敦煌



    ※タグの編集はログイン後行えます

    【この小説が収録されている参考書籍】
    オスダメ平均点

    0.00pt (10max) / 0件

    7.00pt (10max) / 1件

    Amazon平均点

    4.52pt ( 5max) / 93件

    みんなの オススメpt
      自由に投票してください!!
    0pt
    サイト内ランク []A
    ミステリ成分 []
      この作品はミステリ?
      自由に投票してください!!

    0.00pt

    0.00pt

    0.00pt

    0.00pt

    ←非ミステリ

    ミステリ→

    ↑現実的

    ↓幻想的

    初公開日(参考)1959年01月
    分類

    長編小説

    閲覧回数1,070回
    お気に入りにされた回数0
    読書済みに登録された回数3

    ■このページのURL

    ■報告関係
    ※気になる点がありましたらお知らせください。

    敦煌(新潮文庫)

    1965年06月30日 敦煌(新潮文庫)

    官吏任用試験に失敗した趙行徳は、開封の町で、全裸の西夏の女が売りに出されているのを救ってやった。その時彼女は趙に一枚の小さな布切れを与えたが、そこに記された異様な形の文字は彼の運命を変えることになる……。西夏との戦いによって敦煌が滅びる時に洞窟に隠された四万巻の経典が、二十世紀になってはじめて陽の目を見たという史実をもとに描く壮大な歴史ロマン。(「BOOK」データベースより)




    書評・レビュー点数毎のグラフです平均点0.00pt

    敦煌の総合評価:9.03/10点レビュー 93件。Aランク


    ■スポンサードリンク


    サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

    現在レビューがありません


    ※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
    未読の方はご注意ください

    No.93:
    (3pt)

    中国風背景の日本小説

    この小説には、支えるための細部描写や世界観の必然的な説明が欠けていると思う。全体的に浮いていて、井上靖が描く「西域」の世界が本当に存在したとは信じられなかった。たとえば、主人公の趙行徳が書道に秀でており、仏教の理解も深いという設定があるが、

    書道の何がどう優れているのか、曹延惠の一言しかなく、仏教理解についても具体的な経典や思想に触れる描写がない。これでも小説として成立はするけれど、優れた作品とは言い難い。

    また、たとえば邸宅の壮麗さや人物の品格を描写する箇所でも

    「邸宅が立派だった」「人物に品があった」と言われても、それだけでは読者は情景を思い描けない。文字で世界を構築しているのだから、もっと具体的な描写が必要だと感じる。

    一番の違和感はここにある:

    舞台は漢代、西域という戦略的に重要な地域。主人公の趙行徳は回鶻(かいこつ)の王女と恋仲になる。二人は「一年後に再会する」と約束を交わすが、行徳はその後、彼女を友人に預け、自身は戦乱に巻き込まれるのを恐れて約束を果たさなかった。

    回鶻の王女は彼を待ち続けたが、やがてあきらめ、西夏の李元昊の側妃となる。ある日、元昊とともに街を騎馬で練り歩く際に行徳が彼女に近づくと、彼女はそれを避けた。そして数日後、行徳への想いを示すため、城楼から身を投げ自殺してしまう。

    ここで、彼女の死の一因は、約束を破った主人公にある。それにもかかわらず、行徳はこう語る:

    「回鶻女子のことを思い出すと、行徳は自らの内に崇高な静けさを感じた。それは、旧知への愛でもなければ、無念の死者への哀れみでもなく、純粋に完璧な存在への賛嘆であった。『すべては因縁である。』行徳は仏教の言葉を使って言った。彼は、朱王礼にはこの因縁という言葉の意味は分からないだろうと考えたが、それ以外にもっと適切な説明は思いつかなかった。」

    この「すべては因縁」という言葉は、男主人公が儒教から仏教へと精神的な重心を移していく象徴のつもりかもしれない。後に「蔵経洞」のエピソードが続くなら、その始まりとしての描写かもしれない。

