ほんのささやかなこと
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| 内容はいいが、いかんせん価格が高すぎ。 | ||||
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| シェリー・ケイガン『ほんのささやかなこと』を読み終えて、しばらくのあいだ、妙に言葉を探している自分がいた。感動した、というほどでもなく、かといって何も残らなかったわけでもない。ただ、胸の奥のどこかに小さな石のようなものが沈んだまま、静かにそこに在り続けている。そういう読後感だった。 この物語には、大きな事件も劇的な転回もほとんどない。ただ、人が「見る」と決めた瞬間と、「見ない」と決めてしまう瞬間の、そのわずかな選択の重さだけが、淡々と描かれている。そしてその選択が、本人の人生だけでなく、他人の人生をも静かに歪めていく。その事実が、過剰に説明されることもなく、ただ示される。 背景に実際の出来事があるということは、読んでいる最中も確かに意識されていた。けれども、それが声高な告発や正義の物語へと転じることはない。むしろ、この小説は「正しさ」というものの輪郭を意図的にぼかし、読者の前にそっと差し出してくる。主人公の沈黙も、躊躇も、どこか歯切れの悪い態度も、決して美化されてはいない。ただ、人間という存在の現実として、そこに置かれている。 読みながら、何度も「これは自分だったらどうするのだろう」と考えた。そして、その問いに即答できない自分にも気づかされる。その居心地の悪さこそが、この作品の核なのだと思う。英雄でもなく、悪人でもなく、ごく普通の人間が、ほんのささやかな選択を積み重ねながら生きている。その姿が、あまりにも静かに、しかし確実に胸に残る。 この物語は、歴史の大きさを語っているのではなく、人の心がどこで目を逸らし、どこで踏みとどまるのか、その微細な揺らぎを見つめている。だからこそ、短いにもかかわらず、読み終えたあとも思考が簡単には収束しない。結論ではなく、問いだけが残る。 読書とは、ときに答えを得ることではなく、自分の沈黙の輪郭に気づくことなのかもしれない。この作品は、まさにそうした種類の一冊だったように思う。 | ||||
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| 新聞や雑誌の書評欄で高評価されているから、読んでみた。中編小説なので、半日もあれば読めてしまうだろう。面白ければ。 読み終えるのに、私は2日間掛かった。正直、私には楽しくなかったし、道徳に取り上げられるテキストのようだった。 | ||||
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| アイルランド出身の作家クレア・キーガンの小説です。本文活字は大きく140頁足らずと、中編というよりむしろ短編といってもいい長さです。著者は映画「コット、はじまりの夏」の原作者で、この作品も最近キリアン・マーフィー主演で映画化されています。 1985年、アイルランドの小さな町で石炭と木材を商うビル・ファーロングは、クリスマスが迫り寒さが厳しくなるなか、一年で最も忙しい時期を迎えていた。ファーロングはこの町で妻と5人の娘たちと仲睦まじく暮らしており、娘たちを女子修道院が経営する名門女子校に通わせていた。ある日、石炭の配達のために修道院を訪れたファーロングは、「ここから助け出してほしい」と懇願する娘たちに出くわす。修道院には、未婚で妊娠した娘たちが送り込まれているという噂が立っていた。帰宅してこのことを妻に打ち明けるが、波風を立てて生活が脅かされることを恐れる妻からは、その問題には首を突っ込まないようにと釘を刺される。隠された町の秘密に触れ、決断を迫られたファーロングは、私生児として産まれた自身の過去と向き合いながら、現実と宗教的良心のはざまで葛藤する。 単純な物語のように見えて、そこにはアイルランドという国が抱えるいくつかの社会問題が投影されているように思います。カトリックとプロテスタントの間の宗教的対立。政治的には北アイルランドの帰属問題。そして、主題であるマグダレン洗濯所。(マグダレン洗濯所については、2002年にアイルランドが製作した「マグダレンの祈り」という秀作映画があります)したがって、ここに描かれている主人公の葛藤はじつはそれほど単純なものではないのですが、そのような国家的事情を考慮せずとも、罪悪と対峙したときに我々がどのような態度を選択するかという、一般的な問題として捉えることもできそうです。たとえば、学校や会社で誰かが苛められたり迫害されていることに気付いたときに、自分ならどう振る舞うだろうかということだと思います。そういう意味で、「ほんのささやかなこと」という題名は、罪を見て見ぬふりをする人々にとっての自己弁護であり、そのような態度に対する強烈なアイロニーになっているのです。 | ||||
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| 作品自体は掛け値無しにすばらしい。ずっしりした感触と軽快な文体とが両立していて、第二章以降はほんとうに自然に、主人公へぐっと感情移入するよう導かれるのだけれど、結末では、主人公の行動の意味を一歩引いて考えるように誘われる。このあたりも見事。クリスマスが来るたびに読み継がれるべき名作だろう。 翻訳の文章はいかにも「鴻巣」節。彼女の文体にはファンも多いのだろうけれど、独特のクセが、気になる人には気になる。他に、ちょっと問題なのは、ときどき前の場面のことを忘れたような訳文が見られる点。1つだけ指摘すると、第六章の96頁に、アイリーンが礼拝堂の前で娘たちに募金のための小銭をもっているかどうか尋ねる場面がある。アイリーンは続けて「それとも、父さんがもう渡してくれたかな?」と娘たちに尋ね、それを聞いてファーロングが「そんなみっともない話を往来でするな」と声をとがらせる。「もう渡してくれたかな」では、なぜファーロングがむっとしたのか、読者にちゃんと伝わらない訳になっているように思われる。ここは、ファーロングが気の毒なシノットにポケットの小銭を恵んでやったことを、もったいないとアイリーンが責めた、第二章や第三章の経緯を踏まえたやりとりのはずである。アイリーンは、「父さんは、娘の献金のぶんの小銭まで全部他人に渡してしまったのかな?」と、以前の話を蒸し返して当てこすりを言ったのだ。だからファーロングはむっとしたのである。往来でお金の話をするなんてはしたない、とたしなめているわけではない。このへん、登場人物の心理を丹念にくみ取る訳文を考えてほしかった。こんな訳がいくつかある、ということで、星一つ減。 | ||||
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