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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全681件 281~300 15/35ページ
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難解と言われれば、そうには違いない。 この難解さは、まるで、漱石の三部作のよう。 難解とされる主な理由は、漱石もドストも、時代をそのままストレートに書いているからのように思う。 折しも時代は、大量生産が始まり、人類が大量殺傷兵器をもった世界。 激動する時代の波に襲われ、前近代的な因習、民俗学的な縛りに苦しむ魂の圧迫感、そして、その時代の社会矛盾、自己確立の困難さなどは、どうしたって、その時代を生きた人にしか共感できない。 まず、そう割り切るのが、楽しみ方のコツだと思う。 漱石もドストも、その時代を生きた人間として、感じたまま、観たままをそのまま書いていることこそが脱帽なのです。 時代の本質をなんと鋭くみつめていることか・・・ その卓見こそ、まさに世界最高峰と言われる理由でしょう。 漱石もドストも、その時代を生きた一人の人として、人間、人間愛。 そして、魂の解放、救済・・ 近世以降の人が抱えるであろう、これらテーゼについて、痛ましいほど苦悩し、希望や安らぎを希求してくれている。 この魂の探求?と言おうか、それは凄まじく、私たちをグイグイと引き込んでいくのだと思う。 漱石、ドストの最大の魅力は、ストーリーの展開がご都合よくされていくことが、全く無いことです。 その上、ドストの小説は、古今東西、類をみない構成が行われています。 タテヨコ、天地、何層にも、民話や神話を織り込み、土台を組立てています! これこそが、ドストエフスキー世界唯一の素晴らしさ!! この世界に類のない小説の土台を舞台にして、登場人物それぞれが、激動する時代の中にあってもなお、自分の行動を規定し、自分を突き動かすものを、活き活きと語る。 登場人物の言葉の内にあるのは、ただ、その人それぞれの心の中、魂の中に生きているリアリティ。 その真実の響きに、引き込まれないはずはない。 漱石もドストも、時代の本質を鋭く描き出し、私たちの人間としてのコアな部分に入り込む。 彼らの書物に触れると、自己啓発書、宗教書や、哲学書に劣らず、自らの力で、 自己を確立しようとする自己が芽生えていることに気づくと思う。 そして、ほのかな安らぎと自信も感じている。 宇宙観や、世界観を形成する上での視点のみならず、審美眼を培い、勤労、愛などを尊ぶ心も培養してくれるように思う。 漱石もドストも、伝えている。 思想の探求は、ほどほどで、構わない。 大切なのは、思索よりも、実践(生活)そのものであって、 そのための愛や思いやり(キリスト社会的には、隣人愛)がいかに尊いものか。 その重要性を、苦悩者として、科学と資本が支配しそうな後進の現代人のために、 独自の視点で伝えてくれている。 特に学生時代に読んでおくとよい書物と思う。 是非、一読下さい。 | ||||
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難解と言われれば、そうには違いない。 この難解さは、まるで、漱石の三部作のよう。 難解とされる主な理由は、漱石もドストも、時代をそのままストレートに書いているからのように思う。 折しも時代は、大量生産が始まり、人類が大量殺傷兵器をもった世界。 激動する時代の波に襲われ、前近代的な因習、民俗学的な縛りに苦しむ魂の圧迫感、そして、その時代の社会矛盾、自己確立の困難さなどは、どうしたって、その時代を生きた人にしか共感できない。 まず、そう割り切るのが、楽しみ方のコツだと思う。 漱石もドストも、その時代を生きた人間として、感じたまま、観たままをそのまま書いていることこそが脱帽なのです。 時代の本質をなんと鋭くみつめていることか・・・ その卓見こそ、まさに世界最高峰と言われる理由でしょう。 漱石もドストも、その時代を生きた一人の人として、人間、人間愛。 そして、魂の解放、救済・・ 近世以降の人が抱えるであろう、これらテーゼについて、痛ましいほど苦悩し、希望や安らぎを希求してくれている。 この魂の探求?と言おうか、それは凄まじく、私たちをグイグイと引き込んでいくのだと思う。 漱石、ドストの最大の魅力は、ストーリーの展開がご都合よくされていくことが、全く無いことです。 その上、ドストの小説は、古今東西、類をみない構成が行われています。 タテヨコ、天地、何層にも、民話や神話を織り込み、土台を組立てています! これこそが、ドストエフスキー世界唯一の素晴らしさ!! この世界に類のない小説の土台を舞台にして、登場人物それぞれが、激動する時代の中にあってもなお、自分の行動を規定し、自分を突き動かすものを、活き活きと語る。 