■スポンサードリンク


カラマ-ゾフの兄弟



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

カラマ-ゾフの兄弟の評価: 4.26/5点 レビュー 681件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.26pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全681件 401~420 21/35ページ
No.281:
(5pt)

革命と信仰、愛情と死、国家と教会、貧困、父子・兄弟

東大教授が新入生に読ませたい本'に
選ばれるだけあり、読み始めると非常に濃厚な印象を受けます。

革命と信仰、愛情と死、国家と教会、貧困、父子・兄弟
関係といった多くの切り口が一つの物語に濃縮されて
いる点が、まさにこの作品が評価される所以ではない
かと思いました。

特に、途中で起こるアレクセイとイヴァンの議論は
まさに革命思想からキリスト教的人道主義へと転向
した著者の思想の表出だと思われます。

それゆえ、読破するために非常に時間がかかりまし
た。特に状況説明や思想談義の多い上巻が難関です。

逆に、ドミートリーが事件を起こす段階になると
急に展開が早くなりあっという間に読めてしまい
ます。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.280:
(5pt)

イリューシェチカを心に

素晴らしい小説です。全ての方が共感し、疑問を抱き、笑い、感動できるのではと思います。
人物達の性格がリアリティーであり、容姿の骨格が読者による印象差もほとんどないのだろうと思わせます。
長編ですので個人によりピックアップされるテーマがあり、異なると思いますが私は4部の10編「少年たち」でした。
物語のラストに繋がる直接的な内容で、いわゆるカラマーゾフ的な要素はなく、家族愛、友情、不治の小児病がテーマになっています。
物語を通読すると「童」わらし というフレーズがポイントに配置され、ドストエフスキーの子供に対する哀れみと愛を感じとることになります。
子供に対する愛は、未来への希望で私たちに向けられている哀れみなのでしょう。罪なき子供の無慈悲な死はもっとも残酷でそこに神や仏の姿を
ドストエフスキーが見る事ができなかったのがこの物語の根幹である気がします。
親から子へ受け継がれる遺伝子には経験による情報が必ず刻み込まれます。フョードルからカラマーゾフ兄弟へ、私たちから子供たちへ受け継がれます。
もっとも残酷で無慈悲な死がいつの時代も蔓延していて、その親の意識には罪が常に有り友達には悲しみがあります。忘れようとしてトラウマに苦しむのではなく
受け入れて皆で忘れず遺伝子に刻み込み、その想いを伝えてこそはじめてその子供に対する愛が形になるのではと、ラストシーンより感じました。
目線を変えれば180°解釈が異なる表現が多い昨今、実直で、すがすがしさを感じる文体は新鮮でした。
ふとした時、アリョーシャとコーリャの13年後の物語を色々と勝手に構築してしまうようになりました。

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.279:
(5pt)

Pourqoi?

Je prefere les chanteurs, Gackt.
Descartes
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.278:
(5pt)

pourquoi ?

Je prefere Gackt!
Descartes
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.277:
(5pt)

いつも胸に留めておきたい

ゾシマ長老のお話が胸を打つ。 清廉潔白だと思っていた彼にも、人には言いにくい過去がある。 死ぬ前にあかされる事実というのが、実に人間くさいエピソード。 私はかなりほっとした。やはり罪を犯したことのない人間などいないのだ。 『口付けする相手がいないのなら大地に口付けするが良い』みたいな言葉が出てくるのですが、震えました。 何という大きな愛情。愛がなければ意味のない人生とは言い過ぎだけれど、大地に接吻するほどの大きな愛情は持ち続けていたい。 かつて洗礼を受けるために教会き通ったものの信者と良好な関係が築けず、志半ばで挫折した私なのでよりいっそう色濃く感じたのかもしれません。 『死体が腐らない』ことについては聖人の伝説などをお調べになってください。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.276:
(5pt)

