カラマ-ゾフの兄弟
- 長門有希の100冊 (48)
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| 挫折組です。 30年ぶりにメモとスマホを手元に置き、ページを何回行き来したでしょうか、読了まで3ヶ月かかりました。 まだ理解不足ではありますが、内容は深いですね。 別の訳者で再読したいと思っています。 | ||||
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| 内容とは関係ないですが、カバーに傷があり新品?という外装で届きました 送られてきた包装に問題はなかった カバーは外す派なのでかまいませんが気にする方は本屋さんで買われるといいと思います | ||||
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| パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか? 人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うことができなかった。今もその思想は、胸の内で静かに、しかし確かに蠢いている。他にも印象的だった場面のひとつに、「ゾシマ長老の過去編」がある。そこには、神への愛、赦しの深さ、そして人間への限りない信頼といったテーマが、言葉ではなく生き様として語られている。特に私が心を打たれた一節は次のような場面だ。「それじゃわたしたちは、召使をソファに座らせて、お茶を運んでやらなきゃいけないんですか?」わたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは大笑いした。この言葉に私は深い感動を覚えた。そこにはロシアに残る身分制度や奴隷的な慣習への静かな批判が込められているようにも感じられる。ゾシマは、決して高らかに正義を叫ぶことはしない。ただ、日常の中でほんの少し視点を変え、「たまには席を譲る」という小さな愛の行為を通じて、人間の尊厳を回復させようとしているのだ。この一節は、兄弟愛や友愛の延長として、すべての人間に対する深い敬意を示している。読んでいて、思わずドストエフスキーという作家の胸に飛び込みたくなるような、そんな衝動を覚えた。そして、最後の「裁判編」。この章には、それまでの全ての出来事が一点に収束し、爆発するような迫力があった。まさに「正義 対 正義」。どちらも譲ることのできない信念を抱え、検事と弁護士がぶつかり合うその応酬は、永遠に終わらない議論のようでもあり、私は読者であるはずなのに、いつしか傍聴席に座っているような気持ちになった。そして気がつけば、被告席のミーチャの姿に強い共感と、どうしようもないほどの同情を抱いていた。彼が本当に犯人かどうか、という問題よりも、彼の苦しみ、彼の叫び、その生きざまに、私たちは何度も揺さぶられる。だが、私たち読者は本当の犯人を知っている。だからこそ、この裁判はどこまでも虚しく、そして悲しい。事実ではなく、言葉と印象、感情と偏見が人を裁いてゆくこの構図に、私は息苦しさを覚えずにはいられなかった。ラストに訪れるアリョーシャのスピーチで、私は初めてフィクション作品に涙した。これまでの愚劣な行いや偽りが渦巻く物語の中で、アリョーシャはなおも純粋で、汚れなき神を信じる子供たちに向けてこう語りかけた。「わたしたちは、憎しみを持ってはならない。どんなことでも忘れてはならない。あの時感じたことを、あの時見たものを、ずっと覚えていよう。いずれまた、思い出す時が来る。だから、生きていこう。」そしてこうも言った。「人生を恐れてはならない。何かしら正しいことをすれば、きっと人生は楽しくなる。」、この物語が、私に訴えかけるのは、まさにこの部分だと思う。神が存在しようが、しないだろうが、人間の矛盾も、愚かさも、愛がなくても、救済の可能性もすべてを飲み込みながら、それでもなお、一歩づつでもいいから、あゆみ続けるアリョーシャは本当に美しい。 ”生きていこうじゃないか、人生なにが起きようとも、どうだっていい。ただ、人を愛しつづけ、死をも愛そう。”人として生きるってもんは、まさにこうじゃないか? 自分は在り来りかもだけど、愛を選ぶ。多分ね笑 | ||||
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| 夏ぐらいから忙しくなるので、今のうちに長い小説を読んでおこうと思い、約10年ぶりに本書を購入。「退屈で読み通すのが難しい」という声が多く上がる本作だが、内容は完全に忘れてしまったものの、前回読んだ時はかなり楽しめた記憶があった。さて、読んでみると、思想色が非常に強いし、各人物がやたらと長くしゃべるし、かなり好き嫌いが分れそうだなと思った(自分はこの手の小説が好み)。主要登場人物は強い癖の持主ばかりで、主人公アリョーシャも普通なようでいて諸々に対する反応がとても激しいという特徴があり、彼らの言動を読んでいると、とても面白かった。特に、身近にいたら厄介だろうが、外野から見ている分には、自分はフョードルのような、品がなくてやりたい放題やっている人間が大好きなので、フョードルが前面に出てくる場面は、大いに楽しんで読ませてもらった。また、複数ある、相互憎悪関係も読んでいて面白かった。ドストエフスキーは癖の強い人物や、人々の諍いを描くのがとても上手だと思う。思想面でも、終盤にあるイワンによる「大審問官」のくだりは、難解だったものの非常に印象的だった。氏の作品は当たり外れが激しいように思うが、自分の中では、本書は大当たりだった。次巻も期待。 | ||||
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| 2024年12月25年にkindle版1~5を購入。2025年3月24日に全5巻を読了。文章は読みやすく面白かったです。各巻の末尾に読書ガイドが付いています。これが有ったので最後まで読み通すことが出来たのだと思います。年齢的に長編小説を読むことは、困難だと思っていたのですが最後まで読むことが出来ました。 | ||||
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