鍵のかかった部屋



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初公開日(参考)1989年08月
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長編小説

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鍵のかかった部屋 (洋販ラダーシリーズ)

2007年06月30日 鍵のかかった部屋 (洋販ラダーシリーズ)

幼なじみのファンショーが、美しい妻と小説の原稿を残して失踪した。不思議な雰囲気をたたえたこの小説の出版に協力するうちに、「僕」は残された妻ソフィーを愛するようになる。だがある日、「僕」のもとにファンショーから一通の手紙が届く。いまアメリカで最も注目される作家の最高傑作。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。 出版社からのコメント 【ラダーシリーズは、使用する言語を限定して段階別にやさしく書き改めた、多読・速読に最適な英文リーダーです。】 特長は? ●やさしい英語で書かれた本文 ●いつでもどこでも手軽に読める巻末辞書つき ●細かく設定された難易度※ ●古典からノンフィクションまで幅広いジャンル ●ウェブでのリスニングサポート だから自分にぴったりの1冊が選べて、あなたに合ったペースで英語とつきあえます!! ※難易度(使用語数) ●LEVEL1 TOEIC 300点以上 英検4級以上 (1000語) ●LEVEL2 TOEIC 350点以上 英検3級以上 (1300語) ●LEVEL3 TOEIC 400点以上 英検準2級以上(1600語) ●LEVEL4 TOEIC 470点未満 英検準2級以上(2000語) ●LEVEL5 TOEIC 470点以上 英検2級以上(制限なし) (「BOOK」データベースより)




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No.29:
(3pt)

内容が難しくないので短時間で楽しめました。

三部作の中では読みやすい話でした。つまり邪な話の流れや先がわりあい読めてしまいますが、人間関係の裏表および心理描写の描き方が中途半端に思え、物足りなさがありました。読み終えると、ファンショーの「どこでもない国」が気になってーー読んでみたくなりました。
鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)Amazon書評・レビュー:鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)より
4560044562
No.28:
(5pt)

「カリスマ」の絶望

ポール・オースター『ニューヨーク三部作 The New York Trilogy 』の一冊である。三部作の中で唯一主人公の存在が確かだと感じられる作だ。小説内現在は1984年と明記されて、それを起点に登場人物の年譜も作ることができる。その他にも主人公ファンショー実在の証明は、語り手の「僕」と再婚した彼の妻ソフィーや、彼の実子で「僕」の養子となったベンの確固とした存在がある。主人公が最初から不在だったり、行方不明になったりする他の二作とはちがう。

作品で驚くのは作者が顔を覗かせること。「ファンショーはいなくなった。そして彼とともに、僕もいなくなったのだ」と書く小説内の「僕」は、「その結果がもし僕の内側に残っていなかったら、僕はこの本を書き始めることは出来なかったろう。この本の前に出た二冊の本についても同じことが言える。『ガラスの街』『幽霊たち』そしてこの本、三つの物語は究極的に皆同じ物語なのだ」、と書く「僕」とは別人で、後者は作者自身だ。だが作者に読み方まで縛られたくはない。私の読みでは、ファンショーは死に「僕」は彼から解放されて生き続ける。

「僕」とファンショー関係は、さしずめ『グレート・ギャツビー』のギャツビーとニックに例へられよう。しかしそんな緩い関係ではない。二人は中産階級が住む街の隣りあう家の同年生まれで、兄弟のように育った。ファンショーは一種の天才少年で既に自分の「閉じた系」の中におり、他人からの評価を自己のアイデンティティとする凡庸な「僕」はハラハラしながら彼につき従う少年だった。ファンショーはハーバード、「僕」はコロンビア大学に進み,二人は初めて別れて暮らすが、二年後、彼は中退し失踪する。父がガンで亡くなり、学資の支払いが困難になるだろうからと母に告げたそうだが、本当は大学生活の退屈さに耐えられなかったのだと友人は言う。音信が途絶え、生死もわからない。

8年後「僕」はニューヨークで一応「気鋭の批評家」の評価を得ているが、内実は家賃の支払いにも事欠く売文業者だ。生活に追われ、まとまったものなど書けないと自虐する日々を送っている。ある日ソフィーと言う見知らぬ女性からの手紙を受けとる。ファンショーの妻だと名乗り、夫は6ヶ月前から行方不明になっているが、あなたに夫からの伝言がある、という。翌日彼女を訪れるが、まずその美しさに眼を奪われる。ベンという行方不明後に生まれ男児を抱いている。言伝ては、ファンショーが書き貯めた膨大な原稿を評価し、公表すべき価値のある作品なら、出版代理人になって欲しいというものである。「僕」はソフィーに惹かれて原稿を持ち帰り、2週間かけて読み通すが、これまでに類を見ない小説だと感じる。

出版は大受けして、二人は大金持ちになり、同時に関係も深まる。ソフィーは夫の死亡を疑わない。世間ではファンショーと言う作家は存在せず、「僕」がゴーストライターではないか、との噂がたつ。「僕」は否定し、それほど疑われるのならば、「僕」がファンショーの自伝を書いても良いと言ってしまう。ソフィーも「誰かが書かなくてならないのなら、彼を最も良く知っているあなたが書くべきだ」と薦める。