美しい…それ以上の感想は難しい

数多の批評家に大絶賛されている名作なので批評家気取りな文章はしたくないしだいいち出来ません。 素直な感想 読んで良かった。読まなかった今までの時間が悔やまれるほど。 キリスト教の価値観を知らないと理解し難いところはあるものの、自然に湧き上がって来る興奮と感動。 なんて美しい小説なんだろう! 最後まで息もつかせぬ展開で次々とあかされる事実に声をあげながら読んでいました。 推理小説な面白さ、シュールレアリスム的な面白さ(イワンのあの客には度肝を抜かれたw)、ロシア人という民族的な面白さ、奴隷と支配階級という近代が抱える永遠のテーマ。 何というか色んな矛盾やロマンやサスペンスを詰め込んで頭がぐちゃぐちゃになるのですが最後のアレクセイ坊やの言葉には涙が止まらず、卑しい人間に成り下がった自分を戒めるよい機会になりました。 あぁ!明日からは良い人間になるのだ! と自然に思います。ひとりでもこの小説に感動出来る人間が増えることを祈っています。 リーザとアリョーシャの会話が村上春樹みたいと思ったら村上春樹さんはカラマーゾフが大好きだったのですね! あとドストエフスキーの父親がカラマーゾフよろしく下劣な人間で惨殺されていたと読んだ後に知り背筋が凍りました。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.275:
(5pt)

参りました

この作品の良いところは自分の好きなように読むことが出来るところです。哲学書、宗教書、歴史書、喜劇、悲劇と読む方の感性に委ねられます。とりわけ私は複雑な人間性や人間関係に喜劇を感じカラマーゾフ一家劇場を市原悦子的に覗き見して楽しんでしまいました。
難解、長い、と読む前は思っていたのですが読みはじめると活き活きとしたキャラクターと矢継ぎ早に起こる様々なエピソードに魅了されとても楽しく読めました。
訳者のセンスと活字が大きいのが良い。 ゲラゲラ笑ったり突っ込みを入れたり、切なくなってうるうるしたり、ハラハラドキドキしたりととにかく忙しくて面白い作品。すべての発端の今風に言えばDQNでKYのお父さんが笑わせてくれます。 性格バラバラな3兄弟。まんま昼ドラなノリに驚きつつも(というか20世紀の文学思想がこれの影響下にあるのです。すみません)3兄弟のコントラストが非常に印象的。キャラクターが立っている。(というのもおこがましい。すみません)
難しいのはキリスト教の概念的な部分でこのあたりで多くの人が挫折してしまうのでしょう。 キリスト教の歴史とイエスの贖いの意味を勉強して読むと大変興味深く本書が読めると思います。イグナチオやニコライ堂みたいな大きな教会でミサに与るのもオススメ。祝福を受けるということが理解出来ると思います。ストーリーにのめり込みいつの間にか今まで出会った誰かにイメージを重ねて読んでいました。 きっとあなたやあの人に似たひとに出会い驚喜することでしょう。 とまあ安っぽい言葉でつらつら語ってしまいましたが、人生の糧になる素晴らしい作品です。もっと早く読んでいたらもっとたくさんの人に愛を与えることが出来たかも(?)いや分かりません(笑)
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.274:
(5pt)

「カラマーゾフを読んだ人」になれる!!

賛否両論があるようですが、原文を知らず、他の本でのカラマーゾフ体験がない
私にとってはコメントのしようもないし、実は、単にこの本によって、
この文章によって、初めてカラマーゾフの兄弟を完読できたことが
うれしい!!

