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カラマ-ゾフの兄弟



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カラマ-ゾフの兄弟の評価: 4.26/5点 レビュー 681件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.26pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全681件 1~20 1/35ページ
No.681:
(3pt)

届いてます。ありがとうございました。

届いてます。ありがとうございました。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.680:
(5pt)

不毛な比較翻訳論

そもそも翻訳を技術的に比較するには、原書を精緻に読破できる高度な言語力が不可欠です。本書の翻訳者(プロ)並みもしくはそれ以上の語学力なくして、翻訳の比較をすることはできません。しかるに読者レビュー欄には、もっともらしい比較翻訳論が散見されます。レビューされた方々は、果たしてどれほどロシア語に精通されておられるのでしょうか?もしも相当な語学力をお持ちであるならば、翻訳書には目もくれずに原書だけを精読すればよろしいのでは!まさかとは思いますが、原書を読まずに比較しているのでは?と勘繰るのは、私だけでしょうか?
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
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No.679:
(2pt)

でたらめの解題

「ぼくが知っているのはひとつ」と、アリョーシャは、あいかわらずほとんどささやくような声で言った。「父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」(亀山郁夫訳)

「僕が知っているのは一つだけです」なおもほとんどささやくように、アリョーシャは言った。
「お父さんを殺したのは、*あなたじゃ*ありません」(原卓也訳)

'I only know one thing,' Alyosha said, still almost in a whisper. 'Whoever murdered father, *it was not you*.'  (David McDuff)

英訳は明らかに「ヨハネの手紙4:21」を下敷きにしています。

20「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 21神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。(新共同訳)

20 If anyone says, “I love God,” and hates his brother, he is a liar; for he who does not love his brother whom he has seen cannota love God whom he has not seen. 21 And this commandment we have from him: whoever loves God must also love his brother. (English Standard Version)

whoever loves God/whoever murdered father

父=キリスト教の神様です。fatherは無限定なので「父殺し一般」と考えることもできます。オイディプス王が有名ですが、その娘のアンティゴネーの悲劇も有名です。「神の法」と「人の法」の対立であり、『カラマーゾフの兄弟』はこちらをモチーフにしています。比喩的に「国」の意味もあります。

> つまり、「大審問官」では、いちどとして*イエス・キリスト*の固有名詞が用いられていないということだ。もちろん「彼」がイエスであるとすることは可能でも、そう訳すと、じつはミスを犯すことになる。(237ページ)

亀山氏はいいところに気がつきましたが(☆+1)、もちろん「彼」はイエスではなく God です。神様が直接救ったのだから、イワンは新たな救世主なのです。無神論的ですが神を否定するのではなく、「虐待されている子供(具体的には自分とスメルジャコフ)を放置している」神に怒っているのです。19世紀後半のロシアの状況を反映し、イワンは現世的な救いを神に求める点ではリベラルですが、リベラルと違い「神を殺す」ニヒリストではないのです。『魔法少女まどか☆マギカ』の佐倉杏子みたいなものです。四兄弟は遺伝的にウソがつけない性格ですが(ヨハネの手紙の liar ではないのです)、おたがいに父親を殺したと思い込み、かばいあっています。真犯人はイリューシャです。

英訳の「one thing=it」は whoever murdered father を受けるのではなく、名状しがたい「それ」です。代名詞ではありません。ここのイワンにとっては悪魔的な殺意で、アリョーシャにとっては「悪魔はあなた自身ではない」です。I (only know one thing) ではなく (I only) know one thing と解釈することもできます。イワンが自分だけが it を感じているなら妄想だと言えますが、アリョーシャも it をささやいた(打ち明けた)ため、妄想ではなく現実だと言わざるを得なくなったのです。また代名詞 it が犯人を指すとすると、アリョーシャが「あなたじゃない」と断言できるには犯人を知っている必要がある、つまり彼自身が犯人だとイワンは理解したのです(事実ではなかったが)。

'Brother,' Alyosha began again in a trembling voice. 'I have said this to you because you will believe my words, I know that. I spoke those words to you for your whole life: *it was not you!* For your whole life, do you hear! And it was God who charged my soul with the task of saying them to you, even though you may hate me now for ever from this day forth...'

