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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全220件 101~120 6/11ページ
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| 作者の思想だとか小説の技法だとか、小難しい文学評論は抜きにして、物語として見ても非常におもしろい作品と言えるでしょう。 作家の阿刀田高さんは「このぐらいの小説を生涯に一つ書けたら、死んでもいい。」と、この作品を評していますが、自分も仮に小説家だったら、同じことを思うでしょう。 物語のラストで砂の女が陥る境遇は、正直ギャグだろ(笑)と思いましたが、それも安部公房の作品の魅力のひとつではないでしょうか。 | ||||
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| ストーリーは、好きじゃないけど本が閉じられなくなるくらい引き込まれます。不思議な感覚。本当に口の中に砂が入ってるようで気分が悪くなりました(笑)描写が無駄に細かい作家さんもいらっしゃいますが、なんだ、何が違うんだ! 中毒性があって、ストーリーは好きじゃないのにまたあの世界観に引き込まれまれたくなります。初めて安部公房の作品を読みましたが、全ての作品を読んでみたいです。 | ||||
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| 発想や設定は極めて斬新で期待しながら読み続けましたが、「で、結局何が言いたいの」かがよくわからず、消化不良ぎみ。世間で評価の高い安部公房の作品を初めて読みましたが、話自体に盛り上がりはなく、単調で、あっという間に読了。読む前の期待が大きすぎたのか、彼の世界観に対する私の理解がまだ足りないのか、よくわかりません。 | ||||
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| 高校生の頃一読して、たぶん今もって再読できない作品。 読みたい気持ちは昂り、それから数十年本屋で立ち読みしては購入を幾度となく断念するほど。自分の中に入れるには躊躇いを感じ同化することに恐怖すら覚え、今もって手元におくことができない。何の恐怖なのか自分でも明確には分からないまま一生再読できないのだろう。だからこそ、この名作が愛おしく恐ろしい。 こんな小説に若くして出会えたことに感謝して。 | ||||
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| 昆虫採集の為立ち寄った村で捕えられ、砂の穴の底にある一軒家で女と共に日々砂掻きをするだけの生活を強いられる中年の主人公。 その生活をから逃れるべく日々闘争のチャンスをうかがう主人公だが・・・ 戦後の社会に生きる人々に向けた寓話なのだと思う。 ただ解釈は読む人により異なるだろう。 私などは現在の状況がまさにこんな感じじゃないかという気がしている。 余談だが、毎日砂掻きをしないと人が住めなくなってしまう状況は、私の様に豪雪地帯にすむ人間にとっては砂を雪に置き換えるだけで容易にイメージができた。 | ||||
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| 安部公房の著作を初めて読んだが、初めて見る世界に戸惑い、そして魅せられた。 砂に埋もれていく集落、砂を掻きだすことだけを生活に生きている女、その女を幽閉する村人、半ば騙されてそこに閉じ込められた旅人、必死に逃げようともがく様の中に、人間の欲望や感情を隠すことなく露わにした本作は、他に類を見ない異端の作と言える。 著者安部こうぼう自身も東大医学部まで行って作家になるという異端の人生を歩んでいるようなので、正に異端者だからこそ描けた小説といった印象。 この小説を見ずに、この不思議な物語を味わわずに生涯を終える人は可哀相だとすら感じてしまう、そんな作。 | ||||