確かに第五巻のエピローグ+解題までには全5巻あるし、
なっっっがーい本であることには変わりはないけれど、
とにかく5冊買って、その上で、この第1巻を読み終えれば、
あとはどんどんいけます。
まあ、実は途中でくたびれちゃうところもありますが、
第1巻真ん中当たりから結構面白いし、3巻なんかは
まったりしているけれど…でも現に読めてしまった、
というのはカラマーゾフ読了にあこがれる人々にとって
とってもありがたいことです。

そして、これを読むと、もう次に他の人の高名な翻訳
(岩波、新潮)に手を出しても読了できそうだし、
何しろ、1度読んでしまうと再読したくなるという
ところがありますね、これくらい偉大な小説で
長いものとなると。

だから、あんまり賛否両論の否の方にとらわれず、
現物でカラマーゾフの世界に入門する感じで
これを読まれたら、きっと完読できると思います。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.273:
(5pt)

へきえきしそうな細かすぎる描写を我慢して読むと・・・

時間にまかせてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。

長い・・・ とにかく長いです。
何が長いって、とにかく説明が長い。会話も長い。
端折るということを知らんのかいな。このドストエフスキーというおっさんは!
というのが、読み始めた頃の感想でした。

たとえるなら、実際に僕が友達と電話で何気ないことを話してる内容であったり、親と食事のときに何気ない会話をしているとか、そのときの料理はその日たまたまテレビの料理番組で紹介してた トマトに一工夫加えた夏のちょっと変わった料理で、その味はどうだこうだ。
と思ってたらそのときメールが入って、それにこうこうこういう風にまたメールで返した。
ほんでゴミだしめんどくさいな とか。
そんな日常のこととかをいっさいがっさい全部書いておまけにそれらの事象の背景さえも全部書いてごっちゃまぜで物語を進ませる。
だから作中3日か4日の進行に、読んでるこっちは2,3ヶ月かかってくる始末。

名作と評判の高い『カラマーゾフの兄弟』ですが
読んでいるうちにこんなしょうもないことまで書いてるこれはもう ほとんど喜劇
吉本新喜劇の小説版 とか
じゃりんこちえのロシア版とか そういうふうに見えてくる。

出てくるキャラクターはいちいちどうでもいいこと
神は存在するのか とか
神が存在しなかったら 何をしても許されるのか とか
当時にすれば大まじめなことなのかもしれないが、そういったことを
場違いなとこで場違いな人が大げさに場違いな調子で語って失笑を買うシーンなどがたびたびある。
そうなればもうまさに吉本新喜劇の桑原和夫扮するかずこのおばちゃんが 
「神様・・・!」と祈りをあげるあのギャグそっくりとなってくる。

ストーリーはといえば 
女好きで淫蕩な親父フョードル・カラマーゾフ(妻をとっかえひっかえで物語中の現在は妻なし)
とその3人の息子ミーチャ、イワン、アリョーシャ
とそれとその親父さんの私生児と噂されるスメルジャコフ
というのが出てくるのですが、
結局長男のミーチャと親父のフョードルさんとが恋人を親子で取り合ったあげく(財産の相続でお金のことでも同時にもめてる)親父が誰かに殺されてしまう。
それで日ごろから「親父殺したる!」と飲み屋でも親父本人にもいきまいていた長男ミーチャがまっさきに疑われ、これが 親父殺しか!?ということで噂や新聞を巻き込んでロシア中で大騒ぎになってしまう・・・

と、ストーリーとしてそこまで進むのに
例の吉本新喜劇みたいな調子で
でてくるいろんな奴がいろんなこと言うわ、酒飲んでくだまいてるわ、カードでギャンブルに興じてまたなんかしゃべってるわとどうでもいいことも一緒に進んでいくので、
小説というより現実みたいで 
大筋のストーリーというのがなかなか浮かび上がってこない。
(現実は小説より猥雑なり!というかこの小説の場合現実より猥雑・・・)

ところがこういう キャラがほうぼうで好き勝手やってるこの調子を我慢して我慢して 
誰が誰だったが忘れそうになったりするのもなんとかこらえて
あとロシア人のみんな名前が長いのも我慢して
ホフラコワ夫人という人の じゃりんこちえで言うところのマサルのおばちゃん並みに話が長いのも我慢してちゃんと読んでいくと