少しあとになります。you will believe my words, I know that は I only know one thing と対応しているので、it は先ほどの悪魔とは違い you will believe my words という言葉にできない「確信」です。それがかつて God として顕れたので、すなわち「啓示」です。またこういう繰り返しがあります。

spoke those words to you
for your whole life

saying them to you
(even though you may hate me now)
for (ever from this day forth)

your whole life=ever from this day forth だとわかり、そうすると saying は単なる動名詞ではなく「言い続ける」だともわかるのです。them=my words ですが「それら」でもあり、speak と say に対応しています。speak は過去形になれるが、この say は現在完了や進行形にしかなれないのです。なぜなら my words はイエスの言葉だからです。hate は過去形になれるが live や love はなれません。ここがこの小説で最も重要なところなので、ヒントが出ています。

For your whole life, do you hear!

hear は「理解せよ」です。この部分は著者が読者に向けた言葉でもあり、「兄弟」と呼び掛けているのです。つまり「カラマーゾフの兄弟」とはちゃんとテクストを読める graceful な人間のことなのです。アリョーシャ Алёша(Alyósha) はаллю́зия (alljúzija) とのダジャレで英語では allusion、イリューシャ Илю́ша(Ilyúsha) は иллю́зия(illjúzija) で illusion です。

当時のロシアでは真っ当なことを書くと発禁になったり投獄されたりしたので(現代日本も大差なくなりましたが)、ドストエフスキーは小説の見かけを本質とは真逆の、ニヒリスト好みの観念小説にしました。ニヒリズム=リベラリズムの本質は「自分自身を判断の絶対的根拠とする」ことです。ポリフォニーなどテクストの読めない○○の戯言です。アリョーシャの言う通り、今はわからなくても、リベラルな「自由な読み」を捨て、何年でも丁寧に読み続けていけば、あるとき啓示があるものです。それはもはや宗教から離れたものであり、そのとき感じられるものが文学の本当の symphony なのです(バフチン自身が種明かしすると「作品」にならないのです)。しかし日本語訳はどれもその役には立ちません。原文か英訳を読みましょう。
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.678:
(3pt)

読み易い訳!

翻訳が上手いのでしょう、とてもスラスラと読めてしまいます。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.677:
(5pt)

新版と旧版があることに注意

内容は素晴らしいです。価値観の変わりゆく苦しい時代であるからこそ、読みたい本ですね。
表示されているのは新版ですが、中古だと旧版が配達される場合があるようです。私には旧版が配達されました。内容は変わらないと思うので良いのですが、新版の表紙が好きだったので少し残念でした。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.676:
(4pt)

下巻はほぼ裁判。

良心、自己嫌悪、誇りでミーチャの心は混沌とする。検事、弁護士、陪審員はそんなミーチャを置き去りにし、勝手に想像を掻き立て騒ぎはじめる。結局ミーチャは裁かれ、スメルジャコフは自殺。スメルジャコフの名は嫌な臭いを発する男の意味。悲しい結末。あとがきにドストエフスキーの生涯が紹介されているが、スメルジャコフの痴呆の母、百姓に殺される横暴な父親、監獄生活…等、この本に自らの体験が色濃く反映されていることを知る。まさに生涯をかけた大作。この本が表現したかったことの1つでも感じとれれば幸い。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.675:
(4pt)

教会に駆け込む人々と

神父のさり気ない会話がもう既に哲学。恋愛/隣人愛、国家/宗教、裁判/懺悔、宗教/社会主義、様々な概念が入り組む。著者の思考が文体の端々まで余すことなく及んでいる。…読み応え充分。 グルシェンカへの憎悪の反射であるカテリーナの半ば狂乱による偽装愛。そこで勘違い、甘やかされるドミトリー。ドラマになる構成だが人間の機微の、深い真理があるような。ないような。 漫画で予習してしまったぶん読みやすくはなったが、次から次へとテーマを感じとってしまうため、それはそれで疲れる…。まだ上巻。でも面白い。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.674:
(5pt)

面白かったです

この本は国際平和に貢献しています。序文に続いて、道化を演じるヒョードルが登場しますが、読者である他でもないあなたと闘争を繰り広げ、地獄に叩き落とすためのふるいをかけるわけです。まだちょっとしか読んでないし、よくわかりませんが。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.673:
(1pt)

