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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全209件 1~20 1/11ページ
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この本を読んでからよく妄想をするようになった。 家族、家、町、友達、過去好きなった人、それら全てが砂になって消えていくという妄想である。そして最後には世界が空と砂漠と自分だけになって、足の先から徐々に自分までも消していく。その自分が消えていくさまも、じっと目を見張りながら。 | ||||
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謎めいていて面白い。 作者は何を言いたいのか? | ||||
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絶望の淵、そしてその環境の暗さや匂いまで漂うような臨場感 人間の卑しさが苦しくてたまらない 読み手にそこまで感じさせるほど圧倒的な小説でした | ||||
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1962年刊。短篇「チチンデラ ヤパナ」をもとにした書き下ろし長篇。男の失踪というその導入部から一気に引き込まれる。ムダのない叙述と描写、理路整然とした説明、しかも比喩という比喩がぴたりと文脈にはまる。不条理なシチュエーションなのに、圧倒的なリアリティ。「巧い」のひと言に尽きる。 砂丘、昆虫採集、ハンミョウ、そして砂粒。道具立てが絶妙だ。セクシュアルな場面も逃走劇もある。裸そのものよりも、砂に覆われた裸のほうがはるかにエロティック――フォトグラファー安部公房がそこにも顔を出す。 作品の着想を得たのは酒田の砂丘だという。酒田がフォトグラファー土門拳の故郷というのもなんかの因縁か。 | ||||
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状態でした | ||||
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今年は安部公房の生誕100年ということらしい。各誌でいろいろな特集がとりあげられ、演劇活動を含むこの作家の多彩な才能が紹介されている。ということで「箱男」にするか「他人の顔」にするか晩年の「箱舟さくら丸」にするかと考えた挙句やはり映画にもなった本著「砂の女」を再読することになった。 はじめてこの本を手にしたときは衝撃だった。何かの対談だった気もするが安部は手段と目的ということについてことさら興味深い話をしていたのを覚えている。 物語は砂地にすむ昆虫の採集を目的とする男が沿岸の小さな村の砂掻き人夫として捕らえられ砂と格闘する話といえばそれまでだが、まぎれもなく現在が抱えた複雑な問題を照らし出すきわめて寓意にとんだ構造となっている。村を侵蝕する砂の流動を食い止める砂掻きという労働それは目的なのか手段なのか。冒頭、安部公房は次のようにいっている。 「鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追及してみたのがこの作品」と。 砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。しかし、薄い板壁一枚へだてた向うでは、相も変らず、砂掻きをつづける女の動作がつづいていた。あんな女の細腕で、いったい何が出来るというのだろう。まるで、水をかきわけて、家を建てようとするようなものじゃないか。水の上には、水の性質にしたがって、船をうかべるべきなのだ。(p39) 捕らわれの身となった男はこんなことがあっていいものかと訴えるように自問する。 だが、それにしても、ありえないことだ。あまりにも常軌を逸した出来事だ。ちゃんとした戸籍をもち、職業につき、税金もおさめていれば、医療保険証も持っている、一人前の人間を、まるで鼠か昆虫みたいに、わなにかけて捕らえるなどということが、許されていいものだろうか。(p47) 理不尽な恐怖と不安の中で幾度となく脱出を試みるのだが簡単にはいかない。なるほど導入部の掴みといい最後の括りといいサスペンスに充ち満ちた絶妙の描写が印象的である。 八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出かけたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄に終わった。(p3) とはじまり、最後はこうなっている。 失踪に関する届出の催告 不在者 仁木順平 生年月日昭和二年三月七日 右の不在者に対し 仁木しの から失踪申告の申立があったから、不在者は昭和三十七年九月二十一日までに当裁判所に生存の届出をされたい。