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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全80件 1~20 1/4ページ
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「ぼくが知っているのはひとつ」と、アリョーシャは、あいかわらずほとんどささやくような声で言った。「父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」(亀山郁夫訳) 「僕が知っているのは一つだけです」なおもほとんどささやくように、アリョーシャは言った。 「お父さんを殺したのは、*あなたじゃ*ありません」(原卓也訳) 'I only know one thing,' Alyosha said, still almost in a whisper. 'Whoever murdered father, *it was not you*.' (David McDuff) 英訳は明らかに「ヨハネの手紙4:21」を下敷きにしています。 20「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 21神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。(新共同訳) 20 If anyone says, “I love God,” and hates his brother, he is a liar; for he who does not love his brother whom he has seen cannota love God whom he has not seen. 21 And this commandment we have from him: whoever loves God must also love his brother. (English Standard Version) whoever loves God/whoever murdered father 父=キリスト教の神様です。fatherは無限定なので「父殺し一般」と考えることもできます。オイディプス王が有名ですが、その娘のアンティゴネーの悲劇も有名です。「神の法」と「人の法」の対立であり、『カラマーゾフの兄弟』はこちらをモチーフにしています。比喩的に「国」の意味もあります。 > つまり、「大審問官」では、いちどとして*イエス・キリスト*の固有名詞が用いられていないということだ。もちろん「彼」がイエスであるとすることは可能でも、そう訳すと、じつはミスを犯すことになる。(237ページ) 亀山氏はいいところに気がつきましたが(☆+1)、もちろん「彼」はイエスではなく God です。神様が直接救ったのだから、イワンは新たな救世主なのです。無神論的ですが神を否定するのではなく、「虐待されている子供(具体的には自分とスメルジャコフ)を放置している」神に怒っているのです。19世紀後半のロシアの状況を反映し、イワンは現世的な救いを神に求める点ではリベラルですが、リベラルと違い「神を殺す」ニヒリストではないのです。『魔法少女まどか☆マギカ』の佐倉杏子みたいなものです。四兄弟は遺伝的にウソがつけない性格ですが(ヨハネの手紙の liar ではないのです)、おたがいに父親を殺したと思い込み、かばいあっています。真犯人はイリューシャです。 英訳の「one thing=it」は whoever murdered father を受けるのではなく、名状しがたい「それ」です。代名詞ではありません。ここのイワンにとっては悪魔的な殺意で、アリョーシャにとっては「悪魔はあなた自身ではない」です。I (only know one thing) ではなく (I only) know one thing と解釈することもできます。イワンが自分だけが it を感じているなら妄想だと言えますが、アリョーシャも it をささやいた(打ち明けた)ため、妄想ではなく現実だと言わざるを得なくなったのです。また代名詞 it が犯人を指すとすると、アリョーシャが「あなたじゃない」と断言できるには犯人を知っている必要がある、つまり彼自身が犯人だとイワンは理解したのです(事実ではなかったが)。 'Brother,' Alyosha began again in a trembling voice. 'I have said this to you because you will believe my words, I know that. I spoke those words to you for your whole life: *it was not you!* For your whole life, do you hear! And it was God who charged my soul with the task of saying them to you, even though you may hate me now for ever from this day forth...' 