終りし道の標べに
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「終わりし道のしるべに」 安倍公房著 この小説の主題は、「異国の丘」という歌の歌詞「今日も、昨日も、異国の丘に、重い雪空、陽が薄い、倒れちゃならない、祖国の土に、たどりつくまで、その日まで」という歌詞に重なると思います。この歌詞は、異国の丘と同じような世界を生きた満州に住んでいたために、ソ連に捕虜となった日本軍の兵士たち、敗戦と同時に南下して虐殺された避難民たちの夢、昭和二十年の敗戦の時に南下できない事情を抱えて残留し、かろうじて敗戦時の虐殺を免れて生き残っていた私なる主人公、ともに故郷に帰ることを夢に画き目標としていたことを端的に表現したテーマソングのように聞こえる。中国の満州に入植した500万とも言われる日本人の入植者がいた。満州に行けば土地も家も与えられて、豊かに暮らせると言う夢を抱いて、昭和20年の敗戦に伴い、一番最初に本土防衛のための配置転換で撤退してしまった日本軍、その日本軍がいなくなった民間人は南下する逃避行の中で満州と朝鮮の国境近辺で虐殺された。死人に口なしのためか、あまりこの大量虐殺の責任論とか補償論とかは聞きません。 安部公房自身が満州に残されてサイダーをつくりながら生計を立てていたと言う。「終わりし道のしるべに」にはサイダーで生計を立てていたと言う実態を想像させる文になっている。「私は、房という資本家の所でサイダーの製造技師をしていた。暑い季節が終わったので、次は瀋陽の焼酎工場へ洋酒の合成法を教えに出発した。」途中、匪賊に襲われて、土牢に入れられてしまう。これがサイダーで生計を立てていた実態らしい。 終わりし道とは、何か。分からない。しかし、安倍公房と言う世界でも有名な作家が日本人にいたと言うことは、彼は無事、何とか日本に帰国できて、文学の世界で大活躍をしたことから言えば、日本に無事帰還したことが、「終わり」だと思います。帰国するまでの満州での生活実態、私の道は故郷を求める事、故郷は生まれただけで何も知らない東京を指しているのであろうが、彼は満州の土地で生活をしていたので、これが「故郷」のようなものだが、「危うく故郷を求めることを断念し、永遠に家無き異端者で甘んじようと思った。」 瀋陽に向かう馬車は、匪賊に襲われて、洋酒の製造技術を教えに行く事は頓挫してしまう。人はいつでも、故郷、村と言う前提の上に生きる事によって、自分の人生に灯火を持っていると安心して歩くことが出来る。故郷、村を持たない私は、匪賊に捉われようが、サイダーの製造技師をしていようが、どちらも私は故郷の村を持たないために、灯を持つことが出来ない。虚無の中を生きている。私は、匪賊の頭目の陳に馬車にお金が積んであることなどを話した。とたんに、この馬車の指揮者である高が、お前は何でもペラペラ話してしまう。この分ではお前の秘密も話してしまうだろうと怒鳴った。陳は、私の秘密を何か金目のもの、宝物と思ったらしく、その宝について知ろうとした。私の宝は、陳には何の価値もない、故郷を求めるメモ用紙なのだが、陳はそのメモ用紙に何か宝物のありかでも書いてあるのかと完成を促し、私に食事とオンドルの付いた部屋を与えて、執筆をさせる。このメモの内容がどうも「終わりし道の標に」のようだ。故郷を求めつつ、たどり着けない私の現況報告の文集だが、当然陳は、日本語のわかる私、本人に読ませて、彼にとってはゴミのような記録だと知って、高と一緒に土牢に入れてしまう。高はオンドルの下に地下通路があるのを発見して脱出してしまうが、私は匪賊の村に残る。 「人間は、なぜ、かくあらねばならないのか。」「地面を割って出た芽は、花になって、実になって、そして、死ぬのが本当なのだ。」人間も同じなのだ。故郷に帰り、家族をつくって、そして、死んでいく。そうあらねばならないのだ。故郷を失ったものは、故郷に帰らなくてはならない。故郷の日本には山があり、桜が咲き、小川が流れ、四季があり満州とは異質の世界のはずだった。そこが私の故郷で有り私はその故郷を目指して、草の芽のように花をつけ、実をつけなくては、生まれて生きたことにならない。 作者は、東京大学、恐らく東京帝国大学の医学部を卒業している。陳と言う匪賊に捕まり、客分扱いのような、捕虜のような、陳の後継者のような分けの分からない位置をふらふらと移動させられる。全ては中国人の陳さんのご機嫌にかかっている。東京で生まれ、満州で育ち、大学は東大、超エリートコースを生きる人生です。東大を卒業するとまた満州に戻り、関東軍がいて日本人入植者を保護していた時代のことは書かれていない。中国を舞台にしながらいきなり東大医学部の時代らしき話が挿入される。これも、終わりし道の途中風景なのか。 私の友人の医者は、志門と言う名前。何と「こころざしのもん」へと案内する役割を負っている人物。志門に紹介された子爵のお屋敷は、今は下宿屋をやっていて、それで生活をしている。