ほんのささやかなこと
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新聞や雑誌の書評欄で高評価されているから、読んでみた。中編小説なので、半日もあれば読めてしまうだろう。面白ければ。 読み終えるのに、私は2日間掛かった。正直、私には楽しくなかったし、道徳に取り上げられるテキストのようだった。 | ||||
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アイルランド出身の作家クレア・キーガンの小説です。本文活字は大きく140頁足らずと、中編というよりむしろ短編といってもいい長さです。著者は映画「コット、はじまりの夏」の原作者で、この作品も最近キリアン・マーフィー主演で映画化されています。 1985年、アイルランドの小さな町で石炭と木材を商うビル・ファーロングは、クリスマスが迫り寒さが厳しくなるなか、一年で最も忙しい時期を迎えていた。ファーロングはこの町で妻と5人の娘たちと仲睦まじく暮らしており、娘たちを女子修道院が経営する名門女子校に通わせていた。ある日、石炭の配達のために修道院を訪れたファーロングは、「ここから助け出してほしい」と懇願する娘たちに出くわす。修道院には、未婚で妊娠した娘たちが送り込まれているという噂が立っていた。帰宅してこのことを妻に打ち明けるが、波風を立てて生活が脅かされることを恐れる妻からは、その問題には首を突っ込まないようにと釘を刺される。隠された町の秘密に触れ、決断を迫られたファーロングは、私生児として産まれた自身の過去と向き合いながら、現実と宗教的良心のはざまで葛藤する。 単純な物語のように見えて、そこにはアイルランドという国が抱えるいくつかの社会問題が投影されているように思います。カトリックとプロテスタントの間の宗教的対立。政治的には北アイルランドの帰属問題。そして、主題であるマグダレン洗濯所。(マグダレン洗濯所については、2002年にアイルランドが製作した「マグダレンの祈り」という秀作映画があります)したがって、ここに描かれている主人公の葛藤はじつはそれほど単純なものではないのですが、そのような国家的事情を考慮せずとも、罪悪と対峙したときに我々がどのような態度を選択するかという、一般的な問題として捉えることもできそうです。たとえば、学校や会社で誰かが苛められたり迫害されていることに気付いたときに、自分ならどう振る舞うだろうかということだと思います。そういう意味で、「ほんのささやかなこと」という題名は、罪を見て見ぬふりをする人々にとっての自己弁護であり、そのような態度に対する強烈なアイロニーになっているのです。 | ||||
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作品自体は掛け値無しにすばらしい。ずっしりした感触と軽快な文体とが両立していて、第二章以降はほんとうに自然に、主人公へぐっと感情移入するよう導かれるのだけれど、結末では、主人公の行動の意味を一歩引いて考えるように誘われる。このあたりも見事。クリスマスが来るたびに読み継がれるべき名作だろう。 翻訳の文章はいかにも「鴻巣」節。彼女の文体にはファンも多いのだろうけれど、独特のクセが、気になる人には気になる。他に、ちょっと問題なのは、ときどき前の場面のことを忘れたような訳文が見られる点。1つだけ指摘すると、第六章の96頁に、アイリーンが礼拝堂の前で娘たちに募金のための小銭をもっているかどうか尋ねる場面がある。アイリーンは続けて「それとも、父さんがもう渡してくれたかな?」と娘たちに尋ね、それを聞いてファーロングが「そんなみっともない話を往来でするな」と声をとがらせる。「もう渡してくれたかな」では、なぜファーロングがむっとしたのか、読者にちゃんと伝わらない訳になっているように思われる。ここは、ファーロングが気の毒なシノットにポケットの小銭を恵んでやったことを、もったいないとアイリーンが責めた、第二章や第三章の経緯を踏まえたやりとりのはずである。アイリーンは、「父さんは、娘の献金のぶんの小銭まで全部他人に渡してしまったのかな?」と、以前の話を蒸し返して当てこすりを言ったのだ。だからファーロングはむっとしたのである。往来でお金の話をするなんてはしたない、とたしなめているわけではない。このへん、登場人物の心理を丹念にくみ取る訳文を考えてほしかった。こんな訳がいくつかある、ということで、星一つ減。 | ||||
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日本人の弱いところが悲しい | ||||
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単行本で160頁の中編小説だが、人間の生き方への重い問いかけを含んでいる。 物語の背景には、アイルランド政府とカトリック教会によって運営されていた母子収容所(マグダレン洗濯所)における女子労働の搾取と児童虐待があるが、これは昔の話ではなく1996年まで続いていたという。2021年の調査報告によると、18の施設で9000人の子どもが亡くなったとされるが、政府が謝罪したのは2013年である。 すぐに想起されるのは日本のハンセン病患者強制隔離政策であり、奇しくも同じ1996年にらい予防法が廃止されるまで、全国13の国立ハンセン病療養所で強制隔離政策が続けられており、政府が謝罪したところまでよく似ている。 この小説は、こうした虐待を正面から取り上げて糾弾するのではなく、1980年代のアイルランドの大不況下で懸命に家族の生活を守って生きる主人公が、あるとき洗濯所で虐待されている少女に接し、自らの生き方を問う物語となっている。 クリスマスを迎える家族のささやかな幸せと主人公の懊悩を鮮やかに対照させる構成が見事である。 ただ、著者の問いかけは、むしろ主人公の妻を含む町の人々、すなわち洗濯所の虐待を薄々知りつつ黙認している人々に向けられている。今そこにある差別や虐待に気づきながら、父親のわからない子を産む少女や外国人移民たちのことは自分たちとは別の世界だ、あるいは「こんな些細なこと Small Things Like These」(本書の原題)として人権侵害に向き合わない、その鈍感さこそが問われているのである。 | ||||
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