届出のない場合は失踪宣告を受けることになります。また不在者の生死を知っている者は、右期日までにその旨当裁判所に届け出て下さい。 昭和三十七年二月十八日 家庭裁判所(p217) となっていて、家庭裁判所の審判をもっておわっているのだ。 村を守るための砂掻きという労働、誰でも防砂林でもつくればと考えるだろう。それでも女はこれが一番いいのだという。男はもがき苦しみながらも手段と目的、自由とはどういうことか、存在とはと考えつづけるのだった。 物語は終盤になって思いがけない展開をむかえる。脱出に成功したかと思われた男はアリ地獄のような砂の沼にはまり村の男らに助けられふたたび女の家に連れ戻されるのだが、男は砂穴の暮らしに一つの「希望」をみつける。砂の毛管現象による溜水装置の発明だった。 やがて女は妊娠し砂穴の家から町の病院へ運ばれる、半年ぶりに降ろされた縄梯子を伝って男は外へ出て深呼吸する。 穴の底で、何かが動いた。自分の影だった。影のすぐ上に、溜水装置があり、木枠が一本、外れていた。女を運び出すときに、誤って踏みつけられたのだろう。あわてて、修繕のために、引き返す。水は、計算で予定されていたとおり、四の目盛りまで溜っていた。 ・・・略)別にあわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書き込める余白になって空いている。(p216) 男はどのような自由を手に入れたのだろうか、読後にのこされた奇妙な感覚この問いかけは何を意味するのだろう。 さすがに安部公房、やっぱり安部公房だなおもしろい。 | ||||
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もう40年以上前から読んで何度も読み返す作品です。2021年にコロナにかかって、隔離の期間がありました。軽症というかほとんど症状がないのに、公権力によって、外出が禁じられ家の外に一歩もで出られない状況が続きました。隔離の終わるもう何日も前から4日後に出られる、明後日には出られる、明日には出られるとなって、指折り数えて当日を迎えました。ところが、もう出てもいいとなった時に、不思議と出たいと思う気持ちが薄れ、いつだって出ようと思えば出られる、と思い、半日以上家に留まっていたのでした。作品の主人公のラストと見事に重なり、環境にすぐ順応してしまう人間の柔軟性と硬直性を感じざるを得ませんでした。 | ||||
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楽しみにしてたのですが、カバーがボロボロで破れたり潰れてる本が届きました。 悲しい。 | ||||
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寓意にあふれた作品で、読者はストーリーを遂うのと同時並行的に「なぞ解き」が迫られる中編である。 (初めて拝読したが、途中で何度も映画の「岸田今日子」の、のっぺりとした顔が脳裏に浮かんでくるのは、如何ともしがたい。。。) 砂の穴の中でも、外の世界でも「同じ状況、大した差はない」のではないか・・・砂の穴に「居ついてしまう男」 の心理は、人間の生の哀しい、否、たくましい性(さが)なのかもしれないと、ふと思わせる面白さ。 安部公房の奇をてらったかの如き構成が、「理に落ち過ぎず、ギリギリのところで小説の体を保った稀有な作品」と評し得よう。 | ||||
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「砂の女」は、寓意にあふれた作品で、読者はストーリーを遂うのと同時並行的に「なぞ解き」が迫られる中編である。 (初めて拝読したが、途中で何度も映画の「岸田今日子」ののっぺりした顔が脳裏に浮かんでくるのは、如何ともしがたい。。。) 砂の穴の中でも、外の世界でも「大した差はない」のではないか、砂の穴に「居ついてしまう男」 の心理は、人間の生の哀しい、否、たくましい性(さが)なのかもしれないと、ふと思わせる面白さ。 安部公房の奇をてらったかの如き構成が、「理に落ち過ぎず、ギリギリのところで小説の体を保った稀有な作品」と評し得よう。 | ||||
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深く理解しようとすれば勉強が必要でまたその分学ぶ事の多い作品ですが、物語としても大変面白く、一読の価値がある作品です。 | ||||
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名前が有名なので購入しました。不本意な異動をした経験がある人はかなり共感できると思います。自分はこんなところにいるべきではない、こんなところ、すぐにでていきたいと思って、環境に馴染まないように努力していたけど、結局その環境に馴染んでしまうことというのはよくあることのように思われます。 この物語では、砂だらけの村からの脱出を試みる男性が主人公ですが、彼だって、もともといた世界で生き甲斐を感じていたわけでもありませんでした。来るべくして、この砂の村にやってきた。 人生はそんなものなのかもしれないと気づかされ、ぞっとしてしまう話でした。 | ||||
