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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全681件 581~600 30/35ページ
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とても密度の濃い小説だった。 低俗にして下劣、俗悪にして好色。 およそ尊敬に値せぬ俗物の父親フョードルの血を受け継ぐカラマーゾフの三兄弟の愛憎劇を軸に二千ページにもおよぶこの物語は展開する。 作中もっとも感銘を受けたのは有名な「大審問官で」はなくその序説「反逆」だった。 イワンは現実にロシアで起きた酸鼻な幼児虐待やトルコ人の暴虐を例に挙げ、 「神の救済を前提にすべての罪が正当化されるとしても何故子供たちまでもが理不尽な責め苦に遭わねばならないのか自分にはどうしても納得できない」 と力説する。 迫害者と被迫害者が神の再臨にともなう永遠の調和の中で和解に至り歓喜の涙を流し抱擁する 世界などとても認められないと語るイワンの弁説は、幼児虐待を代表とするあまりに人権と生命を軽んじた事件が頻発する現代日本でも十分通じるものだ。 ピストルを掴もうとして笑いながら小さな手を伸ばした途端頭を撃ち砕かれた赤ん坊、 母親の目の前で全裸に剥かれ猟犬によってたかって噛み裂かれた八歳の男の子、 夜中にトイレを知らせなかったというただそれだけの理由で実の母親によって排泄物をむりやり食べさせられ顔に塗りたくられ寒波に襲われた便所に一晩中閉じ込められた五歳の女の子。 「もし子供たちの苦しみが、真理を買うのに必要な苦痛の総額の足し前にされたのだと したら、俺はあらかじめ断っておくけれど、どんな真理だってそんなべらぼうな値段はしないよ」 理不尽に痛めつけられた子供の涙を世界全体の救済と引き換えにするイワンの思想は、疑義など差し挟む余地もなく賛美されるべきと信じられてきた「永続的に人類を許しはしても即時的に個人を救いはしない」偉大すぎる神への反逆であり、徹底的に卑小で非力であるが故に救済に値せぬ人間の矛盾に満ちた真実の側面であり、革命ののろしでもある。 | ||||
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ドストエフスキーには深い理解と思い入れのある方がたがいる一方で、僕のような初めて触れる人もいます。 僕には数多くのエピソードが乖離することなく、他方でこじつけることなく調和している不思議な物語でした。神、殺人、兄弟愛、金策、信仰心、階級社会、進歩的な考え、心の病、燃えるような恋、思春期の感化されやすい少年の心、そして法廷劇。長いし、とにかく衝撃的な話が満載です。古い話なのに、今の社会に当てはめて読める部分がたくさんあって驚きました。ちなみに1巻が一番長く感じるのではないかと思います。これを読んでしまえば後はとても楽です。 いろんな読み方ができるんだろうと思わせる話達です。怠け者の僕がまた、通して読むかは正直解りません。でも、これから将来、部分をきっと見返して考えるヒントと視点をくれる作品であると信じています。非常に個性的な読書体験でした。 | ||||
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中学生の頃、図書館で手にとりつつも注釈の多さや文章の難解さに挫折しました。今回の新訳は、どこの書評でも誉めてるので気になって読み始めました。例えば、ヒステリー状態のことを「おきつねさんがついた」と訳したり、『うまくおちをつけましたね』と会話していたり、現代的に表現されているので理解しやすい。古典、特にロシア文学なんて普段読まないもので、一巻は登場人物達のとっつきにくさと話のまわりくどさにまごつきましたが、気がつけば3日で読み終えていました。今2巻です。久々に夢中で読書しています。 | ||||
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分厚い4巻である。 翻訳した亀山氏の意図によりこの巻はこの厚さ、この値段になった。 ほとんどがドミートリーの裁判で、文学でありつつ法廷小説としても非常に面白い部分であるから、この値段にも納得できる・・かな(笑 全巻が出揃ったあとだから言うが、初版よりも3版、4版になったころに買い求めるのが得策かと思う。 なぜなら初版での誤字誤訳が改訂されるであろうから。 このごくわずかな瑕疵で、今回の翻訳の偉業を貶めようとはさらさら思わないのだが、大事なことなので書いておいた。 | ||||
