カラマ-ゾフの兄弟



※タグの編集はログイン後行えます

※以下のグループに登録されています。


【この小説が収録されている参考書籍】
オスダメ平均点

0.00pt (10max) / 0件

6.00pt (10max) / 7件

Amazon平均点

4.26pt ( 5max) / 683件

楽天平均点

4.50pt ( 5max) / 10件

みんなの オススメpt
  自由に投票してください!!
2pt
サイト内ランク []C総合:166位
ミステリ成分 []
  この作品はミステリ?
  自由に投票してください!!

0.00pt

0.00pt

0.00pt

0.00pt

←非ミステリ

ミステリ→

↑現実的

↓幻想的

初公開日(参考)1978年06月
分類

長編小説

閲覧回数4,672回
お気に入りにされた回数2
読書済みに登録された回数13

■このページのURL

■報告関係
※気になる点がありましたらお知らせください。

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

1978年06月30日 カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。 (「BOOK」データベースより)




書評・レビュー点数毎のグラフです平均点0.00pt

カラマ-ゾフの兄弟の総合評価:8.52/10点レビュー 683件。Cランク


■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

現在レビューがありません


※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

No.683:
(5pt)

パンを選ぶ?それとも愛?それとも神か?

パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか?
人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うことができなかった。今もその思想は、胸の内で静かに、しかし確かに蠢いている。他にも印象的だった場面のひとつに、「ゾシマ長老の過去編」がある。そこには、神への愛、赦しの深さ、そして人間への限りない信頼といったテーマが、言葉ではなく生き様として語られている。特に私が心を打たれた一節は次のような場面だ。「それじゃわたしたちは、召使をソファに座らせて、お茶を運んでやらなきゃいけないんですか?」わたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは大笑いした。この言葉に私は深い感動を覚えた。そこにはロシアに残る身分制度や奴隷的な慣習への静かな批判が込められているようにも感じられる。ゾシマは、決して高らかに正義を叫ぶことはしない。ただ、日常の中でほんの少し視点を変え、「たまには席を譲る」という小さな愛の行為を通じて、人間の尊厳を回復させようとしているのだ。この一節は、兄弟愛や友愛の延長として、すべての人間に対する深い敬意を示している。読んでいて、思わずドストエフスキーという作家の胸に飛び込みたくなるような、そんな衝動を覚えた。そして、最後の「裁判編」。この章には、それまでの全ての出来事が一点に収束し、爆発するような迫力があった。まさに「正義 対 正義」。どちらも譲ることのできない信念を抱え、検事と弁護士がぶつかり合うその応酬は、永遠に終わらない議論のようでもあり、私は読者であるはずなのに、いつしか傍聴席に座っているような気持ちになった。そして気がつけば、被告席のミーチャの姿に強い共感と、どうしようもないほどの同情を抱いていた。彼が本当に犯人かどうか、という問題よりも、彼の苦しみ、彼の叫び、その生きざまに、私たちは何度も揺さぶられる。だが、私たち読者は本当の犯人を知っている。だからこそ、この裁判はどこまでも虚しく、そして悲しい。事実ではなく、言葉と印象、感情と偏見が人を裁いてゆくこの構図に、私は息苦しさを覚えずにはいられなかった。ラストに訪れるアリョーシャのスピーチで、私は初めてフィクション作品に涙した。これまでの愚劣な行いや偽りが渦巻く物語の中で、アリョーシャはなおも純粋で、汚れなき神を信じる子供たちに向けてこう語りかけた。「わたしたちは、憎しみを持ってはならない。どんなことでも忘れてはならない。あの時感じたことを、あの時見たものを、ずっと覚えていよう。いずれまた、思い出す時が来る。だから、生きていこう。」そしてこうも言った。「人生を恐れてはならない。何かしら正しいことをすれば、きっと人生は楽しくなる。」、この物語が、私に訴えかけるのは、まさにこの部分だと思う。神が存在しようが、しないだろうが、人間の矛盾も、愚かさも、愛がなくても、救済の可能性もすべてを飲み込みながら、それでもなお、一歩づつでもいいから、あゆみ続けるアリョーシャは本当に美しい。
”生きていこうじゃないか、人生なにが起きようとも、どうだっていい。ただ、人を愛しつづけ、死をも愛そう。”人として生きるってもんは、まさにこうじゃないか?
自分は在り来りかもだけど、愛を選ぶ。多分ね笑
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.682:
(4pt)

読みやすい文章です。面白かったです。

2024年12月25年にkindle版1~5を購入。2025年3月24日に全5巻を読了。文章は読みやすく面白かったです。各巻の末尾に読書ガイドが付いています。これが有ったので最後まで読み通すことが出来たのだと思います。年齢的に長編小説を読むことは、困難だと思っていたのですが最後まで読むことが出来ました。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.681:
(3pt)

届いてます。ありがとうございました。

届いてます。ありがとうございました。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.680:
(5pt)

不毛な比較翻訳論

そもそも翻訳を技術的に比較するには、原書を精緻に読破できる高度な言語力が不可欠です。本書の翻訳者(プロ)並みもしくはそれ以上の語学力なくして、翻訳の比較をすることはできません。しかるに読者レビュー欄には、もっともらしい比較翻訳論が散見されます。レビューされた方々は、果たしてどれほどロシア語に精通されておられるのでしょうか?もしも相当な語学力をお持ちであるならば、翻訳書には目もくれずに原書だけを精読すればよろしいのでは!まさかとは思いますが、原書を読まずに比較しているのでは?と勘繰るのは、私だけでしょうか?
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.679:
(2pt)