登場人物の言葉の内にあるのは、ただ、その人それぞれの心の中、魂の中に生きているリアリティ。 その真実の響きに、引き込まれないはずはない。 漱石もドストも、時代の本質を鋭く描き出し、私たちの人間としてのコアな部分に入り込む。 彼らの書物に触れると、自己啓発書、宗教書や、哲学書に劣らず、自らの力で、 自己を確立しようとする自己が芽生えていることに気づくと思う。 そして、ほのかな安らぎと自信も感じている。 宇宙観や、世界観を形成する上での視点のみならず、審美眼を培い、勤労、愛などを尊ぶ心も培養してくれるように思う。 漱石もドストも、伝えている。 思想の探求は、ほどほどで、構わない。 大切なのは、思索よりも、実践(生活)そのものであって、 そのための愛や思いやり(キリスト社会的には、隣人愛)がいかに尊いものか。 その重要性を、苦悩者として、科学と資本が支配しそうな後進の現代人のために、 独自の視点で伝えてくれている。 特に学生時代に読んでおくとよい書物と思う。 是非、一読下さい。 | ||||
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カバー絵が写真と実物で違うことをきちんと明記してほしかったです。 | ||||
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本当はこの作品には、 第二部がある、といわれています。 だけれども、著者はその前に力尽きてしまい、 その第二部は世に出ることなく、終わってしまいます。 この作品はあまりにも壮大なものなので、 一度読んだだけでは表面的なものの理解に 終わってしまいますが、 それぞれのキャラクターが持つ「別の意味合い」というものに 目をつけて読んでいったり、 ある重大な台詞に注目していくと あの「親殺し」は…という事実に気づかされることとなります。 そして、解説の前には 彼の人となりについ手が出てきます。 ふと、感じることがあるでしょう。 彼のある「悪しき癖」とある持病は この作品のある人物に当てはまることを… 今度は別の版で、読んでみたいものです。 | ||||
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1巻を最後まで読み、まるでライトノベルを読んでいるような感覚に、これがあのロシアの文豪ドストエフスキーの最高傑作か?という疑問を感じ、新潮文庫で読み直した。普段本を読まない人にもわかりやすくというのはわかるが、訳者の解釈を勝手に付け加えるのは行きすぎ。その上、その解釈が正しいのか疑問がある。 巻毎の頁数がバラバラ(部ごとに区切る意味は?)で揃えて並べた時に不格好。その上、最終巻はほとんどが訳者の解説。訳者がこの小説の解釈について高説を振るための本。 | ||||
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ラノベ感覚で読む小説じゃありません。簡単じゃなきゃ読めないってなら漫画版もありますよ。 | ||||
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もう1巻あるので、まだラストではありません。 やはり、この本は敷居がとてつもなく高いのか 結構挫折する人も出てきているみたいです。 面白いのは3巻とこの4巻ですから すごくやめてしまうのはもったいないです。 確かに、1・2は退屈かも… 3兄弟のそれぞれの視点と、 事件の鍵を握るであろう「ある人物」の告白が でてきます。 もちろんメインは親殺しの罪をかけられた ミーチャでしょう。 その裁判は、いい意味でも、悪い意味でも 人間の心理をよく描写しているのではないでしょうか。 そして、最後に出てくる 衝撃の展開… これは間違っている事実というのは世の中には ごまんと存在するけれども それを否定するには、かなりの気力、労力を必要とするし なかなかそれを民衆に同意させる、 というのは難しいということ。 そして、兄弟愛も感じますね。 特に兄に対し、嫌悪の塊であったイワンが 満身創痍の体(精神的に)で 無実を証明しようとするところは。 最後には何が待っているのかしら。 | ||||
