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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全209件 81~100 5/11ページ
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映画版を先に観て、期待して原作を読んだ。 勅使河原宏監督による映画版は制作後50年経った今でも古さを感じさせないが、この原作には、残念ながら読んでいて古臭さを感じてしまった。 映画版の方が詩的で美しい。 | ||||
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この小説カバーのデザインなのか否か分からないが、手で触るとザラザラした感覚があります。 そして、読み終えた後明らかに後に付着したであろう幾つかの砂の様な汚れが裏面にありました。 私の所有している他の小説にはこの様な物は見られないのですが・・。 読後はその本自体、また世界が砂の様にまさに流動性を持って崩れていく様な・・そんな小説です。 | ||||
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抜け出すことのできない部落の穴の中。掻痒、渇き、充血…それらに肩までどっぷりと浸かった男が手に入れる、片道切符のなれのはてのものとは…。 水がこの物語の中で砂の対比となる。砂の中で手に入れた水。灰色の生活から手に入れた、見失いがちで、しかし欠かせない透明。 実は私たちに必要なものは極めて少ないのではないか。沢山の色であふれる社会の中で、そこで埋もれた人間の角質を砂で洗い落とすように訴える一冊。 | ||||
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安部公房作品をはじめて読みましたが、圧倒されました。 安部公房、すごいです。。。 女は無知で外界にほとんど関心がない。ただ砂の穴の家で砂を掘るだけの生活に安住している。 ただ、また一人ぼっちになるのをとても怖れている。だから、男に対してとても献身的で、男の我が儘をすべて受け入れてくれる。 僕が思うに、女は男の全てを受け入れると共に全てを呑み込んでしまう存在で、砂の穴はその子宮の象徴なのだろうと。 男は女に絡め取られ、その子宮の中に安住してしまう。 と同時に女にとっても、男が自分の子宮の中に納まってくれることで、孤独から解放される。 ここで、男と女は共依存の関係にあるのでしょうね。 子宮外妊娠で町の病院に連れて行かれた女は、それで死んでしまったという研究者の解釈もあるようですが、僕はそれでは男が砂の穴に留まった動機が希薄になると思います。 男はあくまで「砂の女」に絡め取られて、砂の穴に留まったのだと思うのです。 そして、女は流産して戻ってくる。 結果として、男と女は共に暮らしても子どもを作ることはできなかった。それは、女がすでに男を子宮に納めてしまっているので、それ以上子どもを宿すことはできない、ということなんだろうと思うのです。 なお、読後に、映画も観ましたが、こちらも岸田今日子の仕草や言葉遣いの官能的な美しさが、いつまでも僕の記憶に残るであろう名作でした。 | ||||
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物語は断片的な情報の中で紡がれて行くが、圧倒的な表現力と文章力で主人公の様々な情動を描き出し、砂の集落というフィクションを現実にしていく。自分の口の中にこびりつく砂を感じられるほどの濃密な言葉の群れは正に圧巻。唐突に訪れる不条理。その中で、確かにあった筈の日常を取り戻そうと行われる奮闘。我々の生きる日常とはどこにあるのか。何も知らない小さな世界に生きる人間を馬鹿だと見下すこと、或いは自分がいつしかそんな世界を受入れてしまう時、本当に忌々しくも愛すべき日常は存在するのだろうか。さらさらと移ろう世の中の鬱屈に閉じ込められるような安部公房の傑作。 | ||||
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砂の中の家に暮らす女の物語ですが、男の一面を鋭くついている物語。人はなぜ生きるのか疑問に思う人は一読を進めます。 | ||||
