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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全681件 421~440 22/35ページ
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人間存在と神の実存をめぐる、めくるめくような議論が展開された第二巻とはうってかわって、この第三巻では、議論ではなく行動する男、ミーチャが前面に躍り出てきます。 ただ残念ながらこの第三巻以降、私にはこの作品が非常にわかりにくくなっていくのです。 その理由を正直に申し上げればーミーチャという男の行動原理、思考についていくことができないからです。 この作品が退屈だーというレビューを書いている方も居られますが、私なりに正しく言いなおせば、わけの分からない男の無茶苦茶な行動に3、400ページもつき合わされるから疲れるーと、感じてしまうのではないかと思うのです。 どうも私にとってミーチャという男は、典型的に救いようのない自己破滅的な人間に思えてしまいます。 老人を殴り倒したり、恋人のお金を使い込んだりしていながら、自分は常に高潔になろうとして苦しんでいる人間だー、などというのも小説ならともかく、現実に存在していたら耐え難いほどに見苦しい男に思えてしまいます。 “恋人のお金を全部使い込んだら泥棒だが、半分だけなら卑怯者であっても泥棒ではない”という有名な口上もずいぶん手前勝手な理屈です。 勿論こういう迷える熱血漢が偉大な聖者になることがあるーというつもりで作者は彼のことを創造したのでしょうし、こういう人は私の知っている限りでも世の中に間違いなくいます。 恐らくドストエフスキー自身もそういう人だったことでしょう。 彼はその偉大な文才よって明らかに人類に貢献しましたが、はたしてこのミーチャのなしえたことは一体なんだったのかー? これは作家の自己弁護的キャラではないのか?ミーチャという人間を肯定できるかどうかで、この作品の評価はまるで違ったものになると思うのですがどうでしょうか? | ||||
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壮大な物語もいよいよ佳境に入っていきますが、この父殺しの裁判は結局何を暗示しているのか、なぜ一殺人事件の行方がロシア全体にかかわる問題なのか、これは理解するのがかなり困難です。おそらく愛(アリョーシャ)・理性(イワン)・情熱(ミーチャ)の不整合によって起こされたこの世のカオスそのものがここに表現されていると思うのですが、結局そのカオスの果てに何がどうなったのか、いまひとつ不明瞭のままあの“カラマーゾフ万歳!”につながっているような気がしてどうも釈然としません。 さらにこの作品においてどうも納得いかないのが登場人物達の不思議な恋愛模様です。 例えばイワンは、ミーチャの恋人カテリーナに横恋慕しているのですが、その二人がどこでどういう風な心情でつながっているのかはまったく描かれていません。 さらにイワンはアリョーシャの婚約者、リーザにも懸想して彼女の人格すら崩壊させています。 しかし、表面に描かれているイワンの描写を読むにつけ、彼がなぜそんなことをする必要があるのかが分かりません。 ドストエフスキーの作品において登場人物たちは、恐るべき雄弁さで自分の哲学と思想を語りますが、最も人間的なナマの心情が現れる恋模様においては、作者は意図的ではないかと思えるくらいにことの成り行きをはしょります。 人間とは複雑怪奇な生き物だから、そんな心の内部のことまで描く必要はないーと、言う人もいるでしょうが、それはおかしいです。人間一人や二人の内面のことですらさじを投げる作家が、神とこの世の摂理を語ったところで、その言葉になんの意味があるのでしょう。 この作品に何か違和感を感じる読者というのは、こういう思想と感情のアンバランスさに敏感な人ではないでしょうか。ドストエフスキー最大の作品には、彼の作家としての長所と短所がものの見事に出ていると私は思います。 | ||||
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大きな話題となった亀山版“カラマーゾフの兄弟”を少し遅ればせながらに読んだのですが、やはりこれは意義のある仕事だったと思います。 私は今までこの作品を三回読んでいますが、なんといっても読んでみて一番“腑に落ちた”と感じられたのはこの亀山版だったと素直に思えます。 とにかく毎巻末によせられている丁寧な解説、そしてエピローグ別巻は、ほとんどがこの作品の解説本という破格の文庫本の登場には驚かされました。 この構成に異を唱える人も居ると思いますが、本来古典、それも外国の作品というのは、場合によってはこういったやり方でないと隠れた意味がよく伝わりにくい、ということはあると思います。 丁寧な解説を読んだ後で私なりの感想を言わせてもらえば、“カラマーゾフの兄弟”は、現在の形のままでは世界最高の文学作品とはちょっと言いがたい小説だと思います。 