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作品が感動的に終わるエピローグのあと、本書の大部分は亀山氏によるドストエフスキーに関する解説や本書内容に関する説明などが書かれている。 亀山氏によるバフチン理論に関しては専門的に勉強した人々によって少々非難が巻き起こっているのではあるが、単純な一読者としてこの解説を読むことは、カラマーゾフの兄弟を読む上でなかなかに興味深いものであった。 高潔でありながらも、けだものでもあったドミートリー・カラマーゾフほか、やたらに二重性のある人物たちをドストエフスキーが創造し、克明に描けたのはなぜなのかが、この解説によるドストエフスキ−の人となりから、多少理解できた気がする。 | ||||
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ああ読み終わってしまった! という寂しさが、読了の満足感を凌ぐ傑作。 異例のベストセラーということで、新聞各紙でも採り上げられたが、 饒舌なドストエフスキーの魅力を、テンポよく、その結果(おそらく) 巧みに引き出した名訳の文体と、本書を含む全5冊の巻立ての構成のうまさが 光文社判「カラマーゾフ」の魅力のすべてである。 そして、特にこの別巻について言えば、小説の「エピローグ」部分は、 総ページの5分の1以下だが、1〜4各巻に付されてきた、 すこぶる工夫を凝らした解題の総決算もいうべき長文の解題と、 「カラマーゾフ」創造との結びつきを意識した刺激的なドストエフスキー略伝が 掲載されており、小説読後の余韻を高めてくれる。 学生時代、『罪と罰』を読んだあと、同じ新潮文庫で挑戦したものの挫折。 遥かな時間を隔てて向き合った本書の、なんと面白いこと。 登場する人物像、事件の、あまりにも現代に通じる点も驚異だが、 小説とは主題以上に、語り口が持ち味なんだということを、 改めて思い知らされた次第。 それにしても、本書は書かれるはずだった全体の「第一」の部分だという。 いったいどんな展開が、この後にあったのでしょうか! 他のレビューの方で、 「サイドストーリーとも言えるアリョーシャと子供たちとのエピソード」 に惹かれる趣旨のコメントがありました。 それも納得ですが、本書の訳者の「解題」を読めば、それもまた、 書かれなかった“第二の小説”の伏線だったようです。 そんな謎というか、「未完」であることも含めて、本書は偉大な作品。 | ||||
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人間とは欲望をもつ生き物だ。何かを求める先には当然争いが待っている。そこで起こる様々な出来事、人の醜い争い。そして人間の本性。そこには思いもよらぬ自分自身の醜い姿と、自分が彼から奪おうとしている他人の恐ろしい形相が待っている。 カラマーゾフの兄弟とは、争いを好まぬ三男アリョーシャと、それを眺めるだけの狡猾な次男イワン、長男ドミートリイと父との争いの中で暗躍するスメルジャコフとの人間劇だ。 新訳決定版。(笑) | ||||
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高校2年の時初めて読んで以来、現在の人生観にも色濃く影響が残っている一冊。特にイワンとアリョーシャが直接問答を繰り広げる「プロとコントラ」の章での問題提起は人間の根本的な罪を問いかけるインパクトがあります。何度読んでも苦しくなる。それに対抗するように置かれた、ゾシマ長老の演説と告白は人間の愛と善と救いを描いています。 この本を読むと、人間という存在の根本的な罪と救いを自分に問いかけることになります。 人間という存在と人間の歴史に果たして救いはあるのか?現代という時代にも、いや現在ではさらにドストエフスキーの予言はより身近な問題でリアルな問題になっている気がする。 ちなみにこの本の影響で、私は子供を作ることに未だに抵抗があります。人間に生まれること、人間を生むことはそれほど優れたことではない、と。私の中ではイワンが未だに勝利しています。もっともインパクトのあるこの本のキーワードはイワンの語る「償われぬ涙」の理論だと感じます。 善と悪、聖と俗、などの観念がそれぞれの人物に見事に具象化され、読むものに宇宙規模の文学的”?”を刻み込む一冊です。 構成的にダラダラと長い感じがあるのがたまにキズですが、一生に一回は体験して絶対に損はありません。読書ということに留まらず特異な世界の体験になるはずです。 | ||||
