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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全226件 121~140 7/12ページ
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| 安部公房さんの著作。 1962年(昭和37年)に出版された小説。 独特の世界観に引きこまれていく感じがした。 男(仁木順平)は昆虫採集の途中で砂の穴の家に 罠のごとく閉じ込められる・・ 女との共同生活をしつつも脱出を図る。 一度脱出しかけるが・・連れ戻される。 男の・・人間の変化が上手く表現されている作品であると思う。 女との関係、水の発見、溜水装置、穴での生活が充実するにつれ 無理やりに脱出しようとしなくなる男。 まさに罰がなければ、逃げる楽しみもない。 ドナルド・キーンさんの解説も良い。 芥川龍之介の羅生門のように耐えず隠れている意味を熟考する必要などはないのも 読みやすい。 | ||||
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| 自虐的だけれど、自尊心が肥大化しているような、ある ”男” の物語。 妻や同僚を誑かそうとしたのか、はたまた人生を悲観視して逃げ出したのか、、 男は昆虫採集を表向きの理由として、都市から離れた砂地の部落に迷い込み、 部落の都合により、”女” が住み着く ”砂穴” で軟禁状態となります。 男は、部落や諦観した女を嫌悪して、どうにか砂穴から抜け出せないか画策しますが、 砂穴から逃げる事、脱出方法への考察、砂穴でより良い水を得る研究へと、目的が変質していきます。 人の思考がバラバラになり、目的、優先度、欲求も、どんどん変わります。 この辺りは、狂人への過程のようで、嫌悪感もあるし、非常に恐怖です。 ただし、元の生活を送っていた ”男” にとっては、 教師生活、”あいつ”からは愛想をつかされている結婚生活は、 閉ざされた穴のような世界であったようです。 結局は、その穴から、別の砂穴に移っただけで、苦しみが永遠に続く物語だとも思います。 ”男” は、自分自身からは、どうやっても逃げ出す事は出来ません。 自分自身がひとつの大きな砂穴であり、一生その穴からは逃げる事は出来ないんだろうな、と、 不気味で目を背らせたくなる小説でした。 | ||||
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| 当原作を読んだ後、当原作の映画版dvdも鑑賞した。岸田今日子が家内を演じる砂に埋もれた周辺が砂の家で砂が混じったご飯を旦那が食べ岸田今日子が不満な主婦らしく小言を言ったりし、旦那が砂の壁を這い上がってその砂の家屋から逃れようとするが逃れられない、以前xjapanのhideがpinkspiderという曲を発表後警察発表では自殺だったが不審な死の事件があったが… | ||||
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| 何度読んでも面白い作品ですが、子供の読書感想文向け、ではないのかも知れません。 | ||||
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| 安部公房「砂の女」を読了。砂の中での生活。主人公は地上に出たいが、砂の中での生活を選んだのだのだろうか。砂の中でも地上でもどちらでも生きていることには変わりが無い。砂の外で自由な生活を送るか、砂の中で集落の存続のために働き、その報酬として生活の糧を支給されるのか。どちらを選んでも生きていることには変わりが無い。資本主義社会と社会主義社会の対比にも思える。どちらを選んでも人間は生きるしかないのであろうか。生きることだけが真の目的なのか。作者は完全なる虚構の世界から読者に問いかける。 | ||||
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| 面白い比喩が多く外国文学を読んでいるようだが、そのことが著者の弾むような日本語の美しさを際立たせている。多用される・・・からもわかるが、著者は日本語の音の部分に非常に重きを置いていたのではと思う。 この小説は何カ国語にも翻訳されているようだが、日本語で読めたことは幸せだと感じた。 | ||||
