審判
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若い人にはピンとこないだろうが、2000年ぐらいから翻訳の質が1段あがったのではないかと思います。それに比例するようにさまざまな作家の作品が新たに訳しなおされたり、全集や選集が次々に出版されたのです。例えばボルヘスやナボコフといった偉大な作家。それに日本ではあまり知られていなかったペソアといったところ、そのようななかでの池内紀の手によるカフカ小説全集。今年没後100年と云うことでいくつかの企画があるようだが、全体的にみればいささかさみしい感じ。そこで本書を選びたい。20年近く経って書名も「訴訟」として、私の見た限りでも2冊でているようだが、私はかわない。池内訳には迫っていないのだ。今本書を手にするのは単なる懐古趣味ではない。ますます重要になってくるカフカの小説のなかでも本作は核心をついているのだ。改めてUブックス版で購入して思いを強くした。なお付言するなら岩波版の「審判」もおすすめしたい。それに岩波文庫には2冊の池内編訳の短編集もあるので、なお良い。 | ||||
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『審判』(フランツ・カフカ著、中野孝次訳、新潮文庫)は、フランツ・カフカの未完に終わった長篇小説です。書名は『訴訟』と訳されることもあります。 主人公の30歳の大銀行の業務主任ヨーゼフ・Kは、ある朝、突然、理由が分からないまま逮捕され、裁判で勝利を収めようとあれこれ奔走するが、結局、犬のように処刑されてしまいます。 この作品は、<だれかがヨーゼフ・Kを中傷したに違いなかった。なぜなら、なにも悪いことをした覚えはないのにある朝逮捕されたからである>と始まり、<一度も見たことのない裁判官はいったいどこにいるのだ? おれがついに行きつけなかった上級裁判所はどこにあるのだ? 彼は両手をあげ、全部の指をひろげた。しかしKの喉には一人の男の両手がおかれ、もう一人の男は包丁を彼の心臓に深く突き刺し、二度それをえぐった。かすんでゆく目でKはなお、男たちが彼のすぐ前で、頬と頬をよせ、最後の結末を見守っているのを見た。『犬のようだ!』、と彼は言った。恥辱だけが生き残るように思われた>と結ばれています。 謎が多く、難解とされるカフカの作品は、これまで世界中の多くの識者によって論じられてきました。上級裁判所や城は近づき難い神の象徴だ、精力的で現実的な商人である父に対する抵抗の書だ、書全体がユダヤ人としての疎外感・不安感に包まれている、そして、これぞこの世の不条理を描いた作品だ――等々、さまざまな解釈が提出されてきました。 ところが、『審判』と『城』を読み終えた私の印象は、これらとは異なります。カフカは、読み手を困惑させることに無上の喜びを感じるトリックスターだというのが、私の乱暴な結論です。 <要するに私は、読者である我々を大いに刺激するような書物だけを読むべきだと思うのだ。我々の読んでいる本が、頭をぶん殴られた時のように我々を揺り動かし目覚めさせるものでないとしたら、一体全体、何でそんなものをわざわざ読む必要があるというのか? 君が言うように、我々を幸福にしてくれるからというのか? おい君、本などなくても我々は同じように幸福なのさ。我々を幸福にしてくれる本なんて、困った時に自分たちで書けばよい。本当に必要なのは、ものすごく大変な痛々しいまでの不幸、自分以上に愛している人物の死のように我々を打ちのめす本、人間の住んでいる場所から遠く離れた森へ追放されて自殺する時のようなそんな気持ちを抱かせる本なのだ。書物とは、我々の内にある凍った海原を突き刺す斧でなければならないのだ、そう僕は信じている>。1904年、友人オスカー・ポラックに宛てた書簡の中に、カフカはこのように記しています。 <(現在のわたしは)自分の才能の命ずるままに、不幸とはなんのつながりもないあれこれの意匠をこらしながら、あるいは虚心坦懐に、あるいは逆説を弄して、さらにはまた、観念連合による完璧な交響楽的構成を意図して、自由自在にこのような主題について即興的なでっち上げをすることができるようになっているのである>。1917年の日記に、カフカ自身がこう書きつけています。 <カフカは、とくに意図して自分の思想を表現しようとする時には、かならずひとつひとつの言葉に罠をしかけたからである(つまり彼は、さまざまの危険な構築をくみ上げたのだ。すなわち、そこでは、それぞれの言葉が、論理的に配置されていず、一語が一語の上へとつみ重ねられているので、まるでただひとを驚かし、当惑させることだけをねらっているかのように、また、作者自身だけを相手に話をしているかのように、まったく飽くこともしらずに、意想外から錯乱へと縦横にとびまわっているのである)>。ジョルジュ・バタイユは、カフカをこう評しています。 カフカの読者を戸惑わせるという目的が、目論見どおりに実現していることは、カフカの作品の意図を探ろうという論争が今なお繰り広げられていることに照らして明らかでしょう。 | ||||
