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カラマ-ゾフの兄弟



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カラマ-ゾフの兄弟の評価: 4.26/5点 レビュー 681件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.26pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全681件 361~380 19/35ページ
No.321:
(5pt)

左肩は何を意味しているのか?

1月12日に始まった『カラマーゾフの兄弟』(フジテレビ)を観ました。日本の舞台に置き換えたシリアスドラマです。黒澤明監督の『白痴』を意識していることはまちがいないようです。
気になったのは、次男のイワンがしきりに左肩に触れる場面です。あれは、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』第五巻の解説を踏まえたすばらしい伏線だと感じました。答えは、「悪魔」(メフィストフェレス)の暗示ということになるのでしょう。日本における『カラマーゾフの兄弟』の受容がここまで来たかと感じ、感無量です。亀山訳は、驚くほど躍動感に満ちたもので、とくに足の悪いリーザの悪魔性や、イリューシャの死の場面は入魂の翻訳です。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.320:
(5pt)

確かに新訳は読みやすく理解しやすい。

初めて『カラマーゾフの兄弟』を読み始めました。
この新訳とこれまでの翻訳がどれ程異なるのかはわかりませんが、確かにこの本は読みやすいです。
古典翻訳で味わう「言葉の摩擦」のような抵抗感はなく、すいすいと読み進められました。
抵抗感といっても拒否感ではく、読む速度をおとしめるような抵抗ですね。
その分、意味を考えて反芻したりしますので、濃い味わいがあったりします。
贅沢なことを言えば、薄味のような感じもしないではないですが、何しろ『カラマーゾフの兄弟』です。
読む機会が巡ってきたことに幸運を感じざるを得ません。
それは亀山さんの翻訳のお蔭だと感謝しています。
散文の場合は翻訳の問題は薄れる、と桑原武夫さんがお書きになっていたのを記憶しております。
テクストを理解するように読んで参りたいと心がけています。

巻末に読書ガイドが付されています。最初にお読みになる方が役立つと思います。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.319:
(5pt)

漱石好きなら読めると思う。

難解と言われれば、そうには違いない。この難解さは、まるで、漱石の三部作のよう。
けれど、普遍的で、深い洞察に溢れていて、実は、やはり、難解でもないのです。

難解とされる主な理由は、漱石もドストも、その時代をそのままをストレートに書いているからだ。
つまり、その時代の、世に溢れる苦しみ、社会矛盾、自己確立の困難さなどは、どうしたって、その時代を生きた人にしか、共感できない。
折しも時代は、科学の到来した時代。
その激動する時代の中で、前近代的な因習、民俗学的な縛りに苦しむ魂の圧迫感、空気感などは、ましてや、経験した人にしか分からないでしょう。

だから、私たちは、ドストや漱石が描く人々を通し、因習や社会の重しに苦しめられる自己の魂の窒息感や閉塞感、絶望、そして、希望を想像し、そのまま感じるしかない。
思いやることはできても、そもそも理解できると考えるものではないはずだから。
まず、そう割り切るのが、楽しみ方のコツだと思う。
漱石もドストも、書き手と読み手の間に横たわる、この垣根を敢えて越えようとはしていないのだから。

両作家共に、その時代を生きた人間として、そのまま感じたまま、観たままを書いていることこそが脱帽なのです。
そうすると、スイスイ読めてくる。入ってくることがある。

漱石もドストも、その時代を懸命に生きた一人の人として、人間、人間愛、魂の解放、救済(自我と愛との確執の側面からなど)・・近世以降の人が抱えるであろう、これらテーゼについて、痛ましいほど苦悩し、深く探求している。
そして、希望や安らぎを希求し、当時の人々や、後世の人々に遺してくれている。

この魂の探求?と言おうか、それは凄まじく、私たちをグイグイと引き込んでいくのだと思う。

漱石、ドストの魅力は、作者の意図に沿って、登場人物によってご都合よくストーリーを展開させるという事がまずないこと。

物語の構成は、タテヨコ、そして、天地何層にも、物語や神話が織り込まれている、それこそ世界唯一の素晴らしさ。

そして、その枠組みの中で、登場人物それぞれが、激動する時代の中にあっても、自己の心や魂の中になおも生き、自分の行動を規定し、突き動かしているものを活き活きと語る。
ただ、そこにあるのは、その人の心や魂の中で生きているリアリティ。
引き込まれないはずはない。

漱石もドストも、その時代を描き出し、私たちの人間としてのコアな部分に入り込み、栄養を与えてくれる。
やがて、近世以降を生きる私たちにとって、自己を自己で探求できるようになるための素地が創られている。

自己啓発書、宗教書や、哲学書に負けず、自己で自己を確立しようというコアが育っていると思う。
そして、読後には、ほのかな安らぎと自信も感じている。
宇宙観や、世界観を形成する上での視点のみならず、心も培養してくれるように思う。

漱石もドストも、思想の探求は、ほどほどで、構わない。
大切なのは、確かな実践(生活)であり、そのための愛や思いやり(キリスト社会的には、隣人愛)の重要性を、苦悩者として、自己の反省と共に、科学と資本が支配しそうな後進の現代人のために、独自の視点で伝えている。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.318:
(2pt)

日本語がうまくない

新潮社の『ドスエフスキー全集』を持っているので、原卓也訳で読んでいたのだが、寝るとき、寝室を暗くして、Kindle Whitepaperで、「続き」が読みたかったので、本書を購入してみた。訳語の細かな部分には拘らず、だいたいの物語を追えればいいと思っていたが、どうも、本書の訳で読むと、ドストエフスキーの深みがなく、違ったものを読んでいるような気持ちになった。大筋は、たぶん、原訳を参考にしていると思われる。しかし、日本語に疑問を持つような表現が多く、一部マスコミでは評判になったように記憶しているが、はっきりいって、私にはどこがいいかわからない。やはり、ちゃんとした本で読みたいと思う。

*****

レビューを投稿してから、ほかのレビュアーの方の記事を読み、やはり、訳に疑問を感じている方々がおおぜいいたのに納得した。「1」だけしか買ってなかったのは正解でした(笑)。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.317:
(5pt)

難しくない!

