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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全220件 81~100 5/11ページ
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| ニートやひきこもりは、ある意味で環境に順応した結果なのでは考えていた自分にとって、結末はリアリティを感じられました。 最初は比喩が多く読み進めるのが苦痛でしたが、半分ほどすぎると次に次にと本をめくる手が止まらなくなりました。 | ||||
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| 描写が素晴らしい名作。 安部公房は一通り読みましたが、夢のような世界観を描写することにかけて第一級だと、思っています。 特にこの砂の女は、初めて読んだ安部公房作品ということもあって、読後しばらく、あぁすごい作品をよんだものだと、呆けてしまうほどでした。 なんと妖しく、美しいことか。 | ||||
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| なんか読むと落ち着く。ある意味怖い内容なのに何故か懐かしい気持ちになる。 | ||||
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| 初めて読んだのが10代の頃。その後20代、30代、40代、50代、、と10年に1度位読みたくなる。人生経験とともに読後感が変わる。 | ||||
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| なんか不思議なエロ本です。 作者が何を訴えたいのか意味不明です。 | ||||
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| ぼくが高校生の頃、ノーベル文学賞に一番近い作家と言えば安部公房でした。近年は若い人に余り読まれなくなったみたいな気がするけど、こうした閉塞した時代だからこそ、彼の作品の価値がより見えやすくなるのではないかな。特にこの代表作は年取ってから読み直すといっそう味わい深い。文体の手触りは少しも古びていないと感じます。ノーベル賞の件も含めて、ある意味、村上春樹の先駆け的存在。 | ||||
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| 砂に関する説明、描写があり、その女と、いう事。 閉じ込められたようで閉じ込められていない男の心象風景がリアルでつまるものが、ある。 | ||||
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| まあ苦痛な読書だった。終始、不潔で不快な描写が連なり、女や水さえも清涼感を感じさせない。汗は出るわ息は詰まるわ、読了した後は当然のようにシャワーを浴びた。そもそも私は虫さえ苦手なのだから、昆虫採集ができる男なんかよりずっと苦しんだのは当然のことだろう。 考えてみれば、我々の生活が豊かで衛生的になればなるほど、この砂漠の閉じられた空間はいっそう地獄的な効果を増していていくのではないか。小説が書かれた60年代というと、今とは比べ物にならないほど日本は不衛生で劣悪な環境だったはずだ (『3丁目の夕日』の東京はキレイすぎると聞く) 。砂は物質としてはあくまで不変だが、読む者の文明的な立ち位置によって印象は大きく変化してゆく。20数ヵ国語に翻訳されたというが、砂漠に生きる人々にとって、この小説がどのように映るのかは気になるところだ。 物語は単純に言ってしまえば、いわゆる「脱出系」というやつだが、あらゆる脱出系ストーリーには脱出を阻む敵が存在する。この小説の場合は「部落の人々」がそれにあたるが、実は私がこの小説でもっとも恐怖したのは彼らなのだ。ハリウッドのB級ホラーに出てくるような斧を持った怪人でもなければ、刑務所の監視塔にいる銃を持った監視員でもない。簡単に殴り倒せそうな有象無象の民衆が、穏やかな態度で圧迫してくるこの不気味さが堪らなく怖いのだ。 しかし、『砂の女』 である以上、何よりも女に着目しなかればならないだろう。男に色情を持つことはあっても、逃亡に協力することはない。初対面の男に恥部を晒すことはあっても、性交を他人に見られることには激しく抵抗する。砂の内部こそ彼女の安住の地であり、その限りにおいて彼女は無敵なのだ。そんな女が唯一声を荒げた台詞は 「かまいやしないじゃないですか、そんな、"他人のこと" なんか、どうだって!」 である。 いくらでも考察すべき箇所はあるが、なんせ読み返す気が起こらないのだ。ただふと思ったのが、この小説の英題は 『The Woman in the Dunes』 だが、これでは文字通り 「砂丘にいる女」 だよなあ。 | ||||
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| 面白いというより、不思議で不気味な話でした。過大評価され過ぎだと思います | ||||
