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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全209件 141~160 8/11ページ
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カフカとの対比は指摘されていますが、カミュとの対比はないですね。カミュの「ペスト」との対比がおもしろいと思います。 「ペスト」はある架空の町でペストが蔓延し、その閉鎖された町の中で疫病と戦う人々をたんたんと描いた1947年のフランスの小説です。まあ専門用語とかはいいんですけど、直後から流行する思想である「構造主義」の端緒となった視点が提出されており、その点で有名です。小説ではペストは最後に収まりますが、医師リウーは「ペスト」との戦いが人間がいる限りつづく、「終わりのない戦い」であることに気づきます。ペストのラスト。 ・・・ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴蔵やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを(人々を:引用者)死なせに差し向ける日が来るであろうということを。 砂とペスト、閉ざされた部落と町など、両者の物語は酷似しています。この閉塞感、とらわれる感じは仏教でいう「業」のようなものでしょう。人間がいくら努力しようと、何を発明しようとも、逃れられない運命がある。 | ||||
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話の構成自体も凄いのですが、男の末路がどうなったのか、 含みをもたせるラストが意味深で、惹かれます。 落ちることには抗えない魅力もあって、足を絡めとって行くような描写がたまらなかった。 男の生きる気力や意志は、少しずつ砂に吸われていったのでしょう。 むしろ最後は砂とひとつになることを望んでいたのでは、とも。 砂=女という解釈でもありますが、ほんと安部公房はすけべだと思いました。 文体や比喩が美しく、たった数行で、鮮やかに情景が浮かびます。 女のしつこさ、粘つき、静謐さ、神聖さ、一度は読んで欲しい名作です。 | ||||
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安部作品の中でもとりわけウェットで「日本的」な作品。 これが海外でも評価されたのは、その普遍性もたしかにあったが、日本という異国の地の作家に対するオリエンタリズムとしての評価も多分に手伝った。 これが最高傑作とされる安部公房の現在の評価は不幸なことだと思う。 同じくウェットな作品なら『飢餓同盟』や『石の眼』や『けものたちは故郷をめざす』のほうがずっと面白く読める。 「不条理前衛作家」安部公房が、わかりやすい普通小説を書いた。 ただの普通小説ではなくて、ちょっとばかり教訓もこめてみた。 だからそこに意味されるものはだれもが理解できた。 「オレにも不条理がわかったぞ!」そんな気分になった。 それだけのこと。『砂の女』は安部にとっては異色作なのだ。 最初に『砂の女』を読んで「安部公房ってこんな作家なんだぁ」などと思われては大変だ。 『砂の女』は後で読めばいい。寝苦しい夜に、もっと寝苦しくなるために読めばいい。 カラスの名前が「ホープ」じゃなあ。 「ほら、お前らはこういうのが高尚だって思うんだろ?」安部にそう言われているようで苦笑してしまう。 | ||||
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小学5年生のころ「魔法のパイプ」という物語がラジオで放送され夢中になって聞いた。ちょうどテレビが一般家庭へ普及する少し前だった。番組への投書に、これはテレビにならないのですか、というのがあって、パイプの答えはパイプのヒゲが400本になったら出来るということだった。テレビにはならなかったが安部公房という名は覚えた。そして、高校の国語の教科書の「赤い繭」で再会した。以後、安部公房の作品を夢中になって読んだ。それだけ「赤い繭」に大きな衝撃を受けたのだった。 そして20歳のころ「砂の女」も読んだ。たぶんこの砂の中に閉じ込められた生活は現実にはない砂のすり鉢の底だけど、見ようによったら現実の我々の生きている世界そのものだと思ったと思う。 今も多くの若い人たちがこの本を読んでいることに、はじめは何か意外な感じがしたのだが、それはむしろ当然のことだったのかも知れない。安部公房の作品は時代を超えてひきつけるものがあるのだろう。 「砂の女」のテーマは遠く2000年以上の昔にインドでも考察されていたことだと思う。仏教経典にすでにこのテーマを扱っているものはあるのだ。人間の日常の生活をどう捉えるかということにおいて、このテーマはいつの時代も気になるテーマだったのだろう。 これを踏まえてどう生きるかが次のテーマとして当然あがって来る。小説不落樽号の旅―十四万三千年の時空を超えては、その次のテーマを扱っているのか、それとも根本的に日常生活の捉え方を「砂の女」とは別にしているのか定かでないが、砂の女とともに今わたしが気にしている作品です。 | ||||
