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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全220件 1~20 1/11ページ
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失踪をモチーフにした純文学は戦後以降、世界中で流行ったかもしれない。そういう空気感、孤独、自己憐憫、自己喪失、身の回りへの抗議。とはいえ戦後経済の豊かさを享受しての自己矛盾・欺瞞にも苛まれている。「砂の女」はそういう本だ。 ゴダールの映画がその後の映像制作関係者向けのネタ集となったように、安部公房の不条理ネタ作品も次世代に受け継がれている。ネタ集であると感じる。これは前衛作家であった安部公房の宿命的な立ち位置か。とはいえ、最近の作家はもっとスマートーに現代風アレンジして同じことをやっている。それを確かめたり、それでも安部公房が一枚上手だと唸る表現を発見したり。 今、30年ぶりに再読して今でも素晴らしい洞察的な比喩表現、陳腐化または意味不明な比喩表現は半々だ。まるで文芸表現の技術展覧会のようだ。ただし、主人公の感傷的でネチネチした語り口は今の時代にフィットしないだろう。そこは割引いて読むべきだ。文学史的な通過点として読む分にはヒントもたくさんある。そういう目線で読むと非常に楽しめる。 例によってか、安部公房作品は大抵救いのあるような無いような曖昧な形で物語を締めくくる。美しい破綻。永遠の未完。言い表せない不安。 因みにこれはいまだに現在の純文学でもよくある締めくくり手法だ。まるで純文学とはそういうものだというように。ひょっとして安部公房作品がその手法の免罪符になっているのかも?とかおもう。 「砂の女」は不条理文学の「肥やし」としては世界的傑作だと読み返しておもったし、時代風化のアレコレも感じる。それ故か、永遠の未完の安部公房はノーベル文学賞受賞を逃した。むしろそれは、安部公房らしさ故だろう。ひねくれ者には今でも読む価値が十分あるが、拒否感を感じる人の気持ちもよく分かるから、星ひとつ。 | ||||
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ブラック企業や日本の体制に取り込まれると自由が利かなくなり『日本沈没』までは 至らなくても人柱状態のようにされてモルモットレースの如く両輪を回して馬車場の如く 働かなくてはならなくなり蟻地獄の様な移民国家で日本の寓意とも捉えられるなぁ~と 思った。昔から海を渡ってきて土着して混合していき、時代の変節に於いて渡来人が渡って きては重宝がられ!?土着して混合しての繰り返しです。ポストモダン化するポール・ヴィリリオ の提唱したことが現実化している社会では、移民の移入の流れが速くなりましたが、この日本 の蟻地獄性(特に新参者)は普遍的で騙された、こんな筈ではと沼落ちする方も少なくないのでは と穿った見方であるが思った。またあらゆるものが日本語化されて日本化されて取り込まれていく ダイナミクスがある過程とも読める気がした。常に新陳代謝を繰り返さなければならない宿命なのか、 常に取り込まなければならないのか。魅力的なトーキョーという装置も大きな蟻地獄の側面もあるの かもしれない。 | ||||
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アイデアはいいが状況設定がゴテゴテしすぎ、人物に味がない、比喩がどれもピンぼけ。通俗素人向け名作ではありえても、文学としては二流三流。 | ||||
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出版時から相当年数経過の本ですのでそれなりに日焼けシミなどあり。 | ||||
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やはり、安部公房は天才だ。このような発想自体が、なかなか凡人には出てこない。ちょっと、SFっぽい話に最初は読めたが、よく考えてみると、自分事にも思えてきた。つまり、人生は自分の思うようには行かない。世界を変えることはできないが、自分の内面は変えられる。それは妥協ではない。この小説のラストを読んで、そのような結論に至った。いつの時代でも、多くの方に読み継がれて欲しい傑作である。 | ||||
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傑作です 阿部公房の本で一番読みやすい 映画の岸田今日子と、小説の女は、あまりにもイメージとピッタリで驚きました | ||||
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おそろしく短い言葉の中で空間を指定し状況と心理を組み立てる。 無駄が無く、かと言って味気ない訳では無い。 山場が思いがけない配置でされていて映像化を するにはどうしようかと思わせられる。 | ||||
