただ、やはりモチーフがモチーフですので、暗くなってしまうことは否めませんし、滅入っているときに読むのはお勧めできません。タイトルどおり、登場人物の心の中はどろどろとグロいですし。でもやっぱり、私の中での桐野作品のベストは『OUT』です。 | ||||
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女の階級社会をこれほどまでに露わにしてくれた作品は初めてであった。どんなに頭が良くても、運動ができても、高学歴で一流会社に勤めても、結局「美人」でなければ女としての価値はないのだという歪んだ社会を表している。そしてその「美人」を求めるのは男であり、つまり男の欲望のために女は美を追求しているのである。そんな空虚な現実をみごとに表現し、そんな社会をあざ笑うかのような作品だった。和恵がもはや自明の理が崩壊し、変貌していくぶりは本当に痛ましかった。そして相談しあえる友人が一人も存在しなかったという孤独感。それは和恵のみならず、「私」もユリコも同じであったと思う。正直、和恵とユリコが殺されて、安堵した。老いながらも娼婦を続けるしかない二人の姿はあまりにも痛々しく、弱かった。 | ||||
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