    でも、それでも私は思ってしまう。「すべては因縁」って、ちょっと綺麗ごとすぎない? そこには、あなた(主人公)が撒いた種の結果という“因果”があるのでは? それを「因縁」とまとめて美化してしまうのはズルい。せめて「これは罪だ」と一言言ってほしい。……まあ、「罪だ」と言われると沈騰の顔が浮かんできちゃうけど(笑)。

    どうしても、彼女の死に対して少しも罪悪感を抱かず、「純粋で完璧な存在への賛嘆」と片付けてしまうのは、ちょっと気持ち悪い。高貴な出自の女性があなたに惚れて身を投げたのに、あなたはただ「美しいものだったなあ」と眺めているだけなんて。

    それに、作者は日本人であることもあって、文化的な違和感を覚えた。まるで日本の物語を古代中国の名前や地名に置き換えただけのようで、「中国歴史小説」とは言えない気がする。中国人ならそんなふうに考えたり行動したりしない。まるで、メリメの『カルメン』を無理やり中国風に改変して、登場人物の名前を林黛玉にして『紅楼夢』の中に押し込んだような感じだ。林黛玉は、そんな言動を絶対にしない。

    この本の人物設定から、物語の背景、世界に存在する一草一木に至るまで、ひとつとして「信じられる」ものがなかった。
    敦煌 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:敦煌 (新潮文庫)より
    4101063044
    No.92:
    (5pt)

    (2025-39冊目) 男たちよりも強く印象に残る女の面影

    .
     西暦1026年、宋の時代。湖南の田舎に暮らす32歳の趙行徳(ちょう・ぎょうとく)は、官吏任用試験を受けるために都・開封(かいほう)に出る。だが、自らの気の緩みから受験に失敗し、都を彷徨い歩くうち、西夏の女が売りに出されているところを救う。女は礼として、見たこともない文字が書かれた布切れを譲って寄越す。その西夏文字に強い興味を持った行徳は、心機一転、西方へ向かうことにする……。
    -----------------
     井上靖が昭和34(1959)年に発表した歴史小説です。清の時代に敦煌の仏教遺跡内で大巻の経典類が発見された史実に基づき、趙行徳という架空の青年を配して、経典埋蔵までの歴史絵巻を描いています。

     わたしがこの小説を読むのはおよそ30年ぶり。手元にある新潮文庫は平成6(1994)年発行の第65刷。今から30年以上前の、まだインターネット普及前夜の時代です。今回読み直して、この小説に改めて深い感銘を受けました。

     趙行徳はエリート官僚を目指した漢民族の青年でありながら、運命のいたずらで夢を断たれ、ひょんなきっかけで異民族・西夏の文字に魅了されます。その文字を読みこなしてみたいと強く願い、西へ西へと歩を進めるその姿は、外国語に魅了された人生を歩んできたわたしの気持ちに大いに添うところがありました。

     行徳の人生は波乱万丈。西夏の漢人外人部隊に取り込まれるという急展開を見せます。そこで出会った外人部隊長・朱王礼(しゅ・おうれい)、そして海千山千の交易商・尉遅光(うつち・こう)という一癖も二癖もある(架空の)登場人物と相まみえながら、興慶(イルガイ)から瓜州(かしゅう)、そして沙州(敦煌)へと西への旅を続けます。その道中で行徳は生きることの意味を自らに問うていきます。

    「行徳の眼には日増しに人間というものが小さく、その営みが無意味なものに映るようになった。そしてその人間の小ささや無意味さに、ある意味を持たせようとする宗教というものが、行徳には興味深く思われた」(98頁)

    「別に生きるとも死ぬとも考えていない。いままで戦に臨んだ時と同じだ。自分にどういう運命がやって来るか判らない。進んで死にたいとは思わないが、格別、生きなければならぬこともない」(182-183頁)

     宋という統一国家があるにはあるものの、多様な異民族が近隣に存在し、干戈を交えることもしばしばの時代です。生きることの難しさ、命の儚さと虚しさを感じるばかりの暮らしにそっと寄り添う仏教という宗教に、心の安寧を得る行徳ら。その気持ちもまた、わたしには十分わかります。

