■スポンサードリンク
カラマ-ゾフの兄弟
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全681件 541~560 28/35ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
誰もが絶賛する名作にもかかわらず、まだ一度も読んだことがなかったので 購入しました。他にも別の訳者で出版されていますが、新潮文庫を選びました。 登場人物の名前がややこしくて、メモを見ながら読みましたが、なかなか 読み進まず、途中他の本と平行して読み、結局2ヶ月もかかってようやく上巻を 読了しました。第5編の『プロとコントラ』まではどこが面白いのか全くわからず むしろ苦痛な思いでしたが、ようやく話が進みだしたような気配なので次の中巻・下巻に 期待しています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
つまり地上の罰(社会的罰)と、天上の罰(内面への罰)だ。ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学では無理という。例えば光市母子殺害事件 後、犯人の手紙が、証拠として公開された。 「選ばれし人間は…私を裁けるものはこの世におらず」 これら供述は『罪と罰』『ドラえもん』の丸写しだが、夢は小説家らしい。 一方で精神医学では、良心が欠落した異常者“サイコパス”の存在を唱える。どちらが正しいのか、科学は、人の内面をも暴けるのか? ■大審問官は居直る『自由は、三次元の人間にとって荷が重すぎる』 民衆の「闘争・貧困」解決策は、取引しかないと。たしかに我々は、『バックトゥザフューチャー』の様に四次元的に行動できない。日本は今、スピリチュアルブームだが、占い師が、詐欺師かどうかも神秘だ。 自由を苦痛に感じる弱者は、現代日本にも確実に存在する。例えば刑務所を出所した老人が、わざと万引きをくり返し、囚人に戻りたがるというニュースを聞く。 ■「不死がなければ善もない」《一巻182p》 コレは、魂の不滅がないなら因果応報が機能しない、ことか。 つまり現世で無実の青年力士が、(ビール瓶で撲殺される様ないわれなき現世の罰が)来世で報われないならば、善悪は無意味だ。 司法の補償も怪しいものだ。時津風部屋で07年6月26日に撲殺がおき、立件されたのは約3ヵ月後。それもそのはず警察は、診断書を書換え妥当な検視も怠った。「耳は裂けアザ・火傷だらけの死体」は「心不全」と診断された。我々が欲する「くもりなきメガネ」は、科学がもたらすのか?それとも、神が与えた自由には、善悪の審判は含まれないのか? 戦後日本は国民宗教を失った。法律を補完する社会規範を失った以上、地上の罰に頼らざるを得ない。それが現代日本の現状だ。ゾシマが誇る様な“教会”を持たない日本における死刑制度は… | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
学生時代にカラ兄を読もうとして、挫折した人は何人いたであろうか。 恐らく読みきった人よりも多いのではないか。 私も高校時代に読もうとして新潮社の原訳の一巻で挫折した人間の一人であるが、 これは一気に読めた。 巷でカラ兄を読む上で最もネックになると言われている この第一部であるが、私は三日で読んだ。 以前、一ヶ月以上かけても読みきることが出来なかったところと全く同じ部分を、である。 この新約発売という出来事は日本ドストエフスキー史上最大の革命と言えるだろう。 せっかくこんな良い訳が出たのだから、今学生をやっている若者には 携帯なんていじってないで是非とも読んで欲しい。 この大著をいとも簡単に読めるなんて昔では考えられないバーゲンセールだ。 昔に挫折した人も是非。 亀山さん、このまま『罪と罰』の翻訳もお願いします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アリョーシャは小川で子供のケンカに巻き込まれる。コレは、イワンの話の伏線だ。石ころは「闘争」パンは「貧困」を暗示する。くたびれた古いコートを着た少年は、孤軍奮闘インティファーダだ。 ■悪魔の質問「石をパンに変える」 コレは“争う兵士を平和な農夫にかえる”世俗政治の必要性だろうか?病気を抱える家族に、金銭的誘惑…姉歯建築士の耐震偽装事件05年11月を連想する。イワンの主張は『幼児虐待を前提としたキリスト教社会なんてまっぴらだ!』(幼児虐待は一つの典型例にすぎず、異端迫害や魔女狩りも含む、幼児はマイノリティの象徴か)と聞こえた。