中巻もさほど手こずることなく読めた。

色々なテーマが内包されているが、最後にむけてどう収斂されていくのか?

いまのところは難しくも読みににくくもなく読めている。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.316:
(5pt)

人間はいかに救われるか?。。。

たまにはロシア文学もいいかなと思い、読んだらとても面白い小説でした。

新訳なのでとても読みやすく、文学少年少女にもおすすめです。

人間の本質を考えてみるときに、おすすめの一冊です。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.315:
(5pt)

「こころの時代」を通して

『カラマーゾフの兄弟』を再読した直後の先週土曜日、NHK教育テレビ「こころの時代」に出演した訳者の亀山郁夫の語りに接し、理解が深まりました。ドストエフスキー文学における最大のテーマを「黙過」に見る訳者の世界観に強い共感を覚えました。
番組のなかでの、とてもわかりやすい、淡々とした語り口は、『カラマーゾフの兄弟』の新訳の精神そのものを体現しているように思えました。
最後まで読みとおすことができたことに対し、改めて、訳者に感謝したい思いです。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.314:
(5pt)

難しくない!

このレビューを書いている段階では中巻の半分近くを読んでいる段階だが、

難しいこともなく、人物が紛らわしくなることもなく読めている。

長いがテンポよくストーリーが展開していくのでスラスラと読める。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.313:
(1pt)

亀山訳はおすすめできない

他のロシア文学者や読者から誤訳・悪訳や解題のでたらめさが多数指摘されており、週刊新潮の記事にもなった。
検証された100カ所以上の指摘を受けて訳者と出版社は第一巻の40カ所程を20・22刷で訂正したが、その事実はどこにも記載も公表もされていない。週刊新潮上で訳者は「ケアレスミスが10カ所程度で、あとは解釈の違い」と誤訳を否定。現在まで増刷が続けられている。
「ドストエフスキーの会」による検証が詳しいが、それを見ると誤訳云々以前に訳者が作品の内容を正しく理解しているのかすら怪しい。

私はロシア語が全くわからない。しかし読んでいて、ただ対応する単語を訳して当て嵌めただけの様な、日本語として非常に不自然で読みにくい個所が多々あるし、ドストエフスキーの醍醐味である動的な、ドラマチックな文章と文体が損ねられていることはわかる。

亀山訳を買って読んだ方は、ぜひ原訳や米川訳も読んでみてください。別の物語を読んでいるかのように違いが分かると思います。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.312:
(5pt)

内容ではなく、翻訳の文体について少し

私は海外小説をよく購入しますが、内容の良し悪しよりも翻訳の文体で決めることがしばしばあります。
というのも、特に文学ともなれば購入が前提であることが多いのがひとつ、もう一つは、訳者によっては雰囲気ががらりと変わってしまうからです。

内容についてはもう他の方が沢山レビューしてくださっているので、内容ではなく翻訳内容をレビューすることにします。

これの翻訳者は原さんですが、文は適度な難易度でした。一文が長いのは海外小説ではもうお約束ですが、これは所々で長すぎる印象を抱くかもしれません。ですが、活字にあまり触れない方でも頑張れば読破できるレベルです。

文字の大きさの面でも読みやすいと思いますし、何より注訳が多いのは助かりました。
人名の注訳はもちろん、慣用句、引用の注訳までついているので、初めて読む方に特におすすめしたいのはこれ(新潮文庫)です。

あと、新潮文庫にはしおりがついているのが良いですね。しおりを落として読んだ場所が分からなくなるといったことも滅多にありません。

比較として、Amazonにおいてある岩波文庫と光文社古典新訳文庫の方も軽く紹介します。

【岩波文庫】の米川さん訳は、非常に漢字が多く、振り仮名も少ないので初見には向いていません。
ただ、一度「カラマーゾフの兄弟」に目を通した方なら、この独特の雰囲気を楽しむことができると思います。

【光文社古典新訳文庫】の亀山さんの訳は【新潮文庫】と比較してもかなり簡単に訳されていますが、小説というのは文が簡単だからと言って簡単に読めるとは限りません。あまりに簡単すぎると往々にしてつまらなくなってしまいます。

こちらは、簡易さに力を入れて大事な部分を所々飛ばしてしまっているのではないかという印象を受けました。なので、普段活字に触れている方にはおすすめしません。
それでも、その分薄くなってはいるので、本を読むのが本当に苦手で、ストーリーだけをさくっと把握したい方ならこちらでもいいと思います。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.311:
(4pt)

深いです

長い・・・とにかく長いです。
しかもほどんど登場人物の台詞で話が進んでいくので、19世紀のロシア人はあんなにおしゃべりだったのだろうかと考えてしまいます。

3兄弟の性格はバラバラです。(スメルジャコフを含めると4兄弟ですが)
自分はどの人に近いかと考えてみました。
希望はアリョーシャですが、残念ながら間違いなく違うなと感じました。

人間の内側や、普段は見てみぬふり、気付かぬふりをしている部分にざくっと切り込んできます。

血の呪い、神はいるのか、など深くて重いテーマを扱っていますが、ラストは希望のあるものだったのでほっとしました。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.310:
(5pt)

ツィンバロンか?