あるとき不思議な現象がおこる。

例の事件のさあ 裁判だ というころには
すっかり物語の中に入っているのか
これから 裁判が始まる! とまさにタイムリーなことのように感じられる。
本だから 読むの止めれば 物語の進行ももちろん止まるのですが、そうではなく
じっさいにこれからもう 裁判が始まるから あかん あかん これは目が離せない といった具合に 
時間の進行 が本というレベルを超えてしまって 
いまそこにいてる か もしくは
これから実際の裁判の中継をテレビで心待ちにしてるような気分がやってくる。

作者のドストエフスキーというおっさんもそういう錯覚に陥ったのかどうかわからないが、
裁判の様子をこれから読者にお伝えするわけだが、
強く印象に残ってることを優先して書くし、そういうふうに心揺さぶられたために細かいところやきちんとした時系列にのっとった順序は忘れてしまったから かけないところもあります という断り書きを入れる始末。

とにかくもう後半
臨場感がとんでもないことになる小説で これはやっぱり言われるように
ものごっつい名作だ。

と読み終わったとき、テレビでは 
英会話講師殺しの市橋被告の裁判の報道でにぎわっていた・・・

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.272:
(4pt)

大審問官の問いにどう答えるのか

大多数の人間は決して聖人にはなれない。仏教でいう煩悩まみれの生涯を送るわけで、そうした者たちに「人はパンのみに生くる者にあらず」と呼びかけてみたところで何かが良くなるのか。宗教的に正しい生き方をすることが本当に人間にとって幸せなのか、と宗教に対して根源的な問いを正面からぶつける大審問官の部分は、その言葉の強さに気圧される。

訳者によれば第二巻は交響曲で言う緩徐楽章とのことだが、たしかにストーリー展開は遅い、しかし読者に差し出されるテーマは重い。ベートーベンでいえば第三番「エロイカ」の第二楽章、といったところか。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.271:
(5pt)

やっぱり最高峰の文学作品

理智と欲望・神の存在と人間存在・宿命・血縁…そのテーマ性の
広範さもさることながら
振り子のように極端から極端へと揺れ動く人間のこころと
複雑に入り組んだ人間関係の愛憎劇を
かくも緻密かつ壮大に描ききっているところは
巨匠ドストエフスキーのもの凄さに圧倒される思いがする。
まいりました〜

自分のお好みの訳で読んでいただきたい。
どれも一長一短があるけれど、
少々の訳の個性でどうこうなるような作品では
ございません。
どれでも楽しめるはずです。


カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.270:
(4pt)

このまま忘れてしまうのはもったいない

いくら口語訳で書かれているとはいえ、19世紀のロシアの時代背景、キリスト教、哲学講義など骨の折れる箇所が多々ありましたが、なんとか5巻読み終わりました。
このまま忘れてしまうのはあまりにもったいなく、できれば、父親殺しの「被告」「心の中で願った者」「直接かかわりのない者」そして「実行犯」といろいろな人物が心の中で多重的に化学反応していってくれることを望みます。

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.269:
(5pt)

未読の方に寄せて。

「文学的価値はあるけれども今読むとつまらない名作」というのは世にはびこっている。
然し本書は今読んでも面白い、真の名作である。

内容については、ロシアのカラマーゾフ家の男たち(父親と三兄弟)を中心とした一連の騒動、とだけ申し上げておきたい。
仔細は読んで確認されたし。私も初めて本書を読んだときは前情報を一切シカトして読みました。
ネタばれしては面白くないでしょうから。

上巻冒頭におけるカラマーゾフ家の身の上説明と教会での会合はやや長く感じられるかもしれないが、
それ以降は普通に読めるのではないかと思う。速読自慢したいのでない限りはゆっくり読めば良い。
活字が以前の版よりも大きくなっている為、読み易さは充分。なので、最近刷られた物を購入されたし。
本文のところどころに訳者の原さんによる註が挿入されているのが有り難い。

強調したいのは、ドストさんの描く人間の魅力である。
多種多様な人間の姿が濃厚に描かれているので、迫真性が並みではない。
人間の細かいところに至るまで妥協なく書き込むので文章量は多くなってしまうのだが、
その分だけストーリーに緻密さが出るのである。

