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| 新刊購入だったし問題なし。 | ||||
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| 遺作として執筆されたものではないのに、オースターなき今、どうしても総決算として読んでしまう。その独特な構成から、初めは何がどうなっているのか??? 何度もページを戻りながら読みました。なので理解できるまで、粘り強く頑張ってください。1960年代の固有名の嵐(知らないこと名称の方が多かった)ですが、これがオースターを形作ったものか、と勝手に感慨深く読みました。最終段では、久方ぶりに読書で涙がでそうになりました(今までのオースターへの感謝の念を含む)。今までの作品も、ゆっくり再読したくなりました。おすすめ! | ||||
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| ポールオースター「4321」。昨晩、読了しました。1947年に生まれるアーチーファーガソンの4種類の半生をアメリカの1970年代くらいまでのアメリカの大きな出来事(MLキング牧師暗殺、マルコムX暗殺、JFK暗殺、ベトナム戦争、公民権運動、アメリカの学生運動などなど)と絡めて描く長大な大河小説でした。 この小説の大きな特徴として、同じアーチーファーガソンの4種類のマルチバース的世界線を辿るというところがある。つまり4冊分の分量があるわけで、作者のポールオースターも「この形式で小説を書いたものはまだ誰もいない」と自信満々だが、読んでみるとなかなかすごいものを読んだという感じを受けた。 4種類の半生を別々に描き出しているため、登場人物は各人生でそれぞれ微妙な差異がある。ただ、重なる人物もいて、こっちでは恋人になる人物が他の人生ではファーガソンにとっては重要な人物ではあるのだが恋人にはならなかったりして面白い。 そこは、その人にとっても様々な人生の分岐があったのだな、と感じさせる、強い無常感に満ちた世界観を提示させていた。 アーチーの大学時代くらいまでをガッツリ書いていくので、初体験なども含めて恋愛が非常に大きな分量を占めており、僕も個人的には様々な終わった恋というものがあるわけで、この小説のような別の可能性もありえたと考えることはなかなか切ないものがあり、そこは抉られました。 それにしてもアメリカの現代というのはなかなか血生臭くも華々しく希望のある時代だったのだな、と思う。今は全く違うのだろうが。 主人公のアーチーが小説家志望だったりジャーナリスト志望だったりして、アーチーはその時々で指導的な立場の人たちから進まめられて大量の本を読む。この本に出てくる本だけをリストアップしているサイトもあった。 また、アーチーが書いたとされる文章が強調体で示されるが、その在り方が画中画みたいな作中劇のような感じで、さらに多層的な感じになっていてポールオースターもよくこんな構成を思いついたと思う。 アメリカのアツい時代を描いた小説ではジョンアーヴィングの「オーウェンのために祈りを」も素晴らしい小説だったが、こちらは4人分の感慨があり、最後は強烈な無情感を突きつけられた。 家では計画的に机に座って、夜は10時以降は何はなくともこの本を読むようにして、出張先の富山石川長崎ではなどにも持参して移動時にコツコツ読むなどして読み終えた。働いていてもきちんと本は読める。また、この本を読み終えたが故に別の本を読み始めることもできる。 自分のあり得た人生を想像することの意味を教えてくれる良い小説でした。長い本を求めている人にはおすすめです。 | ||||
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| 文学と映画が大好きなファーガソン少年の産まれてから大学卒業ぐらいまでの物語。舞台はニューヨーク近辺、時代は1950〜60年代が中心。それだけであれば、祖父母、父母、親戚、友人、等のサイドストーリーで膨らませたとしても300ページぐらいで終わると思う。しかし1000ページを超える大作となっているのにはある仕掛けがある。訳者の柴田元幸氏は読者自身でその仕掛けを発見してほしい本と評しているのでここではこれ以上書かないことにする。ただ通常の読み方だと相当記憶力も良い人でも何度も読み返すことになってしまうので、一節ごと簡単なサマリーを書きながら前に進むことを個人的にはお勧めする。 もしオースターが生きていたら、今のトランプ政権についてどんな文章を書いただろうかと想像してしまった。 | ||||