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映像化もされた、この有名な本を今になって読んで見た。 読み始めると大正・昭和には本当にこんな閉鎖的な集落があったのではないかと金田一耕助の映画の情景と重なり合う。 そんな集落に暮らす不思議な村民が頭に浮かび、あっという間に本の中に引き込まれる。 独りの学校教師が昆虫採集に訪れた人里離れた砂浜。 そこには蟻地獄の様に砂に埋もれていく集落があった。 日も暮れ、教師は村人に一泊の温情を受け泊まることになったのだが・・・ 何も悪い事をしていないのに、ある日突然地獄に落とされ理不尽な目にあったら、自分ならどうなるのだろう? 欲しい物が何でも有り、行きたい所にはどこへでも行け、やりたい事が何でもできる、こんな生活が当たり前の現代。 そんな恵まれた生活をしてきた私達が抜け出せない恐怖に陥った時、自分はどうなってしまうのだろう? この本は、心のそこから恐怖を感じ、読み終わった時には気持ちがズシリと重くなる。 さて主人公はこの理不尽極まりない砂の集落から抜け出す事ができるのか、教師の最後は。。。。 是非読んで見てください。 | ||||
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村人に騙され、砂丘の穴の中の家に閉じこめられてしまった男の物語。このプロットは有名だからもちろん知っていた。そして、カフカ風の不条理劇であり、寓話的な話だと思っていた。しかし、そうではなかった。 いかにも理科系出身らしく、砂の物理的、流体力学的な解説から入るのでリアルなSFの感触だし、砂掻きの労働力確保が必要だったという必然性も納得できるし、盛り上がりが何ヶ所もあるし、オチもまた砂の物理的特性と絡めている。寓話としてではなく物語そのものが楽しめるようにできている。これは“SF純文学”と言える作品ではないか。 もちろん、不条理にも砂の穴に閉じこめられた人間が、自由について、また性について、究極の状況で思考の深化を迫られるというわかりやすい設定は、寓話として読む選択も読者に許している。 この両方が成り立つように作られているところが、この作品の価値だと思った。 ノーベル文学賞選定にかかわった責任者(確かスウエーデン人)のインタビュー記事を読んだことがある。彼は1960~70年代、受賞に最も近かった日本の作家は三島ではなく安部公房だったと明言していた。亡くなるのがもう少し後だったら確実に受賞していたらしい。 この「砂の女」は安部を世界的に有名にした作品だ。となると、この作品のレベルがノーベル賞クラスということになる。 たぶん、黒沢の映画や三島の小説と同じように、あっと驚く新鮮なアイディアがあるが論理と意図は明快で、世界中の誰もが理解できるし楽しめる、という評価なのだろう。 印象に残ったのは、多彩な比喩、例えの豊富さ。単なる喩えのときもあれば重要な思想を示唆していることもあり、しかもそれが西欧的な感覚で表現されている。このあたりも西欧で受けた一つの理由だろう。 唯一、この作品でわからないのはタイトル。 この「女」は状況を受け入れるだけで主張がなく、「男」に何の影響も与えず、ただ存在しているだけに見える。あるいは「男」の怒り、恨み、猜疑、軽蔑、ときに希望、そして欲望の対象でしかない。閉じこめられた男の鏡の役割だろう。タイトルは「砂の男」であるべきではなかったか。 | ||||
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不条理な状況に陥った主人公は「あらゆる手段」を用いて砂から脱出しようとする。 サスペンスをドキュメントチックにまとめた・・・という感じの文章。 サスペンスを見ていると「これこれの方法試してないじゃん」ということが多々あるがここでは「あらゆる手段」が試される。 そして結果として彼は適応する。 これは現代人の「諦め」に通じるところがある。60年安保で挫折し多くの人が「諦め」を意識した時代であるからそこらへんに創作の背景があるのかもしれない。 これは現代においても通用するテーマである。(政治や社会の変革を諦め、自分のおかれた状況をよしとする一般大衆) | ||||
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作者の思想だとか小説の技法だとか、小難しい文学評論は抜きにして、物語として見ても非常におもしろい作品と言えるでしょう。 作家の阿刀田高さんは「このぐらいの小説を生涯に一つ書けたら、死んでもいい。」と、この作品を評していますが、自分も仮に小説家だったら、同じことを思うでしょう。 物語のラストで砂の女が陥る境遇は、正直ギャグだろ(笑)と思いましたが、それも安部公房の作品の魅力のひとつではないでしょうか。 | ||||