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この3週間、カラマーゾフの世界にドップリ浸らせて貰った。 そして、まずは読了出来た事を率直に喜びたい。 また、本書の様にとても読みやすい新訳が出たのは非常に意義のある事であり ドストエフスキーがこんなに読みやすくて良いのだろうかと思ったくらいである。 しかし期待が大きすぎた事もあるかも知れないのだが(世界最高の小説と言われていたりして) 正直言って物語自体はそれ程関心しなかった。特に父殺しのエピソードについては、ミーチャを有罪にする為にやや不自然かと思われる部分もあった。自分はむしろサイドストーリーとも言えるアリョーシャと子供たちとのエピソードの方が良かった。 もちろん本書は単に物語だけでなく、神の存在をめぐる議論などドストエフスキーの思想がギッシリ満載されており、特に大審問官の章は再度読み直して理解を深めたいと思う。 | ||||
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この新訳カラマーゾフの兄弟が刊行せれ始めて約1年ようやく最終巻がでた。結果的に4巻+エピローグ1巻の5巻構成になったが、個人的にはエピローグを分けこのような形にしたのは正解だと思う。また、この5巻の約半分を占める解説もこの小説を理解する上でとても参考になるし、再読するにあたってまた別の視点に立って読み進めてく上で有用であると思う。 | ||||
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初めてこの本を手にしたのは高校3年生だったと思う。 キリスト教のことはわからないし、ロシアの文化についてもわからないし、 わからないものだらけの中で文章を読み進めていった。 それから25年間の間、2度読み返してみた。 2度目以降は、キリスト教についての知識も大幅に増えたし、 ドストエフスキーの他の小説も読んだりして、 ロシア文化についてもそれなりに馴染んでいたつもりだったが、 やはり難しいことには変わりなかった。 今回、こうして新しい訳で読んでみると、話しが頭にスーッと入ってくる。 他の小説を読むのと同じくらい状況も見えるようになってきた。 やはり訳っていうのは本当に大切なんだと実感した。 この小説を初めて読む人には、 この1巻のストーリー展開が全巻でもっとも遅く、 どちらかと言うと登場人物紹介が中心となってしまうので、 途中で挫折してしまうかもしれないな〜と思ってしまうところもある。 また2巻は大審問官やロシアの長老のように、 この小説の大詰めでもあり、キリスト教に対する知識が必要な箇所があり、 一番難しい巻かもしれない。(その分、考えさせられることも一番多い。) ストーリーとしては3巻以降がテンポとスリルがあり面白いと思う。 ちなみに、今までは新潮文庫で読んでいて、3巻だったが、 新訳になって5巻ということなので、少し高くつくな〜とも思っている。 | ||||
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文学作品と言われるものを、少なくとも3000作品は読んできた 私の読書暦のなかで、最も感銘を受けた作品です。 あまりの奥深さに、多くは語れません。 単純に言えば、 人間って何?と言う、誰もが思う難題に、 現時点でもっとも深く答えてくれる作品ではないでしょうか。 読んでいてわけのわからない涙がよく出ました。 人間の尊さ、愚かさ、有難さ、難解さ、真摯さ、…等々、 人間・人間社会の悲喜交交、本質を突きつめた世界の大文豪 ドストエフスキーの大著です。 読んでみてください。 | ||||
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文学作品と言われるものを、少なくとも3000作品は読んできた 私の読書暦のなかで、最も感銘を受けた作品です。 あまりの奥深さに、多くは語れません。 単純に言えば、 人間って何?と言う、誰もが思う難題に、 現時点でもっとも深く答えてくれる作品ではないでしょうか。 読んでいてわけのわからない涙がよく出ました。 人間の尊さ、愚かさ、有難さ、難解さ、真摯さ、…等々、 人間・人間社会の悲喜交交、本質を突きつめた世界の大文豪 ドストエフスキーの大著です。 読んでみてください。 | ||||