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きれいな本です。 | ||||
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読んでいる最中はちょっと読みにくいなと感じていましたが 読後にいろんな場面の映像が強烈によみがえってきました。 印象的でなかった場面ですらなぜか記憶に残っていて 読み終わってから少し経ってからのほうがおもしろかったなと思うようになりました。 理屈や理由など考えずただ黙々と読み進めていかないと本から振り落とされ いったい何の話を読んでいるのかわからなくなると思いますが、 そのうち文字をたどるだけでもおもしろくなってきます。 どこのページでもカフカらしい不気味さやシュールな笑いが広がっています。 訴訟や裁判なんて一般人にはわけがわからない姿をコミカルに描いてくれています。 他の人の訳だと印象が変わるようなのでそれも楽しみです。 | ||||
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本作を初めて読んだときは、世論の理不尽なバッシングに関しての寓話かと思っていたが、最近になって聖フェーメ団のことを知り、全く別の解釈が成り立つことに気付いた。 聖フェーメ団とはドイツに実在した秘密警察的な組織のことで、独自の裁判権を持ち、彼らが有罪とした者は、名前の分からない十字路に出頭を命じられ、真夜中の十二時に判決が下されるために、目隠しをされ、黒衣の男に集会に連れていかれる。 そこは広い地下室で、一人の声による尋問を受け、目隠しを解かれるよ、隅々まで照らされた部屋に、自由判事が覆面をして座っている。 彼らの判決には無罪か死刑かしかなく、有罪を受けたものは判決文の抜粋が付けられた十字架の短剣を突き刺されて路上に遺棄されるのだという。 まるでオカルトのようだが、本当に存在した組織らしい。 まさに本作の描写とそっくりである。 この秘密結社は772年にカール大帝により制定されたと、ウェストファーレン地方の古い記録にあり、1371年には皇帝カール4世により正式に司法権を認められ、1404年に国王ロバートが改訂。 1811年にナポレオンのドイツ侵攻によって消滅した。 カール大帝や国王ロバートなど、外国の君主が出てくるのは箔を付けるための嘘の可能性が高いが、無政府状態だったウェストファリア地方に生まれた自衛団のような組織に、カール四世が許可を与えたのは事実だという。 一体カフカは何を思ってこの聖フェーメ団をモデルに、しかもその存在は隠しながら小説を書いたのだろう? それは当時残っていた都市伝説的な話から着想を得ただけなのか、ひょっとすると当時のドイツには、まだ聖フェーメ団が生き残って、非公式の活動を行っていたのだろうか? おそらく当時の権力者が、過去にいたこの組織の、尾ひれが付いた噂話を利用して、邪魔者の暗殺か、民衆への扇動、集団ストーカーの嫌がらせを行っていたのだろう。 そもそも最初は自警団的な組織だったとして、時代が下るとシカリ派やアサシン教団の噂から触発された皇帝の私的な暗殺部隊として利用されていた可能性もある。 彼らから処刑された者たちは、乱交をしたとか山賊の頭領だとかレッテルを張られたが、そんな山賊の頭領が律義に召喚令状に応じるはずもなく、裁判自体も完全な密室裁判だったことからも、その審判はデマなどの集団心理に左右されやすいと考えられ、ただ単に邪魔な政敵を葬る道具として利用されていた可能性も高い。 陰謀論では、この聖フェーメ団こそ、ナチスのトゥーレ協会の前身となった組織だとされている場合がある。 実際にナチスの一部や、東ドイツと戦う反共レジスタンスの中には、騎士道的聖フェーメ団の伝統を引いていると主張する者がいたという。 ちなみにカフカの居たプラハも『千の奇跡と無数の恐怖の街』と呼ばれた世界三大魔術都市の一つである。 ルドルフ二世が魔術にド嵌りして、多くの錬金術師のパトロンとなり、それが経済活動を制限されていたユダヤ人にとっての貴重な収入源となっていた為だという。 カフカの作品は、そうしたオカルト的な素養と切っても切り離せないのである。 | ||||
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