密会
- 地獄 (57)
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筒井康隆がこの小説を評して「西村寿行の100倍面白い」(『みだれうち瀆書ノート』)と絶賛していましたが、賛成です。現代社会におけるエロスとバイオレンスを見事にデフォルメして描いて成功しています。 | ||||
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身体が綿になる母親、骨が溶ける少女。展示している綿になった母親を抱きしめて泣く少女。骨が溶けて、身体がグニャグニャになった少女を抱きしめる主人公。奇怪な夢の様な描写。 | ||||
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安部文学特有の精神医学的な考察が作品の随所に表れていて、難解でありながら読み手を惹きつける魅力を持っている。この小説の主人公『僕』は、ある朝突然救急車の到来によって、自分の妻を知らない病院へ運ばれていく。その病院は半分地下に埋もれた、ハチの巣のような構造で、迷路のような通路を必死の思いで抜けたところが、実は袋小路だったという、土壇場の閉塞感も彼の小説の常套手段だ。病院のいたるところに取り付けられた盗聴器、と言うかその町の地区自体が一種の精神病院であるとも考えられる。『僕』は妻が病院内のオルガスム・コンクール優勝候補者になっていることを目撃するが、最後まで彼女が自分の妻であるか確信が持てない。もしかしたら総てが夢の中の出来事なのかもしれない。 安部氏は自分の見た夢を事細かに記録し、分析する習慣があった。そうした夢の巧妙なつなぎ合わせにも見える作品だ。病院の院長は一回も姿を現さず、副院長のドールと化した娘は、全身が綿になって死んだ母を慕いながらも、自身は全身がゼリーのように溶けていく不治の病にかかっている。始めは自分だけが正常な感覚を持っていると信じていたが、殆ど粘土になった状態の娘を抱きながら『僕』は患者であることを告白せざるを得ない。性は人間の活動の根本をなすという考えは、決して否定できるものではないだろう。それを認めたがらない部分と、なし崩し的に没入する境界線で、主人公の苦悩がある。 この小説は決して時系列的に書かれていない。読者はかなり後になってから、前の部分に戻るか、記憶を辿ることを強制される。そうした迂回はあらかじめ安部氏が想定して構成した作品なのだが、このあたりにも巧妙な精神医学的手法が使われている。 | ||||
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寄せ付けずにいきるか、受け入れながら生きるか??多分後者の方がずっと人にも沢山の事にも優しくなれる気がします。何度か読んだらまた新しい考えが浮かぶかもしれません。面白かったです。 | ||||
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安部公房は常に、社会からはみ出してしまった者や弱者にフォーカスし、そういった者達の「他者との通路の探検と、その通路の回復はありえるのか」を一貫したテーマとしてきた。その材料となっているのは、例えばホームレスであったり、生徒と関係し自殺した中学教師であったりする。 「弱者への愛には、いつも殺意が込められている」 こんなエピグラフから始まるこの作品は、安部の集大成といってもいい程に、欠陥のある者や弱者で溢れている。 溶骨症の少女は明確にそれと分かるが、一見強者に見える女秘書は「人間関係神経症」であり、内部に他者を喪失した、愛に飢えた弱者である。副医院長でさえも、ことセックスに於いては弱者となってしまう。弱者同士が織り成す地獄のパレードといったところか。 「燃えつきた地図」のラストシーンでは、安部は「敢えて希望も絶望も語らなかった」としているが、この作品のラストシーンはあまりに絶望的で、悲愴感に満ちている。 常に弱者にフォーカスし、そこに一筋の光を模索してきた安部がこの作品と共に出した答えの一つは 「今の社会で弱者に希望はないが、その希望のなさに希望をみるよりない」ということだった。 因みに安部は、後にこの作品を自分で読み返してみて「ぞっとした」と語っている。 この作品の発表から40年ほど経った今はどうだろうか。 私は、エピグラフの「弱者への愛には、いつも殺意が込められている」のページを開く度に、どうしても「相模原やまゆり園」の事件を思い出してしまう。 社会の中に弱者をどこまで包含していくかが進歩に繋がり、これを短絡してしまうと全体主義になる可能性があると安部は指摘していたが、この事件に対する世間の反応の一部には、まさに安部が言った通り、全体主義の種が隠れていたように思う。 安部文学の持つ普遍性は、現在、そして未来に於いてもその輝きを失うことはないだろう。 最後に、この作品をもっと深く読み解きたいという人には、彼のエッセイ「都市への回路」を一緒に読む事をおすすめします。「密会」についての補足的な記述があります。 | ||||
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