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18歳の時読んで感動した。 自分も「ホテルカリフォルニア」の歌詞のように囚われたらどうしよう。 今年2024年は安部工房生誕100周年。 神奈川近代文学館で展覧会があった。 初めて生原稿をみて、再度「砂の女」を読みたくなりました。 文学仲間のあだなが「あべこべ」とか。 | ||||
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さすがに文体がちょっと古くさく感じますが、心理的に追い詰められていく様子は雰囲気があってよいです | ||||
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人に強く勧められて読みました。 話に込められた比喩にはなるほど現実の社会ってそういうものだな、人間は誰しも…などと考えさせられる部分も多かったですが、主人公の心の中の呟きなどがくどすぎて少し読むのが嫌になりました。勧められたからサッと読もうとしたせいだとは思いますが。正直半分のページ数で同じことを描いた方がこちらの気持ちにもスッと入ってきただろうなと思いました。 | ||||
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読んでいて引き込まれました。転回がおもしろく読み終えました | ||||
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この本を読んでからよく妄想をするようになった。 家族、家、町、友達、過去好きなった人、それら全てが砂になって消えていくという妄想である。そして最後には世界が空と砂漠と自分だけになって、足の先から徐々に自分までも消していく。その自分が消えていくさまも、じっと目を見張りながら。 | ||||
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謎めいていて面白い。 作者は何を言いたいのか? | ||||
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絶望の淵、そしてその環境の暗さや匂いまで漂うような臨場感 人間の卑しさが苦しくてたまらない 読み手にそこまで感じさせるほど圧倒的な小説でした | ||||
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1962年刊。短篇「チチンデラ ヤパナ」をもとにした書き下ろし長篇。男の失踪というその導入部から一気に引き込まれる。ムダのない叙述と描写、理路整然とした説明、しかも比喩という比喩がぴたりと文脈にはまる。不条理なシチュエーションなのに、圧倒的なリアリティ。「巧い」のひと言に尽きる。 砂丘、昆虫採集、ハンミョウ、そして砂粒。道具立てが絶妙だ。セクシュアルな場面も逃走劇もある。裸そのものよりも、砂に覆われた裸のほうがはるかにエロティック――フォトグラファー安部公房がそこにも顔を出す。 作品の着想を得たのは酒田の砂丘だという。酒田がフォトグラファー土門拳の故郷というのもなんかの因縁か。 | ||||
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状態でした | ||||
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今年は安部公房の生誕100年ということらしい。各誌でいろいろな特集がとりあげられ、演劇活動を含むこの作家の多彩な才能が紹介されている。ということで「箱男」にするか「他人の顔」にするか晩年の「箱舟さくら丸」にするかと考えた挙句やはり映画にもなった本著「砂の女」を再読することになった。 はじめてこの本を手にしたときは衝撃だった。何かの対談だった気もするが安部は手段と目的ということについてことさら興味深い話をしていたのを覚えている。 物語は砂地にすむ昆虫の採集を目的とする男が沿岸の小さな村の砂掻き人夫として捕らえられ砂と格闘する話といえばそれまでだが、まぎれもなく現在が抱えた複雑な問題を照らし出すきわめて寓意にとんだ構造となっている。村を侵蝕する砂の流動を食い止める砂掻きという労働それは目的なのか手段なのか。冒頭、安部公房は次のようにいっている。 「鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追及してみたのがこの作品」と。 砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。しかし、薄い板壁一枚へだてた向うでは、相も変らず、砂掻きをつづける女の動作がつづいていた。