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| あらすじや結末を知った後でも読む価値が十分にある本だと思います。 砂の穴の中での生活の描写は、恐怖と熱がそのまま伝わってくるほどリアルで、ただ「苦しい」や「はらはらする」では表現できない気持ちで読めます。主人公である男の感情は多くの言葉で書かれていますが、その奥にある変化は書かれていません。書かれていないそれに、深く考えさせられます。 どんな本?と聞かれてストーリーを説明するのはとても簡単です。シンプルで恐ろしく、強く響く本です。 | ||||
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| 昆虫採集のため砂丘へ出かけた男が、 一人の女が住んでいる砂穴の底にある家に、閉じ込められる。 男は何度も脱出を試みるが、部落の人の妨害もあり、 いずれも失敗する。 ある時女は、男の子どもを妊娠する。 女を病院に行かせるため、部落の人は砂穴に縄ばしごをかける。 そのはしごを使って女が病院に行った後も はしごは置かれたままになる。 けれども、男ははしごを使って逃げようとはしなかった。 独創的な設定に対して、リアリティを感じさせるように 描かれている描写力は素晴らしい。 しかし、男はなぜ砂穴の底の家にとどまることにしたのか。 そこに関して殆ど述べていないので、★★★とした。 解説者(ドナルド・キーン)は “罰がなければ、逃げるたのしみもない” という題辞の通りだろうと述べている。 私は、砂穴の底の家に日々たまる砂のかき出しという単純作業をすれば 部落の人から食べ物や酒が提供され続けるという ある種の安定した生活が男に充足感を与えたためではないか、と推測する。 いずれにしても作者なりの見解を示して欲しかった。 | ||||
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| 繰り返す日常に飽き、疲れ、意味も無く苛立ち、そこからほんの少しずれてしまいたいという気持ちは 誰にでもあることではないでしょうか。 この本は、そんな日常から、好きな昆虫採集を行うために少し逃避をしようと旅行をした男が、 知らず知らずに砂に囲まれた奇妙な部落の罠にかかり、抜け出せなくなってしまうというお話です。 まるでその情景を見ているような徹底的なリアリズムで、 砂の穴の中で生活を行う男女の労働、人間模様、そして性交、その苦痛やひそやかな楽しみを、 緻密な描写で描き出しています。 こんな砂だらけの、砂かきをしないと10日もせずに崩れて消えてしまう部落など現実にあるはずがないのに、 あまりに描写が緻密で危機迫っているために、非現実だと冷めた目線で見る事が出来ず、 ぐいぐいっと小説の世界に引き込まれ、罠に陥れられた男と一緒になって、 手に汗握るような気持ちで穴からの逃亡を切望してしまいます。 砂という素材が、湿ったり、塩けを含んだり、氷と混じったり、からからに乾いたり、さまざまに変化をして、 小説の中で重要なエッセンスの役割を果たしています。 砂の穴の中の小さな家で、特筆すべきことは何も起こらず、モチーフも少なく、登場人物も少人数なのに、 次々と展開が変わり刺激の多い小説よりも、ずっと深みがあり、心を奪われる面白い小説です。 思わず砂の家や砂の質感を想像し、頭の中で映像にしたくなります。頭の中で物語の続きを考えたくなってしまう。 根源的な、じりじりとひりつくような性欲やのどの渇きと、絶えず考察する冷静な理性。 そういうものがねっとりと描写されていく中で、さらさらと変わらず、絶えず流動し続ける砂、砂、砂・・・ 繰り返す日常の中に求めた非日常、そしてその先にまた続いていた、茫々とした日常・・・ 小さな構図に、一人の男の人生が描かれ、それに非常な興味を惹かれて、何度読んでも飽きない傑作です。 | ||||
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| 10年ほど前に読んだが、今でもはっきり内容、文体を覚えている、それくらい強烈な印象を受けた。 一読すると、設定が余りに非現実的で、且つ、暗く、絶望を感じるが、 『読者の住む世界も、所詮砂の家のようなもの、その日々の何気ない生活のなかで 現実を直視し、逃げずに人生を全うせよ。』というむしろ前向きなメッセージを感じた。 | ||||