個人的には長男ミーチャの繊細さと豪胆さと性懲りのなさに最も感じ入った。放蕩息子もここまで来ると天晴れである。
リーザも可愛い。スネギリョフさんの家族愛にも胸が詰まる。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.268:
(5pt)

未完の大作

大学の生協で、東大1年生に薦めたい本のNo.1として挙げられていたので
手にとってみたのですが、とても面白かったです。

私の読解力が足りないのが原因でもあるのですが、この小説は思想書としては正直言って、
共感できなかったり、理解できなかったりしましたね。
農奴制の話や神の存在など、自分意は馴染みがないトピックが
かなり多いので、私の頭に入らなかったです。

が、このような思想的な面が分からなくても、エンターテイメント的にもすごく魅力的な小説です。

情熱的な長男ミーチャ、知的な次男イワン、純真な三男アリョーシャといった
カラマーゾフ兄弟を始めとした強烈な人たちが催す小説の世界は大変興味深く、
読み進めるごとに、彼らの個性にどんどん魅了されていきます。

物語としても、最初は主人公の三男アリョーシャをメインとする日常の話で、やや冗長な印象を受けますが、
中巻のとある事件になっていくと上巻の話がどんどん広がっていき、特に下巻のラストに向かっては
話が二転三転して、目が離せない展開となっていきます。

巷で一番面白い小説とうたわれることも時々ありますが、納得の小説でした。
一生に一回は読んでみたい小説であると思います。

ところで、このカラマーゾフの兄弟は2部構成らしく、前半はアリョーシャの青春時代、
後半は13年後の話として構成されており、前半はあくまで後半を理解するためのものでしかなかったのですが、
作者が亡くなったため、序章である前半部分しか世に出ませんでした。

読み終えた後、アリョーシャがどんな人生を送っていくのか、どんな物語が繰り広げられるのか。
後半を読むことができずに残念、というのが私が一番心に描いたことでした。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.267:
(5pt)

近代のキリスト造型への再挑戦

坂口安吾は『不良少年とキリスト』で次のように書いている。
"奴(ドストエフスキー)ぐらいの腕ッ節になると、キリストだの何だのヒキアイに出さぬ。自分がキリストになる。キリストをこしらえやがる。まったく、とうとう、こしらえやがった。アリョーシャという、死の直前に、ようやく、まにあった。"

私は、ドストエフスキーは、新たなキリストを造型したのではなく、近代にキリストを降り立たせる前段階として、福音書がほとんど記録していない少年・青年前期イエスを描いたのだと考えている。
『白痴』でいきなり近代のキリストを描こうとして果たせなかったドストエフスキーは、少年期から描き起こして、その課題に再挑戦したのではないか。

"よく侮辱を受けた一時間ほどあとに(中略)人なつこい冷静な態度で、自分のほうから話しかけたりすることがあった。その際にも侮辱をうっかり忘れたとか、ことさら赦してやるとかいう態度をとるわけではなく、ただそんなことを侮辱とみなしていないだけだったので、これが子供たちの心を惹きつけ、征服するのだった。"(P.44-45)

この上巻で描かれた少年アリョーシャの肖像は、ヨハネ伝で罪の女への考えを問いただされながら素知らぬ顔で地面に何かを書き続ける男の少年期の肖像として、ルカ伝の悟りすました神童像よりよほど似つかわしくないだろうか。

もちろん、福音書のイエスには、アリョーシャにはない老獪さがある。
この小説の続編が執筆されたなら、近代のキリストはどのような姿を現しただろうか。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.266:
(5pt)