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| 安部公房の『砂の女』を再読した。 昆虫採集を趣味とする、教師である男がいた。かれは、砂に惹かれ、砂原に住むハンミョウに惹かれ、ひとり砂原を歩く。 日が暮れ、もはや帰途につけなくなった男は、行きずりの部落で宿を借りることにする。あてがわれたのは、ひとり女の住む、砂原にぽつりと空いた穴の底の一軒家だった。 翌朝、男は帰してもらえない。昨夜はあった縄梯子は取り去られていた。男には、女と生活を共にし、家屋が砂で埋まらないように砂掻きをすることが期待されていたのだ。 男はしゃにむに脱出しようとするがなかなか成功しない。男に待つ運命は…? 非現実的な設定ながら、同時に、徹底的にリアリズムを追求して書かれた小説として読めるのは、多くの評者の言うとおりだ。公房は、冷徹な観察眼を保ちながら、物語を駆けさせる。読者を置いてけぼりにするほどの勢いで。私達はいつの間にか、砂穴のなかの家屋で繰り広げられる悲喜劇が、とおく現実を離れたものであることを見失う。 もうひとつ付け加えておかなければならないのは、随所に見られる周到な比喩表現だ。これらは、作品の単なる彩りであるにとどまらない。むしろ、これらの表現があってこそ、男の切迫感が、まばゆい日光が、砂の熱気と喉の渇きが、水の潤いが、男と女の欲情が、読者の眼前で顕在化するのだ。 あれほど必死に逃げようとしていた男はしかし、一度決定的なチャンスで失敗した後、季節の移ろいとともに次第に変貌をする。 男は、自らも気づかぬうちに、萎えてしまったのだ! 人は絶望の中で希望を枯渇する。しかし、いざ絶望を抜けだすと、虚脱する。 なんと逆説的で、なんと皮肉で、なんと精確な人間診断であることか。 | ||||
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| 全世界で翻訳され大ヒットになった小説。ある男が砂だらけの集落にとらえられて、一人の女の家から出られない。ひたすら脱出をこころみようと画策しつつ、失敗する、という話。 ちょっと難解だし、さすがに中盤からやや退屈気味になった。なんたってひたすら、あるようでないような理由で砂の集落にとどめ置かれる男の運命たるや…。ある意味どうでもいいといえばどうでもよかった。しかし、ドキュメンタリー的手法と言われる淡々とした描き方が面白かった。最後の結末もあーこうなったかという具合で、納得と言えば納得。 | ||||
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| 昆虫採集を目的に砂丘にある村を訪れた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。 ある日突然、日常の中に不条理が紛れ込んで非日常に転落し、普段何気なく享受していた”自由”を取り戻すための闘いを余儀なくされる、という世界観はカフカに似ているように思います。 この作品でも、「砂」が自由を奪うものの象徴であり、「女」はすでに自由を諦め砂と共存していくことを受け入れています。一方で「男」は砂に縛られる女に苛立ち、砂からの解放を求めて脱出を試みますが、「男」が回想する”自由だった世界”も決して明るいものではありません。また、”砂からの解放”が目的化し、自由を取り戻せたその後どうするのか、男にも明確な答えはないようです。 そして「村人の監視のもと、海を眺める時間がほしい」というささやかな自由を手に入れるために、理不尽かつ破廉恥な村人の要求にも応えようとした「男」が、ラストに訪れる脱走のチャンスを、今でなくても良いと見逃します。「男」もまた、「女」と同様に砂の虜になった瞬間です。 人が生きていく中で、この”砂”に象徴される「自由」を奪う理不尽なものに出会い、それと折り合いをつけていくことが求められます。それは人間関係であったり、仕事のノルマであったり、病気や怪我であったり、人によって様々でしょう。対処しなければ埋もれてしまい、そしていつ果てるともなく降り積もってくる、このストレスを”砂”として具体化・可視化した安部公房の発想には芸術的なものを感じました。 はじめはその理不尽さに反抗し、その状況から脱しようと様々な試みをするでしょうが、その試みが無為に終わるうちに、次第にその状況を受け入れてしまう。また、その脱出が自己目的化してしまい、何のための努力なのかを見失ってしまう。この「男」の姿は、ストレスフルな時代に生き、それに妥協しがちなわたしたちの姿です。そしてこの普遍性こそが、いつまでも読み継がれ、20か国語に翻訳された『砂の女』の魅力なのでしょう。 | ||||
