リヴァイアサン
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ベトナム戦争こそがソ連がアメリカに仕掛けた最大の破壊工作だと言ったアメリカの作家兼映画評論家がいた。競合する相手が互いに似て来るというのが社会学的真理、ciaだのfbiだのが、アメリカ国内で今も対テロ作戦を続行中、本書に遠いヒーローとして名前だけ出て来るジョン・ブラウンは十九世紀の反奴隷制運動の活動家、軍隊を組織して米軍兵器工場を襲撃、アメリカの奴隷制史には欠かせない人物。僕が個人的に翻訳している『西洋文化と奴隷制の問題』(1968年ピューリツアー賞)をどこの誰も出版してくれない。もっとも自由主義経済自体を否定している本なので、EUでも受け入れられていないかも。 | ||||
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主人公の男は (これに関しては語り手の「私」も同様) 作家でインテリぶっているゆえに何か崇高な社会的大義を求めているタイプだけれど、頭の中は隙あらば女たちへの性的欲望でいっぱい。女たちの個性も、そんな彼らにとって都合のいいキャラクターになっている。ターニングポイントはいつも彼女らへの欲望からの愚かな行動が引き金になっていて、愚かさから自己憐憫におちいるが、それに続いて起こる出来事から勝手に使命を見いだしていく。まるで、何か使命がなければ生きる意味がないかのように。 常に誰かの存在を自分の人生の大義、自分の存在意義にしてしまうのは、エゴイスティックで依存的であると共に、一種の冷たさを感じた。その出来事の中に殺人事件も含まれるのだが、被害者への同情もあっという間に自分のための大義にすり替わっていく。 タイトルとストーリーの出だしから、何か物凄い意義深いことをやってのける人物を想像するのだが、実際は権力に怯える小心者で、煩悩に振り回されている。それがリアルではあるかもしれない。ヒーローのような人物はこの世に存在しない。 その小ささを何か物凄いことのように見せ、魅力的な人物のように描く言葉の魔力。人は言葉に容易に騙される。そこを描くことが作者の目的だったのだろうか? 確かに、世の中はそんな風にできている。崇高に見える大義は、俗人のエゴと下劣さと冷たい理論から端を発している。大義を優先すると、情とか感情の機微が薄っぺらくなる。その薄っぺらさをこの小説から感じた。 逆に、まさに世の中のそれを描きたかったのだとしたら、この小説はとてつもなくリアルだと思う。文章の上手さ、読みやすさは相変わらず。 | ||||
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単行本1999年12月25日初版にて読了、 オースターは初読だが、作風がもっと純文学風だろうとかってに誤解していたのだった、 本作の場合、ミステリ風の中間小説調で始まり、後半には活劇調も増し、少しの退屈も感じないまま読み通した、 訳文がこなれた日本文になっており、とても読みやすく読書のスピードも軽快だった、 訳者による解説に”誰の物語ともいえない”のが本作の特徴と書かれており、オースターのカタログではそうなるようなのだが、今年2022年に読む限りでは、語り手である小説家による本人と彼が密に関係した小集団による群像劇として誰でも素直に楽しめると思う、 本作は1992年発表であり、クエンティン・タランティーノが映画レザボア・ドッグスを発表した年である、 以降のタランティーノ作品の充実やポール・トーマス・アンダソン監督の活躍を知っている私たちならアメリカの物語の語り方としてなんの違和感も感じずに済む、 読後感は爽やかだが全体としてそこはかとない甘さがあり、なにか物足りないものを感じもした、 今日現在の視点ではテロリスト・テロリズムに同情的な語り方に見える点と語り手である小説家が自意識過剰気味ゆえだろうか、人の目ばかり気にして他人の気持ちや思考に鈍感すぎるように思う、 以下蛇足、 最後の一文も最終パラグラフも一流作家らしい見事さがあり、上等な小説としてはこれで良いと思うが、読者レベルを少し下げてより分かりやすくするなら、もう一章あってもよいだろう、 と思ったら以下の小説のようなものを思いついた、 ハリスが一人でやってきたのは彼の思いやりだったのだろう、 もし私がリヴァイアサンの原稿を彼に渡さなければ、おそらく私にFBIへの出頭を促す予定だったに違いなく、私が彼の意向に従いFBIを訪問した場合、最悪そのまま身柄を拘束される可能性もあったのだと思う、 