そんな折り、ファンショーからの手紙が届く。生きていたのだ。自作の出版を喜び、自分は死んだことにして、ソフィーと結婚してやってくれ。僕を見つけたら君を殺すと。ソフィーには手紙を見せられない。読んだらファンショーに走ることが明白だからだ。急遽「僕」たちは離婚手続きが簡単なアラバマ州に飛び、ニューヨークで結婚する。知り合ってから1年目になる。「僕」はファンショーの伝記執筆を始めるが、それは口実で、本当の目的はファンショーの生死を確かめること。後半の物語は彼を捜すための「僕」の旅となる。

ファンショーが遍歴の先々から妹に宛てた手紙(その大半は妹に見せずミセス・ファンショーが保管していた)を借り、書かれている微かな手掛りを基に、彼が数年滞在していたというフランスまで行くが、実りはない。「僕」は探せば探すほど、生死はおろか、彼の正体までもつかめなくなる。憎しみが募る余り、「僕」は彼を追っているのか彼に追われているのか。彼を殺そうと願っているのか彼に殺されることを願っているのか判らなくなってくる。という、ポール・オースター得意の心理の逆転劇が楽しい。最後はパリの酒場で居合わせたアメリカ人に、「俺がファンショーと呼ぶのだからお前はファンショーだ」と言いがかりをつけて殴り倒され、傷心の帰国となる。

ファンショーに憑りつかれた「僕」は肝心なソフィーの愛情すら失いかけ、一年余りも別居する。結局伝記執筆は諦め、妻のもとに帰り次男も生まれた。そして1982年、またもやファンショーの手紙が届く。「話をしたいから直ぐにボストンの自宅に来てくれ」と。ソフィーにはボストン図書館に行くと偽って、ある雪の朝、ファンショーの家(昔は由緒あったらしい4階建ての崩壊寸前のビル)を訪ねる。ドアの内側に銃を持ったファンショーが居て、「話をしたいと言ったが、会うとは言ってない、ドアを開けたらお前を殺す」と言う。今日死ぬつもりで既に毒を飲んだ」とも。

ファンショーが会いたいと言った目的は、最近書き終えた「手記を読んで欲しい」というもの。積もり積った友情と鬱積が閾を越え、「僕」はドアの前で泣き崩れる。気が付いた時は「赤いノート」を抱え、雪のなかボストン駅へ歩くシーンとなる。列車を待つ間に読んだ手記は明白な印象を残しつつも、「僕」の探索結果と同じく、全く内容のつかめない代物だった。「僕」はノートから一頁ずつ千切ってはゴミ箱に投げ入れ、最後の頁を捨てた時、列車が到着する。完。

凡庸な「僕」のファンショー探しは単純だ。ひとえにソフィーを愛していることに尽きる。では世間から身を隠したファンショーの意図はなにか。これも他の二作と異なり、精読すれば明白だ。私の読みはファンショーの「カリスマ殺し」。ファンショーは突然変異的なカリスマの持主だった。意図せずに、あらゆる人から魅了された。ファンショーと同級生だった編集者の弟は「皆が彼を〚未来の大統領〛だと言っていた」とまで言う。ファンショーが自身の「カリスマ」性を知ったのは、妹が彼を魅了するあまり、ついには精神病にまで陥ってしまった時だろう。それ故失踪したのだが、結局は行く先々でリーダーに持ち上げられそうになる。カリスマ性を発揮して俗世間の指導者になるなどは、彼には「おぞましさ」に尽きる。徹底的に忌避するには身を隠すしかない。だが試みに「僕」に評価を依頼した小説は出版されて大成功を収め、「僕」が伝記を書くという話も判った。何時か身元も割れるだろう。それを避けるにはもう死ぬしかない。一言でいえば「カリスマ」の絶望だ。

標題〚鍵のかかった部屋〛の意味もこれから判る。ファンショーは「鍵のかかった」部屋の中でしか、いきることが出来なかった。
鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)Amazon書評・レビュー:鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)より
4560044562
No.27:
(5pt)

持っていかれる

さすがストーリーテラー、ポール・オースターです。
一度読み始めたら、最後まで読まざるを得ません。
どこにこのようなことを語る要素が入っているのでしょうか。
同じ人間なのに不思議です。
鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)Amazon書評・レビュー:鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)より
4560044562
No.26:
(5pt)

とり憑かれたような感覚

なんとも不思議な読後感だ。この小説の全体を意味する大きなメタファーともいえる「鍵のかかった部屋」は、いつの間にか不在の人物ファンショーにとり憑かれたような奇妙な感覚と人間の本質存在論的な不可解さに引きずられるように否応なくそのことを考えさせる。つまり、この物語はファンショーという不在の人物をめぐって一人称で書かれた僕によって語られるのだが、構造的にみて三つの時間軸で重層的に描かれているからかもしれない。
たとえば、記憶の中にある親友ファンショーと過ごしともに成長した幼少期から青年期までのいくつかのエピソードや家族関係のこと。つまり、ファンショーが残した膨大な原稿を書いたと思われるその時のことだ。