250ページ7行目と281ページ6行目の、ユダヤ女の楽器はシンバルではなくツィンバロンだと思う(原文Цимбалы)。この単語にはどちらの意味もあるようだけれど、ヴァイオリンとシンバルじゃあまりに不釣り合いだし、ユダヤ人の辻音楽師はよくヴァイオリンとツィンバロンの組合せで演奏していたようだ。298ページになって、ユダヤ女の楽器がヴァイオリンとツィター(Цитра)になっているが、これはもしかするとドストエフスキーの筆がすべった可能性もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%A0

http://odakyuensen.blog105.fc2.com/blog-category-6.html
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.309:
(4pt)

異様な迫力に満ちた小説

全3巻読了に5ヶ月。正直、物語そのものが面白いとは思えないし、一つ一つが恐ろしく長い訳文も好きではない。神の存在に対するドストエフスキーの問いに至っては、その真なるところ理解できていないように思う。つまるところ、『カラマーゾフの兄弟』を一つの作品として手放しに「面白かった」「名作だ」などとは言えないというのが正直なところ。

一方で、読み終えて数ヶ月経ってもパラパラ読み返したり、ウェブであれこれ調べたりすることが多いのも事実。何故だろうと考えてみるに、半分は「何がこの小説を不朽の名作にしているのか理解したい」という好奇心。残り半分はこの小説が持つ異様な迫力に惹きつけられているのだと思う。

その異様な迫力を静動対照的ながら強く感じたのが、この上巻に収録されている、スネギリョフ二等大尉がアリョーシャより差し出された金を踏みにじるシーンと「反逆」の章。

涙を浮かべた目玉が半ば飛び出し、首筋には血管が浮かび上がり、いまにも噛みつかんばかりの表情が目に浮かぶスネギリョフ。この激しい描写に、卑屈な言動の裏にも人間の自尊心が必ずや潜んでいることを見せ付けられたような気がする。

一方、無垢の子供が流す涙を前に、キリスト教信仰の根幹にある予定調和にすら「反逆」を厭わないとするイワンの叫びは静かだ。静かだけど悲痛に満ちた正義を問う叫びは、キリスト教的価値観を共有するか否かを問題にすることなく、ストレートに心に響くものがあった。

「大審問官」も自分が感じるところの異様な迫力に満ちた章ではあるものの、上記二つの場面に比べれば好奇心が先立つ章だった。ドストエフスキーが何を問うているのかを理解したいという興味で、色々と解説を読んでは「なるほど」と楽しんだ一節。そういう楽しみを提供するという意味で、この小説は自分が計り知れないほど奥深いのだろう。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.308:
(2pt)

そんなに面白いか?

古今の著名人や東大の先生が絶賛しているという本作。いま読み終えましたが、正直苦痛で苦痛で何度も投げ出したくなりました。
改行のない、いちいち考えないと意味が分らない長い文章。私のなかの基準では悪文の典型。
物語の進行上、どうでもいいような冗長な会話が延々と続き、過剰な表現の羅列に、もううんざりしました。

いろんな題材がごちゃまぜになっていますが、主たるテーマであるキリスト教や教会の意義などは、19世紀のロシアにおいては重要だったのかもしれませんが、普通の日本人が共感できるテーマではありません。
有名な大審問官にしても、ピュアな信仰や教義は大衆向きではないという主張で、まあ、日本人的には大乗仏教からみた小乗仏教批判みたいなものかと。
それはそれで面白いとも言えますが、そんなに絶賛するようなことか?

歴史的にも大変評価が高い本作なので、これが出版された社会や時代においては素晴らしい内容だったのかもしれませんが、現代の日本人が読んで面白いかどうかは話が別です。キリスト教やロシア文学の専門家向けかと。

魂が震えたとか、涙が止まらないとか、まじすか。おそらくは本書の価値は別なところ(学術的にとか)にあるのでしょう。
自己研鑽のためでなく、単に読書を趣味として楽しみたい人にはお勧めできませんね。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)より
4102010122
No.307:
(1pt)

5ページ読んで棄てました。

三十年ぶりに読みたくなり買いました。新訳ということなので、今までの訳とは違った味があるのではと思いました。しかし、5ページ以上は読めませんでした。翻訳の質以前の問題として日本語としておかしいと思いました。結局、焼却ごみに出して、昔よんだ訳本を購入しました。やはり、すばらしい作品ですね。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.306:
(3pt)

名作なのは分かるが、面白さを味わうまでには至らず

<5巻まとめたシリーズとして>
村上春樹を始め、数々の評論家筋がベストに挙げる作品。
「読まずに死ねるか!」的なランキングには大体入っている。

まず、翻訳。以前、原卓也訳の新潮文庫版(かなり古い訳)で挫折したが、本作は確かに読みやすい。

だが、読みやすいかというと、そんなことはない。書かれたのが100年以上前であり、翻訳本であるということから致し方ないことではあると思うが。

肝心の内容であるが、確かに激賞されることはある。多様な登場人物とその人物造形。更に、生と死、聖と俗、男と女、父と子、富と名声、誇りと恥辱、などの人生においてキーとなるような要素が「これでもか」と盛り込まれており、あらゆる角度からの読み方に耐えられる。

ただ、読んでいる間に面白いかと思えたかというと「否」である。これは自分自身の読解力のなさが、この本を読むことを苦行とすることを招いてしまったのは多分にあるとは思うが、一つ思うのはこの本は「何度も読むのに適しているのでは?」ということだ。

最後に翻訳者が、本作を「ストーリー層、中間層、作者の自伝層」の3層で読むことができると述べている通り、最初の通読でストーリーを頭に入れて、"つまみぐい"しながら読み込んでいくというのが正しい楽しみ方なのではないだろうか。

そして、自分がそのような読み方をするか、、、というと図書館から借りたのもあり、かなり微妙なところ。ここまで苦労したのだから、再読すべきだという気もするが決心はつかない。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.305:
(1pt)