原稿を受け取り流し読みしたハリスはさすがに驚いていたが、とりあえずこのまま局へ持ち帰り、あす今後について電話すると言い残して帰っていった、 翌日、ランチをとっているとハリスから電話があった、 原稿でおよそサックスの行動はわかったので、これから支局も動員して裏付け捜査が始まる、 ついてはあなたにも局へご足労願うことになると思うので当分州外へは出ず、いつでも連絡がつくようにしてほしいとのことだった、 テロリストの活動を知りながら放任した責任はあるので、なにがしかの罰を覚悟した半年ほどが過ぎた頃、起訴猶予となった、 エージェントと相談した結果、リヴァイアサンは発表することにした、 人名とエピソードを時系列を再整理し、高校生でも読書好きなら楽に読めるレベルに推敲して発売してみると予想以上の反響を呼び、結果私のキャリア最大のヒット作になってしまった、 私をゲイリー・シニーズが、サックスをトム・ハンクスが演じた映画まで作られそちらは大ヒットしてしまい、いまでは私の本よりも映画のDVDのほうが有名な状態である、 ディマジオの16万ドルの出所はけっきょくFBIでも突き止められなかった、 ハリスがつぶやくには、カルト教団の軍資金の可能性が高いらしいが、盗難届が出されるはずもなく結局迷宮入りだった、 カルト教団はその後さらに犯罪集団との付き合いを強めてゆき、最終的にFBI&アルコール・タバコ・火器取締局と派手な銃撃戦を行い壊滅させられた、 リヴァイアサンがヒットした私はいちおうの流行作家の仲間入りである、 TVに出演し、あちこちで講演やキュレイターを頼まれ、生活はずいぶんとうるおい安定した、 その後も創作は数年に一作、合間にはエッセイや文芸批評を必ず出版するようになる、 サックスの記憶もだいぶ薄れた頃、あの日がやってくる、 2001年9月11日、 未了 | ||||
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いい話 | ||||
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オースターの作品はこれまで「ムーン・パレス」「孤独の発明」「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」と読んできて、今回は本作である。これまで読んだ作品の中で一番新しい作品だが、1992年作だから25年前の作品である。 無我夢中で読んでしまい、ストリーテラーとしての才能には毎度ながら感服するが、内的な感銘が弱い気がする。 読後「だから結局何なんだ」と自問してみて、読者としての自分自身は表面的で浅はかな読みに終始してしまったと反省したが、作品自体もストーリーの劇的な展開に傾きすぎるあまり、主題の掘り下げが不十分だったのではないか。 本作は従来の作品よりも登場人物が多様化し、従来にはない社会性や政治思想的な側面もあり、そこに新しさがあることはあった。だが、そんな新しさが活かされたというよりは、テーマやモチーフの散漫さや消化不十分さを否めないのが残念である。 思うにオースターは遠心力よりも求心力の秀でた作家だから、様々なモチーフを同時進行させながらポリフォニックな文学的世界を構築するタイプではなく、主人公の内面世界を深く掘り下げる方が向いているように改めて思われた。 作者の求心力を体現すべきサックスは、作者の得意な性格破産者的な絶望と暗闇を抱えた人物である反面、善人で社交的で誰からも愛される好人物でもある。 確かに魅力的な人物であり、申し分のない人物設定であり、サックスこそが本作の中心テーマを追究する担い手に違いない。 だが、この主人公が最終的に爆弾テロに向かう必然性の説得力が弱いように思うし、サックスと妻ファニーと、もう一人の主人公で語り手でもあるピーター・エアロンとの三角関係は大胆で強烈な設定でありながらサックスの反応は案外あっさりし過ぎている。 結局オースターが一番描きたかったものをつかめそうでつかめないそんな歯がゆさがどうしても残る。 いや、しかし、瑕疵を挙げてけなすのは本意ではないし、本作は読まないほうがいいというつもりもない。 オースターの苦心の跡として一読の価値はあると思うし、引き続き他の作品も読んでオースターという作家を私は見届けたい。 | ||||
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