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非常に多くのレビューがすでにあるので、 作品を読んで感じた「こういう人には向いていそうだ」ということを述べるに留めておきます。 特に向いているのは、現代文学と呼ばれる類の小説をいくらか読み、気に入り、もう少し毛色の違う小説を読みたいという人です。 私は文学部でもなんでもありませんが、この小説を読んでずいぶんと衝撃を受けました。 これでもかと続く心情描写に心を揺さぶられます。 逆に向いていないのが、普段ほとんど本を読まない人や、いわゆるライトノベルをメインに読む読者ではないかと思います。 「この小説はストーリーも非常に作りこまれていて魅力的である」という反論もあると思いますが、慣れない読者はなかなか最後まで読めないのではないでしょうか。 エンターテイメント小説と比べて、(上にも書きましたが)地の文による心情描写がこれでもかと続き、読む方の根気もある程度必要とされます。 いわゆる純文学にももっと会話のテンポでトントン話が進むものもありますので、先にそういった作品を読むのがいいかと思います。 | ||||
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■概略 ある日昆虫採集のために砂丘へとでかけた男は、村人の策略で砂穴の底にある一軒家に閉じ込められることになる。 降り積もる砂から家を守ろうとする女、あらゆる手を尽くして脱出を試みる男、 村の存続のために男の脱出を妨害し二人の生活を見守る村人たち。 やがて月日は流れ、男は穴の中の生活に順応していき・・・ ■感想 退屈な日常から突如非日常に投げ込まれた主人公の心理状態の変化が、読む者の野次馬根性をくすぐる。 男の状況は、まさに悲劇。現代社会の常識が一切通用しない、理不尽の塊のような暮らし。 立場の弱さから村人の言いなりになるしかない哀れな男の悪あがきとその結末は、 読み終わった時に言いやれぬ憐れみと興奮を覚えさせる。 ■一般的見解 部落社会での生活の不自由さや幽閉生活、そこに見られる人間の残忍な性質といった現代社会へのメッセージ性についての評価が高いみたいです。 有名な文学作品ということもあって様々な研究者によるレビューも多いですが、 なんというか・・・そういうレビューについては深読みのしすぎな感がありました。 作品を文学的に評価する際にはそいういうメッセージ性や社会影響について語る必要があるのでしょうし、 そういう読み方・考え方があるのはわかります。 が、「そういう観点以外からこの作品を語るのは間違っている」というような、 文学的批評を強要するレビューがあったのは気になりました。 最後に、「砂」に関する描写がやけにリアルで、読んでいて不快な「ザラつき」を覚えたとまで言わせるのは、 作者の文章力のなせるワザですね。 ■総括 単純に読み物として面白く、特に難しく考えることなく一気に読み終えることができました。 あと、個人的には、女に関する描写がやけに艶めかしかったのが印象的でした。 | ||||
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穴に落ちた、という事実だけでここまで長い文章を書く発想力と構成力は凄いと思う。 読んでいる途中でねちっこさに嫌気を感じることもあったが、読んで損をした気はしない。 精神的強姦の話とか、休日サービスをする父親の話とか、目を背けたくなるようで背けられない閑話も多かった。 然し、救いようのある最後であった。一読の価値あり。 | ||||
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タイトルのとおり,読んでいるうちに本が砂でざらついてくるような錯覚さえ覚える,脅威の描写力である。 氏の作品には個人的に気になる作品が多く概ね読んでいるが,それらの中でも最高の1冊といえよう。 主人公は,不条理な世の中で折り合いをつけながら生きる運命を背負わされた,すなわち"現代人"である。作品に出てくる砂の壁に囲まれた世界も,我々が日常を過ごしているこの世界も,大きく見れば大差ないのではないか。 このようなことまで感じてしまう。 | ||||