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言うまでもないけれど「カラマゾフの兄弟」は世界史上に残る小説の傑作である。ドストエフスキーの最後の作品であり、(当初構想された第2部がないとはいえ)その世界観と思想は、一つの極地に達したものである。すべてにおいて完成された完璧な作品である 実際に、この有名な小説を読んでみての感想であるが、第一に「面白い!」、そして、次に「恐ろしい!」という気持ちが強い。前者については問題ない。人によっては「純文学」というジャンルを勝手に「面白くない」と思ってしまう人もいるし、実際、私も「面白くない」と感じる純文学作品に随分打ちのめされているから、そういった人の気持ちもよくわかるけど、この作品は文句なく「面白い」。その面白さは、ストーリーの行く先が気になって仕方がないという性質のもので、それは、あらゆる時代やジャンルを超えて、小説の本質的な面白さであるに違いない。 この「面白さ」についてであるが、物語の中心に「殺人事件」があり、謎がある。それに関連して一流のミステリも真っ青の様々な考察や過程が描かれている。続きが気になって仕方ない。いったいどんな結末が待ち受けるのか?そしてその底辺に流れる様々な行動原理は読み手の探求欲を常に刺激し続ける。彼らを待ち受ける運命の足音がつねに頭のあちこちで響く。大きくなったり、小さくなったり、あるいは、突如現れたりする。その演出の見事さにはひたすら感服するしかない。面白い!読まねばならない!続きを読まねばならない! (中巻のレビューへ続く) | ||||
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(上巻のレビューから続く) そしてこの小説の「恐ろしさ」についてである。「哲学」というものは、自分の内面から湧き出てくる感情(愛情とか憎悪などのあらゆる感情)の源泉について、重ねて自らの内面に「質問する」ことによって織り成されると思う。けれど、質問というのは恐ろしいものだ。予期せぬものが起き上がってくる。この小説では、多くの登場人物が、自律的か否かによらず、この「質問」を自らに突きつけねばならなくなる。恐ろしいものが徐々に起き上がり、それを認識してゆく過程が描かれる。 登場人物たちは、この「質問」と「考察」を自らのモノローグだけでなく、他者との会話を行うことでも深く掘り下げていくが、その際、しばしば「鳥肌のたつ」ように恐ろしい瞬間が読み手を襲う。ものすごく深い絶対触れてはいけない核心のようなものが、ふと垣間見える。・・そして「狂」の存在。この小説では、「狂」とその認識についても語られていると思うが、「狂」とは、自分の中の「一種類の根源的な感情」のみによって行動論理が縛られる状態にあることを指すのではないだろうか。つまり誰でも瞬間には狂たりえるのだ。 「狂」は何も無知によって引き起こされるとは限らない。場合によっては、深く自己の内面について思索し、探求した結果、その領域に至ることもある。そこで善なるものが聴こえるはずだというのはカント的だろうか。しかし、それは外面的には「狂」となるかもしれない。この小説は、そんな恐怖を実地検分する怖さがある。登場人物たちが自己を探求するとき(そのようなシーンはしばしばあるが)自分でも、それまで考えてもみなかったような、根源的な「嫌なもの」が、しっかりと自分の内奥に存在している確かな予感を感じ、そこで、途方にくれて立ち止まるのである。その瞬間の「怖さ」は比類ない。 (下巻のレビューへ続く) | ||||
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(中間のレビューから続く) 自己を探求する過程で「狂に至る恐怖」を回避する方法として、「内なる声」を「神の存在」で説明する方法がある。もういよいよ自分の内奥から湧き上がってくるものについて、理由が見出せなくなったとき、それが神のもたらしたものだと考えて、回避することができるというわけだ。その作用点の意識を「神」と定義するのだ。「神」は現代に至るまで様々な定義で説明されてきたが、この小説で描かれる“神のあり方”ほど強い説得力を持つものはない。さらにこの考えを押し進めれば「狂を回避する方法」を知っているものは、悩んでいる他人を誘導して回避させることもできることに思い当たる。