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| 文藝春秋にて、田中慎弥氏がおすすめの1冊として本作品を挙げていたこと をきっかけに読んでみた。著者の思考の中から生み出された、現実味のない 奇妙な世界が描かれているが、主人公が砂の穴から抜け出そうと様々な手段 を考え、努力する姿や、部落の人々に対する憤りの感情に共感を覚えながら 読み進めた。逃亡の試みとその妨害の場面は緊張感があり、サスペンスとし て楽しめた。 本の背表紙での紹介には、「人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編」 とある。誰にでも、本作の状況まで過酷ではなくとも、多かれ少なかれ理不 尽と思う環境に閉じ込められることはあるだろう。それは、学校、職場、家 庭、どこにでも起こり得る。 その環境下でどう行動するか。本作の主人公は自ら築いた<<希望>>の中から、 自由に生き抜くための強力なツールを得た。読者は本作を通して、自身が暮ら す環境内での振る舞い方を考えさせられる。 | ||||
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| 中毒的な面白さ 読む手が止まらない ページから砂がこぼれてくるんじゃないかと思う位の その世界を読者に体感させる文の具現力 読後、月日がたって、なぜだか あの砂地獄がとても懐かしくなって、再び体感したくなる。 あの場所にまた戻りたくなる。 不思議だ。 | ||||
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| 安倍公房の中では読みやすいとのレビューなどを参考にしながら読み始めました。途中の緊迫した状況などもどうなるのかと思いつつ読み進めていき、結局、読み終わってみて、また気になった個所などを読み返しました。すると、読み返すたびにますます面白くなっていきました。 一回で読み終わるにはもったいないのかもしれません。私にとっては初めての感覚の本でした。まだのかたは、是非手に取ってみてください。 | ||||
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| 昆虫採集マニアの教師・仁木(31歳)は、珍しい昆虫の発見を期待して砂丘の村にたどり着く。夕暮れ時となり、仁木は老人の案内で砂丘の稜線に接した穴の中にある民家に泊めてもらう。この家には女(30代)が一人で住んでいて、夫と子どもはどちらも砂に飲まれて死んだらしい。女は、穴に入り込んでくる砂をひたすら掻き出すという奇妙な生活を送っている。女によれば、こうやってせっせと砂掻きをしないと部落がいずれ埋もれてしまうらしく、彼女は砂掻きをすることで村役場からいろいろ差し入れをしてもらっているらしい。砂防林をつくるよりもこの方が安上がり、とのこと。 あきれる仁木だが、ほどなく、この穴の家に女といっしょに閉じ込められてしまったことに気づく。女は、この生活から抜け出ようとまったく思っていないし、仁木の怒りに対してもかみあわず、のれんに腕押し。ある日、仁木が家の板をひっぺがしてはしごをつくろうとしたとき女がそれをやめさせようととびかかってきて、このときのなりゆきで、そのまま二人は肉体関係を結んでしまう。砂掻きをしないと水をもらえない。村人は火の見櫓から双眼鏡で二人が仕事しているかどうか(+二人のプライバシー)を観察しているらしい。仁木はいったんはおとなしくして、ある日、カギ縄をつかって女が寝ている間に脱出成功。しかし、結局は部落にまた迷い込んでしまい、村人につかまって連れ戻される。 今度は村の老人に談判すると、二人のセックスを見せてくれれば考えてもいいけど・・みたいなことをいわれ、仁木はしかたないかとかんがえるが女は断固拒否。そんなとき、穴の家でわき水がでてくる。仁木はこれで「仕事サボる→水攻め」という心配から解放されるとともに、水くみだし装置の研究に没頭するようになる。女は妊娠し、病院に連れて行かれる。このときから、仁木はあわてて脱出することもないと思うようになり、結局、このままこの村に居着いてしまったらしい。 コスト上の理由でせっせと砂を掻き出すという奇妙な生活への適応というのは奇妙な心理状態ではるのだが、人間というのはこういう理由はあるけど意義のない仕事に捕らわれがちであるのだから、奇妙にみえてそれほど奇妙なわけでもないという戯画なのかもしれない。 安部公房はおもしろい比喩や蘊蓄表現が多い。 錆びたブランコをゆするような、ニワトリの声で、目をさました(P50)。 濡れた生フィルムのようなかげろう(P58)。 死んだ蝿の脚のような活字に視線をおよがせる(P101)。 なかみの分からない荷物は、好奇心という引き金つきの爆薬だ(P127)。 文明の高さは皮膚の清潔度に比例しているという(P136)。 性病は、人類の連帯責任なのだ(P151)。 などなど。 | ||||