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| 私は、よく夢を見る。と言っても、将来、実現させたい「夢」ではなく、睡眠中に現れる「夢」である。私の夢にはいくつかのパターンがあるが、一番多いのは、どこか知らない土地に行ったのはいいが帰り方が分からず、いろいろ試みるがどうにもならず途方に暮れるというものである。何らかの解決法を思いつけばいいのに、夢の中の私は全く以て無力・無策なのだから、嫌になってしまう。 初めて『砂の女』(安部公房著、新潮文庫)を読んだ時、この私の夢と同じような感覚を覚えた。主人公の「男」が置かれた境遇と行動が、夢の中の私のそれとあまりにも似ていたからである。 砂丘に新種の昆虫を探しに出かけた男が、蟻地獄の巣のような砂穴の底に埋もれそうな一軒家に閉じ込められてしまう。あらゆる方法で脱出を試みる男。その家が埋もれてしまわないように、常に砂を穴の外に掻き出す人手として、男を穴の中に引きとめておこうと必死な女。そして、穴の上から男の逃亡を監視・妨害する部落の者たち。 男が脱出しようとして、砂の底なし沼にはまり込んだ場面――「夢も、絶望も、恥も、外聞も、その砂に埋もれて、消えてしまった」。脱走に失敗して、再び穴の中に連れ戻された男が女と再会する場面――「夜明けの色の悲しみが、こみ上げてくる・・・互いに傷口を舐め合うのもいいだろう。しかし、永久になおらない傷を、永久に舐めあっていたら、しまいに舌が磨滅してしまいはしないだろうか?」。男が、まだ脱出を諦めていない場面――「脱出に失敗してからというもの、男はひどく慎重になっていた。冬眠しているくらいのつもりで、穴のなかの生活に順応し、まず部落の警戒を解くことだけに専念した。同じ図形の反復は、有効な保護色であるという。生活の単純な反復のなかに融けこめば、いつかは彼等の意識から、消えさることも不可能ではないだろう」。女との生活の場面――「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。だから、心臓の鼓動だけでは安心できずに、爪をかむ。脳波のリズムだけでは満足できずに、タバコを吸う。性交だけでは充足できずに、貧乏ゆすりをする」。やがて、男に変化が表れる――「いぜんとして、穴の底であることに変りはないのに、まるで高い塔の上にのぼったような気分である。世界が、裏返しになって、突起と窪みが、逆さになったのかもしれない」、「べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ」。 これは、まさに不条理の世界であるが、男の行動と思考を通じて、人間の自由とは何か、人間にとっての日常とは何か、男と女の関係とは何か――を考えさせられる。 この不気味な、また、ある意味ではユーモラスな作品は、今では、私が仕事上で、あるいは私生活面で難問に直面したときの精神安定剤の役割を果たしてくれている。 | ||||
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| 最近、ノーベル賞の選考委員が明らかにしたところによれば、ノーベル文学賞受賞の最有力候補として阿部公房の名前が上がっていた事が明らかになりました。 ノーベル賞の規定では死者は受賞資格を失うとあり 阿部氏が夭折しなければ、受賞は間違いなかったとされています。 阿部氏は、まさに幻のノーベル賞作家でした。 阿部氏と同時期には三島由紀夫が最有力と噂され、最近では村上春樹が次の日本人ノーベル賞作家と目されていますから 見落とされがちですが、実は阿部氏がノーベル賞作家となった人物だったわけです。 砂の女は、この阿部氏の代表作であり 砂丘の蟻地獄の底にある一軒家にたどり着き、そこに住む女と同居する。 社会主義に似た暮らしをする部落が存在して、そこで砂を掻き出す生活を繰り返しながら 脱出を試みる男 この世界だけでも、どこか、何かを感じさせるものがありますが 阿部氏は、そこに複数の素材を散りばめて、人間というものを考えさせてくれています | ||||
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| 昆虫採集をしている途中、村人に騙され砂穴に閉じ込められてしまう。 現実離れした出来事に戸惑う主人公。 砂穴での生活の情景や、主人公の葛藤の様子がリアリティを持って描かれており、 あっという間に異次元へ引き込まれてしまった。 | ||||