少しあとになります。you will believe my words, I know that は I only know one thing と対応しているので、it は先ほどの悪魔とは違い you will believe my words という言葉にできない「確信」です。それがかつて God として顕れたので、すなわち「啓示」です。またこういう繰り返しがあります。 spoke those words to you for your whole life saying them to you (even though you may hate me now) for (ever from this day forth) your whole life=ever from this day forth だとわかり、そうすると saying は単なる動名詞ではなく「言い続ける」だともわかるのです。them=my words ですが「それら」でもあり、speak と say に対応しています。speak は過去形になれるが、この say は現在完了や進行形にしかなれないのです。なぜなら my words はイエスの言葉だからです。hate は過去形になれるが live や love はなれません。ここがこの小説で最も重要なところなので、ヒントが出ています。 For your whole life, do you hear! hear は「理解せよ」です。この部分は著者が読者に向けた言葉でもあり、「兄弟」と呼び掛けているのです。つまり「カラマーゾフの兄弟」とはちゃんとテクストを読める graceful な人間のことなのです。アリョーシャ Алёша(Alyósha) はаллю́зия (alljúzija) とのダジャレで英語では allusion、イリューシャ Илю́ша(Ilyúsha) は иллю́зия(illjúzija) で illusion です。 当時のロシアでは真っ当なことを書くと発禁になったり投獄されたりしたので(現代日本も大差なくなりましたが)、ドストエフスキーは小説の見かけを本質とは真逆の、ニヒリスト好みの観念小説にしました。ニヒリズム=リベラリズムの本質は「自分自身を判断の絶対的根拠とする」ことです。ポリフォニーなどテクストの読めない○○の戯言です。アリョーシャの言う通り、今はわからなくても、リベラルな「自由な読み」を捨て、何年でも丁寧に読み続けていけば、あるとき啓示があるものです。それはもはや宗教から離れたものであり、そのとき感じられるものが文学の本当の symphony なのです(バフチン自身が種明かしすると「作品」にならないのです)。しかし日本語訳はどれもその役には立ちません。原文か英訳を読みましょう。 | ||||
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今日までに上梓されたこの作品の日本語訳は既に十数種に及んでいるが、際立って優れた、真に決定版の名に値するものは、残念ながら未だ世に出ていない。現在容易に入手可能なのは、岩波文庫の米川正夫訳、新潮文庫の原卓也訳、そしてこの光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳の3種。このうち米川訳と亀山訳は全く頂けない。米川訳はドストエフスキーの本格的な研究が開花する以前の仕事につき、まだしも情状酌量の余地がある。しかし、米川時代と比べてドストエフスキー研究が長足の進歩を遂げた21世紀に上梓された亀山訳の、思わず目を掩いたくなるお粗末さは弁解の余地が一切なく、最悪最低の『カラマーゾフの兄弟』と言わざるを得ない。 | ||||
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カバーが破れ期待外れ | ||||
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カバーがあまり良く無い | ||||
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カバーが悪い | ||||
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3巻のレビューにも書いたけど、3巻のアリョーシャと子供達の交流の辺りまでは面白い。その後から一気につまらないというかどうでもいい話になってしまった。(あくまでも私にとっては)三幕構成に慣れてしまった頭には、この小説の構成も複雑というか、行き当たりばったり的で散漫に感じる。(しょっ中この話はまた後でしますとか言ってくるが、今説明しろよとイラッとくる)どこに着目して読んだらいいのかわからない。法廷劇になった途端、神の目の如く作者の視点がぐいぐい割り込んでくるのもウザい…。アリョーシャやイワンが法廷であんなに役に立たないモブキャラ扱いなら、2巻も使って彼らの豊かな精神性を描写する必要があったのか?(私にとってはそここそが面白かったのだけど)もしこの物語を現代作家が書き直したら間違いなくミーチャが主人公で、彼と父親との確執を軸に、2人の女性を巡る恋の鞘当てと、2人の弟達との関わり合いを書いた作品になり2巻ぐらいで収まると思う。まあでもそんなの圧倒的につまんないよね~~~。それはわかる。 2巻までには本当にハッとするような表現があって、それは古典を読んでいて「大昔の人も同じだったんだな」と気付くような普遍性なのだけど、法廷劇というのは時代性を結構強く反映したものになると思う。なのでこの時代のロシアの法廷に興味ある人にとっては面白いんじゃないでしょうか…。でも結局、この法廷で争われてるのが前述した「主人公ミーチャの物語」のダイジェストみたいな感じなので、ほんとどうでもいいなと思ってしまった…。 | ||||