それを社会システム化したもの、それが宗教だ。ところが、思考実験を続けると、「神」と「悪魔」は容易に置換が可能な存在となる。両者の定義は限りなく近づいていく。一方で「神」であっても他方で「悪魔」であることは、普通にありえる。 小説全体を通じて「神の世界」や「神の意図」に関する考察の鋭さは頭抜けていると思う。とくに次兄イワン(私の好きなキャラクタだが)の論理と考察は、ともすると危険ともいえるリアルな無神論であり、読み手に凶暴な説得力をもって働きかけるだろう。〜「神」は認めても、いま目の前にある「神の世界」を認めることができない、ゆえにそこに(神でも悪魔でもないもう一つの)別の価値軸を定義したい〜。これは思考方法としては空想的社会主義に接近している。だがイワンの智はそれをも超えているように思う。もとより彼は世界に期待していない。終結部近くで、彼が、彼の内面が作り出した悪魔と、命の火を燃やして対話(対決)するシーンは凄まじい! とにかくこの小説で描かれる思索を、そう簡単にまとめるのは無理である。とにかく読んで下さい。凄いです! | ||||
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素晴らしい小説である。 放蕩三昧の父フョードル、その息子ドミートリー、イワン、アレクセイ。そして私生児のスメルジャコフ。登場人物が中途半端じゃなく、あくが強い。 とくに父フョードル。それはありえへんやろ〜と思わず突っ込みたくなるくらいなハチャメチャぶり。それなのに読ませてしまう魅力がある。 物語はじつに多岐にわたったテーマを含み進行する。例えば信仰について、三角関係、幼児虐待等など現代に通じる話なので、引き込まれて読んでしまう。 上巻で印象に残った場面は多々ある。大審問官もいいけれど、自分としてはイワンがアリョーシャに自身の思いを吐露する場面が好きです。 人生賛歌の名場面だと思います。あともう一つはドミートリーに侮辱された退役二等大尉スネギリョフと息子の話。アレクセイに胸のうちを激白する場面は何度読んでも泣けてきます。 人間の誇りを端的に描いた場面です。けどとても悲しく切ない場面でもある。。。こうした胸をうつ場面が多々出てきます。そのつど考えさせれました。文句なしの素晴らしい1冊です。 是非、一読をおすすめします。 | ||||
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上巻とうってかわってジェットコースターのようなスピード感あふれる急展開で物語は進む。 あまり良いイメージで描かれなかったドミートリーですが彼が今後の重要な役どころとなります。 見所満載の中巻です。 悪い人間ではないが直情型でかっとなると何をしでかすかわからぬ彼。 そんな彼はとある事件で最重要人として拘束されることになる・・・。 ドミートリーとグルーシェニカの心からほとばしる言葉が胸を打ちます。 なかでも彼の夢の中で発した言葉は静かな感動を呼びます。 今後の展開が気になりつつも彼の心変化を味わいたい本です。 | ||||
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色んな事がテーマーとなりこの小説を形作っています。 心に残った場面は沢山あります。 ヘルツェンシトゥーベ医師とミーチャの胡桃400gの思い出話。 弁護士のフェチュコーウィチが語る親と子のくだりは涙があふれてしかたありませんでした。 なかでも父フョードル殺しの真犯人が暴かれるくだりは背筋に冷たいものが走りました。 すごい!怖い!そんなことがあっていいものか?と。 ドストエフスキーは人間の心理を詳細に描いています。 怖いぐらい冷静に緻密に。 これからも折に触れて読み返す本になりそうです。 本を置くのがもどかしい。未完の書とは信じられない、完璧な小説です。 カラマーゾフ万歳!! | ||||
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なんか難しそうだし、会話が多いらしいのが理由で敬遠してましたが、 新訳ということで試してみました。 意外とつるっと読めて、まだ2巻の途中だけど楽しいです。 難解じゃないし、小説的な楽しさもある!のがわかった。 | ||||
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