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ストーリーは、好きじゃないけど本が閉じられなくなるくらい引き込まれます。不思議な感覚。本当に口の中に砂が入ってるようで気分が悪くなりました(笑)描写が無駄に細かい作家さんもいらっしゃいますが、なんだ、何が違うんだ! 中毒性があって、ストーリーは好きじゃないのにまたあの世界観に引き込まれまれたくなります。初めて安部公房の作品を読みましたが、全ての作品を読んでみたいです。 | ||||
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発想や設定は極めて斬新で期待しながら読み続けましたが、「で、結局何が言いたいの」かがよくわからず、消化不良ぎみ。世間で評価の高い安部公房の作品を初めて読みましたが、話自体に盛り上がりはなく、単調で、あっという間に読了。読む前の期待が大きすぎたのか、彼の世界観に対する私の理解がまだ足りないのか、よくわかりません。 | ||||
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高校生の頃一読して、たぶん今もって再読できない作品。 読みたい気持ちは昂り、それから数十年本屋で立ち読みしては購入を幾度となく断念するほど。自分の中に入れるには躊躇いを感じ同化することに恐怖すら覚え、今もって手元におくことができない。何の恐怖なのか自分でも明確には分からないまま一生再読できないのだろう。だからこそ、この名作が愛おしく恐ろしい。 こんな小説に若くして出会えたことに感謝して。 | ||||
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昆虫採集の為立ち寄った村で捕えられ、砂の穴の底にある一軒家で女と共に日々砂掻きをするだけの生活を強いられる中年の主人公。 その生活をから逃れるべく日々闘争のチャンスをうかがう主人公だが・・・ 戦後の社会に生きる人々に向けた寓話なのだと思う。 ただ解釈は読む人により異なるだろう。 私などは現在の状況がまさにこんな感じじゃないかという気がしている。 余談だが、毎日砂掻きをしないと人が住めなくなってしまう状況は、私の様に豪雪地帯にすむ人間にとっては砂を雪に置き換えるだけで容易にイメージができた。 | ||||
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安部公房の著作を初めて読んだが、初めて見る世界に戸惑い、そして魅せられた。 砂に埋もれていく集落、砂を掻きだすことだけを生活に生きている女、その女を幽閉する村人、半ば騙されてそこに閉じ込められた旅人、必死に逃げようともがく様の中に、人間の欲望や感情を隠すことなく露わにした本作は、他に類を見ない異端の作と言える。 著者安部こうぼう自身も東大医学部まで行って作家になるという異端の人生を歩んでいるようなので、正に異端者だからこそ描けた小説といった印象。 この小説を見ずに、この不思議な物語を味わわずに生涯を終える人は可哀相だとすら感じてしまう、そんな作。 | ||||
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安部公房の『砂の女』を再読した。 昆虫採集を趣味とする、教師である男がいた。かれは、砂に惹かれ、砂原に住むハンミョウに惹かれ、ひとり砂原を歩く。 日が暮れ、もはや帰途につけなくなった男は、行きずりの部落で宿を借りることにする。あてがわれたのは、ひとり女の住む、砂原にぽつりと空いた穴の底の一軒家だった。 翌朝、男は帰してもらえない。昨夜はあった縄梯子は取り去られていた。男には、女と生活を共にし、家屋が砂で埋まらないように砂掻きをすることが期待されていたのだ。 男はしゃにむに脱出しようとするがなかなか成功しない。男に待つ運命は…? 非現実的な設定ながら、同時に、徹底的にリアリズムを追求して書かれた小説として読めるのは、多くの評者の言うとおりだ。公房は、冷徹な観察眼を保ちながら、物語を駆けさせる。読者を置いてけぼりにするほどの勢いで。私達はいつの間にか、砂穴のなかの家屋で繰り広げられる悲喜劇が、とおく現実を離れたものであることを見失う。 もうひとつ付け加えておかなければならないのは、随所に見られる周到な比喩表現だ。これらは、作品の単なる彩りであるにとどまらない。むしろ、これらの表現があってこそ、男の切迫感が、まばゆい日光が、砂の熱気と喉の渇きが、水の潤いが、男と女の欲情が、読者の眼前で顕在化するのだ。 あれほど必死に逃げようとしていた男はしかし、一度決定的なチャンスで失敗した後、季節の移ろいとともに次第に変貌をする。 男は、自らも気づかぬうちに、萎えてしまったのだ! 人は絶望の中で希望を枯渇する。しかし、いざ絶望を抜けだすと、虚脱する。 なんと逆説的で、なんと皮肉で、なんと精確な人間診断であることか。 | ||||