亀山さんは「確信犯」なんでしょうけれど、不愉快です。

誤訳問題以前に、日本語としておかしい表現が多々あります。ドストエフスキーの重さというか雰囲気が伝わってこないのもつらい。

確かに読みやすいけど、これを読むよりは、「まんがで読破シリーズ」でも読んだほうがいいのではないでしょうか。920円です。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.304:
(4pt)

カラマーゾフさん家ったら・・・

「ねえちょっと、おくさん!」

「あら、なあに?」

「(声をひそめて)ご存知?」

「(同じく声をひそめて)なんのこと?」

「あそこよ、カラマーゾフさんとこのフョードルさんと息子さんたち、なんだか揉めてるらしいわよ〜」

「あらやだ、ほんとぉ〜?」

「何だかね、お父さんと上の息子さんで一人の女を奪い合ってるらしいのよぉ」

「やあねえ〜まったく」

…というやりとりが街で交わされていたかどうかは知りませんが、
カラマーゾフさん家のごたごたは相変わらず続いております。
中巻冒頭でゾシマ長老に、後半で長男ドミートリィにそれぞれ事件が起こります
(他の方のレビューの通り…)
この巻で長男ドミートリィが前面に出てきます。何だか憎めないんだよな、ミーチャ。
決して素行よろしき青年では無いし、ちょっとイカレテルとは思うけど、
人間臭くて嫌いになれないよ。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)より
4102010114
No.303:
(4pt)