なにしろ、これはやがて書かれることになっていた壮大な第二の物語の序章に過ぎず、特にこの文庫版で四巻以降の話の中で、作者はその第二部のための伏線を張り始めているのですが、それらが何を意味しているのか、この第一部だけで理解することは不可能です。 亀山氏は、その第二部がいかなるものになるのか、大胆な予想も試みていて、それはそれで楽しかったです。 もし第二部が完成していたら、それは恐らく人類の描きえた最大級の物語になっていたのでしょうが、この“現代の聖書”を書くという壮大な特権を、神はやはり一人の人間の手にゆだねることはありませんでした。 なにはともあれ、そういうことまではっきりと読者に認識させるほどの力を持った訳業には違いなかったと思います。 | ||||
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原訳の上中下巻。 やれやれ。 感想はこれだけ。 ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番ハ短調をリピートしながら 京王八王子と新宿を何往復したか知れない。 京王線、ごめん。 | ||||
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カラマーゾフの兄弟という小説のクライマックスがこの巻。 クライマックスを描き出すための手法の手本のような本書は、読んでおいて損はないなと思います。 | ||||
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読み通して感じたのは、この小説は革命前夜のロシアにおけるナショナリズムを高らかに謳いあげるための小説だという印象である。 時代性と地域性をまるごと繁栄したために、19世紀から20世紀にかけて勃興した国民国家における普遍的な論点(市民権と王権のせめぎ合い、宗教的な倫理から実存的な倫理への転換、国民の繁栄と同一視される国家の繁栄、自由思想とその弊害)を描くための小説となっている。 著作そのものは、19世紀的、国民国家的全体小説であり、その最高傑作であると言える。 だが、この本が新訳としてベストセラーになってしまう現代日本社会は、危険をはらんだナショナリズムに何かを見出そうとしているのではないかと、勘ぐってしまう。 そういう読み方がしうる読書になってしまった。 文学とナショナリズムについて考えざるをえない小説。 一読はするに足りるし、何度も読み返すにも耐えうる小説だろう。 しかしながら、現代社会はナショナリズムを超えていかなければならないという個人的な主義主張から、この作品よりも良い小説に出会えることを期待したい。 | ||||
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カラマーゾフとの 初めてで長い旅も本巻で大団円を迎えることになるのだが、結論的に言うと、寧ろ途方に暮れた。 表面的には本書の第一のテーマである「フョードル殺しの犯人探し」という点に関しては、一応、真相らしきものは説明される。法廷での弁護士の論戦も含めて、犯罪小説としての本書は一応は完結していると言ってよい。 但し、これが本当に「完結」なのだろうか。むしろ、最終巻になった段階で新しい暗示や謎が次々と提出され、それが未完のまま放り出された思いがした。著者は本書の続編を完全に視野に入れて本書を書いたとされているが、他ならぬ著者の死亡で、続編はついに書かれずに終わったしまった。残されたのは宙ずりのままの登場人物と、僕ら読者である。 著者のドストエフスキーは無念の死だったに違いない。そうして、残された読者としての僕も無念だ。本書の続編を書かれず、従い、読まれないということは大きな損失になっている。そんな喪失感を強く覚えた。 | ||||
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本巻の著者は訳者の亀山郁夫である。 本巻に亀山が書き下ろしているドストエフスキーの生涯と、「カラマーゾフの兄弟」の解題は質量共に圧倒的だ。普通の「訳者のあとがき」を凌駕した内容となっている。 解題で描き出される圧倒的なディテールには正直溜息が出た。今回、初めてカラマーゾフを読んだ者として、話の展開にすっかり魅了され、かような細部を味わう余裕などどこにも無かった。とにかく頁をめくることばかりに追い立てられて物語を追ってきた僕がいかに細部に無頓着であったかを痛感されたのが解題であった。逆に言うと、これだけの巨大な小説にディテールを埋め込んで行ったドストエフスキーという方の天才ということなのだろう。 とりあえず、これでカラマーゾフは一回は読んだ。昔、どこかで「本好きには二種類ある。カラマーゾフを読んだことがある本好きと、読んだことがない本好きと」と聞いたことがあった。ながらく後者だったので、今回漸く本書を読んでほっとしている反面、一回で読み取れるような本でないことも分かった。既に再読をいつしようかと考え始めているところだ。 | ||||