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| こんな生活も有りかもと思わせる。実際はかなり厳しいだろうが少なくとも連れ添いに関してはかなり評価できる。初めのうち穴の描写がよく理解できなかったがこの集落の最前線でありその仕事は、、、、理解したくない。いつまで「お客さん」だったのか?青酸の使い所は?水?なんかKEEP!が多い。まるで昆虫採集だ。コレクターだ。一時砂に囲まれた生活を体験して来てみてはいかがでしょうか。 | ||||
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| まあ安部公房を私が褒めるとは誰も思っていないだろうが、なんかねちねちした雰囲気があっていいものの、しょせんはつくりごと。こんなもの読むなら娯楽SFでも読んだほうがまし。いかんせん映画があるので、女のイメージが岸田今日子でかたまっているのは不幸なことかもしれない。いっそ美女で再映画化したら印象も変わる…いや原作が美女じゃないのか。 | ||||
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| 考え貫かれたストリーで、読者を作品世界に引きずり込む魅力ある内容です。砂丘に昆虫採集に出かけた男が砂底に埋もれていく一軒家に閉じ込められてしまう・・・・・・。このような寓話的な設定で物語が進んでいく。作者はたぶん人間とは何か、人間存在とは何か等々をこのような形で表現を試みたと解釈しました。兎に角たにほとんど例を見ない独創的作品で、ある意味、カフカと双璧といって良い日本が生んだ世界的傑作で一度は読む価値ありの本です。 | ||||
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| くどい口調、が好き嫌いを分けていると思う。思いつくまま、気持ちが整理できてないような文も多々見受けられる、それが主人公の感情として臨場感を増しているし、表現が一々ユニークで、読むのに疲れるが、技術には驚かされる。文章も近代の作家なのにあえて、古い文を使っているのか、余計とっつきにくいものにしている。 他の阿部公房の作品より、まだ、ストーリが明確である分、読みやすく感じたし、ラストも気になった。難しいので流し読みした。十分楽しめた。 | ||||
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| 生きるためにパンを食べるのか、パンを食べるために生きるのか。 考えさせられる小説です | ||||
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| 必要に駆られて読んだ。 だが、読み始めるとすぐに引き込まれた。 砂にでは無い。虫に、である。三十路「男」の虫に対する興味の抱き方に引き込まれた。 その偏愛に見せかけた、奇妙な仕草に。 このまま、虫の話だったら良かったのだが……。 砂である。砂のお話である。 そして、私はどうレビューを書けば良いものか、考えあぐねている。 私の思考は、あたかも、握りしめた指のあいだから、 ぱらぱらと零れ落ちる砂のように、まとまりを欠いている。 だから、同書に付録されている、ドナルド・キーンのように、推理小説だと言ってみる。 むろん、誰も死なない。しかし、推理すべきものはある。 それは、名前である。 「男」「女」「老人」「あいつ」そして、「砂」。 彼らには名前が無い。彼らは名前を必要としていない。拘泥しない。 たったひとり「男」を除いて。 「男」は名前を探している。 なぜなら、「男」のはじめの目的は新種の虫を発見し、 自分の名前が「昆虫大図鑑」に書とめられる事である。 書きとめられる事──その事によって、このテクストにおいて、「男」ははじめて名前を得るのだ。 しかし、「男」は砂の生活の中で、次第にその欲望をすり減らして行く。 「ニワハンミョウ」「オオイエバエ」この小説の中で一際、ゴロリと転がるこれら虫の名前。 その中に自分の名前を刻み込む。自分の名前を発見する。その目的は、果たされない。 それどころか、果たそうとしない。 なぜなら、「男」は第二章の末尾で「趨光性」を持った新種らしき「蜘蛛」を発見するも、 彼の興味は、新種発見に少しも向かわないのだ。 読む者に首を傾げさせるほどに、大事にしていた「青酸カリ」。 ついぞ使われないその「青酸カリ」のように、男の「名前」に対する希求も砂の中に埋もれて行く。 そして、男の名前は明かされる。 本文と分断された「失踪に関する届出の催告」によって。 そこには、「仁木順平」というマテリアルな、「名前」がゴロリと転がっている。 | ||||