ただし、僕ら運用側にも責任があるのでは?と思った。 例えば、柔道のヘタクソなフランス人がいて、そもそもルールが悪いんだ!「技あり」なんて無くしちまえ!これって責任転嫁に聞こえる。ルールだけの問題か?運用側の問題でもあるだろう、ルールに文句つける前に審判にメガネを買ってやれよ!現実に幼児虐待がある、これって全て聖書の責任か?オレ様が、創造主の想定外なことをしたって構うもんか。そもそもルールの方が、曖昧でおかしいんだ!? ■イワンの問題提起は「教会が国家に属すべきか否か」 いっぽう、ゾシマは「教会の裁判こそが唯一の真実」さらに、教会は犯罪者の更生(良心)を見放さない。《一巻169p》太宰は『人間失格』のなかで“一つの罪に対して、罰は二種類ある”という様なことをいった。つまり 地上の罰(被告vs原告、裁判官、世間)と、もう一つは天上の罰(罪人の良心vs神)だ。 ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学や精神分析では無理、という。被告の反省の弁は、検証可能か?“犯人が心のなかでは舌を出してるかどうか”例えば光市母子殺害事件99年事件後犯人が友人にあてた手紙が、証拠として公開された。その内容は…字数オーバー次巻へ続く | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ます新潮に比べ読み易い。どちらも字の大きさは同じだが、新潮はギュウギュウ詰めでシンドイ。一方、光文は段落わけが小まめなので、読みながら息継ぎし易い。 特に『カラ兄』はキャラも多いし伏線や隠喩がアチコチにあるので、厳密に読みだすと、 何度も前のシーンを見直すことになる。そこで段落が小分けだと関連シーンが探し易いし、なにより段落ごとに丹念に思考しながら読めるのが、大きい。 ヨーロッパの教養の一極『カラ兄』を、アジア的に例えると、アリョーシャは劉備。ドミトリは張飛。イワンは孔明いや曹操か?もちろん董卓はフョードル。すると仲達や貂蝉も? 第一巻の予備知識●貨幣価値…「3000ルーブル」という財産の話が、よく出てくる。 コレは、どの位の価値か?19世紀当時の大学教員の年俸が丁度この3000ルーブルで、 その教員の召使の年俸※が÷10の300くらいだった様だ。ざっくり言うと、 1ルーブルは千円、1コペイカは十円だ(詳しくは二巻ガイド)。ちなみに、ソーニャの初仕事は銀貨30ルーブル。 アリョーシャが、かじるフランスパンは3コペイカ、ミネラル水はその10倍。 年俸※『賭博者』家庭教師は700、『外套』9等官は400ルーブル。 ちなみに著者が『賭博者』を書いたのも、借金3000ルーブルのため。 第二巻の予備知識●8世紀の宗教史「ピピンの寄進」 751年 小ピピンの即位(フランク王国カロリング朝 この歴史を知らないと、前半のクライマックス大審問官が理解できない。 そう大審問官が告白した、あの悪魔的取引のルーツだ。 コレは、ピピンと教皇の歴史的取引が前提にある。8世紀すでにローマ帝国は崩壊し、 異民族が荒れる、まあ戦国時代。つまり教会は外敵に対する後ろ盾が欲しかった。 一方、その後ろ盾候補のフランク王国でも権力争いがあった。ピピンは先代メロヴィング朝を凌ぐ権威が、欲しかった。 そこでピピンは、外敵ロンバルド族を討ち、ラヴェンナ地方(後の教皇領)を寄進するのでと…取引をもちかける。 これにより、精神的支配者に過ぎなかった教皇が、現世的直轄領を持つ世俗的支配者となる。 PS●まだ2巻まで読んだとろ、1巻の感想は、とにかく親父の変態ぶりが際立ってて笑えた。だけでなく少女の手紙など心温まる話も。2巻は『神の不在』論争にも熱を帯びてきて…いよいよ大作の片鱗がみえてきたか?てとこ。本作はかなりの長編にして、複数のエピソードが重畳する。何度も精読しないと理解できそうにないため、ここに整理した。まず一巻だけの評価なら★4 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これが初めて読む本ではないのに、特に前半は まるで今までに一度も読んだことがないかのようにワクワクと読んだ。 イワンの行動と変化には本当に驚いたし、スメルジャコフの役回りにも本当に驚いた。 二人の末がいずれも悲惨だったので、その章を読み終えた時は、 しばらく何もしたくなくなってボーっとしてしまったくらいだった。 3巻で長男の物語が息もつかぬ勢いで進んできた後だったから、 イワンの内面に話しが進んでいって、しかもスメルジャコフが絡んでくるので、 読んでいてとてもドラマティックな展開となり、 だからこそワクワクもし、終末には大きな驚きを覚えたのだと思う。 