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全世界で翻訳され大ヒットになった小説。ある男が砂だらけの集落にとらえられて、一人の女の家から出られない。ひたすら脱出をこころみようと画策しつつ、失敗する、という話。 ちょっと難解だし、さすがに中盤からやや退屈気味になった。なんたってひたすら、あるようでないような理由で砂の集落にとどめ置かれる男の運命たるや…。ある意味どうでもいいといえばどうでもよかった。しかし、ドキュメンタリー的手法と言われる淡々とした描き方が面白かった。最後の結末もあーこうなったかという具合で、納得と言えば納得。 | ||||
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昆虫採集を目的に砂丘にある村を訪れた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。 ある日突然、日常の中に不条理が紛れ込んで非日常に転落し、普段何気なく享受していた”自由”を取り戻すための闘いを余儀なくされる、という世界観はカフカに似ているように思います。 この作品でも、「砂」が自由を奪うものの象徴であり、「女」はすでに自由を諦め砂と共存していくことを受け入れています。一方で「男」は砂に縛られる女に苛立ち、砂からの解放を求めて脱出を試みますが、「男」が回想する”自由だった世界”も決して明るいものではありません。また、”砂からの解放”が目的化し、自由を取り戻せたその後どうするのか、男にも明確な答えはないようです。 そして「村人の監視のもと、海を眺める時間がほしい」というささやかな自由を手に入れるために、理不尽かつ破廉恥な村人の要求にも応えようとした「男」が、ラストに訪れる脱走のチャンスを、今でなくても良いと見逃します。「男」もまた、「女」と同様に砂の虜になった瞬間です。 人が生きていく中で、この”砂”に象徴される「自由」を奪う理不尽なものに出会い、それと折り合いをつけていくことが求められます。それは人間関係であったり、仕事のノルマであったり、病気や怪我であったり、人によって様々でしょう。対処しなければ埋もれてしまい、そしていつ果てるともなく降り積もってくる、このストレスを”砂”として具体化・可視化した安部公房の発想には芸術的なものを感じました。 はじめはその理不尽さに反抗し、その状況から脱しようと様々な試みをするでしょうが、その試みが無為に終わるうちに、次第にその状況を受け入れてしまう。また、その脱出が自己目的化してしまい、何のための努力なのかを見失ってしまう。この「男」の姿は、ストレスフルな時代に生き、それに妥協しがちなわたしたちの姿です。そしてこの普遍性こそが、いつまでも読み継がれ、20か国語に翻訳された『砂の女』の魅力なのでしょう。 | ||||
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文藝春秋にて、田中慎弥氏がおすすめの1冊として本作品を挙げていたこと をきっかけに読んでみた。著者の思考の中から生み出された、現実味のない 奇妙な世界が描かれているが、主人公が砂の穴から抜け出そうと様々な手段 を考え、努力する姿や、部落の人々に対する憤りの感情に共感を覚えながら 読み進めた。逃亡の試みとその妨害の場面は緊張感があり、サスペンスとし て楽しめた。 本の背表紙での紹介には、「人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編」 とある。誰にでも、本作の状況まで過酷ではなくとも、多かれ少なかれ理不 尽と思う環境に閉じ込められることはあるだろう。それは、学校、職場、家 庭、どこにでも起こり得る。 その環境下でどう行動するか。本作の主人公は自ら築いた<<希望>>の中から、 自由に生き抜くための強力なツールを得た。読者は本作を通して、自身が暮ら す環境内での振る舞い方を考えさせられる。 | ||||
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中毒的な面白さ 読む手が止まらない ページから砂がこぼれてくるんじゃないかと思う位の その世界を読者に体感させる文の具現力 読後、月日がたって、なぜだか あの砂地獄がとても懐かしくなって、再び体感したくなる。 あの場所にまた戻りたくなる。 不思議だ。 | ||||
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