どっこいしょ。いつ読み終えれるのやら。

ロシアの作家、ドストエフスキー(1881年没)の小説「カラマーゾフの兄弟」−東大の先生が学生に読ませたい一番の本−である。光文社から新訳が出版され、話題となり、書店で陳列され積まれて久しい。いずれ手にしようと思いつつ手が出せずにいたが、とうとう手を出すことにした。ただ上述の読みやすくなった光文社古典新訳文庫にするか、新潮文庫にするか、岩波文庫にするか悩み、結局、上中下三冊と一番短い新潮文庫にすることにした。昭和53年初版から七十七刷、世界文学屈指の名作だけはある。ページ一杯に文字ばかり、分かりづらい長文が多く、例えば72頁「弟のイワンについてのドミートリイの感激しきった批評は、イワンにくらべてドミートリイがほとんどまったく無教養の人間であり、二人をならべてみると、人柄といい性格といい、ひょっとすると、これほど似たところのない二人を考え出すことは不可能ではないかという気がするくらい、際立った対照をなしていただけに、アリョーシャからみると、いっそう特徴的だった。」といった具合の文章が続く。十分注意しないと143頁の「二人の修道士」は88頁の「修道士が二人」と同じであると気づかずに見過ごしてしまう。143頁(五 アーメン、アーメン)からは、教会と国家についての論文論争が語られるが、読み辛く何が書いてあるのかさっぱり頭に入らない。「教会と国家というものの本質の混合は、…多少なりとも協和的な状態にさえ導くことは決してないはずであるにもかかわらず、やはりそれが永久的なものにちがいない、という命題から出発しているのです。」 作者は、長老が唇も血の気が失せ失神の直前と記してるにも関わらず、153ページ「つまり、こういうことです」から158ページの「そうあってほしいものです、アーメン、アーメン!」まで、長老に台詞を不自然なまでにひたすら語らせ続ける。それから、ロシアの人物名の覚えにくさ、父:フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ、長男:ドミートリー・フョードロウィチ、次男:イワン・フョードロウィチ、三男:アレクセイ・フョードロウィチ。例えば172頁で突然出てきた「ミーチャ」が長男のことだと最初気づかなかった。このアマゾンの皆さん方の熱い想いのレヴューを読み背を押されながら、黙読から音読に切り替えて、読み続け四分の一の184頁(184/667=27%)で「カラマーゾフ的良心」という語句を発見して、ようやく入り口に辿り着いた感じを受ける。この「カラマーゾフ的良心ってやつだな」という言葉もさっと読んでしまえば誰の内心の言葉か判らずミウーソフのものとは気がつかず読み過ぎてしまうだろう。208頁「ミウーソフは口をつぐんだ。長広舌の最後のくだりを言い終えて、彼はすっかり自分に満足し、…」んん、ミウーソフの言葉って作者自身だよきっと。ほとんど情景の説明はなく、台詞が途切れず続く。336頁「オールドミス」、337頁「彼女にモーションをかけて」は、訳者原卓也(昭和五年の生まれ)としては斬新な語句か!とかとぼんやり想いながら、読解困難が続く。今まで自分が読んできた本で、一番だ。文語調というのでもなく、特に難しい漢字が出てくるわけでもなく難解というわけではないが、作者自身の宗教観が繰り返し述懐され、具体的にはキリスト教・教会についてだが、八百万神の日本人はここまで執拗に神について考えることはまれであるので、こういった考え方に馴染みがないというほかあるまい。前述した(五 アーメン、アーメン)の部分などは、読者の読書を阻む防塁のようにさえ思える。(七 論争)もしかり。全体的に、何が書いてあるのか分かりづらい。登場人物の台詞を介しての独り言がひたすら続き、自分に鞭を打ちつつ読書意欲を保ちながら、第一部396頁(396/667=59%)をとうとう終了。
第一部 
第一編 15「アレクセイ・フョードロウイチ・カラマーゾフは、-。」 16「彼は二度結婚し、子供が三人あった。長男のドミートリイは最初の妻の子で、あとの二人、イワンとアレクセイが二度目の妻の子である。」 19「ミーチャ(訳注中ドミートリイの愛称)-。」 22「亡くなった(最初の妻の)アデライーダの従兄にあたるピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ-。」 40「アリョーシャ(訳注中アレクセイの愛称)-。」 53「-、アリョーシャは父(フョードル)に向かって突然、自分は修道院に入りたいと思うし、僧たちも見習い僧として入れてくれるつもりでいる、と申し出た。」 66「アリョーシャは、長老に非常に目をかけられ、そばに近づけられて、長老の草庵で暮らしていた。」 73「当時、遺産や財産上の勘定をめぐる(長男)ドミートリイと父フョードルの不和は、-。-、ゾシマ長老の草庵にみなが集まって-、-話をつけようではないか、-。-ドミートリイは、-。-、この申し出を受け入れたのだった。-、彼(ドミートリイ)はイワンのように父の家に暮らしているのではなく、町の反対側のはずれに一人だけ別に暮らしていた。」
第二編 78「訪問者たちは修道院の外塀のわきにある宿坊で馬車を乗りすて、歩いて修道院の門をくぐった。」 82「『僧庵にいらしたあと、修道院長さまがみなさまにぜひお食事をさしあげたいと申しておられます。-』」 84「『あれが僧庵だ、やっと着いたな!』フョードル(父)が叫んだ。」 88「彼らが部屋に入ったのは、来客の知らせをきいてすぐに寝室から現れた長老と、ほとんど同時だった。-、僧庵の司祭修道士が二人、-待ち受けていた。-。ゾシマ長老は見習い僧一人と、アリョーシャとを従えて出てきた。」 89「−ミウーソフ-。-。フョードル-。-。イワン-、カルガーノフ-。」90「-客たちを、-、−四人ならんで坐らせた。」 106「長老がだしぬけに席を立った。『申しわけありませんが、みなさん、ほんの数分だけ中断させていただきます』」 108「母と娘の二人-。母のホフラコワ夫人、-。−未亡人になってすでに五年になる。十四歳の娘(リザヴェータ)は小児麻痺で足が不自由だった。-、長い車椅子で運ばれていた。」 124「(長老)『お前さん(ホフラコワ夫人)にも、子供のリザヴェータにも、神さまがともに祝福を賜りますよう。-』」 127「(ホフラコワ夫人)『アレクセイ・フョードロウィチ(三男アリョーシャ)、この子(リザヴェータ)はあなた宛に用事をことづかってますのよ。ご機嫌はいかがですの?』夫人は突然アリョーシャに顔を向け、-。-。『カテリーナ・イワノーヴナからこれをことづかったんです』彼女は小さな手紙をさしだした。『あなた(アリョーシャ)に来てほしいって、-』」 139「『-。