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| これまでオースターのほぼ全作品を読み、新作を楽しみにしていた私でも、本書を購入して読み始めるまでに、約二か月近くの期間があった。理由の一つは、本書の分量だ。2段組みで800ページ近くある。代表作の「ムーンパレス」単行本は1段組み360ページ程度。 二つ目は、本書の特徴的な構成だ。四つの並行世界を、同一の主人公で描いている。オースターらしく、偶然の出来事により、四つの世界は少しずつ、やがて大きくずれていくが、その変化を頭の中に入れながら、四つの世界を並行して読んでいかなくてはならない。ある程度、まとまった期間で集中的に読むほうがよい。(できれば十日間以内がいいだろう) 読み始めてみると、物語の内容よりも(オースターが亡くなったこともあり)、オースター独特の文体の魅力にどっぷりと浸かることのできる読書体験となった。「ガラスの街」から独特だったオースターの文体が、「4321」ではさらに際立っている。 オースターの文体の独特さとは何か? 小説の記述を大きく二つ、「場面」と「説明」と分けてみれば、オースターの小説がほぼ「説明」のみで書かれていることに驚く。多くの一般的な小説の文章は「場面」が中心だ。登場人物の会話と行動を伝えるシンプルな言葉で書かれ、読み進めるスピードで物語が今起こっているように読める。スティーブンキングの小説は、ほぼ「場面」であり、ドキドキハラハラしながらストーリー展開を楽しむことができる。 対してオースターの文体は「説明」が中心だ。語り手(登場人物や筆者本人)が、記憶をもとに読者に語り掛けてくるような記述。物語を大づかみに(要約的に)述べたり、場面描写に近い語りで詳しく述べたりするが、基本的には記憶をもとにした語りであり、そこでは時間が自由に伸びたり縮じんだりしている。「場面」に近いスピードの記述もあれば、3か月が1行で記述されることもある。 本書の中でも小説家を目指す主人公に「ひたすら説明的にどんどん語って、具体的に見せることはあまりしない。そういうのってよくないやり方だってみんな言いますけど、僕はあの、物語がぐんぐん進んでいく感じがいいと思うんです。すごく込み入ってますけど、と同時に、おとぎ話を読んでいるみたいな感触もあって。」と語らせている。 記憶が、語りの材料のすべてになっている点は、最初期の「記憶の書」と同じだ。文章の中に、複数の視点や時空間が縒り合されおり、いくつかの時空が重なり合いながら流れていく。 言語が世界を十全には表現できないという認識に立つと、重要なのは言葉持つ音楽的な側面なのではないか。その言葉の音楽的側の流れに、すっかり心身をゆだねると、自分の精神が穏やかに整えられていくのを感じる。「小説とは、心に一種の秩序を与える言葉の装置である」ことを実感した。それは、優れた音楽を集中して聞くときに得られ境地に近いように思う。 小説では、主人公の父方の親族「ファーガソン家」と、母方の親族「アドラー家」、母の再婚により「シュナイダーマン家」の親族、それに多くの友人や恋人が小説内に登場する。読み進めるにつれて同じ人物の境遇が四つの世界内で大きく異なっていく。私は人物相関図を作りながら読んでいったが、あまり深く考えず、ただただオースターの言葉のリズムを味わうだけでも十分に楽しめる。ひょっとしたら、その読み方が最もこの小説の本質に迫ることのできる読み方なのかもしれない。 また、「ガラスの街」「記憶の書」等の初期の文章に比べ、一つの文章の長さが際立って長くなっいる。それでも無理なく自然に読み進めることができるのは、柴田元幸さんの名訳があってこそだろう。柴田元幸さんを通してオースターに出会えたことに、感謝の念を強くした。最近のオースターの小説は(昔からそうかもしれないが)、暗い結末に滅入ることもあった。その点、結末がある意味でオープンエンドの本作は、とても好ましく感じるのだ。傑作。 | ||||
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