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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全686件 681~686 35/35ページ
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| 不穏な空気が漂う上巻、多くの人物が錯綜し、中核となる事件が生じる中巻、そして、逃れられない結末へと怒涛のごとく疾走し、唸りをあげる圧巻の下巻。全く質の異なる考えを内包し、それでいて、日常生活が送れてしまう「人間」とは、いったい何なのでしょう。人を殴りつけた10分後に、お年寄りを助けることが出来る「人間」とは、どういう生物なのでしょう。全ての人間の心の中に、情熱的なミーチャも冷徹なイワンも存在していると思います。では、アリョーシャ、すなわち、愛はどの頻度で存在しているでしょうか。果たして、3兄弟のうちの誰に対して、自分をもっとも投影されるでしょうか?「人間」、そして「愛」についての物語、そう感じました。(「大審問官」の章は私には難しかったです。) | ||||
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| キリストが,神父を,抱きしめ,無言で去っていく。私は,今まで読んだ小説の中で,無言のすごさこれほどすごく刻印した例知らない。そして,ラストの素晴らしさ。読む本では,ない,読むべき本なのだ。 | ||||
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| 正直、上・中巻では各一箇所ずつ、 読み詰まった場所があったのですが、 下巻には全くありませんでした!途中、詰まった所は再読すればきっと理解できます。 あまり気にせず先へ先へと進みましょう。 ラストは本当ににワクワクしながら読めますよ。惜しくはドストエフスキー氏の死のみ。 | ||||
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| アリョーシャと子供たちの場面は本当に美しい。並みの小説家だったらこれらのエピソードだけで一冊の本をつくり、しかも傑作だと高く評価されただろう。これでも「カラマゾフ」の主筋ではない、というのだから、本当に驚くしかない。「カラマゾフ」を読み終えたとき、私たちは本当に幸福になっている。やがてまたイヤな現実世界に戻されることはわかっているが、少なくともこれを読み終えた瞬間だけは、私たちは生を肯定し、人間は素晴らしいと思い、世界は美しいと感じている。ドストエフスキーは<これ>が書きたかったのだと思う。「未成年」までの膨大な作品群は<これ>を書くための準備段階だったのではないか? そんなふうに感じさせるほど「カラマゾフ」の幕切れは印象的だ。「人生の意味を??する前に、人生そのものを愛さなければならない」。この「カラマゾフ」のキーワードにも思える言葉は、アリョーシャではなくイワンによって語られている。このことは、イワンがどれほど人生の「意味」に苦しめられているかを、逆に如実に物語っている。イワンは発狂する。ドミトリーはシベリアに送られる。アリョシャの幼い友人イリューシャは病死する。物語は決して読者が期待するような結末に達したとはいえない。にもかかわらず、この圧倒的な幸福感はなんなのか? 「たとえ僕たちがどんな大切な用事で忙しくても、どんなに偉くなっても、あるいはどれほど大きな不幸におちいっても、同じように、かつてここでみんなが心を合わせ、美しい善良な感情に結ばれて、実にすばらしかったときがあったことを、そしてその感情が、あのかわいそうな少年に愛情を寄せている間、ことによると僕たちを実際以上に立派な人間にしたかもしれぬことを、決して忘れてはなりません」。(エピローグ) | ||||
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| このカラマーゾフの兄弟1巻にはあの有名な大審問官が入っている。大審問官だけ読むと言う人もいるかも知れないが、是非ストーリーの中の一つの章としての大審問官を読んで欲しいものである。 | ||||
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| 高3の夏休み、真夏日が続く深夜、この小説を何度も読み返したことは、今でも忘れられない。 いつも同じ個所でこぼす涙は、その後、必ず私に優しい気持ちをもたらしてくれた。あらすじは、簡単だ。カラマーゾフ家の父親が殺され、その殺害容疑が彼の息子3人にかけられる。誰が殺人犯なのか、動機は何か、一切、謎のまま、真犯人を求めて、話題が展開していく。しかし、この主題は、全体の構成を統一するだけのために存在しているかのようだ。読者は、最終場面まで読み進んで、この主題がプラセボ(偽薬)だったことに気づくだろう。いや、既に、ドストエフスキーの手中に陥って、そんなことさえ分からなくなっているだろう。最後の子供たちの叫び、「ばんざーい、アリョーシャ!」を読みながら、涙を流しているはずだからだ。 この小説は、ロシア文学のみならず、世界文学の中でも、最高傑作に入るだろう。読者の人生を変えるほどの力を持っているという意味でも。しかし、気軽に考えよう。結局、自分を変えるのは、自分の意欲であり、自分に内在する力なのだから。 | ||||
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