最悪最低

今日までに上梓されたこの作品の日本語訳は既に十数種に及んでいるが、際立って優れた、真に決定版の名に値するものは、残念ながら未だ世に出ていない。現在容易に入手可能なのは、岩波文庫の米川正夫訳、新潮文庫の原卓也訳、そしてこの光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳の3種。このうち米川訳と亀山訳は全く頂けない。米川訳はドストエフスキーの本格的な研究が開花する以前の仕事につき、まだしも情状酌量の余地がある。しかし、米川時代と比べてドストエフスキー研究が長足の進歩を遂げた21世紀に上梓された亀山訳の、思わず目を掩いたくなるお粗末さは弁解の余地が一切なく、最悪最低の『カラマーゾフの兄弟』と言わざるを得ない。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.672:
(4pt)

上巻を読み切れるかが勝負

皆さんおっしゃるように、最初はとっつきにくく我慢して読み進め、慣れてくると中巻下巻と一気読み状態。日本の芥川賞作品とかが苦手な人は頑張りが必要かも?
最後の解説もすごく参考になりました。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.671:
(4pt)

解説込みで読むことをおすすめします

作者が登場人物に語らせる思考の深さと怒涛のような多層的な表現に圧倒されるパートがある一方、物語の展開は遅いし、セリフが冗長で偏執狂的でウンザリするところも多々あり。エピローグを読み終わったあとも、「え? これで終わ?」という印象。作中にもあるけど、第二部を構想しながらドストエフスキーは亡くなったので、こんな終わりかたなんだろうなあ。。と。

ところが、訳者の解説を読み、ドストエフスキーの人生や時代背景を知ると、物語の見え方が変わる。
建造物のような緻密な構成、記号的な人物配置等々の仕掛けが興味深く、自分の情報量と読解力のなさゆえに、楽しみが半減(ほんとは激減)していたことを知る。「え? これで終わ?」と思った終わり方についても、込められたら符牒に気付く。
背景を知らないまま小説として娯楽的に読むなら苦行に近いと感じる人が多いだろうけど、TEXTとして先生の解説付きで読むと大学の面白い授業に参加しているような興奮を覚えるかも。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.670:
(3pt)

注意が必要です

たしかに大作だと思います。いろいろなことを考えさせられます。スメルジャコフのジメジメとした暗さは、全編を通して非常に巧みに表現されていると思いました。また、「社会主義とは何か」「無神論は何故人を破滅させるのか」「キリスト教はいかにして人を救うのか」という問いに対して、カラマーゾフの兄弟達を通し深い考察がなされたようです。しかし、この作者は知らなくてもよい人の心理を暴露しています(しかも下品に)。感受性の強い読者は、ドストエフスキーの品の無い厖大な言葉に圧倒されて、暗い人間観を抱きそれを手放せなくなってしまうかもしれません。ですから、自分は動揺しやすい性格だとか、自殺について深く思い悩むことがあるなと思う人にはお勧めできません。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.669:
(5pt)

中・下巻は一気読み。まさに寝食を忘れる面白さ。

中巻は個人的には初頭のゾシマ長老のエピソードから面白かったが、万人が面白いと感じるのは第3部第8編の「ミーチャ」からであろう。
上巻では、カラマーゾフ家の他のメンバー全員から愛されるアリョーシャの存在感が大きく、家族の残りの構成員はロクな奴じゃない印象を持たされるが、ここへ来て長男のミーチャ(ドミートリイ)に脚光が当てられる。中巻のクライマックスに向けてのミーチャのドタバタ劇が面白すぎるし、細かい書き込みの積み重ねで、重層的な素晴らしい群像劇が楽しめる。そこから先、下巻の最後に向けては一気である。すべてが伏線になっていたことを知り、あっけに取られてしまう。
気が付くと、ロクな連中じゃないと読者に思わせていた家族それぞれに、多少なりとも共感させてしまう筆力はさすが。特に人間くさいミーチャの魅力は凄いのではないか。
最後の、アリョーシャのエピソードが良い。このエピソードのおかげで、『カラマーゾフの兄弟 』の読後感はとてもさわやかである。長編小説で、こんなに読後感が良いのも珍しいと思う。
(このことは最初に書かれていてネタばらしでも何でもないから書くが)今出ている『カラマーゾフの兄弟 』は第1部で、ドストエフスキーには第2部を書く構想があった。書く前に亡くなってしまい、世間では続編がないのを惜しむ声が多いが、私はこの小説はこれで終わって良かったと思っている。アリョーシャが革命家になる未来なんて読みたくないからである。
日本では、この小説の宗教的な背景その他、わかりにくいところがあり、まったく読み込めていないと感じたので、読後の興奮冷めやらぬまま、『謎とき カラマーゾフの兄弟 』(江川卓、新潮選書)を買ってしまった。それを読んでから、一年後くらいにまた『カラマーゾフの兄弟 』を読み返したい。
なお、日本人としては、この小説に出てくるネギのエピソードが芥川龍之介の『蜘蛛の糸 』にそっくりで・・・というか、芥川のほうが、このエピソードを換骨奪胎した(要するにパクった)のだと知り、興味深かった。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.668:
(4pt)