審判が始まってからはむしろ変化がなく、 検察と弁護人のスピーチは、それまでに既に読んできた内容の重複だったので、 少し間延びした感じがぬぐえず、読む楽しみも減ってしまって、 読み終わるのに時間がかかってしまった。 登場人物の紹介が中心だった1巻、哲学的・宗教的考察が中心だった2巻、 話しが急展開して物語自体がグンと面白さを増した3巻、 どれもとても大きな存在だったけれど、 この4巻も2巻と3巻が終結を向かえる大きな存在だと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校時代の同級生が昔、「『カラマーゾフ』なんか、最後の方は早く続きが読みたくて仕方なくなった」と言ってたし、ある女流作家(金城ひとみだったかな?)も、「1〜2巻は数ヶ月、3巻以降は数日で読めた」みたいなことを書いていたもんだから、1〜2巻で相当退屈したにも関わらず、半ば意地で、でも少し期待しながら、3巻も数ヶ月かけ、とぎれとぎれでやっと読了した。 正直な感想=愛読者の皆さん、『カラマーゾフ』ってどこがそんなにいいの? ミーチャの大時代的で、芝居じみた長ったらしい台詞なんてシラケッパナシ。単に女と酒に溺れやすい激情型人間にしか見えない。父親殺しというモチーフも現代の日本では極々日常的に報道されているし、別に新鮮味もないしなあ。3巻ではアリョーシャやイワンは全く登場せず、ミーチャの一人舞台だが、私にとってはあまり興味深いキャラではない。カラマーゾフも『罪と罰』位の長さ(文庫2巻)で、丁度良い話ではなかろうか。どう考えても、物語としてはダラダラし過ぎた失敗作だと思う。 4〜5巻どうしようかなあ。こうなりゃ、意地でも読むしかないか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
イワンと悪魔の対話は実に現代的だ。 酒鬼薔薇聖斗から福島の母親殺し・・・まで、自分の理屈で他人を傷つけ、殺害する人が増えている。それは自分の中にも潜んでいる。 その得体の知れないものを気づかせ、真摯に向き合うことを教えてくれたのが本書だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
若い頃、共感できなかった「カラマーゾフの兄弟」の新訳本が一昨年に登場し、読みやすさが評判で異例のベストセラーを続けているとのことで、久しぶりに繙いてみました。 なかなか先に進まなかった小説が、翻訳のせいなのか、今の時代に合致したせいか、或いは自身の歳のせいかとても面白く、すらすら頭に入っていきす。 130年前の作品に提示される様々な問題 (権威、権力、信仰、憎愛、虐待、差別等々)の多くは、今もって解決されず、返って深刻さを増しているようにも思えます。 人は、大きな幸せを願いながらも、身近には簡単に傷つき傷つけてしまう。人間とは何か、生きるとは、どういうことなのか… さて昨年夏にエピローグ別巻を含む全5巻が、完結しその後、訳者は未完の第二部の構想を『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』と題した新書版で発行し、これも話題となりました。 人生の後半をより心豊かに軌道修正される上で、この古くて新しい最高峰の文学が役立ちますよう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みやすいというので、読みはじめた。べつに読みやすいという感じはなく、普通である。ふつうの日本語という感じだった。ただし、なんともいえない艶がある。人気の秘密は、きっとこの魅力だな、と思った。徐々に盛り上がっていくが、盛り上がり方が遅い。でも、スメルジャコフのあたりからだんだん面白くなった。こういう男がやはり増えているのじゃないか、と思った。たとえば、今回「ルネサンス」殺人事件だって、イワンとスメルジャコフを足して2で割ったようなところがある。父親殺しが主題というのだから、このフョードルが殺されるのだろうが、ちょっとかわいそうなところがある。あそこまでサーヴィス精神旺盛な道化はそうはいないと思うけれど、臭い女に関する趣味のテーマは、けっこうすごい。ドストエフスキーがここまで堕落を知っている作家だとは思わなかった。あそこまで書けるからこそ大作家なんだろうな、とも思う。でも、ドストエフスキーは、どうしてそこまでわかるのか。頭で理解しているだけなのか、それとも彼自身が、どうしようもない道化者で、「悪趣味」なのか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