この雪におおわれた、開いた墓穴でも、それと同じようなことが起きていた。ファンショーは一人下にいて、自分だけの思考にふけり、自分だけでその瞬間を生きていた。まるで本当は僕などそこにいないかのように。これが父の死を想像するためのファンショーなりのやり方であることを僕は理解した。ここでもまた、ことはまったくの偶然から始まっていた。開いた墓穴がそこにあり、ファッショーはその墓穴が自分を呼んでいると感じたのだ。(p46)

そして、不在となったファンショーが残した膨大なノートや原稿のことで妻ソフィーから突然の連絡を受け、彼の意に沿ってそれを著作として刊行するために出版者として関わることになる。

その通りだった。結果的には、おそらくスチュアートが想像もしなかったほどの「めっけもの」だった。『どこでもない国』はその月の末に出版が決まり、と同時にほかの作品も同じ出版社が優先権をとった。(P64)
考えてみればたしかに、ファンショーの原稿がすべて出版されたとして、そのあと僕が彼の名前を使ってもう一冊か二冊本を書くことはまったく可能である。もちろんそんなことをする気は僕にはなかった。でもそう考えてみるだけで、僕の頭の中に、奇妙な、謎めいた想いがあれこれ浮かんできた。作家が自分の名を書物に記すことにはどういう意味があるのか?(P76)

さらに、僕の手によってファンショーの『伝記』を執筆することで、物語それ自体を相対化し現在を読み手と共有できる時間が重なる構造となっている。

『ガラスの街』『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。
ただそれぞれが、僕が徐々に状況を把握していく過程におけるそれぞれの段階の産物なのだ。ぼくは自分が何か問題を解決したのだなどと主張するつもりはない。僕はただ、起きた出来事を振り返っても自分がもはや怯えなくなった瞬間が訪れた。ということを伝えようとしているだけなのだ。そういった瞬間に続いて言葉が生まれ出てきたとしても、それは単にそれらの言葉たちが僕に望んでいる方向に進んでゆくしか手はなかったからだ。だが、それだけでは、それらの言葉が重要だということには必ずしもならない。僕はこれまで長いあいだ、何かに別れを告げようと苦闘してきた。この苦闘こそが何にもまして重要なのだ。物語は言葉の中にはない。苦闘の中にあるのだ。(P183)

ニューヨーク三部作といわれポール・オースターの名を知らしめた作品の中でも本著『鍵のかかった部屋』とはじめて出合った衝撃はぼくにとって驚きだった。
この小説を読みながら、ぼくはロシアのイリヤ・カバコフというアーティストの「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」という展覧会のことを思い出していた。それはイリヤ・カバコフが《シャルル・ローゼンタール》という作家を想定しその人の人生をふりかえる回顧展という手の込んだ設定で行われたのだが、この作品が著者の手記とも自伝ともとれる様式をもちながら人間の本質存在を明るみにする稀有な物語として描かれていると思ったからかも知れない。
ここでは主人公として登場する(しない?)ファンショーという人物が本当に実在するものなのか、失踪したあとに生きているのか死んでいるのかさえ不確かなまま物語は進行し、あるいはフィクションとして語られる装置のようにも感じられる。だが、ベンとソフィーの存在する事実からおそらくそれらしき実在の人物が存在したことは事実というほかない。ファンショーはおそらくこの物語の架空の人物として用意されたフィクションとしての存在のような気がするのだが、そのこと自体はこの作品にとって大した問題ではない。
いうなれば推理小説の形式を示しながら完結してとじられる世界ではなく、ポール・オースターという作家のきわめて観念的で人間的なまなざしが捉えた客体化された物語をそれにかかわる主体(作者と読者)との存在論的なあり方を措定していることに注目したい。そういう意味では現実と非現実との間を流動的に往復できる装置として現在を描いたきわめて斬新でシリアスな物語といえるのではないか。
余りにも個人的な思惑に埋没した思弁的な捉え方とおこられるかもしれないが、ぼくはそういう作品があって欲しいとそう思うからでもある。
カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、町田康「ギケイキ」、P・オースター「鍵のかかった部屋」とつづけて読むことになったが、なんの脈絡もない不節操な読書の仕方と思われるかもしれない。だが、これほど異質の作品でありながらいずれも第一級のすぐれた作品であることに疑いの余地はない。
なにはともあれ、これはニューヨーク三部作をはじめ、ポール・オースターにとり憑かれて読むしかなさそうだ。
鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)Amazon書評・レビュー:鍵のかかった部屋 (新しいアメリカの小説)より
4560044562
No.25:
(3pt)

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鍵のかかった部屋Amazon書評・レビュー:鍵のかかった部屋より
4560046468



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