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ここからはミステリーが好きな人だと なお、楽しめる巻になっています。 ついに、あの周辺住民のつまはじき者であった フョードルが、何者かに殺されてしまいます。 しかも、運が悪いことに 前々から故人にたいする恨みの深かった 長男が、逮捕されることになります。 なぜならば、彼の家の召使に 危害を加えていたから。 しかも悲劇は続くのです。 彼は見栄っ張りなので、 ある事実をとてつもなく誇張して 伝えてしまったのが運のつき。 それゆえに自分の首を絞めてしまうのです。 どう見ても、男の 非が明らかですが、 こんな状況下に落ちた男を 誰が笑えましょうか。 運が悪ければ、誰しもが こんな事態に陥るかもしれないのです。 この作品はおそらく、 何かの象徴、として 人を捉えています。 ミーチャはおそらく、弱き人間の 代表なのかもしれませんね。 | ||||
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現代という時代は、マスコミや出版業界の商業主義一直線の姿勢や、似非翻訳者、似非研究家のエゴによる知名度や名誉欲しさに、偉大な作品が捏造され、その価値が貶められている。 亀山郁夫氏のやっていることは、偉大なドストエフスキーを飯の種にしているだけであって、ドストエフスキー文学の理解も解釈もまったく乏しい、むしろ冒涜している、作品の価値を貶めているとしか思えない点が多く存在する。 ネットで公開されているが、なぜこれほど多くのドストエフスキー識者から大々的な痛烈な批判を浴びているのかと言えば、単に誤訳問題だけにとどまらず、最低限必要な翻訳者としての日本語としての文章力、又一番重要なのが、亀山氏の突拍子もない愚劣な作品への解釈であると思う。 亀山氏の翻訳した作品には、氏の自説を押しつけるような長々とした解題がよく書かれているが、このような作品の価値を著しく損なうようなとんでもない解釈、作品への理解にまったく乏しいと思わざるを得ない翻訳者が、良識なドストエフスキー識者達(ドストエフスキー文学の理解を深めるために、無私、無益で活動されているような方々)を納得させうるような翻訳ができるとは到底思われない。 このレビューが参考になるか、ならないかは、私は問題にはしていない。又、誹謗中傷目的でこのレビューを書いているつもりもない。 現代で海外文学を読むにあたって、読者自身が本当に信頼できる翻訳者を選ばなければいけない時代に来ていると感じる。 良識のある読者は、マスコミや出版社の金儲けにいたずらに惑わされてはならない。このような商業主義に乗じた、知名度や名誉、権威欲しさの翻訳者による愚劣な駄本を読まされて、読者は虚偽の満足感をただただ押しつけられることになるだけだ。 亀山氏の翻訳したドストエフスキー作品はドストエフスキー作品ではない。 亀山氏一人のみが「世界の最先端」と称している自説を読者に押し売りするために、原典をねじ曲げた翻訳をした単なる読み物小説に等しい。 心底からドストエフスキー作品を愛し、作品の理解を深めたいと思っているのであれば、このような誤訳だらけの、とんでもない解釈を押しつける翻訳者の書いたものなど、目に触れることすら極力避けるべきだ。 私は亀山氏こそ、この言葉をよく理解し、固く心に留めておくべきだと声を大にして言いたい。 『よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。』 亀山郁夫氏の訳業を正当に批判しているサイトを下記にあげておく。 誤訳問題にとどまらず、亀山氏の所業がどれほど愚劣で酷いものか、是非とも眼を通してほしいと切に願う。 <ドストエーフスキイの会> <国際ドストエフスキー学会副会長 木下豊房氏のホームページ> <連絡船 木下和郎氏のホームページ> <こころなきみにも 萩原俊治氏のホームページ> <光文社古典新訳文庫についてのフォーラム> | ||||
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最初のほうは、登場人物相関図を書きつつ、刑事の特捜部さながらの 周到さで読んでいましたが、上巻の途中から、勢いが出てきました。 噂では聞いていたが、ここまでスゴイとは思いませんでした。 まず、翻訳された日本語が気持ちよく理解できる。 登場人物が濃い。最後の裁判のシーンなど、とても半日で行われたとは思えぬほどの重厚さ。 映画化が不可能といわれた理由がよくわかります。 一度読んだくらいでは自分には一割程度しかわかっていないのでは、とおもっているので、 解説本や聖書などで、予習し、また彼のほかの作品もしっかり読んでから、 2年後に、もう一度読んでみたい、、、 死ぬまでに半分くらい理解できたらいいな、、、そう思わせる本。 | ||||
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亀山訳「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時、何か違和感を覚えた。ややしばらく時を置いて最近、亀山訳「罪と罰」を読んだ。いずれも新訳と呼ばれているが、言われるほどの新しさも明快さもなく、これらの訳を積極的に選択すべき理由はないように思う。しかもずいぶんきつい色眼鏡を通して作品を読んでいる気分になる。その理由を「罪と罰3」の訳者あとがきを読んで理解した。彼のドストエフスキー観は私にはあまりに独自すぎるのかもしれない。しかも、彼はある講演会で「『カラマーゾフの兄弟』の時代は過ぎ、『罪と罰』の時代が来た」と宣言した、のだとか。・・・申し訳ないが意味がわからない。 | ||||