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本の中身のことではありませんが、また本がひどい状態で届きました。まとめて5巻必要で、在庫の揃っていたアマゾンを利用したのですが、ここ数年の袋にドサッと入れられただけの状態で、2冊が表紙カバーの折れ曲がりほか、小口に糊のあとがあり、頁の一部が開かない状態でした。しかも、袋の一部に破れがあり、中に砂かホコリが入っていて、本全体にザラつきがありました。本当に新品なのか、思わずカスタマーセンターに問い合わせしたほどです。 少なくとも、袋の中で本が動かないようにはできないのでしょうか? とりあえず中身が読めればいい人には良いのかもしれませんが、本好きにはオススメできません。 アマゾンは元々、本のネット販売から始まったのに、その本を大切に扱わないようではダメですね。楽しみにしていただけに、本当にがっかりです。 本来のレビュー欄の使い方ではないのは重々承知していますが、同じく本好きの方たちに同じ思いをしてほしくないので、書かせてもらいました。 | ||||
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この巻までめっちゃ楽しく順調に読んできたのに、第8編ミーチャから進まなくなった…こういう男大嫌いだから…。こんな男どうなろうとどうでもいいと思っちゃう。自力で稼ぐ手段は持たないくせに無駄遣いは派手、女に狂って他人に暴力ふるったり弱い者いじめしたり、迷惑かけまくって、1mmも共感できない。卑怯者の自覚があれば卑怯さが許される訳じゃなかろう。勝手にさっさと自滅すればいいのに。飛ばしたら話わかんなくなりそうだしマジで困ってる。でもこういう、思い込みが激しくてストーカーになるタイプの男の描写としては上手い。あの純真で愛らしいアリョーシャも、とんでもなく酷い目に遭わされて可哀相だし。この話ずっと続くの?誰がフョードルを殺したかなんてどうでもいいなぁ…。イワンとアリョーシャにずっと駄弁っててもらいたいわ。 | ||||
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あと、子供、動物といった弱者虐待の描写がすさまじく、女性蔑視その他作者の無意識の差別が甚だしいので、閲覧注意とおもいます。こういう本をありがたがる時代はとっくに終わっています。過去の遺物。 | ||||
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私の読解力の無さが原因だと思うのですが、兎に角冗長でつまらなかった。期待していたのですが残念です。ただ一点、今のロシアの状況を言い当てている箇所があり、そこだけは感心しました。 | ||||
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ネチネチした内容で、物語に体がなく、酷くつまらない内容と感じました。 登場人物がやたらと多く、名前も読んでいてイライラする。 | ||||
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1巻で挫折した。 とにかくありえないほど話が進まない。何万字も読ませるくせに、ストーリーが何一つ進展してない。 同じように古典とされているパール・バックの『大地』は、圧倒的なストーリーの推進力で読ませる本だったのに対し、こちらは著者であるドストエフスキーの人間造形の見事さで読ませる作品らしい……が! いかんせん、話が進まなすぎるうえ、あまりに極端なキャラクターが多く、どうしても受け付けない。 人間造形の古典の名手といえば、『高慢と偏見』のジェーン・オースティンだけど、あっちは、何百年も前の作品にも関わらず「ああ、こういう人っているよね!」とハッキリ思わせるキャラクターが次々に出てきた。そして、それらが互いに影響しあうことで絶妙の物語を紡いでいた。 なんとなくだが、『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーが考える「悟り」を伝える宗教小説なのではないか、と感じた。でも、いまのところ悟りについては最新知見を十分にほかの小説で楽しんでるから、けっこうです……って感じ。 もう10年くらいしてから読み返したら、楽しめるようになるのかな。 | ||||