難解な原文を分かりやすく翻訳してくれた著者にまず感謝したい。 しかし、内容が重いことに変わりはない。読み進むごとに、何のために生きるのか?という重いテーマが迫ってくる。一昔前なら腰が引けたであろうが、読み進むうちにぐいぐい引き込まれていくのは何故だろう? 多分、もう浮かれて過ごせる時代ではなくなったからだ。収入で勝ち組、負け組に分別される競争社会に我々は疲れ、癒しや救いを求めている。 それに答えてくれるのはドストエフスキーしかいなくなったような気がする。 三兄弟の中で不思議と魅かれたは、次男のイワンだ。心の底では世界を愛し、他人を愛したいと望んでいる。だが、現実には、神も愛もなく、あらゆる行為は許されると考える。 そして、カネや欲望の化身である父親を憎み、殺したがっているが、父親なしでは生きて行けず、悶々と服従している。 イワンで浮かんだのが、10年前に神戸で児童を連続殺傷した14歳の青年、酒鬼薔薇聖斗だ。彼が書いた「懲役13年」という作文は、イワンの告白そのもののように思える。 道徳と法律の境界を彷徨っているイワン的な人物が、今の社会、無数にいるのではないだろうか。 そのことを気付かせ、少しでもアリョーシャに近づくようにと戒めているのではないか、というのが率直な読後感であった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
死ぬまでには一度は読みたい本、読めばドストエフスキーの小説で一番面白いことが分かるだろう。この小説には理想がある。これ以上の小説は、まず無いね。小説というより宗教書に近いね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一巻をようやく読み終えた。ようやくというのはふさわしくないかもしれない。圧倒的な重量感とすばらしいリズム感に満ちている。フョードルの存在感がとても際立っていて、なんというか魅力的だと感じた。昔、米川訳で読んだフョードルよりもはるかに真に迫ってくる。つまり、現代人なのだ。また、一般の民衆に接するゾシマ長老の存在感も、おだやかな語り口のなかに高貴な輝きが満ちていて、今回の翻訳の成功の一つだろう。アリョーシャを愛する気持ちがよく表わされている。リーザのラブレターがとてもかわいらしくて、すっかり気に入った。ドストエフスキーは、決して重くない、むしろ旺盛な生命力と笑いに満たされた作家なのだと発見した。これはとても意外な発見だった。いよいよ、第二部に入るが、ちょっと武者震いが出る。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この新訳ではじめて読んだのだが(ドストエフスキーは『悪霊』『未成年』を既読)どうにも物足りなく、図書館で江川卓の訳を借りてきて比較してみて驚いた。 江川訳のほうがはるかに文意が伝わりやすい。亀山訳は一文ごとに細切れになっていて、文章の接続がわかりにくい。「本よみうり堂」の記事によれば、 「ドストエフスキーの原文は逆接の接続詞や関係代名詞が多く難解だが、亀山訳はすいすいと頭に入る日本語に置き換え」たとのこと。 つまり文章の接続をいじってしまった(カットした?)わけで、つながりが分かりにくくなるのは当然である。これでは「すいすいと頭に入る」というより 文が頭の中を上滑りしていくだけだ。ストーリーを把握するだけならこれでもいいのだろうが、ドストエフスキーのおもしろさがストーリーだけにあるはずもない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ロシアの古典文学ですが、新訳版は読みやすいとの評判だったので読んでみました。 1巻なのでまだ触り程度なのですが、 予想以上にドラマティックで面白いです。 おもしろい!という形容が合う物語だと思っていなかったので結構新鮮。 人間のなんたるかも見え隠れしつつ・・・ 登場人物がそれぞれ個性的で魅力的。 2巻以降、更に面白くなるとのことなので続けて読んでみようと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
イワンとマリョーシャの大審問官は意味深い。 この若いとき読み返した小さな活字をおもいだした。 新約本はわりと分かりやすく、ソレデモ何度となく読み返した。 亀山さんのはご苦労も多かったかとおもわれるが、古典がベストセラー というのもたのもしい。 演劇の世界を見ると案外よくわかる。 文字でドストエフスキーというのはなかなかである。 26万部突破に恥じない約だとおもう。しかし、いつの世も愛ありいじめあり 殺し自殺とそんなことを考えると人というのは案外変わらぬいきものなんだなと かんじました。 みなさんに是非一読推薦いたします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