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・・・ではない。 本書は、カラマーゾフの兄弟ではない。 ドストエフスキーの名著を騙った悪書である。 訳者には、本書から有名な台詞を贈りましょう。 (読まれるべきは)『あなたじゃない!』 | ||||
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カラマーゾフの兄弟のブームに便乗して読みました。昔のロシアの情景が浮かんでくるように面白かったです。人々の価値観とか考え方とか現在とは全然違ってそれは当たり前の事なんですが、このような小説を読むとしみじみ感じます。 | ||||
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今に読み継がれる小説は時間という風化を乗り越えた名著です。何度も繰り返し読みたくなる小説です。 | ||||
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この作品が好きになれなかった人は、「罪と罰」から読むとドストエフスキーにはまりますよ。 | ||||
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三人の兄弟、本当にこれだけ性格がことなるのだろうか?イワンの哲学が面白い。 | ||||
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三年前に読んだ。アリョーシャの今後が書かれていないのが残念。壮大な準備のあと、子供達とカラマーゾフ万歳と叫ぶところで終わったと思う。ドミートリーもイワンも含めて、人間賛美の声だと思うが、アリョーシャはこれからどのように現世の人と付き合って行くのか? | ||||
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聖書を読んだことのある人であれば、多くの方が公では口にはできない疑問を感じたことがあるのではないでしょうか?ドストエフスキー自身も疑問を抱いているようです。 彼はその疑問をイワンを通じてアリョーシャに投げかけます。 そして小説を通じて読者を考えさせます。 聖書は事実なのか?神はいるのか?それでもなお信仰するのか?無神論に救いはあるのか?救済とは? そういった性格を持った小説だと思います。 テーマが聖書の根幹である神の存在そのものについてまで掘り下げられてます。ヨブ記や福音書だけでなく、聖書全体を読む必要があると思います。 私が数えたところ、新潮文庫全3巻のボリュームは解説を除いた本編のみで1472ページ(字が小さい古いタイプの本です)になりました。1ページあたりの文字数は19行×43=817字。全体では単純計算で817字×1472ページ=1202624文字(約120万文字)になります。 このサイズの小説になると暇な時間を読書に当てようという考えでは、最後まで読みきるのは難しくなってくるのではないでしょうか?社会人には厳しいですが、あらかじめ読書のためにまとまった時間を確保しておくことも必要かもしれませんね。 私は3連休と平日4日をフルに充て、計7日間で一気に読み終えました。私は決して読むのが早いタイプではなく、標準的なスピードだと思ってます。ただし、かなり無理をしてます。クタクタになりました。 仮に標準的な読書のスピードの方が1日中読書に専念した場合、5日間程あれば読みきれるのではないかと思います。 一つの目安にしていただければと思います。 | ||||
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村上春樹氏のファンならば読んどかないといけない作品なので、2か月かけて読みました。 思っていたよりは、読みやすかったけど、やっぱり、大変だった。 | ||||
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村上春樹氏のファンならば読んどかないといけない作品なので、2か月かけて読みました。 思っていたよりは、読みやすかったけど、やっぱり、大変だった。 | ||||
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