父親フョードルの変死

ゾシマ長老が亡くなって、多くが何か奇跡など起きぬかと期待していたところ、死体から腐臭が放たれそれは次第に増大する。これで、多くの人達の長老に対する畏敬の念が減退することにもなるが、これでドスとエーフスキーは何を書きたかったのか。多分、作者はこの書の中に完全無欠で誰からも崇められる人間を創らぬことにしたのでしょう。
アリョーシャは僧院から離れ還俗して(これはゾシマ長老が望んだこと)、一般の生活に戻るが、ドミートリーはイワンがモスクワに発ったあとに大金を持ってグルーシェニカに逢いに往く。その前にフョードルを訪ねてその家から、走って去る時に下男のグリゴーリーに塀を越えるところで足を捕まえられたので、丁度持っていた銅製の杵で彼を殴り大出血の負傷をさせる。失神し下男の傷の手当てをしてからドミートリーは逃走するが、その夜、フョードルは部屋で死体で発見され殺人の嫌疑はドミートリーにかかる。
ここからはドミートリーへの検事達の取り調べが延々と続き、ドミートリーがその日持っていた(とされる)3千ルーブリが丁度フョードルが(グルーシェンカのために)用意してあった3千ルーブリと同額であったこと、グリゴーリーの証言などから状況証拠は圧倒的にドミートリーに不利になる。彼が可能性として述べたスメルジャコフによる殺人は同時刻にスメルジャコフは癲癇発作の後遺症で寝ていた、とのアリバイがあり、いずれも否定される。
この巻では哲学的な会話はあまりありません。長男ドミートリーの超派手な行動が描かれ、ロシアにはこうした破天荒な人間が幾らもいるのか、と感嘆させられます。
しかし、5巻にある訳者解説によればドストエーフスキーが22歳の時のエピソードで千ルーブリを一日で使い果たしたことがあり、また彼が若い頃の作品で名を挙げ多額の収入を得た頃、4千ルーブルを半年で遣った、とも書かれております。従って、破天荒な行為の具体例は作者自身です。
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.667:
(4pt)

裁判、判決、誤審

本書の半ばでスメルジャコフは訪ねてきたイワンにフョードル殺しを自白する。(それまでイワンは父親殺しの犯人はドミートリーと思っていた)。スメルジャコフの癲癇そしてその後のベッド上での呻吟は詐病であり、ドミートリーの来る日を知っていて、スメルジャコフはフョードルの殺人機会をうかがっていた。すべてが計画通りに行ったのを見計らいフョードルを殺し、3千ルーブリを盗み、その罪をドミートリーに被せた。スメルジャコフは以前からイワンを尊敬しており、イワンの無神論も理解して、神が居なければどんな行為でも許される、と信じ込み、それはイワンが教えてくれたこと、と語る。そして、イワンも父親を殺したいと思っていたのだから、それを実行したスメルジャコフと(イワンは)共犯ではないか、と語る。イワンはスメルジャコフがヒョードルから奪った3千ルーブリを手に翌日の裁判に出ることにするがスメルジャコフは去って行くイワンの背に「さようなら」と声をかける。イワンと別れたあとに、スメルジャコフは首をつって死ぬ。
巻の後半は裁判所で、検事の長い調書、それに続く有能な弁護士の長い弁護 そして証人達の証言が続きます。イワンのスメルジャコフが真犯人であるという証言はイワンがその場で尋常ではない発言などもしたので、証拠の3千ルーブリと共に無視されます。裁判の記述は極めて長く、いささか退屈ですが、最終的にはドミートリーには有罪判決が下ります。
こうして世間を驚愕させた父親殺しの大事件は「誤審」として幕を閉じるのです。この浩瀚な物語にはカラマーゾフ一家のメンバー他、グルーシェニカ、カテリーナ、スメルジャコフ、ホフラコーワ婦人、など多くの独特のキャラクターを持った人間が多数出て参りますが、彼らについてはドストエーフスキーのそれまでの生涯の体験、経験の積み重ねから作者が創り出した人物模様です。ドストエーフスキーの父親は農奴に殺害されたこと、作者に癲癇の持病があったこと、シベリアに8年の流刑体験があったこと、賭け事が大好きであったこと、浪費癖のあること、などなどを基盤にしてこの大作が辛苦の末に生まれたのでした。作中人物それぞれが異なった巨大なエネルギーを噴出させて読者を圧倒するので、世界の名作と評価されることになったのでしょう。
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.666:
(4pt)