「サウンド・オブ・ミュウージック」のトラップ男爵のような家なのです。私は志門の紹介でこの子爵家に住むことになる。その家の令嬢の名前が「よしこ」漢字では「与志子」「こころざしをあたえるこ」(志を与える子)と読める。友人志門により、私は与志子と知り合い、私が目指す人生は、医者として生きる事だったのかどうかは分からないが、満州の地で匪賊に囚われながらも日本に帰らなくてはと言う執念が生き延びさせていく。恐らく私が目指す故郷は、東京の子爵邸に待つ与志子との再会であり、これが異国の丘に倒れてしまってはならない、人生の目標なのでしょう。志は生きて日本に帰り、生きて与志子と再会し、生活をしていくこと。でも、戦災で内地にいる人も、生きているかどうかは分からない、そういう混乱の中で、何としても脱出して、逃避行を試みなくてはならない志。その志の試みさえ始まらない中で、私は自殺を図るが、雪の下に芽生えていた草と土を食べたことで、食べた毒薬を吐き出してしまうと思われる。私はたぶんここでは死ねないで、この後、逃避行に挑戦することになるのかと、想像される。が、毒を食べ吐き気に苦しむ所で作品は終わる。ちっとも、終わっていない半端な終わり方。 「終わりし道」とは、戦争中の混乱と戦後の大陸に残された満州移民の日本人である私が、大陸人の寛大さの中で生き残り、故郷である日本への憧憬と、中国に伝統的に伝わる自然哲学を、満州に中国人とともに暮らす中で、日本人なりに受け継ぎ、それが人生哲学となって、故郷への帰巣本能が、病で死にかけていても、最期まで生きようとする必然の中で、毒を食べても吐き出してしまい、まだ生きて行くしかない私の運命を暗示している。中国式の自然哲学とは、作中に二度しか出てない「草木が芽をだし、葉を付け、花を咲かせ、受粉して実をつける。」この自然哲学が途中と、最期の雪の下に芽を出していた草を土ごと食べてしまう所にしか出てこない。人生も、これなのだ。結局、故郷と志門紹介された与志子であり、人生の目標は、日本に帰り戦後の混乱の中を与志子と伴に生きて行くことにあった。二人とも期せずして孤児だった。子爵家の与志子は母が亡くなり、与志子が孤児になってしまったことを伝え、私が与志子を保護するように志門から託されている。一見、突飛な本土東京での体験談の挿入だが、これが私の目標になっている。 結局、これは戦後の爆発的な人口の増加、つまり、ベビーブームを生んだ根源の人生哲学の表明になっている。今や、少子高齢化が問題になっていて、政府は対策を講じているが、一番肝心なのは、このような人生哲学だと思う。草のように生きる。芽をだし、葉をつけ、茎をのばし、花を開花させ、受粉して、実を付ける。そのように人も生きて行く。だから、食べ物が無くても、故郷に帰ると、お互いに生きているだけで、未来のあてはなくても、結婚をして、子供をつくり、日々一家餓死の恐怖と戦いながら、それでも子孫を生んで行ってしまう。それが戦後の状況だが、その生き様を造った考え方が、この小説だと思う。 草を食い齧っても生き延びてみせる。現実に、主人公の私は草を食い齧って、生き延びたのかもしれない。草木でも、人と同じ哺乳類の動物達でも、恐らく爬虫類でも、両生類でも、神に命を与えられたすべての生き物は、もしかするとウィルスや細菌でも、同じ目標の下でいきているのかもしれない。それが天命だと思います。 「僕は太陽が・・・つまり夢中になって憧れていて、おまけにやっと地面を割って出たばかりの芽じゃないか。花になって、実になって、そして死ぬのがほんとうなんだよ。」 「私はいきなりその草の芽に嚙みついた。顔じゅうで地面をこすり、舌や歯でさぐりながら、根こそぎ噛み切ろうとした。うまく行ったらしい。だがひどくしぶい。口の中がじゃりじゃりする。」 | ||||
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安倍公房氏の『終りし道の標べに』は、ヨシモト先生(吉本隆明氏)の『固有時との対話』『転位のために十篇』と類似する、瑞々しい青春の情感が流れているように感じられる処がある。どちらも、初期の作品だから、当然かもしれない。 磯田光一氏の『パトスの神話』の「安倍公房論――無国籍者の視点」に、『終りし道の導べに』の一節が引用されている。 <そう言った動作を見ながらふとまた故郷への路しるべを見たように思った。(中略)もしかしてその標には《故郷の無い真理はない》と書いてあったかもしれぬ。何故か胸がしめつけられるようにうずいた。そうだ、恐らく故郷の外に真理はないのだろう。勿論一般に真理という時、我々はもっと別なものを考えているのかも知れぬ。例えばもっと大きな、唯一的なもの・・・素直に我々の手に身を委ねようとはせず、遠くから我々を支配しようとするもの。(中略) 悩み、笑い、そして生活する為に、人間は故郷を必要とする。故郷は崇高な忘却だ。> 上記の一節の「悩み、笑い、そして生活する為に、人間は故郷を必要とする。