あんな女の細腕で、いったい何が出来るというのだろう。まるで、水をかきわけて、家を建てようとするようなものじゃないか。水の上には、水の性質にしたがって、船をうかべるべきなのだ。(p39) 捕らわれの身となった男はこんなことがあっていいものかと訴えるように自問する。 だが、それにしても、ありえないことだ。あまりにも常軌を逸した出来事だ。ちゃんとした戸籍をもち、職業につき、税金もおさめていれば、医療保険証も持っている、一人前の人間を、まるで鼠か昆虫みたいに、わなにかけて捕らえるなどということが、許されていいものだろうか。(p47) 理不尽な恐怖と不安の中で幾度となく脱出を試みるのだが簡単にはいかない。なるほど導入部の掴みといい最後の括りといいサスペンスに充ち満ちた絶妙の描写が印象的である。 八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出かけたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄に終わった。(p3) とはじまり、最後はこうなっている。 失踪に関する届出の催告 不在者 仁木順平 生年月日昭和二年三月七日 右の不在者に対し 仁木しの から失踪申告の申立があったから、不在者は昭和三十七年九月二十一日までに当裁判所に生存の届出をされたい。届出のない場合は失踪宣告を受けることになります。また不在者の生死を知っている者は、右期日までにその旨当裁判所に届け出て下さい。 昭和三十七年二月十八日 家庭裁判所(p217) となっていて、家庭裁判所の審判をもっておわっているのだ。 村を守るための砂掻きという労働、誰でも防砂林でもつくればと考えるだろう。それでも女はこれが一番いいのだという。男はもがき苦しみながらも手段と目的、自由とはどういうことか、存在とはと考えつづけるのだった。 物語は終盤になって思いがけない展開をむかえる。脱出に成功したかと思われた男はアリ地獄のような砂の沼にはまり村の男らに助けられふたたび女の家に連れ戻されるのだが、男は砂穴の暮らしに一つの「希望」をみつける。砂の毛管現象による溜水装置の発明だった。 やがて女は妊娠し砂穴の家から町の病院へ運ばれる、半年ぶりに降ろされた縄梯子を伝って男は外へ出て深呼吸する。 穴の底で、何かが動いた。自分の影だった。影のすぐ上に、溜水装置があり、木枠が一本、外れていた。女を運び出すときに、誤って踏みつけられたのだろう。あわてて、修繕のために、引き返す。水は、計算で予定されていたとおり、四の目盛りまで溜っていた。 ・・・略)別にあわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書き込める余白になって空いている。(p216) 男はどのような自由を手に入れたのだろうか、読後にのこされた奇妙な感覚この問いかけは何を意味するのだろう。 さすがに安部公房、やっぱり安部公房だなおもしろい。 | ||||
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もう40年以上前から読んで何度も読み返す作品です。2021年にコロナにかかって、隔離の期間がありました。軽症というかほとんど症状がないのに、公権力によって、外出が禁じられ家の外に一歩もで出られない状況が続きました。隔離の終わるもう何日も前から4日後に出られる、明後日には出られる、明日には出られるとなって、指折り数えて当日を迎えました。ところが、もう出てもいいとなった時に、不思議と出たいと思う気持ちが薄れ、いつだって出ようと思えば出られる、と思い、半日以上家に留まっていたのでした。作品の主人公のラストと見事に重なり、環境にすぐ順応してしまう人間の柔軟性と硬直性を感じざるを得ませんでした。 | ||||
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楽しみにしてたのですが、カバーがボロボロで破れたり潰れてる本が届きました。 悲しい。 | ||||
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寓意にあふれた作品で、読者はストーリーを遂うのと同時並行的に「なぞ解き」が迫られる中編である。 (初めて拝読したが、途中で何度も映画の「岸田今日子」の、のっぺりとした顔が脳裏に浮かんでくるのは、如何ともしがたい。。。) 砂の穴の中でも、外の世界でも「同じ状況、大した差はない」のではないか・・・砂の穴に「居ついてしまう男」 の心理は、人間の生の哀しい、否、たくましい性(さが)なのかもしれないと、ふと思わせる面白さ。 安部公房の奇をてらったかの如き構成が、「理に落ち過ぎず、ギリギリのところで小説の体を保った稀有な作品」と評し得よう。 | ||||
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