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まるで映画を見ている様に場面 人物 動きが頭の中に残っていく | ||||
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冒険物でスリリングとの情報を聞いて購入したが、その要素があまりまだ分からない。 | ||||
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適切に保管していたのか疑わしくなるくらいの品質。 返品して、店頭で買いたいくらい。 是非本はしっかりとした店で購入を。 内容はまだ読んでいないが楽しみである。 | ||||
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訳が分かりにくい 小沼文彦さんが訳したものと比べると、その差が歴然。 違和感を感じながらも、3巻途中までなんとか読み進み、そこからは昔の本に変えました。 キャラの気持ち、行為行動が、分かりにくい。 「この人の言うことは信じないでください」と彼は叫んだ。 え、叫んだの?いま叫んだんですか 叫ぶなら「この人の言うことは信じないでください!」じゃないの? そういう違和感が満載な本です。 | ||||
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訳が分かりにくい 小沼文彦さんが訳したものと比べると、その差が歴然。 いろんな人の役が出てるけど、最初に読んだのがこれではかわいそうだ。 他の訳本をお勧めします | ||||
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広告のブックカバーと同じ上巻を持っているのですが、届いた中、下巻は、古い版だったので、がっかり、この版は、字が小さくて、年寄りには無理です。正しい情報で、販売して下さい。貴社のファンなので、残念です。 | ||||
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第5編の5.大審問官の訳で、「聖母マリアの地獄めぐり」の話をイヴァンが紹介して、そのあとに、 イヴァンが「俺が作った物語詩だって、これと似通ったものになっただろうな。で、俺の物語にはその彼が登場するんだよ。・・・・その彼が自分の王国にやってくるんだよと約束をしてもう15世紀が経っている」 このその彼のところに、わざわざ上に濁点を打って協調している。そしてカラマーゾフの兄弟5 エピローグ別巻の解題307ページに、この彼をイエスと訳すことは可能であるが、そう訳すとミスを犯す、と亀山氏は言っているけど、同じ上妻訳(古典教養文庫)、原訳(新潮文庫)を見ても、彼なんてなってなくて、キリストと訳されている。さらに聖書の引用箇所まで入っている。聖書の基本的な知識(終末とキリストの再臨)があれば、この文脈ではどう考えても、彼とは、イエスキリストを指す以外にない。キリストと訳すのはミスを犯すという解釈は、それはありえない。またあえて、「その彼」と訳すなら、前のお話の引用として、「マリアの地獄めぐり」に登場する「キリスト」をさして、「その彼」とつなげているので、あって、これを、亀山氏の解題307にあるような、イワンが作ったお話だから、という理由で、彼=キリストではない、という解釈の根拠にならないよ。イワンがあえて、「彼」を「イエス」と限定しなかったことこそが、重要だ、という解釈は、どこでどう考えて、そうなるのか。ここをこんなふうに説明できちゃうこの亀山氏って、大丈夫なのかな。まあ、ヨーロッパ、アメリカの作家や哲学者の理解や解説も、特にキリスト教関係など、何もわかってなくて、まったく奇想天外なものがあるから。新訳ということで、買ってみたけど、お金の無駄だった。これから、買いたい人は、古典教養文庫、新潮文庫の方を買うべき。少なくとも、ドストエフスキーの傑作をこんなへんてこな解釈が平気でできちゃう、この亀山氏みたいな人が訳したものは、読みたくないなあ。 | ||||
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光文社古典新訳文庫(亀山郁夫訳)で「カラマーゾフの兄弟」第1巻と、第2巻の「大審問官」を読んだのですが、全く感銘を受けなかった、というか内容をよく理解できなかった。 岩波文庫の「罪と罰」(江川卓訳)では深い感銘を受けたのに、同じドストエフスキーの作品なのに、どうしてこんなに違うのか。どこか感触がおかしいなと首を傾げつつ、1回、挫折しました。 その後、新潮文庫(原卓也訳)で再読の機会に恵まれ、やっと「カラマーゾフの兄弟」の世界に浸ることができました。挫折無しで、上中下巻を約2週間で読破しました。約40年前の翻訳ですが、どんどん頭に流れ込んでくる自然な日本語に訳されています。訳注も的確です。 巷の指摘通り、亀山郁夫の翻訳の問題は大きいと思います。自分はあえて挫折してよかったです。 | ||||
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