     そしてこの物語でなんとも不思議なほど印象に残るのは、行徳がほんのいっときだけ情を交わした回鶻(ウィグル)の王族の娘です。名を記されることもなく、物語の中盤で静かにあっけなく退場するこの女のことが、行徳の胸のみならず、朱王礼の脳裏からも離れることはありません。

    「回鶻の女のことを思い出す度に、行徳はある安定した静謐感が自分の五体を充たすのを感じた。それはもはや故人に対する愛情でも、悲歎の情でもなく、そうした人間的な感情を濾過した純粋なある完全なものへの讃歎のようなものであった」(107-108頁)

     同時に、読者であるわたし自身も、この小説を閉じる最後の瞬間までこの女の面影を拭うことができなかったのです。

     この女性は時代と政治権力に翻弄された悲劇の存在といえます。思い返せば、井上靖の小説には、こうした苦く哀しい宿命を背負わされた女性が幾度も登場しています。
    『額田女王』の主人公しかり、『蒼き狼』のテムジンの妻ボルテしかり、『風林火山』の由布姫しかり。
     非情とも言える自らの運命に当初こそ抗おうとするものの、時が移りゆくにつれて諦念を受け入れ、やがて歴史の中に埋もれていく女たち。
     わずかな紙幅しか費やされることのなかったこの回鶻人王族の娘の思いが、最も記憶に残る物語でした。
    .
    敦煌 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:敦煌 (新潮文庫)より
    4101063044
    No.91:
    (5pt)

    アイ♥井上靖

    井上靖は小学生の頃からの「推し」であります。
    敦煌の映画版を父に連れられて、今はない田舎の小さな映画館で見ました。大学生で原作を読み、幼い頃のドキドキした気持ちが蘇りました。今回、朱王礼役の西田敏行さんが亡くなり、20数年ぶりに読みました。いま読んでもドキドキします。

    ちなみに、私が好きなのは、ツルピアをめぐる朱と行徳の三角関係(李元昊も入れて4角関係?)。ツルピアが異邦人でいかにもエキゾチックなのもいいですね。栄枯盛衰、群雄割拠の砂漠の国の、長い歴史から見ればまさに邯鄲の夢といった儚い物語と、叶わぬ悲恋のイメージがぴったりなんです。

    あとがきで河上徹太郎が、このロマンスパートを腐してるのを見て(●`ε'●)となりましたが。その怒りもまた、今回思い出しました。
    敦煌 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:敦煌 (新潮文庫)より
    4101063044
    No.90:
    (5pt)

    50年前、鞍馬山のタニウツギを胸に観劇

    天平の甍の舞台を昭和49年に、大阪でみました。その時、司馬遼太郎さんも、観劇され、挨拶されていたことが、忘れられません。そのお昼、わたしは京都の鞍馬神社から、貴船神社にかけて、樹木学実習をしていて、それを修了してから、大阪に駆けつけたのです。六月であり、タニウツギの花を一輪とって、胸をかざして、観劇したことが、おもいだされます。
    新潮日本文学 44 井上靖集 氷壁,天平の甍,敦煌,猟銃,玉碗記,ある偽作家の生涯,姨捨,桜蘭 他Amazon書評・レビュー:新潮日本文学 44 井上靖集 氷壁,天平の甍,敦煌,猟銃,玉碗記,ある偽作家の生涯,姨捨,桜蘭 他より
    4106201445
    No.89:
    (5pt)

    私の人生の1ページでもあります!

    高校の図書室で読んでたことを思い出してしまいます。いまから30年近く前ですね。
    FFの主人公の名前を超行徳にしてプレイした覚えがあります。
    いまの盛り盛りのアニメと比べると淡々としています。ああ、歴史小説ってこうだった。蒼き狼や額田王も読みました。しろばんばも井上靖さんでしたっけ。
    途中で出会った不遜な態度の彼は本来の婚約者なのでしょうか?若い3人の僧の後話もありました。そして超行徳のその後も。
    少しわかりにくいのでついきしました。
    敦煌 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:敦煌 (新潮文庫)より
    4101063044



    その他、Amazon書評・レビューが 93件あります。
    Amazon書評・レビューを見る     


    スポンサードリンク