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カラマーゾフの兄弟の第三巻は、錯乱と混乱をどう文章で表現するかの手本のようなものである。 意図的に書こうとしたって、こんなの書けないもの、ドストエフスキーって偉大。 | ||||
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大審問官とゾシマの半生はそれだけでかなり完成度の高い小説として読める。 スメルジャコフの嫌な奴っぷりもよくわかり、面白い。 | ||||
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初めて読んでいるカラマーゾフである。二巻までしか買っていなかったが、今回日本帰国の際に残りも買ってきた。海外の不便さは、読書に関しては非常なるハンディである。 三巻はアクションの巻である。二巻が大審問官とゾシマ長老の物語をじっくり聴かせたのに対し、一転して殺人事件を追いかける早い展開となっている。早さだけではなく、過剰さにも充ち溢れている事が特に印象に残った。主人公達の話振りも、僕にとってはちょっと理解に苦しむくらいに過剰であるし、乱痴気騒ぎとも言うべきパーティーの場面も過剰以外の何物でもない。ガルガンチュアという「過剰さ」の大先輩を輩出している欧州ならではの場面なのだろうかと幾度か感じ入った次第だ。 とにかく二巻との対比で、ある種の圧倒性がある。四巻が待ち遠しい一書となった。 | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです! | ||||
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初めて読んでいるカラマーゾフの二巻目を読了した。まだ続きは長いわけだが、とりあえず強烈に堪能した巻であったことも確かだ。 本巻では、やはり「大審問官」の部分に圧倒された。16世紀に蘇ったイエスキリストに対して、枢機卿である九十歳の大審問官が語り続ける場面は続けて二回読んだ程である。 大審問官が描き出す人間とは自らの自由に耐えかねた弱い羊の群れであると僕は読んだ。「耐えられない自由」を賦課しようとするイエスに対して、大審問官は自らは既に悪魔と契約の上、そういう人間から自由を奪ってやることが人間の幸せなのだと主張している。 こう書いた段階で、これが本当に正しい読み方なのかいまだに自信がない。それは僕自身がキリスト教の知識が不足しているので読解力に自信がないということもあるが、それ以上に、書いていて空恐ろしくなるからでもある。「天上のパン」か「地上のパン」かと問われたら、間違いなく後者を選ぶに違いない。そんな僕にとって、地上のパンを退けるイエスキリストという方は理解を超えている。その意味では再来したキリストを邪魔者扱いする大審問官への親近感の方が僕にあるような気がしてならない。 しかし噂通りの凄い本である。まだ続きがあること自体がうれしい。これは久しぶりの感覚だ。 | ||||
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有る時期から小説を読む機会が減った。それへの反省もあって、久しぶりに読む小説に本書を選んだ。今までドストエフスキーの本は5−6冊読んだが、彼の代表作である本書を読むことは初めてである。 第一巻を読み終えたばかりなので、全体の感想を述べることは出来ない。但し、第一巻だけでもいくつか考えさせられる言葉があった。特にゾシマ長老の以下セリフが心に残った。 「人類一般を好きになればなるほど、個々の人間を、ということはつまり一人一人を個々の人間として愛せなくなるからだ」 僕自身が信仰を持っていないせいか、そもそも「人類一般を好きになる」ことが比較的難しい気がしている。イエスキリストが全ての人間の原罪を背負って十字架に磔になったというキリスト教の発想がどうしても皮膚感覚で理解出来ない。 そんな僕が、長老のこのセリフに引っかかってしまうのは、「そこに真実がある」いう一種の直感が働いたからだと思っている。直感であるので、現段階では、それ以上の事が僕には分からない。今後二巻以降を読み続ける中で、それが見つかるかどうか。楽しみにしている次第だ。 | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟(上巻)オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟(中巻)オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟(下巻)オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです! | ||||
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