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「最高傑作」と言われていますが、自分には合わなかったみたいです。 確かに、著者の想像力はすごいと思います。 文章は、まるでノンフィクションであるかのように緻密でした。 また、テーマである「砂」に自分の人生を比喩している点も、なるほどと思いました。 しかし、深さ以上に世界の狭さを感じます。 主人公のウジャウジャウジャウジャした脳の中のお披露目会みたいで、 あまり入り込めませんでした。 私がまだ若いから理解不十分なだけかもしれません。 10年後に再読したら、面白いと思うのかも。 | ||||
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本のページの上にあるのはただ整然と並ぶ活字のみ。 しかしその活字を読み進めてゆくと 匂い、手触り、物音、温度、光、色彩…と 作中からの擬似感覚を実にまざまざと味わされることが暫しあります。 それも文学の醍醐味の一つではないでしょうか。 この小説を読んでいると湿り気を帯びた砂が 身につけているものは勿論、体中、髪の生え際、耳の中でさえも 拭っても拭ってもざらざらと肌に纏わりつくような生々しい感覚を覚えるのです。 砂に閉ざされた剥き出しの男と女。 なんとも読み応えのある、ざらざらとした一冊です。 | ||||
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高校生の頃、不条理にあこがれつつ、安部公房の不可思議性が好きでした。 砂の女は、理解を超える不条理性と不可思議性を持っているように思われました。 なぜかは説明できませんが、安部公房が書いているのならそうなのだろうという感じでした。 | ||||
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安部氏は「砂」と「壁」を良くモチーフに用いるが、本作はまさに「砂の壁」に取り囲まれた家の中から必死に逃れようとする男を通して、人生の意味、自由と束縛、そして男にとっての女の存在の意義を問い掛けた作品。 男は昆虫採集のため、ある浜辺に行くが、そこは砂に囲まれた村だった。男は「砂の壁」の上から落とされ、ある家に軟禁状態にされる。家には女が一人いるだけである。女がする事は家が潰れないように砂を掻き出すだけである。男は当然、何回も逃れようと"もがく"が「砂の壁」に阻まれ脱出できない。家の倒壊を防ぐために女の手伝いをして、砂掻きをする始末である。「砂漠は清潔である」とは「アラビアのロレンス」中のセリフだが、本作での砂は暴力的である。無形だが流動的で捉え所のない1/8mmの砂の塊。生きるために、ひたすらその砂と格闘する男と女。人生の意味とは、この砂との格闘のように他者から押し付けられた無為な決め事を繰り返すだけなのか。しかし、男の以前の生活は、この束縛された環境と比べ本当に自由だったのか。色々考えさせられる。 男は逃亡の目的もあって女と関係を持つが、無為な生活の中にも女は必要と言う事か。性の営みも他者に強制された無為な行為なのか。女が終始、"丁寧語"を使うのも怖い。そして、女が示す男への貞操と外界への忌避感も印象的である。高度に抽象化・幻想化された物語でありながら、ザラザラしたリアリスティックな感覚を覚えるのは作者の力量だろう。砂を撒き散らしているのは男自身かと思う程である。まさに、「メビウスの輪」。 高度な小説技法で、生きて行く事の意味、自由と束縛、性衝動の意味を問い掛けた戦後文学を代表する傑作。 | ||||
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不条理というより現実味を帯びた理不尽な展開にスッと引き込まれます。 さぁどうする?この手の大きな難問を抱え、如何にしてブレイクスルーするかというストーリーを好む当方としては楽しめました。 オチがやはり文学的。部落に監禁されてから最終的に男がとる行動までの表面的な心境の変化に違和感を感じつつも、読後じわじわと男に内在する「教授」というブレのない根幹が故かという解釈もと考えさせられるから面白い。 | ||||