破天荒な一家の物語

カラマーゾフ家の親父フョードル及び3兄弟のドミートリー、イワン、アリョーシャ、他が一家の難題解決のためにアリョーシャの修行する修道院の長老ゾシマと僧庵で会見をする。フョードルはここで場違いな道化を演じ、会談はめちゃめちゃになるが、長老ゾシマは遅れて来たドミートリーの足元に跪いてお辞儀をする。この行為は謎として遺るが、ドミートリーが将来一家で一番問題を起こす人間である、との意味が込められていたのである。
別の場面であるが、フョードル、イワン、アリョーシャ3人の会話で父親(コニャックを飲んで酔っている)が、2人の息子に問う:神はいるか、不死はあるか、悪魔はいるか。 イワンの答え:神はいない、不死は無い、悪魔は居ない。アリョーシャの答え:神は居る、不死はある、悪魔は居る。 イワンは「もし神を考え出さなかったら、文明なんてまるきり無かったでしょう」と語る。
好色で始終飲んでいる父親、その父親を長男ドミートリーは憎み、次男イワンは嫌悪し、三男アリョーシャは僧院の長老ゾシマに救いを求める、といった一家の状況である。この一家に仕える下男グリゴーリー夫婦、および料理人のスメルジャコフ、らを中心にして物語は2巻へ。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.665:
(4pt)

無神論について

イワンとアリョーシャとの会話:
イワン:つまり神はあるか無いかという問題は、三次元しか与えられずに創られた頭脳には全く似つかわしくないのだ。だからこそおれは神を受け入れるのさ。(中略)
しかし、最終的な結論として、俺は神の世界を受け入れない。俺が受け入れないのは神ではなくて神によって創られた世界、つまり神の世界を受け入れることに同意出来ない。これが俺の本質だ。お前の求めていたのは神の話ではなくて兄がどんな生き方をしているか知りたかったのだ。だからこの話をした。
神の存在を素直に信じて修道僧となったアリョーシャ、そして無神論者のイワン、この2人の思想をドストエーフスキーは存分に描きたかったのだろうと考えます。
この巻の終末でアリョーシャが崇拝するゾシマ長老が亡くなりますが、長老の最後の言葉:民衆は私達と同じように神を信じている。神を信じない実践家はどんなに誠実な心を持ち、どんなに天才的な知性を持っていようと、私達のロシアでは何事もなしえない。民衆は無神論者と出会い、彼らを打ち負かし、唯一の正教ロシアとなるのである。民衆を大切にし、その心を守ってあげなさい。静けさのなかで民衆を教育しなさい。それこそが、あなた方修道僧の果たすべき仕事だ。
このゾシマ長老の言葉はドストエーフスキーの心情と思われます。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.664:
(5pt)

第2の小説を推理する!

カラマーゾフの兄弟を読み終えたが、なんとなくモヤモヤが残りました。
解説を読んで、なるほど、回収されずに残っている伏線が多すぎるのだということに気がつきました。
ドストエフスキーは序文で、カラマーゾフの兄弟は第1の小説であり、書かれずに終わってしまった第2の小説こそ、重要なのだと言います。
そして、その推理された第2の小説の設定が、メチャクチャおもしろそうなのです。
そんなの、絶対に面白いに決まっている内容を想像して、読んでもいないのに感動してしまっています。
この感動を説明したいのですが、カラマーゾフの兄弟を読んでいない人には解らないだろうなと思ってしまいました。
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.663:
(5pt)

騙されたと思って三回読め

高尚オブ高尚と思われているカラマーゾフの兄弟。私もその敷居の高さに敬遠してました。
多分挫折する人のほとんどが、名前のややこしさだと思われます。(私もそうだったし)
一回目は流し読みで分からない所があってもスルーして読み進めてください
二回目は名前もある程度わかって来ます
三回目には興奮して読む手が止まらなくなります

勉強する目的とか教養とかはとりあえず置いておいてただ作品を楽しんでみましょう
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.662:
(1pt)

カバーが破れ

カバーが破れ期待外れ
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106

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