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| 安倍公房の作品を初めて読んだが、頭のキレる方なんだと感じた。砂の中での生活しか知らない女と対照的に公務員をしている男。小規模な範囲でしか行動していないのに、世間の動き、男の職場を想像してしまう。本も薄いのに、目を閉じれば分厚い本に感じてしまうほどに。 | ||||
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| 不条理 …まぁ、どうにもならないし、できないこと。理解は愚か納得などできようもない事。 多いよね。そういう事。そんなんだらけと言ってもいい。 数十カ国で翻訳されたとか、存命し執筆を続けていれば ノ〇ベル文学賞も…などと謳われている作者の代表作として読んだが…。 ナンジャコリャ 仕様上、仕方なく★はつけたが、今まで読んだ(仕事上、読まざるをえなかった携帯小説を除く)本の中で最低の作品だ。 まず、舞台となる“砂に囲まれた家(っていうか周辺図)”が文章から汲み取れないし浮かばないのが、最大級の難点。 風景として浮かばないのだから、空想と知りつつも脳内補完が出来ず、なのに話は進んでゆき…。 男と女の人間模様。そりゃ地球上にそれしかいないのだから、どこでだって成り立つ話だわな。 それが、どこで、とか、どういう背景で、ってのが重要なんだと思う。それが全く伝わって来ない。 不条理。上等! いいんじゃないの。でも、そもそも“不条理”を描くのに設定そのものが理解不能な不条理に溢れていてどうする? しきたり云々や女の思考回路を言っているのではない。風景。背景。舞台が見えないんだよ。 頭のいい。文章能力の高い先生でアラセラレルのだろうけど、スタートが見えないんだよ。この登場人物が生きているであろう世界が見えないんだよ。 空想。絵空事。作り話。それで金儲けをする…まぁ詐欺師だわな。作家ってのは。 だったら、綺麗に騙して欲しいわな。惹き込んで欲しいわな。 女の“肉感”は読み解けても“顔”が見えん。もし、そんな女がこの世に居たら、どう思う? 男は言わずもがな…だ。独白から思考回路は読み解けても表情が見えない。 これが世界的に“傑作”とは!? あたまのいいひとはあたまのいいひとだけでなかよくしておたがいのきずをなめあうといいよ が、率直な感想だ。 | ||||
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| 映画版を先に観て、期待して原作を読んだ。 勅使河原宏監督による映画版は制作後50年経った今でも古さを感じさせないが、この原作には、残念ながら読んでいて古臭さを感じてしまった。 映画版の方が詩的で美しい。 | ||||
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| この小説カバーのデザインなのか否か分からないが、手で触るとザラザラした感覚があります。 そして、読み終えた後明らかに後に付着したであろう幾つかの砂の様な汚れが裏面にありました。 私の所有している他の小説にはこの様な物は見られないのですが・・。 読後はその本自体、また世界が砂の様にまさに流動性を持って崩れていく様な・・そんな小説です。 | ||||
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| 抜け出すことのできない部落の穴の中。掻痒、渇き、充血…それらに肩までどっぷりと浸かった男が手に入れる、片道切符のなれのはてのものとは…。 水がこの物語の中で砂の対比となる。砂の中で手に入れた水。灰色の生活から手に入れた、見失いがちで、しかし欠かせない透明。 実は私たちに必要なものは極めて少ないのではないか。沢山の色であふれる社会の中で、そこで埋もれた人間の角質を砂で洗い落とすように訴える一冊。 | ||||
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| 安部公房作品をはじめて読みましたが、圧倒されました。 安部公房、すごいです。。。 女は無知で外界にほとんど関心がない。ただ砂の穴の家で砂を掘るだけの生活に安住している。 ただ、また一人ぼっちになるのをとても怖れている。だから、男に対してとても献身的で、男の我が儘をすべて受け入れてくれる。 僕が思うに、女は男の全てを受け入れると共に全てを呑み込んでしまう存在で、砂の穴はその子宮の象徴なのだろうと。 男は女に絡め取られ、その子宮の中に安住してしまう。 と同時に女にとっても、男が自分の子宮の中に納まってくれることで、孤独から解放される。 ここで、男と女は共依存の関係にあるのでしょうね。 子宮外妊娠で町の病院に連れて行かれた女は、それで死んでしまったという研究者の解釈もあるようですが、僕はそれでは男が砂の穴に留まった動機が希薄になると思います。 男はあくまで「砂の女」に絡め取られて、砂の穴に留まったのだと思うのです。 そして、女は流産して戻ってくる。 結果として、男と女は共に暮らしても子どもを作ることはできなかった。それは、女がすでに男を子宮に納めてしまっているので、それ以上子どもを宿すことはできない、ということなんだろうと思うのです。 なお、読後に、映画も観ましたが、こちらも岸田今日子の仕草や言葉遣いの官能的な美しさが、いつまでも僕の記憶に残るであろう名作でした。 | ||||