申し訳ないのですが、わたし(長老)はこれ以上あなた(ホフラコワ夫人)とごいっしょにおるわけにはまいらないのです、待っておる人がおりますので。では、いずれまた』」 143「長老がふたたび庵室に入ってみると、客たちの間で共通の会話がはずんでいるところだった。」 161「-、ドアが開いて、ひどく遅刻したドミートリイ(長男)が入ってきた。」 171「(フョードル)『-。神父さま、実を申しますと、この大将(長男ドミートリイ)は-、-、良家の令嬢を夢中にさせましたんです。」 172「-このお嬢さん(カテリーナ)にプロポーズなんぞして-。-こいつの婚約者になっているのですが、こいつときたら、-、-さる妖婦(グルーシェニカ)のところに通いつめているんです。-。この妖婦にもう何千という金をつぎこんでいる始末なんでございます』」 174「(長男ドミートリイ)『-。-、あんた(父フョードル)の代理人とやらは、あんたが妖婦とか表現した当の女性(グルーシェニカ)のところへ行って、-。−僕(長男ドミートリイ)を刑務所へぶちこんでしまえるように訴訟を起こしてくれって。-。-あんた(フョードル)自身が彼女(グルーシェニカ)に岡惚れして言い寄ってる-』」 177「『決闘だ!』老人(父フョードル)は息をあえがせ、-、わめきたてた。」 178「『恥を知りなさい!』突然イォシフ神父が叫んだ。-『こんな男がなぜ生きているんだ!』-ドミートリイが、低い声で唸るように言った。-。『-、父親殺しの言うことをききましたかね?』フョードルはイォシフ神父に食ってかかった。」 179「ふいに長老が席を立ったのである。-。長老はドミートリイの方に歩き出し、すぐそばまでに行きつくなり、その前にひざまずいた。-。-足もとにはっきりした、意識的な跪拝をし、額を地面に触れさえした。」 206(僧庵から食堂に移って)「ミウーソフとカルガーノフとイワンが入っていったとき、神父たちはもう修道院の食堂で待ち受けていた。さらに地主のマクシーモフも、わきの方で待ちくたびれた顔をしていた。」 210「-彼(フョードル)は急ぎ足に修道院にとって返し、まっすぐ院長のところに向かった。-。修道院長の食堂に彼(フョードル)が姿をあらわしたのは、まさに、お祈りが終わってみなが食卓に移ったその瞬間だった。」 219「『-、神父さん、わたし「(フョードル)は帰りますよ。-。さ、イワン、-、わしにつづけ-』」 220「フョードルは-馬車にのりこみ、つづいてイワンが-。-。-地主のマクシーモフが-。遅れまいと息せき切って駆けつけた-。」
第三編 224「フョードル・カラマーゾフの家は、-。-。−母屋に住んでいたのは、フョードル(父)と息子のイワン(次男)だけだったし、召使用の離れにも、老僕のグリゴーリイと、その老妻マルファ、スメルジャコフというまだ若い召使の、全部でたった三人が暮らしている-。」 247「彼(三男アリョーシャ)は裏通りづたいに近道することに決めた。-。-。ときにはよその生垣を乗りこえたり、よその庭先をぬけたりせねばならなかったが、-」 248「突然、まったく予想もしなかった-。生垣の向こうの隣家の庭に、兄のドミートリイが-こちらに合図を送って、-、手招きしているのだった。」 263「『−お前(三男アリョーシャ)はどこへ行くところだったんだい?』『お父さんのところですけど、その前にカテリーナ・イワノーヴナのところに寄るつもりだったんです』 273「(長兄ドミートリイ)『-、ふいにきわめて興味ある一つの事実をはっきり知ったんだ。-』」 275「中佐(カテリーナの父)が-(軍の官金を)貸し付けていたんだよ。-。-突然、伝令が帳簿と命令をもって駆けつけてきた。『官金を二時間以内に、ただちに提出せよ』」 277「(カテリーナ)『-、四千五百ルーブルくださるとか。わたくし(カテリーナ)、(ドミートリイのところに)参りました・・・お金をください!』」 280「俺(ドミートリイ)は-無記名債権をとりだした。-彼女(カテリ−ナ)にそれを見せて、-手渡す-。」 283「中佐(カテリーナの父)はどっと病の床について、-、−死んじまった-」 284「俺(ドミートリイ)は-四千五百ルーブルを受け取った-。−手紙がきた。-。結婚を申し込んできたんだ、-。-。-わたし(カテリーナ)の夫になってくださいませ。」  289「-、グルーシェニカのところに通うようになったとたん、-俺は婚約者で-なくなっちまったんだ。」 291「あのグルーシェニカの悪女は-。-。『−結婚してあげるかもしれないわ』こう言って、-」 292「−三千ルーブルを懐にして、俺(ドミートリイ)はグルーシェニカのところへ行ったんだし、-」 294「(ドミートリイ)『お前(アリョーシャ)の口から彼女(カテリーナ)にお別れの挨拶を伝えてもらうことが、−必要なんだよ。-』」 300「アリョーシャは-父のところに向かった」 301「アリョーシャが入っていったとき、」 302「アリョーシャ(三男)を見ると-喜んで、フョードル(父)がわめきたてた。」  312「ロシアの兵士の話-キリスト教を棄てて回教に改宗することを迫られたのに、信仰を裏切るのをいさぎよしとせずに-、皮を剥がれ、キリストを賛美したたえながら死んでいったという」 313「『今のお話ですが』-思いがけずスメルジャコフ(召使)がしゃべり始めた。『-。わたしの考えでは、かりにそんな不慮の災難にあって、キリストの御名-を否定したとしても、-、やはり何の罪もないだろうと思うんです』-。ちょうどこのとき、アリョーシャが(父の家へ)入ってきたのだった。」 324「-すぐに召使たち(グリゴーリイとスメルジャコフ)が退散する-。」 340「-、ドアが勢いよく開き、ドミートリイ(長男)が広間にとびこんできた。老人(父)はぎょっとしてイワン(次男)の方にとびのいた。-ドミートリイにつづいて、(召使たち)グリゴーリイとスメルジャコフも広間に駆けこんできた。(召使の)二人は玄関で、中に通すまいと争っていたのである。」 341「ドミートリイは叫んだ。『あの女(グルーシェニカ)がこの家の方へ曲ったのを、俺は今この目で見たんだ、-、あの女はどこだ?』」 343「-ドミートリイ(長男)を見たとたん、フョードル(父)が金切り声をたて-。-ドミートリイにとびかかった。が、相手は-床に投げとばした。そのうえ、倒れたところを-踵で顔を蹴りはじめた。」 344「(アリョーシャ)『誓ってもいい、あの人(グルーシェニカ)はここに来ませんよ、-』 (ドミートリイ)『-あばよ-、(ドミートリイの婚約者の)カテリーナには-伝えてくれ。『-くれぐれもよろしく!』とな。-』」 349「(父)『-、お前(三男アリョーシャ)ひとつグルーシェニカのとこへ自分で行って、会ってくれんか。-。あれがどっちに傾いているか。