ムーン・パレス
- 青春小説 (221)
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「ムーン・パレス」は、P・オースター自身が学んだコロンビア大学のそばに実在した中華料理店の名前らしいのだが、なにやらこの作品の重要なメタファーとみることも出来そうな気もする。この作品を読んでいてアメリカ人にとってムーン(月)なるものがたとえば手に届くような憧れや希望を感じさせる対象として感覚されているのかとおもえるくらいこの作品が<自分さがしの旅>のように西へ西へと向かうストーリーと重ねられているようにおもえるからだろうか。 本著はそういう意味でも作者自身の自伝的な趣を感じさせるいわば青春小説といえるかもしれないけれど、冒頭の滑稽なほどに自虐的な貧困青春物語にはじまりジュリアードで演劇とダンスを学ぶ聡明で美しい中国人女性キティ・ウーとの出会いによって、物語はミステリアスで複雑な様相を孕みながら読者をグイグイと作品世界に引き込んでいく魅力がある。それというのも物語の後半に差しかかって登場するそれぞれの人物の関係性が明らかにされ、いくつかのエピソードや物語の全貌がはっきりするように構成されていることがこの作品を青春小説の枠にとどまらない不思議な魅力となっているからだろう。 おもえば、ニューヨーク三部作でもこのようにいくつかの時間軸を保ちながら物語を成立させるものがあったけれど、このことは作家自身が「これらの三部作はいずれもみな同じ作品」だということの意味するものと無関係とはいえない気がする。つまり、P・オースターにとって小説を書くことがそれこそ形而上学的な存在のあり方を探求することを意味するからではないだろうか。「幽霊たち」においてはさらに読書体験をふくむ出来事さえも存在のあり方を求めていると考えられるからだ。 ここでは三人の人物の物語が奇妙なかたちで交差するように展開されながら最後には統一された時間と関係性の流れとして完結していく。 主人公のM・S・フォッグは奇妙な老人(エフィング)の世話と彼の話し相手をしながら老人の自伝を書く仕事を得るのだが、エフィングの話は二つの名をもち二人の人生を生きたという信じがたいほどの奇妙なものだった。老人の死後その遺灰を海に蒔き、家政婦ミセス・ヒュームやキティとともに葬るのだが老人の遺言から思いがけない大金を得ることになる。 エフィングの息子ソロモン・バーバーはアメリカ史の研究者となって1944年に歴史学の博士号を取得し、学術誌に多くの論文発表しながらいくつかの大学で教壇に立っていることが分かる。 ソロモン・バーバーとの出会いによってフォッグは自分の母とバーバーの関係を知らされバーバーが自分の父であることを知る。 チャイナタウンでのキティとの暮らし。キティの妊娠と別れ。バーバーの父(エフィング)がかつて画家ジュリアン・バーバーとして旅したユタ州北部の洞穴を訪ねる旅。そしてバーバーの死。何もかもすべてを失ったフォッグは月を見上げて再出発することになる。 なんとも云いようのない偶然が交りこんだ物語ではあるが、この作品が全編を通じて<自分さがしの旅>のイメージと重なるのはどういうことを意味するのだろうか。 二十四年のあいだ、解答不可能な問いを抱えて暮らしてきた僕は、その謎をまさに、僕という人間の核をなす事実として受け止めるようになっていた。僕の起源はひとつの神秘であり、僕は自分がどこから来たのかを決して知ることはないだろうーそのことこそが僕を定義していたのだ。僕は自分のなかの闇に慣れきって、いわば知と自尊の源としてその闇に固執し、ひとつの存在論的必然としてそれに依存するようになっていた。父を見つけたいとどんなに激しく焦がれたにせよ、本当に見つかると思ったことは一度もなかった。(p506) このことはまさしく読むことと書くことの行為が物語を通して確認される形而上学的な経験のあり方を現しているようにおもえてならない。 本著『ムーン・パレス』は、著者のことばを引用すれば滑稽さを加味した大衆的な通俗性とともに偶然とその因果に存在の源を探る芸術性を合わせてもつ傑出した作品といえるのではないだろうか。 | ||||
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学生時代に「幻影の書」を読んだけれどその時はぴんとこなかった。 訃報を受けて知り合いが進めてくれたこの本を読んでみて、オースターの魅力とはこういうことかな、と再発見した気分です。 読む時間がとれなくて、けっこう長い時間をかけて少しずつ読み進めたのだけど… 呆れるほど荒唐無稽なストーリー、やけにドラマチックな描写、それなのに最後まで読み通させてしまう力があって、不思議。 映像が目に浮かぶ作品で、後に映画も作っていることも納得しました。 | ||||