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| 物語は断片的な情報の中で紡がれて行くが、圧倒的な表現力と文章力で主人公の様々な情動を描き出し、砂の集落というフィクションを現実にしていく。自分の口の中にこびりつく砂を感じられるほどの濃密な言葉の群れは正に圧巻。唐突に訪れる不条理。その中で、確かにあった筈の日常を取り戻そうと行われる奮闘。我々の生きる日常とはどこにあるのか。何も知らない小さな世界に生きる人間を馬鹿だと見下すこと、或いは自分がいつしかそんな世界を受入れてしまう時、本当に忌々しくも愛すべき日常は存在するのだろうか。さらさらと移ろう世の中の鬱屈に閉じ込められるような安部公房の傑作。 | ||||
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| 砂の中の家に暮らす女の物語ですが、男の一面を鋭くついている物語。人はなぜ生きるのか疑問に思う人は一読を進めます。 | ||||
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| 映像化もされた、この有名な本を今になって読んで見た。 読み始めると大正・昭和には本当にこんな閉鎖的な集落があったのではないかと金田一耕助の映画の情景と重なり合う。 そんな集落に暮らす不思議な村民が頭に浮かび、あっという間に本の中に引き込まれる。 独りの学校教師が昆虫採集に訪れた人里離れた砂浜。 そこには蟻地獄の様に砂に埋もれていく集落があった。 日も暮れ、教師は村人に一泊の温情を受け泊まることになったのだが・・・ 何も悪い事をしていないのに、ある日突然地獄に落とされ理不尽な目にあったら、自分ならどうなるのだろう? 欲しい物が何でも有り、行きたい所にはどこへでも行け、やりたい事が何でもできる、こんな生活が当たり前の現代。 そんな恵まれた生活をしてきた私達が抜け出せない恐怖に陥った時、自分はどうなってしまうのだろう? この本は、心のそこから恐怖を感じ、読み終わった時には気持ちがズシリと重くなる。 さて主人公はこの理不尽極まりない砂の集落から抜け出す事ができるのか、教師の最後は。。。。 是非読んで見てください。 | ||||
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| 村人に騙され、砂丘の穴の中の家に閉じこめられてしまった男の物語。このプロットは有名だからもちろん知っていた。そして、カフカ風の不条理劇であり、寓話的な話だと思っていた。しかし、そうではなかった。 いかにも理科系出身らしく、砂の物理的、流体力学的な解説から入るのでリアルなSFの感触だし、砂掻きの労働力確保が必要だったという必然性も納得できるし、盛り上がりが何ヶ所もあるし、オチもまた砂の物理的特性と絡めている。寓話としてではなく物語そのものが楽しめるようにできている。これは“SF純文学”と言える作品ではないか。 もちろん、不条理にも砂の穴に閉じこめられた人間が、自由について、また性について、究極の状況で思考の深化を迫られるというわかりやすい設定は、寓話として読む選択も読者に許している。 この両方が成り立つように作られているところが、この作品の価値だと思った。 ノーベル文学賞選定にかかわった責任者(確かスウエーデン人)のインタビュー記事を読んだことがある。彼は1960~70年代、受賞に最も近かった日本の作家は三島ではなく安部公房だったと明言していた。亡くなるのがもう少し後だったら確実に受賞していたらしい。 この「砂の女」は安部を世界的に有名にした作品だ。となると、この作品のレベルがノーベル賞クラスということになる。 たぶん、黒沢の映画や三島の小説と同じように、あっと驚く新鮮なアイディアがあるが論理と意図は明快で、世界中の誰もが理解できるし楽しめる、という評価なのだろう。 印象に残ったのは、多彩な比喩、例えの豊富さ。単なる喩えのときもあれば重要な思想を示唆していることもあり、しかもそれが西欧的な感覚で表現されている。このあたりも西欧で受けた一つの理由だろう。 唯一、この作品でわからないのはタイトル。 この「女」は状況を受け入れるだけで主張がなく、「男」に何の影響も与えず、ただ存在しているだけに見える。あるいは「男」の怒り、恨み、猜疑、軽蔑、ときに希望、そして欲望の対象でしかない。閉じこめられた男の鏡の役割だろう。タイトルは「砂の男」であるべきではなかったか。 | ||||
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| 不条理な状況に陥った主人公は「あらゆる手段」を用いて砂から脱出しようとする。 サスペンスをドキュメントチックにまとめた・・・という感じの文章。 サスペンスを見ていると「これこれの方法試してないじゃん」ということが多々あるがここでは「あらゆる手段」が試される。 そして結果として彼は適応する。 これは現代人の「諦め」に通じるところがある。60年安保で挫折し多くの人が「諦め」を意識した時代であるからそこらへんに創作の背景があるのかもしれない。 これは現代においても通用するテーマである。(政治や社会の変革を諦め、自分のおかれた状況をよしとする一般大衆) | ||||
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