俺(父)か、それともあいつ(長男ドミートリイ)かをさ?-』」 353「アリョーシャは、-父の家を出た。」 355「-カテリーナのところへアリョーシャが向かった-、-。-。アリョーシャが(カテリーナの家の)玄関に入り、-」 356-、嬉しそうな喜びの微笑をうかべたカテリーナが、両手をアリョーシャにさしのべながら-入ってきた。」 359「-、アリョーシャはつぶやいた。『僕はあの・・・・・・兄(ドミートリイ)の使いで来たんです・・・・・・』」 360「『兄(ドミートリイ)はあなた(カテリーナ)に・・・・・・よろしく、もう二度と伺わないから・・・・・・よろしくということでした』」 365「だしぬけに彼女(カテリーナ)は隣の部屋をふりかえって、だれかに叫んだ。-戸口のカーテンがあがった、-グルーシェニカが-近づいてきた。」 368「『あたくしたち(カテリーナとグルーシェニカ)、初対面ですのよ、-』カテリーナは感きわまったように口走った。『-、この方(グルーシェニカ)がご自分から来てくださったんですわ。-』 372「(グルーシェニカ)『-。あたし、-、ずっと悪い女かもしれませんのよ。-、ドミートリイさんだって、あのとき、ほんのからかい心から誘惑したんですわ』」 376「(カテリーナ)『(グルーシェニカに)出ていくがいい、淫売!』カテリーナがわめきたてた。-。『ええ、帰るわ』-、グルーシェニカが言い放った。」 377「グルーシェニカは-、家を走り出ていった。」 378「(カテリーナ)『お帰りになって、アレクセイ・フョードロウィチ(アリョーシャ)!-』」 379「アリョーシャは-封筒を受け取り-ポケットにねじこんだ。-修道院までは、-。-人気のまったくない道を、アリョーシャは急いで歩いていった。-。道のりの半ばほどのところに四辻があった。-。(アリョーシャ)『なんだ、兄さん(ドミートリイ)じゃありませんか!』」 382「『カテリーナ・イワーノヴナのところに、グルーシェニカがいたんですよ』」 385「(ドミートリイ)『-アリョーシャ、それにしても、どうやってあの女たちから逃れられたんだい?-』」 388「そして彼(長男ドミートリイ)はふいに去ってゆき、-。アリョーシャ(三男)は修道院に向かった。-。修道院を彼はぐるりとまわり、-まっすぐ僧庵に行った。」 392「たとえあと一日か二日生きのびるかもしれぬにしても、長老が世を去ろうとしていることは、アリョーシャにとって疑念の余地もなかった。アリョーシャは-、明日は修道院から一歩も出ずに、息を引きとるその時まで長老の枕辺に付き添っていようと、熱っぽい気持ちで固く決心した。」 393「−カテリーナ・イワーノヴナの女中から渡された-。−。−封筒を開けた。中は彼宛の手紙で、-、今朝、長老の前で彼をさんざんからかった、ホフラコワ夫人の若い令嬢である。-いとしいアリョーシャ、愛しています。」 395「アリョーシャはおどろきとともに読み終え、-。-。ゆっくり手紙を封筒にしまい、-、横になった。」
第二部
第四編 423「『- 長老はどうした?』『とてもお悪いのです。ことによると今日亡くなられるかもしれません』アリョーシャは答えたが、父親はろくにきこうともせず、-」 432「父のところを出て、ホフラコワ夫人の家に向かいながら、-。-。しかし、アリョーシャはいつまでも考えごとをしているわけにいかなくなった。」 433「彼(アリョーシャ)は坂下の橋の手前に、いずれも九つからせいぜい十二くらいまでの年少の子供ばかりだったが、-小さな一団を見い出した。-。また、溝川の向こうには、このグループからおよそ三十歩ほどへだてた塀のわきに、少年が一人立っていた。」 434「-、どうやら敵対関係にあるらしい、-。」 436「-投石合戦がはじまった-。」 438「アリョーシャは橋を渡ると、塀のわきを通って、仲間はずれの少年の方へまっすぐ坂を上って行った。」 440「いきなりとびだすと、自分の方からアリョーシャに組みついてゆき、-、−少年は頭を下げ、両手で彼の左手をつかむなり、中指にひどく噛みついた。」 441「−少年は-逃げだした。」 442「-彼(アリョーシャ)はホフラコワ夫人の家についた。」 452「(アリョーシャ)『-、法に定められた年齢に達したら、すぐに僕たちは結婚しましょう。-』『だって、あたしは片輪なのよ、車椅子で運ばれる身なのよ!』リーザ(リザヴェータ)は頬を真っ赤に染めて笑い出した。」 455「『-、アレクセイ・フョードロウィチ(アリョーシャ)、あなたのいらしたことを知るとすぐ、カテリーナ・イワーノヴナがあたくし(ホフラコワ夫人)のところへとんでらして、そりゃもうお待ちかねですのよ』」 461「アリョーシャの姿を見ると、カテリーナは、−イワン(次男)に-言った。『-もうちょっといらしてくださいな。』」 469「『残念ながら、僕はおそらく明日、モスクワへ発って、-』-イワンが言った。」 476「彼(イワン)は女主人のホフラコワ夫人にさえ別れを告げずに、部屋を出て行った。」 477「-、カテリーナ-。その手に二枚の百ループル札が握られていた。(カテリ−ナ)『-。-さる飲屋ですけど。-。-、ドミートリイ・フョードロウィチ(長兄)は-二等大尉にひどく腹を立て、顎ひげをつかむなり、そんな屈辱的な格好のまま衆人環視の中に往来に引きずり出し、往来でも永いことひきまわしていたそうですわ。-」 478「-小さな坊やが、それを見て、-、父親のために赦しを乞い、−助けてくれるように頼んだ-。」 479「-、ここに二百ルーブルありますけど、これを渡していただきたいんです。-。その人はオジョールナヤ通りの、−家に暮らしていますわ-」』 485「カテリーナの頼みはオジョールナヤ通りに行くことだったが、-、アリョーシャはとにかく二等大尉の家に行く前に、兄のところに寄ってみることに決めた。」 486「-、二等大尉の息子の小さい中学生が、-、アリョーシャの指に噛みついた先ほどの中学生にちがいないという思いがふいにひらめいた-。-。ドミートリイは家にいなかった。」 492「『僕・・・・・・アレクセイ・カラマーゾフという者で・・・・・・』-『手前は二等大尉スネギリョフでござります。-』」 510「(二等大尉スネギリョフ)『-。一寸の虫にも五分の魂、と申しますですからね。あなた(アリョシャ)は、-一部始終をご存知ありますまい。」 517「【-あいつ(ドミートリイ)はパパ(二等大尉スネギリョフ)にひどい恥をかかせたんだね!】あの子はこう叫びましたっけ。それをきいて手前も泣き出してしまったんです。-』」 519「(アリョーシャ)『-。僕の兄の、-、いいなずけである、心の気高いお嬢さん(カテリーナ)-。-その人は、あなた(二等大尉スネギリョフ)の受けた侮辱をきき、あなたの不幸な境遇を知って、僕に今しがた・・・・・・いや先ほど、お見舞いをあなたに届けてくれるよう頼んだんです-』」 520「そしてアリョーシャは真新しい虹色の百ルーブル札を二枚、彼にさしだした。」 527「(二等大尉スネギリョフは)-百ブール札を-、もみくちゃにし、右手の拳に固く握りしめた。-、力まかせに二枚のもみくちゃになった札を砂の上にたたきつけた。」 528「『一家の恥とひきかえにあなたのお金を受け取ったりしたら、うちの坊主になんと言えばいいのです?』-。走り去ってゆく二等大尉-。」