中古の文庫本を100円で購入しました。 上巻をやっと読みました。 とっつきにくい前半は本当に読み進めるのに苦労しました。 社会人ですので、読書の時間は帰りの電車か(朝の電車は本を読む気分にならない) 土日のちょっとあいた時間くらい。(平日は帰ってきてご飯食べて寝るだけ) なので平行読みでほかの本を読んだりして、 「カラマーゾフ・・」は少しずつ読んでいました。そうそう、どなたかも書かれていましたが、 登場人物が少ないので「罪と罰」よりはよみやすいですね。 何ヶ月かかったのかな〜やっと読みました。 最近なんか「中巻・下巻は一気に読める」みたいなオビをみかけます。 なにか起こりそうな中巻以降が楽しみです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この5の解題がなければ、私はカラマーゾフの兄弟を読んだことにはならなかったかもしれない!と感じます。 まァ、この解題すらちゃんと理解できたのかは疑問ですが、だいたい読んだかな、8割方は楽しんだかな、という気分になれました。ありがたいことです。 とにかくすごい小説なんですね。というか、ドストエフスキーが壮絶。描かれている人間の感情、観念の幅の広さに圧倒されました。 完結してないことが惜しいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
日本に翻訳されてから、あらゆる著名人がこの本を激賞してきた。作家、評論家は勿論、科学者などもこの作品を『世界的名作』『自分が一番影響を受けた本』と賞揚し、絶賛、紹介していた。また、ドストエフスキーという作家の最後で最大の代表的名作という点でも、この本が文学史の上でどれほど重要な位置を占めているかが分かる。世界文学の最高傑作とも言われているこの作品は、神と人間という壮大なテーマを扱っており、自分のような素人目からみても非常に文学的価値が高く、またそれでいて(この翻訳は)誰でも読めるぐらいに敷居が低く親しみやすい素晴らしい作品だと思う。 内容はカラマーゾフ兄弟(正確にはその父フョードル・カラマーゾフも含む)の金と女と倫理を巡る確執を、彼らの身の回りに起きた様々な出来事を交えながら語っていくという筋。作中の中で何度も『カラマーゾフ的』として取り上げられるほどに、交錯した人間関係と金の絡みが始終つきまとうこの作品は、少々メロドラマの様な所があるが、それらを交えて語られる倫理的な問題は壮大で納得させられる物が多い。登場人物の1人1人の倫理観や個性、無神論の問題(とくに次男イワンの大審問官の所)など構成の豊かさには驚かされるばかりであり、それらの理論も筋が通っていて感心させられてしまう。下の方のレビューの用に涙を誘う箇所もあり、また、『罪と罰』と同じようにミステリアスな謎解きや推理も多く、見所たっぷりの名作と言える。 物語の進行上、冗長で面白みのない箇所もあるが、それら峠を越えれば様々な視点からこの物語を鑑賞できる様になると思う。とにかく、読んで損する事はない。 (蛇足だが、岩波版の方は訳者による前書きが非常に長く難解で挫折しやすく、光文社新訳文庫の方はとにかく冊数があり、この新潮社版が一番手頃だと思う) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
イワンの大審問官の話は圧巻だった。最初読んだときはただ単に読み流しただけで、イワンが何を言いたいのかよく分からなかった。2回目を読み終えた今でもよく分からない。でも1回目に呼んだときには何も感じなかった何かを感じた。夢中になった。結局イワンが述べたいのは以下のようなことだと思う。人類は結局キリストが訴えているような自由を求めていない、ということだ。キリストこそが人間にとって悪魔のようなものなのではないとだろうか、そう言いたいのだと思う。 ゾシマの死に際における説教についても強烈な印象が残った。人間は互いに尊敬しあうべきである、ということを感じた。ゾシマは科学に頼りきってはいけないとも述べている。科学など、人間の理性から生じたものなど、実は大したことではないのかもしれない。人間にとって一番大切なのは他者の存在を尊重し、しっかりとコミュニケーションを取って、心の底から愛することなのだと思った。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!