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| まず物語の序盤で「最低7年間は主人公は失踪したまま」というネタバラシがある。 これでカナリ萎えた。どうして、このネタバラシがあるのに、ここで評価してるような人達は、精神的に盛り上がれたのか不思議でならない。 当然ながらストーリー上一つのクライマックスである主人公が砂穴からロープに鋏を付けて脱出した場面にも興奮できずに「残りページ数から考えて死なないだろうし、どうせ逃げ出せないで捕まるんでしょ?」とシラケて読む以外は術がなかった。 ストーリー設定にはかなりの無理を感じる。どう考えてもこの部落の在り方が現実的ではない。 痩せた土地で、どうやって穴倉の住人分の食糧を賄うのか? 2人の砂掻きに見合うだけの収入がどこにも発生してないのだ。 砂掻き作業は毎夜毎夜行われ、穴の下だけではなく、穴の上から砂の入った缶を引き上げる人間も相当人数必要とする。 これらの人員が、夜の間中ずっと労働をして、日中は疲れ果てて寝ているはずである。 無論20mも下から砂缶を引き上げるのだから、老人に出来る作業ではなく、村の若者が当たっていると見るべきだろう。 となると村人の貴重な労働力は、何の収益を生まない、ただの砂掻き作業に費やされている事になる。こんなバカな話が成立するわけがない。何も利益を生まない重労働をし続けてどうして部落が生き残ってこれたのか。このフザケタ設定の時点で、子供騙しの下らないファンタジー作品としての価値しかないのは明らかである。 「不条理」を観点にレヴューしてる人もいるが、この世に不条理な出来事は腐るほどある。 ならば、その「現実にある不条理」こそ説得力があるのであり、このようなフィクション丸出しの不条理は「ただの無理なストーリー設定」でしかなく「普遍的に万民を考えさせる内容」など、どこにも無い。 せめて普遍的な不条理というなら社会問題や社会制度や遺伝や病気をテーマにして論じるべきだろう。あからさまなファンタジー小説の不条理じゃ現実感がない。浦島太郎が玉手箱の煙で老人になってしまう不条理が「万民を考えさせる不条理」と言えるだろうか?そんな次元なのである。この小説にある不条理というモノは。 ラストシーンで、縄梯子が下ろされたままなのも有り得ない。村人からすれば、脱走者は即座に「部落の破滅」を意味する。捕獲してるのは一人では無いために、穴の中には「セールスマン」などの生きた証人がいて言い逃れは出来ないからだ。村人が縄梯子を下ろしたままにするなんて有るワケがない話だ。完全にオチのために拵えられた「不自然」な場面としか思えない。作品全体にリアリティがないのもこういう点に原因があるのではないだろうか。たとえば吉村昭さんの傑作「破船」における村人の「バレる」ことへの脅えや不安といった「当然あるべきはずのモノ」が欠如している。 頻出する「不自然」「無理矢理」な設定に首を傾げず、自然に読んでくれる「盲目な読者」が多いことこそが 何よりも作者の救いだったといえる。 主人公の魅力の無さも、作品全体をつまらなくしていた。説明不足の比喩をやたらとしたがり 程度が低い演説が多発する。「あいつ」って誰?浮気相手?わざわざ「あいつ」とか意味深に書かずに浮気相手と書けばいいじゃん、と何度も突っ込んだ。 壁を崩す試みも、結局日中に一度しかしないし、性欲には予想通りに屈した、それも酒を飲めば抑制力が無くなるという分り切った愚行をした結果だけに呆れた。こういうヘボい主人公には魅力を感じられない。 片道切符とか往復切符の比喩も下らない。ただ「危機的な状況に陥ってる」というだけの話である。 できれば、この主人公は中盤で死んで、次に村を訪れた2人目の者が「真の主人公」として(マスターキートンの、キートンみたいな人物が望ましい)砂の穴から脱出成功するストーリーになってほしいな、と思いながら読んでいたので、ヘボ主人公のまま終わってしまったのは残念だった。 総じて、下らない空想作品 だった。これが戦後文学最高傑作?冗談でしょ。この程度ならリリーフランキーの東京タワーのほうが100倍は良い。あっちのほうが癌という現実的で、万民が考えさせられる普遍的な「不条理」をテーマにしている作品であり、この「砂の女」のリアリティーの無さから比べれば100倍リアリティーがあるのも明らかである。 | ||||
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