第五編 533「アリョーシャは部屋に入った。リーズ(リザヴェータ)はなにかはにかんだように見つめ、ふいに耳まで真っ赤になった。」 544「アリョーシャは彼女(リザヴェータ)の手になおも自分の手をあずけたまま、立っていた。ふいに彼は身をかがめ、彼女の唇にまともにキスした。」 545「『-、どうしてあなたはあたしみたいな、病気もちのおばかさんをもらってくださるの、-ああ、アリョシャ、あたくしこわいくらい幸せよ、-』」 553「リーズの部屋を出た-。」 554「−ホフラコワ夫人が目の前に立ち現れた。-。『-。あんなのは子供のたわごとです、何もかもでたらめですわ。あなたはまさか本気で空想したりなさらないと思いますけれど-』」 556「『-、今はこれで失礼します!』こういってアリョーシャは階段から通りに走りでた。」 557「-、兄ドミートリイを不意に捕まえることだ-。ほかでもない、昨日のように生垣を乗りこえて、庭に入り、例のあずまやに忍びこむのだ。」 559「-、どこかに茂みの中にだれかいるのだ。-。-。-ベンチに今だれか腰をおろしたのだ。」 567「-、予期せぬことが起こった。アリョーシャが突然くしゃみをしたのだ。ベンチのあたりは一瞬のうちに静かになった。アリョーシャは立ちあがり、二人の方へ歩いて行った。それはまさしくスメルジャコフで、-。-。女は家主の娘マリアで、-。」 569「『僕(アリョーシャ)は今、一生懸命に兄を探してるんです。ぜひ兄に会うなり、兄が今どこにいるかを教えていただくなりしたいと思いまして。-』」 570「(スメルジャコフ)『-。-、ことによると今頃、あの方はイワンさまと飲屋に坐ってらっしゃるかもしれませんですよ。-』」 571「『イワン兄さんが今ドミートリイ兄さんを飲屋によびだしたって?』アリョーシャは早口にきき返した。-。彼は飲屋に急いだ。」 572「だが、飲屋に近づいたとたん、ふいに一つの窓が開いて、当のイワンが窓から彼に声をかけた。-イワンは一人で食事をしているところだった。」 580「(イワン)『-。ところで今日ドミートリイを見かけなかったかい?』(アリョーシャ)『いいえ、会いませんでした。-』」 583「『彼女(カテリーナ)が愛したのも、ドミートリーじゃなく、この俺(イワン)さ』イワンは楽しげに言い張った。」 590「『-。-、今の俺たちの課題は何だと思う?ほかでもない、できるだけ早くお前(アリョーシャ)に俺(イワン)の本質を、つまり、俺がどういう人間であり、何を信じ、何を期待しているかを説き明かすのが、課題なんだ、-』」 599「『ついでに、-きいた話を披露しておくがね』イワンは-、つづけた。『-。-トルコ人どもは性的快楽を味わいながら子供たちまで痛めつけ、妊婦の腹から短剣で赤ん坊をえぐりだすことからはじまって、母親の目の前で赤ん坊を放り上げ、それを銃剣で受けとめるなんて真似までやってのけるんだ。-』」 608「『-。−女の子が夜中にうんちを知らせなかったというだけの理由でね、その罰に顔じゅうに洩らしたうんこをなすりつけたり、うんこを食べさせたりするんだ、それも母親がだぜ、-』」 610「『-。-、召使の忰で、せいぜい八つかそこらの小さな男の子が、遊んでいるはずみに、-、将軍お気に入りのロシア・ハウンドの足を怪我させちまったのさ。」 611「−。少年を裸にしろという将軍の命令で、男の子は素裸にされてしまう。-。【襲え!】将軍の絶叫するなり、-。母親の目の前で犬に噛み殺されたんだよ。犬どもは少年をずたずたに引きちぎってしまった!-』」 613「(イワン)『-、何のためにすべてがこんな仕組みになっているのか、さっぱり理解できないってことを、謙虚に認めるよ。-」 614「-。−俺(イワン)はあの子供たちをどうしてやればいいんだ?これは俺には解決できない問題だよ。-』」 619「『-。-、俺(イワン)はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。-』」 620「『俺の叙事詩は『大審問官』という表題でね。』」 665「二人は外に出たが、飲屋の表階段のわきで立ちどまった。」 666「イワンはふいに身をひるがえすと、もはやふりかえりもせず、歩み去って行った。」
そして、とうとう上巻を読み終えた。
第二部は、第五編の620頁(五 大審問官)がとても難読だった。宗教観が繰り返し述懐され、655頁「…(わしの話は終わりだ)』」まで続く、イワンの台詞はおそろしくとても長い。 
全巻買い揃えているから中巻へと読書は続く、どっこいしょ。いつ読み終えれるのやら。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.302:
(5pt)

さっき読み終えました。

やっと上巻を読み終えました。
なのでまだ感想が固まっていないのですが、ひとつ言えることがあります。
やはり「大審問官」の部分はすごい。もちろん全部理解できたわけでは無いのです。
上巻最後の方なので(自分が息切れして)正直やっつけ的に読んでしまったのは否めませんが、
それでもこの章はすごいと思いました。

中・下巻を読み終えた時にこそ、この作品の真価が見えるのでしょうが、
ひとまず上巻だけでも非常に重厚な読書体験ができました。

疑問もひとつ。
どの宗教の文化圏にも通ずる普遍的なテーマを扱っているのでしょうが、
やはりキリスト教をよく知らない自分にとって、ちょっと表現が「??」という箇所もあります。
私の無知と読み込みの足りなさが原因だと思いますが。
いわゆる非キリスト教圏の人間が読んでもやはり不朽の名作と言われるんでしょうかね?
(もちろんありきたりの小説に比べたらとんでもなくレベルが高いと思いますけど…)

万人におススメできるかは難しいですが、少しでも興味を持った、若いうちに名作を沢山読んでおこう、
というのなら、たとえ途中で挫折しても手に取った方がいいと私は思いました。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106

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