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初めて読んでから、かれこれ17年になります。 今でも時々本棚から出して読んでしまいますね。 砂という無機物を限りない手法で表現し、読んでいる者を不快にさせてくれます。 大江健三郎氏が安部公房を「戦後最大の作家」と絶賛しましたが そのなかでも傑作といえるかと思います。 | ||||
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映画は遥か昔、大学生の頃に観たのですが、英国の店先でDVDが売られているのを偶然見かけ、久しぶりに原作が読みたくなって本棚から引っ張り出して読んでみた。 言葉を紙面上に紡いで芸術を描くのが文学と言うのであれば、今さらの陳腐な言い方ではあるが、この作品はまさに珠玉の文学だと思う。文学作品には難解なものも多いが、難解であることが文学作品の条件では無い。この作品は難解さを感じさせずに一気に読むこともできる。こういった強引に読み手を引きずり込むストーリー展開から、「よく出来たサスペンス」と片付ける方もいるかもしれないが、ここに描き出される人間の業、辺鄙な部落社会での不自由な幽閉生活の裏返しとして描かれる文明社会への批判、「自由」な社会の住人であるのに関わらず見失ってしまった自己の存在など、作品のメッセージをいろいろと考えながら読むべき作品であると思う。 そういう意味で一度ではなく何度でもくり返し読むことに耐えうる作品であり、読者個人の背景によって様々に共鳴できる要素を持っており、様々な解釈をさせてくれる広がりのある作品だと思う。 | ||||
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私にとって安部公房は、「名前だけは聞いた事がある」程度の作家でした。 こちらで評判が良いので読んでみたところ、ぶっとびました! 言葉をこんなにも操れる人がいるなんて…。 ストーリーももちろん奇想天外なスチュエーションと展開と結末で面白いのですが 登場人物の心情や、砂の中に埋もれた村や家の様子。 平坦で易しい文章ではないのに、とても分かりやすい。 それは文章に臨場感があるからだと思います。 臨場感がありすぎて、自分まで口や体が砂っぽくなって来ます(笑) この作品は映画化されたそうですが、私はあまり観たくありません。 安部公房の作品は、行間から各読者の想像を膨らますというよりも 行間を与えることなくストレートに映像が入ってくる感じがします。 映像よりも映像っぽい文章に映画化は要らないのでは…と思うのです。 あらすじは他の方が書いておられるのでその方を参考になさってください。 私はとにかく文章に注目して読んで欲しいです。 | ||||
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この「砂の女」は映画化もされ、安部公房の作品の中ではもっとも有名(ポピュラー)な小説だろう。 優れた作品はジャンルを越えて「文学」に近づくと私は感じているが、この作品も文学と捉えられている事が多いと思う。 安部公房は海外でも多数翻訳され評価の高い作家だが、日本ではSF小説に分類されることもある。 自分が安部公房を知ったのも、SF関係のレビューからだった。 文学だから小難しいのでは?と敬遠している方がいたら。そんなことは無い大丈夫と教えてあげたい。 すり鉢状の砂底に棲む女の家、昆虫の採集に砂丘を訪れた男は薦められて一晩の宿を取るが、その砂底の家から脱出することが出来なくなってしまう。 来る日も来る日も、砂を掻き出す作業に追われ、砂に埋もれる家で脱出しようとあがきながら暮らす男。 その砂の質感、ざらざらとした細かい砂に侵食される執拗とした描写が実に見事で自身の肌に貼りつく砂を感じさせられながら一気に読了した。 まるでその場に自身がいるかの如き体感をさせてくれる、この筆力があってこそ、の作品だと思う。 難しく考えず、唯の娯楽作品と思って手にとっても十分読書に耐える。読んでみて欲しい本。 | ||||
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「際限なく砂掻きを強いられる世界」とは「現代社会」を比喩的に表現したもので、単純化すれば、「アイデンティティの持てない空虚な現代社会の中に居ながら、なおも人間らしく生きるには、どうすべきか」というような事がテーマの、安部文学の頂点と評価される作品です。おもに、この作品を評価されて安部はノーベル賞候補になったと言えます。レビューを見ていて誤読している方が多いようですが、本当の純文学小説なので、比喩の意味を考えながら読んでみると面白いと思います。なお、より詳しく理解するには「増補 安部公房論」(高野斗志美)などの研究書をお勧めします。「部落」の意味を「村意識」や「部落問題」などと勘違いしないで下さい。また、ドナルド・キーン氏のあとがきは無視して下さい。彼は安部公房を最も誤解した研究者の一人です。 | ||||