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| 突拍子もない舞台設定で、そのファンタジックな部分と、ものすごくリアリティのある人間の個人および集団の心理の描かれ方が素晴らしいです。 小さな運命共同体に対するイメージは、この本から受けた印象が抜けない。 排他的なんだけど一度取り込んだら逃がさないぞ〜っていう怖さ。 本作に限ったことではないですが、作者の情景描写の表現力が素晴らしいと思います。 | ||||
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| 安部公房さんの著作。 1962年(昭和37年)に出版された小説。 独特の世界観に引きこまれていく感じがした。 男(仁木順平)は昆虫採集の途中で砂の穴の家に 罠のごとく閉じ込められる・・ 女との共同生活をしつつも脱出を図る。 一度脱出しかけるが・・連れ戻される。 男の・・人間の変化が上手く表現されている作品であると思う。 女との関係、水の発見、溜水装置、穴での生活が充実するにつれ 無理やりに脱出しようとしなくなる男。 まさに罰がなければ、逃げる楽しみもない。 ドナルド・キーンさんの解説も良い。 芥川龍之介の羅生門のように耐えず隠れている意味を熟考する必要などはないのも 読みやすい。 | ||||
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| 自虐的だけれど、自尊心が肥大化しているような、ある ”男” の物語。 妻や同僚を誑かそうとしたのか、はたまた人生を悲観視して逃げ出したのか、、 男は昆虫採集を表向きの理由として、都市から離れた砂地の部落に迷い込み、 部落の都合により、”女” が住み着く ”砂穴” で軟禁状態となります。 男は、部落や諦観した女を嫌悪して、どうにか砂穴から抜け出せないか画策しますが、 砂穴から逃げる事、脱出方法への考察、砂穴でより良い水を得る研究へと、目的が変質していきます。 人の思考がバラバラになり、目的、優先度、欲求も、どんどん変わります。 この辺りは、狂人への過程のようで、嫌悪感もあるし、非常に恐怖です。 ただし、元の生活を送っていた ”男” にとっては、 教師生活、”あいつ”からは愛想をつかされている結婚生活は、 閉ざされた穴のような世界であったようです。 結局は、その穴から、別の砂穴に移っただけで、苦しみが永遠に続く物語だとも思います。 ”男” は、自分自身からは、どうやっても逃げ出す事は出来ません。 自分自身がひとつの大きな砂穴であり、一生その穴からは逃げる事は出来ないんだろうな、と、 不気味で目を背らせたくなる小説でした。 | ||||
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| 当原作を読んだ後、当原作の映画版dvdも鑑賞した。岸田今日子が家内を演じる砂に埋もれた周辺が砂の家で砂が混じったご飯を旦那が食べ岸田今日子が不満な主婦らしく小言を言ったりし、旦那が砂の壁を這い上がってその砂の家屋から逃れようとするが逃れられない、以前xjapanのhideがpinkspiderという曲を発表後警察発表では自殺だったが不審な死の事件があったが… | ||||
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| 何度読んでも面白い作品ですが、子供の読書感想文向け、ではないのかも知れません。 | ||||
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| 安部公房「砂の女」を読了。砂の中での生活。主人公は地上に出たいが、砂の中での生活を選んだのだのだろうか。砂の中でも地上でもどちらでも生きていることには変わりが無い。砂の外で自由な生活を送るか、砂の中で集落の存続のために働き、その報酬として生活の糧を支給されるのか。どちらを選んでも生きていることには変わりが無い。資本主義社会と社会主義社会の対比にも思える。どちらを選んでも人間は生きるしかないのであろうか。生きることだけが真の目的なのか。作者は完全なる虚構の世界から読者に問いかける。 | ||||
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| 面白い比喩が多く外国文学を読んでいるようだが、そのことが著者の弾むような日本語の美しさを際立たせている。多用される・・・からもわかるが、著者は日本語の音の部分に非常に重きを置いていたのではと思う。 この小説は何カ国語にも翻訳されているようだが、日本語で読めたことは幸せだと感じた。 | ||||
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