物の哀れ

「罪と罰」と言う作品に対しても
同じ様に思うのだが、


「古典中の古典だから」
「一字一句を残さずに拾ってやる」
「教養を深めるのだ」
等と肩肘を張らずに、

「感じる」
「無我」
「陶酔」

こうした境地で接すれば
良いと思う

其の時々、
自分に分かる範囲で
解すれば良いと思う

そうすれば「ドストエフスキー」の
精神と交わり、
「ecstasy」に達する事が
できると思う

こうした在り方で接っせられた方が、
詩人という人達にとっても、
余程嬉しいのでは無かろうか


彼の作品に出てくる、

「精神的倒錯状態」

「Ahaaaaaaaaaaaa...」

「もうワケが分からない、
でもどうしてだろう

ああ、涙が止まらない
ああ、喜びが溢れ出でて来る

観念が頭を飛び交い、
言葉等が次々と、
怒濤の如く生まれ出でて来る

自分が消えていく、
でも命が燃えて溢れかえり、
体中から飛び出して来るんだ

最早之を、

止める事は

止める事など

出来やしない」


と言う様な詩情を感じる事が出来れば、
その人には詩人としての素質が在ると
思う


源氏物語でも、フロイトでも、
もちろんドストエフスキーでも、

観念を発露するのを禁じ得ない
人達というのは、
本質的には同じ様な事を言いたい、
伝えたいのであり、

ただその表現の仕方、
文学なのか音楽なのか美術なのか、
より具体的な表現の流派が違うのか、
はた又、
そもそも芸術以外の
もっと断然違った立場から物を言うのか、

只それ等が違うだけでは在るまいか


付け加えると、以上の様な事を
解してくださる方は、

何故

「喰らえ、このAI
プリキュア、拳パ〜ンチ!」

と言う様な結末になったのかも、
察する事が出来るだろうなあ、
と思う


片江嘉人 平成21年2月24日 0808 記す
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.265:
(5pt)

完読に一年かかったかな?

この本を読破するのにおよそ一年ほどかかった。
まず一巻を読むのに十ヶ月以上は要したと思う。あまりの長さと、難解さに圧倒され眩暈を覚え、諦めてそのままずっと放置していたのだ。でもやがてそろそろこの本を読まなければならないと思い、重い腰を上げて読み始めて、結局読み始めてから十ヶ月かかって一巻を読み終わった。
でもそのあとの残り二巻は二ヶ月ほどで読み終わった。一巻を読み終わった時点でもう続きが気になって気になって急いで本屋に行って残りの巻を買ったのだ。それでも二ヶ月かかったのは読む時間がなかっただけで、もし十分に読む時間を与えてもらえれば、二週間ほどで読み切っていたと思う。もともと本を読むのが遅いので、それでも二週間かかってしまうのです。
とにかく、一旦その世界に入り込んでしまえば、あとは次が気になってどうしようもなくなるほど圧倒的なまでの吸引力をこの本は持っている。ドストエフスキーの小説の大半はそうであるが、とくに『カラマーゾフの兄弟』は素晴らしく、凄い。物語に圧倒されてしまうのだ。もちろんすべてを理解できているわけではない。そう簡単に理解できるような物語ではない。とても難解で、理解に苦しむところは多々ある。しかし、それでもこの本は読む人を引きつけて離さない。それはもはや理解できるかどうか、そんな低次元の小説ではないのだ。理解できなくても読まされてしまうのだ、この物語は。普通ではこんな小説はそうはないだろう。理解できなかればつまらないという言葉で簡単に本を閉じてしまうものだが、これが理解できなくても本を閉じられないのだ。
内容は、人間の嫌らしいところが露骨に表現され、欲深さ、愛情、執着。また神といった問題にも書かれている。
とにかく長い小説で、一旦入り込めばいいのだが、なかなか入り込めない小説でもあり、それまではある意味拷問に近い感覚が続くかもしれない。しかしそこを乗り越えてしまえばあとはもう、逆にこの本が逃れられなくなるだろう。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.264:
(4pt)