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安部公房は大江健三郎氏もカフカやフォークナーと並ぶ世界的作家としてあげているらしく、また国内・海外ともにとても評価が高い作家だったので氏の代表作であり出世作でもあるこの作品を手に取ってみた。今まで日本文学の傑作級の作品をちらほら読んできたが、確かに、安部氏の評価の高い理由が分かったような気がする。解説もドナルド・キーンが書いていて本自体も豪華だと思う。 生徒に希望を語りながら、結局その生徒達の踏み台となっていく憂鬱で欺瞞に溢れた教師の生活から一度離れるため、主人公は休暇を利用し自身の趣味である昆虫採集を目的に砂に埋もれかかった部落に向かう。日が暮れて宿を部落の責任者に頼むと、三十半ばの女が住むすり鉢状に砂に埋もれた家に案内される。最初はもてなされていると感じていたのだが、家が埋もれない様にするための重労働に理不尽にかり出されていると知って男は苦悩し、様々な手段を用いて脱出を試みる…… あらすじはこんな感じ。一見荒唐無稽の様で実際読む前からそう思っていたのだが、解説にもあるとおり、読んでみると常識から外れた展開をしながらも全く気にならずに主人公の一挙一動に気を取られてしまう。ミステリーというか、文学を読んでいてこれほどハラハラさせられたことは無いような気がする。筆者の独特の比喩やシャープな文体で見事に文学性とスリリングな展開の両立が出来ていると思う。 全体的に見ても良くできた小説だと思う。筒井康隆のもっと暗いイメージと言ったら分かりやすいかも。 | ||||
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あらすじは他のレビュアーの方々が既に上手に書かれているので割愛します。 本作で描かれる、部落のあまりにもべったりとした土着体質には、私個人としては生理的な嫌悪感を感じてしまうタイプですが、逆に学校の教師という社会的日常を保障される存在から、そういう特異な部落の環境に貶められた主人公は、人間にとって必要最低限なものだけで生活する彼らの生活環境に、最終的に一片の真理を見出してしまったのでしょう。「今まで脱出出来た人は一人もいない」というのは、裏を返せば、みんな最後は主人公と同じく、精神的な変容を犯され、脱出する意味自体を失くしたからだということなのかもしれません。書かれているエクリチュール自体は極めて平易なのですが、本書の中で安部氏が真に何を言わんとしたのかを捉えようとすると、一読しただけでは把握し切れないものがあります。もしくは筋としての面白さを追求した作品で、観念的な意味はそれほど含まれていないのかもしれません。この曖昧さは、やはり凄くカフカ的…だとは思いますが、この『砂の女』執筆時には、安部氏はまだカフカと遭遇していなかったというのだから驚きです。 読み終えてすぐの時は、あの結末や作品全体の閉塞感にあまり満足しなかったのですが、時間が経つにつれ、妙に良い印象が濃くなっていくタイプの、不思議な作品のひとつです。 余談ですが、この部落の狡い戦略、知り合いの部落の家庭を想い出してしまいました。「自分で金を稼げば、お前は何でも好きなことして暮らしていけば良い」と父に言われ育てられたらしいのですが、やはり実は初めから父は、その田舎の山奥の部落の職人家業を息子になんとしても継がせる気だったらしく、その父と結婚して苦労を味わった母親が、自分の二の舞だけは避けさせたいために、幼少時からこれ以上ないほどのスパルタ教育を施して、有名大学に行かせたのに、やはり息子の深層心理には父の邪念というか怨念というか執念が常にこびり付いていたらしく、脳裡からいつも離れずに、内定を頂いた二社を蹴ってしまったらしいのです。そういう部落の人は、直接的に言葉で「継げ」と言わないまでも、言葉にせずに間接的に闇の奥へ後継者を引き込もうとするらしく、どう足掻いても逃れ得ない世襲が悪循環と存在しているらしいのです。要するに、彼は生まれた瞬間から既に「罠」に掛けられていたのです。長々すいません、この『砂の女』の描写で想起したまでです。身近な知り合いの話です……。 | ||||
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