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作品の内容ではありません。 新品を購入したにもかかわらず、表紙が汚れていました。 梱包はこの単行本一冊でしたから、この汚れは何処でついたものなのか? 元々なのか、作業員の手袋、カート等・・・清潔にして欲しいです。 | ||||
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保存状態にそこまで期待はしていなかったが表紙や、日焼けが余りにも酷かったので。 返金処理をしたとの連絡もあったが一向に返ってくる気配もないのでレビューしました。 皆さんも注意してください | ||||
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安部公房(1924~1993年)は、東京生まれ、満州育ち、東大医学部卒の小説家。『壁‐S・カルマ氏の犯罪』で芥川賞(1951年)受賞。そのほか、谷崎潤一郎賞、芸術選奨等を受賞。作品は海外でも評価が高く、世界30数ヶ国で翻訳され、晩年はノーベル文学賞の有力候補と目された。 本作品は1962年に発表され、読売文学賞を受賞。安部の代表的作品であると同時に、現代日本文学の最高傑作の一つと見做されている。英語、ロシア語、チェコ語、フィンランド語、デンマーク語ほか20余言語に翻訳され、フランスでは最優秀外国文学賞(1967年)を受賞した。 内容は、海辺の砂丘に昆虫採集にやってきた教師の男が、飛砂の被害に苦しめられている部落に迷い込み、女が住んでいるアリ地獄のような砂の穴の底にある家に閉じ込められ、様々な手段で脱出を試みるが失敗を繰り返し、遂にはその生活に順応して、脱出できる機会が訪れたにもかかわらず、逃げなくなってしまったというものである。 私は、あらすじは知っていたが、今般新古書店で偶々目にし、入手して通読してみた。 読了直後の印象としては、極めて重苦しく、不気味ですらある作品である。執筆のきっかけとなった、飛砂の被害に苦しむ海辺の村は実在したというが、舞台は、有りそうで無さそうな、無さそうで有りそうな設定で、また、女の挙動に何とも言えない不可思議さが漂っている。 話の中で、男は、自由を得るために砂の世界から外の世界への脱出を求めるのだが、振り返ってみれば、砂の世界に入る前に男が生きていた外の世界は、自由と言えるようなものではなかった。(だからこそ、昆虫採集などでそこからの逃避を図ったのだ) また、男は、人生の目的・生き甲斐のために脱出しようとするのだが、男の力を必要としているのは、実は、外の世界ではなく、砂の世界に住む女であり、男を閉じ込めた部落なのだ。 つまり、我々は、自由や人生の目的・生き甲斐がどこか遠くにあると思いがちだが、実は、それらは目の前にあるのかも知れないのである。。。 サスペンス・タッチの展開で一気に読ませる点も優れている作品である。(ただ、テンションが下がっているときに読むのはあまりお奨めしない) (2023年2月了) | ||||
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「もうここまで来たしな~、やめるのも面倒くさいな」 「一度始めたら、やりきらないと気がすまない」 「これしか出来ることないもんな、仕方ない」 変化を起こすには、どこかで妥協し、思い切り、「妖怪メンドクサ」を振り切ることが必要です。でも、そうはいってもですよ、私たちの「後回し癖」ってあまりにも快適すぎて、厄介ですよね~。考えることすら後回しにしちゃっても、その時その時を乗り切ることは出来ますから。 口では威勢よく変化や改革を求めておきながら、どこかで現状に甘んじている自分がいる。そんな口達者が世の中にはごまんといます。この本を読んでそのことを実感したとしても、明日からの自分が変わることは想定していない。もしかしたら、「自分はそんなことはないけどな」とか現実逃避なんかしちゃってる人もいるかもしれない。直後には「感動した!」「感銘を受けた!」と言っていても、次の日になったら昨日の勢いはどこへやら、今日食べるごはんのこととか、ストレスフルな職場のこととか、そんなことで頭がいっぱいです。 そう考えるとゾッとしてしまいますね。その場その場をやり過ごせることをプラスと捉えるのではなく、人生の汚点を積み上げていると捉えるのがいいかもしれないです。ポジティブな「意識高い系」の考えより、損失回避の方がモチベーションが強制的に湧いてくるような気もします。 | ||||