ドストエフスキーの見つめているもの

この作品の核心は、「大審問官」でもなく、延々と続く公判記録でもなく、実はラストの「石のそばでの演説」にあると思う。

父と長兄の痴情のもつれ、父の殺害、執拗な猜疑心から心を滅ぼす次兄、軽佻浮薄かつ自意識過剰、要するに自分のことしか考えていない多彩な登場人物・・・。これら気も遠くなるような現世のゴタゴタの果てにドストエフスキーが見出そうとする本当の人間のありかた。それが、作品の最後の最後になって3男アレクセイによって語られる。
スネリギョフとイリューシャ一家、そしてそれをとりまく少年たち。当時のロシア社会の底辺に近い或る一家をめぐる、みじめで薄ら悲しくすらあるエピソードの中から、ドストエフスキーは思いもかけない宝石を取り出して見せる。長く、重苦しく、やりきれない物語は、このアレクセイの「演説」によって、ようやくカタルシスを与えられる。

ドストエフスキーは、あらゆる頭でっかちなもの、小賢しいもの、自意識過剰なものを疑う。そして、これらのために見えなくなっているが、人間が本来もっているはずの素朴な人間感情そのものの中にこそ、真に世界を救済する基盤があると考える。

この大長編が真に伝えたかったことは、実は、この1点にあるのではないかと思う。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.263:
(5pt)

カラマーゾフ的なるものーそれは我々の生きる世界そのもの

“カラマーゾフの兄弟”−およそ読書好きの方なら身震いするほどの怪しげで圧倒的な魅力を放っているタイトルです。 この作品には我々が人間社会に見られるありとあらゆる要素が含まれており、文章によって世界そのものを構築しようとした19世紀ロシア最大の作家のパワーそのものが行間にみなぎっています。 その試みが必ずしも成功しているとは私には思えないのですが、特に前半の面白さは圧倒的だと思います。 人によって意見は分かれるでしょうが、私は後半の冗長さ、結論がはっきりせぬままに強引にまとめられたかのようなラストシーンにはどうも不満を持ってしまいます。 だから初めて読む、という方は、最初の二巻を読んでみて自分には合わない、と思ったらお薦めできません。 もっともこの亀山版は非常によみやすく、構成が割りと単純な二巻まではすんなり読めると思うのですがー。 

ありきたりの観察なのですが、主人公の三兄弟が象徴しているのは愛または信仰(アリョーシャ)・知性または科学(イワン)・情熱または行動(ミーチャ)だと思います。 この三つの要素を生み出したのが父・フョードル(ドストエフスキーと同名)という俗悪極まりない男でした。 ”こんな男がなぜ存在しているんだ!“という絶望的な叫びが一巻の中にありますが、”男“という単語を”世界“と置き換えてみたらどうでしょうか。 全ての人間が胸に抱くこの悲痛な叫びに作者はどう答えようとしているのかー。 恐るべき思索のドラマの幕開けです。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.262:
(5pt)

大審問官とロシアの修道僧

“カラマーゾフの兄弟”前半のクライマックス、“大審問官伝説”の与えた衝撃というのはいまさら贅言を費やすまでもありません。 この恐るべき問題は、現代ではもはや姿かたちを変えこそすれ、広く一般の人たちにも共有されていると思いますが、発表当時、少なくともこんなことを文学の形で表現した人は恐らくいなかったと思います。 さらに、その後の“ロシアの修道僧”偏で語られている問題などは(P436)、現代人が漠として抱えている不安そのものを喝破しており、こういった現代性において、ドストエフスキーは確かにトルストイを凌駕していると思います。 

ただ、モームなどは、この陰鬱たる理論を構築した後、ドストエフスキーは自分のしたことが怖くなって、必死になってそれを打ち消すような話をくっつけて失敗した、といっていますが、それは必ずしも当たっていないと思います。 ゾシマ長老の牧歌的な人生観、楽観的な希望というのは、大審問官伝説という洞察的想像力とももに、案外人間が見失ってはいけない大切な美徳にも思えます。 少なくともこの小説を読んでいる限りにおいてはそう見えます。 この長老の長い物語の後、ドストエフスキーはまたあっと驚く展開を用意しているのですが、このあたり、まさに思想家としての深みと作家としての技量において、ドストエフスキーはその頂点に達していると思います。

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!