でたらめの解題

「ぼくが知っているのはひとつ」と、アリョーシャは、あいかわらずほとんどささやくような声で言った。「父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」(亀山郁夫訳)

「僕が知っているのは一つだけです」なおもほとんどささやくように、アリョーシャは言った。
「お父さんを殺したのは、*あなたじゃ*ありません」(原卓也訳)

'I only know one thing,' Alyosha said, still almost in a whisper. 'Whoever murdered father, *it was not you*.'  (David McDuff)

英訳は明らかに「ヨハネの手紙4:21」を下敷きにしています。

20「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 21神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。(新共同訳)

20 If anyone says, “I love God,” and hates his brother, he is a liar; for he who does not love his brother whom he has seen cannota love God whom he has not seen. 21 And this commandment we have from him: whoever loves God must also love his brother. (English Standard Version)

whoever loves God/whoever murdered father

父=キリスト教の神様です。fatherは無限定なので「父殺し一般」と考えることもできます。オイディプス王が有名ですが、その娘のアンティゴネーの悲劇も有名です。「神の法」と「人の法」の対立であり、『カラマーゾフの兄弟』はこちらをモチーフにしています。比喩的に「国」の意味もあります。

> つまり、「大審問官」では、いちどとして*イエス・キリスト*の固有名詞が用いられていないということだ。もちろん「彼」がイエスであるとすることは可能でも、そう訳すと、じつはミスを犯すことになる。(237ページ)

亀山氏はいいところに気がつきましたが(☆+1)、もちろん「彼」はイエスではなく God です。神様が直接救ったのだから、イワンは新たな救世主なのです。無神論的ですが神を否定するのではなく、「虐待されている子供(具体的には自分とスメルジャコフ)を放置している」神に怒っているのです。19世紀後半のロシアの状況を反映し、イワンは現世的な救いを神に求める点ではリベラルですが、リベラルと違い「神を殺す」ニヒリストではないのです。『魔法少女まどか☆マギカ』の佐倉杏子みたいなものです。四兄弟は遺伝的にウソがつけない性格ですが(ヨハネの手紙の liar ではないのです)、おたがいに父親を殺したと思い込み、かばいあっています。真犯人はイリューシャです。

英訳の「one thing=it」は whoever murdered father を受けるのではなく、名状しがたい「それ」です。代名詞ではありません。ここのイワンにとっては悪魔的な殺意で、アリョーシャにとっては「悪魔はあなた自身ではない」です。I (only know one thing) ではなく (I only) know one thing と解釈することもできます。イワンが自分だけが it を感じているなら妄想だと言えますが、アリョーシャも it をささやいた(打ち明けた)ため、妄想ではなく現実だと言わざるを得なくなったのです。また代名詞 it が犯人を指すとすると、アリョーシャが「あなたじゃない」と断言できるには犯人を知っている必要がある、つまり彼自身が犯人だとイワンは理解したのです(事実ではなかったが)。

'Brother,' Alyosha began again in a trembling voice. 'I have said this to you because you will believe my words, I know that. I spoke those words to you for your whole life: *it was not you!* For your whole life, do you hear! And it was God who charged my soul with the task of saying them to you, even though you may hate me now for ever from this day forth...'

少しあとになります。you will believe my words, I know that は I only know one thing と対応しているので、it は先ほどの悪魔とは違い you will believe my words という言葉にできない「確信」です。それがかつて God として顕れたので、すなわち「啓示」です。またこういう繰り返しがあります。

spoke those words to you
for your whole life

saying them to you
(even though you may hate me now)
for (ever from this day forth)

your whole life=ever from this day forth だとわかり、そうすると saying は単なる動名詞ではなく「言い続ける」だともわかるのです。them=my words ですが「それら」でもあり、speak と say に対応しています。speak は過去形になれるが、この say は現在完了や進行形にしかなれないのです。なぜなら my words はイエスの言葉だからです。hate は過去形になれるが live や love はなれません。ここがこの小説で最も重要なところなので、ヒントが出ています。

For your whole life, do you hear!

hear は「理解せよ」です。この部分は著者が読者に向けた言葉でもあり、「兄弟」と呼び掛けているのです。つまり「カラマーゾフの兄弟」とはちゃんとテクストを読める graceful な人間のことなのです。アリョーシャ Алёша(Alyósha) はаллю́зия (alljúzija) とのダジャレで英語では allusion、イリューシャ Илю́ша(Ilyúsha) は иллю́зия(illjúzija) で illusion です。

当時のロシアでは真っ当なことを書くと発禁になったり投獄されたりしたので(現代日本も大差なくなりましたが)、ドストエフスキーは小説の見かけを本質とは真逆の、ニヒリスト好みの観念小説にしました。ニヒリズム=リベラリズムの本質は「自分自身を判断の絶対的根拠とする」ことです。ポリフォニーなどテクストの読めない○○の戯言です。アリョーシャの言う通り、今はわからなくても、リベラルな「自由な読み」を捨て、何年でも丁寧に読み続けていけば、あるとき啓示があるものです。それはもはや宗教から離れたものであり、そのとき感じられるものが文学の本当の symphony なのです(バフチン自身が種明かしすると「作品」にならないのです)。しかし日本語訳はどれもその役には立ちません。原文か英訳を読みましょう。
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334



その他、Amazon書評・レビューが 683件あります。
Amazon書評・レビューを見る     


スポンサードリンク