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小説をどのように読むかによって小説の評価の仕方は変わる。私はなんでも自分の状況や自分の人生に関連付けて読んでしまうが、そういう観点から見てこの小説はとても良く、共感できた。映画的なもの、芸術的なものなどを求めて小説を読む人にはあまり面白くないかもしれない。エンターテインメントとして劇的なほどではないし、芸術的な描写が溢れているわけでもない。当時のアメリカ社会が生き生きと活写されているとかそんなものも無い。この小説は主に3人の男たちの物語が主軸であり、この3人の男たちは共通する性質を持っている。彼らは、偶然の悲劇に見舞われ、偶然の幸運を受け入れ、偶然に翻弄されながら、それに立ち向かって抵抗するというよりはむしろ運命のまま、導かれるまま、あるいは自分の心の赴くままに進んで行く。そして偶然というのはどれも大抵幸運よりは不幸であり、この不幸に対し、男たちは喉が嗄れるまで叫び、喚き、暴れ、そしてその場を去って行く。それは逃げ去るというのではなく、むしろ自分そのものを葬り去って新たな自分になろうとする行為だ。そこで彼らは徹底的に孤独である(彼らは三者三様に家族を喪っている)。いやむしろ孤独だからこそ抜け殻を捨てて飛び出せてしまうのだ。そういう孤独な男たちの態度や、言ってしまえば人生に対し自暴自棄になってどうにでもなりやがれくそったれと歩いていく様は、私にとってとても共感できる内容だった。だから私はこの小説がとても良い小説だと思う。従って当然ながら、心温まるエピソードとか感傷的な恋愛とか、哲学や芸術論、あるいは女性の生き方などについて求めている人々には興味も持てない小説だろうと思う。 ただし、主人公は少々物を書いてみることがあり、翻訳で小銭を稼ぐこともある多少の文学青年らしいしぐさがある。またもう一人の男は画家であり、彼は特に芸術的な観点を小説内に持ち込むことがある。小説の中ほどで、事物や世界をいかに眺めるかという視点で少々長い叙述を差し挟まれ、そこでかなり辟易し流し読みをした。なにせ526ページもあるのだ。少々つまらない箇所を斜めに読んだとて面白さが損なわれることもあるまい。また物事を書くということはどういうことか、持論を垂れるような箇所もある。このあたりは小説家としての著者の顔も浮かんで見えるし、あまり良い気はしなかった。しかしそれも長くは続かない。少し耐えていると、物語は大きく広がりを見せ、語られていた物事が繋がり始め、面白くなってくる。 また、小説の序盤で悲惨の極みに陥った主人公を救うのは主人公に一目ぼれした女性である。そしてこの女性との恋愛がしばらく主人公を支えてくれる。この「理解のある彼くん」的登場もなかなかうんざりした。もしあなたがハリウッド映画のどれを見ても下らない陳腐な恋愛とラブシーンが混じってることにイライラする性質の人なら、当然この小説にもそういうアメリカンな陳腐さを感じずにはおれないかもしれないが、結局この恋愛はきちんと破綻するので安心してほしい。恋愛などで救われるなら、不幸も悲惨も馬鹿馬鹿しい。孤独な男が、運命に抗うような安全基地も活力も目的も無く、放浪してどこへ行くのか。孤独、偶然、不幸と幸運、破滅、破綻、脱出、放浪、そういうものに自己を重ねられる全ての人に、この小説をオススメする。長い小説なので、興味の無い描写は適当に読んでいい。中盤を過ぎるとぐっと物語の面白さが増して、読み進む力が湧いてくる。これだけ長いページを繰った甲斐あって、最後にはそれなりにカタルシスを得られる。ああここまで読んでこれて良かったと思える。 アメリカ文学ではヘミングウェイ、サリンジャー、フィッツジェラルド、フォークナー、トウェイン、ポーなど有名どころは読んできたが、どれよりも共感出来て楽しい体験だった。 | ||||
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面白かった。 一人の子供が大人になる「成長小説」。 時代は1950年代後半~1970年代前半。 舞台はニューヨーク。ニューイングランドやシカゴなどがいくつか点在するが、基本的にメインはニューヨーク。 早くに母を失い、父は生まれる前にいなくなったという主人公の青年の魂の変遷が、出会った人たちの影響を受けて激しい浮き沈みを見せ、悲惨な時は本当に悲惨で、しかし、その悲惨な生活の中に人生の真理が潜んでいるようにも感じられる。主人公に私はすっかり感情移入してしまった。 彼のその時その時の心情独白がとても味わい深く、「なるほど、その気持ちわかる」的なことがとても多かった。 多くの年長の縁者が次々に死にやるせない思いになるが、それもまた人生の摂理なのだろう。 | ||||
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何の汚れかわからないがカバーに付着しているものが納品された(新品で購入) 本自体は問題無いので星3つにさせていただきます。 | ||||
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