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表現の豊富さ、巧さ、正確さに感じ入る。骨格のしっかりした作品だ。 物語としてしっかり構成されているが、抽象画を観ているような感覚を覚える。 「砂」とは何なのか? 私は「閉塞状況」と解釈して、そこに順応して生きている者と、抗いながらも次第に順応していく者と捉え、現代の日本を象徴する物語として読んだが、幾重にも意味がありそうだ。 何度も読み返してみたい。。 | ||||
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灰色の日常、理不尽な砂の中での暮らし。いずれも、昆虫採集、蒸留装置というささやかな楽しみが男の救いとなっている。人間が置かれた環境に順応してしまう生物であることを、肯定的に読むことも、否定的に読むこともできる。 少数を切り捨てる行政、掻き出した砂を違法販売する部落、捉えられた男、砂の女。加害者と被害者、強者と弱者が入れ替わる構造が面白い。最後の失踪宣告は、男からするとそれまで生きてきた社会に対する決別の意思表示。 読み手次第で様々な読み方、感じ方ができる名作。 | ||||
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人間は、結局このお話の主人公と同じように、砂の中に暮らしているようなものかもしれない。そして、そんな砂の中でも、何か1つでもいいから熱中できるもの、自分が集中して取り組めるものがあるとそれだけで人生をそれなりに楽しく生きていくことができるものなのかもしれない、と感じた。少し時間をおいてから、再読してみたいと思う。 | ||||
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NHK「100分de名著」に取り上げられて凄く面白かったので、トライしました。 実は本書を読む前に映画も鑑賞してしまい、それから詳しく解説されたNHKテキストも読んでしまいました。 これは本当に失敗したと後悔しています。 かといって、番組を見なければ、この本を知ることは出来なかったろうし、予備知識なしで本書を読んだ人が羨ましいです。 映画は著者が脚本を担当している上、素晴らしい出来栄えです。 DVDのレビューの中に「原作で全く想像できなかったものを映像化され、びっくりした」というのがありましたが、私は映画を見てから原作を読んだので、文章が映画で作り出された描写どおりで、ある意味、小説を楽しむ想像力を失ってしまいました。 昆虫採集で自分の名前を歴史に残そうとしている教師が、砂丘の中の部落の一軒家に監禁され、そこに住む女と共同生活を送るのですが、こうして書いていくと、あんまり面白そうな話ではありません。 でも今回番組をご覧になられた方の多くは、私も含めて、この作品の魅力に惹き込まれたに違いありません。 番組内のヤマザキマリさんは素晴らしいガイド役をしていたと思います。 私は小説を先に読んでいたら作品の意図が掴めなかったかもしれません。 現実から目を背けて生きていた男が、砂の中の家に閉じ込められ、細々理屈めいたことを語りだすのですが、ストーリー展開が遅い上、一読しただけでは理解しづらい心理描写が多いので、ちょっとウンザリしてしまうんです。 ところが、言葉数の少ない女のちょっとした描写やセリフで、男の言い分をとことん覆してしまうんです。 そこがこの本のユーモアではないでしょうか。 あれだけ理屈で塗り固められていた男が女に欲情を示すと、女がしわがれ声で、 「でも、都会の女の人は、みんなきれいなんでしょう?」 これまた映画では岸田今日子さんがルックスも含めて完璧に演じていたので、本を読んでて、彼女のイメージが全くブレないんです。 この男と女の交流は戦争をイメージさせるものもあるようです。 自分の思い通りにいかない男は、女を腕力でねじ伏せようとしたり、はたまた飲み水を得るために女と労働を共にしたりします。 単なる脱獄ものと違うところは、この男の生きる価値が場所に拘らず、漠然とした昆虫採集から貯水装置を発明することで最終的な目的が大きく変わっていくところです。 これは誰もが想像できなかった結末だったのはないでしょうか? この小説の主人公は砂の中で生きがいを持っていた女から最終的に男へと変化していきます。 子宮外妊娠を診断された女が半ば強引に砂の家を追い出され、一方、逃げ道が開かれたにも関わらず、そこに生きがいを見つけ、留まることを決意する男に、残酷さと皮肉めいたものを感じました。 生きるというのは場所ではなく、目的が大切なんだということを見せつけられたような気がしました。 それはひたすら当てもなく砂をかくことで喜びを得る人もいれば、新しい発見をすることで承認欲求を得て、喜びを得ようとする、私もこの男のように、今やっている仕事から「新しい何か」を発見することで、生きる糧を見つけていきたいと思いました。 | ||||
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