故郷は崇高な忘却だ」という言葉を私はいたく気に入って、本書『終りし道の標べに』を購入した。 ところが、本書の中で、上記の一節と同じ箇所が見つからない。 それもそのはず、著者は上記の一節を書き換えており、次のようになっている(PP22, 23): < そう言った動作を見ながら、またぞろ故郷への道しるべをのぞいたように思つた。そのうんざりするほど常識的な行為から、自分自身にもうんざりしてしまう。しかし、とつさに、私は二つの故郷を見極めていたように思う。ひとつは、われわれの誕生を用意してくれた故郷であり、今ひとつは、いわば《かく在る》ことの拠り処のようなものだ。今の陳の行為も、その疑いをさしはさむ余地のない単純さによって、ある郷愁をそそるのだ。もしかすると、その標識には《故郷の無い真理はない》と書いてあつたのかも知れぬ。なぜか胸がしめつけられるようにうずいた。そうだ、恐らく故郷の外に真理はないのだろう。真理・・・素直にわれわれの手に身を委ねようとはせず、遠くからひたすら支配しようとするだけのもの。べつだん有難いとも思わない。やはり人間の倫理がわれわれの手の長さ、人間の行動半径と、内容対素材の関係に立つのと、同様の現象にすぎないのではなかろうか。 人間は生れ故郷を去ることは出来る。しかし無関係になることはできない。存在の故郷についても同じことだ。だからこそ私は、逃げ水のように、無限に去り続けようとしたのである。> 始めに挙げた文よりは、現実感覚に近い表現になっている。 私は、やはり、「悩み、笑い、そして生活する為に、人間は故郷を必要とする。故郷は崇高な忘却だ」という妄想的な表現が好きだ。 どうして私は「故郷は崇高な忘却だ」に魅かれるのだろうか? それは、ウイリアム・サローヤンの 『ディア・ベイビー』の「はるかな夜」の中の、私の心を揺さぶる、次の一節と重なるからである: <ひとには歩いて行く道があり、他の人々はみな、それとはちがう道をゆき、彼らもそれぞれが別の道へ別れてゆき、そして若いひとの何人かがいつも死んでゆく。 世間は狭いというけれども、再び会うことがなければ、その人たちは死んでいるのである。もし出会った場所へ戻って、ひとりひとりを捜し、見つけ出したとしても、彼らは死んでいるだろう。なぜなら、誰がどの道を行こうと、それは、人を殺す道なのである。> ところで、著者は、本書の「あとがき」次のように書いている: <私の処女作である。この作品を書きはじめてから、20年になった。初版は、昭和23年の秋だったが、ながいあいだ手もとに本がなく、内容についても、ほとんど忘れかけていた。(中略) しかし、あらためて読み返してみて、私に出発点として認めざるをえないという気持ちになった。(中略)さすがに表現のまどろつこしさは争えず、多少手を加えはしたが、あくまでも原意をより明確にする範囲内にとどめることにした。20年間行方をくらましていた、私の最初の分身を、いまは心よく迎え入れてやりたいと思う。> 著者は「多少手を加えはしたが、あくまでも原意をより明確にする範囲内にとどめることにした」と説明しているが、残念だが私の妄想は薄められてしまった、と愚痴をこぼしたい。 お終い | ||||
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とても懐かしく 読ませて頂きました。でも、何十年も前に読んだものでしたので、いま読んでみると 少し切ない気持ちになりました。 | ||||
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若いときに呼んだときの感動はもはやありませんでした。ただの面倒な文章。 小説は書かれた時代、読む人の年齢経験によって感じ方が違うものですね。 | ||||
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「終わったところから始まる旅に終わりはない。」 この一文が安部公房の全てであった。皮肉なことに。 背徳者として生きていかなければならないのなら、その覚悟を持たなければならない。そこで彼は自己を時々分裂させてしまう。その旅がここには書かれている。 精神科のインターンだった安部は医者にならないことを前提として大学卒業を認可された。 三島由紀夫に「君が小説を書いているのは分裂した罰だ。」と言ったが、それは安部とて同じではなかったか。 ただ認識しているか否かの違いであって。 自己のコントロールをし損ねる人間だけが持つ欠点を見事に昇華させていった安部だが、 旅先の四国で死を全うした彼には最後まで終わりはなかったと言えるのではなかろうか。 何が終わりかわからない、もしかしたら誰にも終わりは来ないのかもしれない。 終わりがないことの皮肉さを痛切に感じていた安部には安住する場所はなかっただろう。 | ||||
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