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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全681件 21~40 2/35ページ
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カバーがあまり良く無い | ||||
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カバーが悪い | ||||
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It's a great story and the translation would deserve appreciation. | ||||
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読み始めは、キリスト教に根ざした固い内容かと思いきや、中盤になりいきなり推理小説のような趣を見せ始めるという驚きの展開。 これぞ近代文学の最高峰? | ||||
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BBCのドラマでディッケンズの「荒涼館」を見終わって思い付いたのだが、この物語にスキムポールという資産家に寄生する人物が登場する。このスキムポールを参考としてドストエフスキーは後半に出て来る「悪魔」の人物造形を考えたのではないのか。カラマーゾフを読んだときキリスト再臨にも感銘を受けたが、この「悪魔」の造形描写にはホトホト参ってしまった。ちなみにドストエフスキーはディッケンズの愛読者だったそうだ。 | ||||
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中巻はサスペンスとミステリー これまたいきなり修道僧の独白、100ページにわたる。なぜ修道僧になったか、それを通り一遍の物語で無く、きっかけと心の変遷をドラマチックに表現する。 とにかく読み進めさせられる。ゾシマ長老の死に関し「信仰」という物についての考えが深めさせられる。ミーシャはいわばとてつもなく奔放な男なんだろう、故に傷つきまくっている精神の標本のような男。またグルーシェニカのなんと素直な女ごころ。登場する男性全てがグルーシェニカに魅了される。時代も国も、全く違うのに、こんなに激しく響く、この文学は素晴らしい。 | ||||
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凄まじいドストエフスキーとうとう最後の下巻へ。投獄されたミーチャが面会に来た3男アリョーシャへの独白が凄すぎ。生き抜くために信仰が必要、やっと手に入れた真の愛を手放したくないミーチャ、そうして兄弟への深い愛、グッとくるではないか。1500ページ完読。最後の裁判劇300ページはヘビイだったなあ。自由と幸福の追求の物語。 | ||||
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上巻後半のイワンの独白・演説、100ページほどにわたり盛り上がる。人間は完全なる「自由」にて幸せなのか、否、全てを自ずで決めなければならない苦悩に苦しんでいるではないか、それとも権威に隷属する方がはるかに幸せか、否、それゆえ人は他の権威と争いを続けているではないか。 登場人物全て墜落した一面と崇高な一面を合わせて持つ、そこがたまらなく面白い。ここらではるかに以前読んだことを思い出した、良いではないか、今楽しもう、中巻に進む。 | ||||
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3巻のレビューにも書いたけど、3巻のアリョーシャと子供達の交流の辺りまでは面白い。その後から一気につまらないというかどうでもいい話になってしまった。(あくまでも私にとっては)三幕構成に慣れてしまった頭には、この小説の構成も複雑というか、行き当たりばったり的で散漫に感じる。(しょっ中この話はまた後でしますとか言ってくるが、今説明しろよとイラッとくる)どこに着目して読んだらいいのかわからない。法廷劇になった途端、神の目の如く作者の視点がぐいぐい割り込んでくるのもウザい…。アリョーシャやイワンが法廷であんなに役に立たないモブキャラ扱いなら、2巻も使って彼らの豊かな精神性を描写する必要があったのか?(私にとってはそここそが面白かったのだけど)もしこの物語を現代作家が書き直したら間違いなくミーチャが主人公で、彼と父親との確執を軸に、2人の女性を巡る恋の鞘当てと、2人の弟達との関わり合いを書いた作品になり2巻ぐらいで収まると思う。まあでもそんなの圧倒的につまんないよね~~~。それはわかる。 2巻までには本当にハッとするような表現があって、それは古典を読んでいて「大昔の人も同じだったんだな」と気付くような普遍性なのだけど、法廷劇というのは時代性を結構強く反映したものになると思う。なのでこの時代のロシアの法廷に興味ある人にとっては面白いんじゃないでしょうか…。でも結局、この法廷で争われてるのが前述した「主人公ミーチャの物語」のダイジェストみたいな感じなので、ほんとどうでもいいなと思ってしまった…。 | ||||
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読書・哲学が好きな、40代のサラリーマンです。海外在住です。 カラマーゾフの兄弟は、およそ20年前、20代の中頃に読んで以来の再読となりました。 また、5年ほど前には、サンクトペテルブルクのドストエフスキー博物館等を訪れました。 今回再読し、改めて本書には、お金・男女・親子・犯罪・宗教等、人類の全てが詰まっていると感じました。 私なりの解釈では、本書は、聖書の解説書とも捉えることができると思います。 宗教の経典には、「〜をすべし」「〜をすべからず」という戒めが書かれていますが、それがなぜ必要なのかを、生涯で様々な経験をしたドストエフスキーが解説しているわけです。また、それをただ単に実践せよというのではなく、各人が「自由に」様々な経験することにより、身を持ってその重要性を理解すべきであると主張しているのだと思いますし、更に苦しみの末に罪の意識を自覚し、全てを赦し、愛するということの重要さを訴えかけているのだと思います。 そういった意味では、ドストエフスキーは全ての人の罪を背負う、キリストの様な存在であるとも言えるのではないかとも思います。そしてそれは、本人だけでなく、周囲の人々に希望を与えてくれる存在であると思います。 私は、自分が生きることによって、身近な人達、そして、それ以上に自然や動物に迷惑をかけているのだと、ここ何年かで感じる様になりました。それでも人として生きなくてはならないわけです。 それに対するドストエフスキーの答えが、まさに、罪の意識を持つということであると思います。(それにつけ込んで、資本主義が加速するだとか、教会が権力を持ってしまうという意見もあるかと思いますが、ドストエフスキーの訴えるものは、その様なちっぽけなものと比較できるものではないと思います) 本書の中で、「カラマーゾフだから」みたいなフレーズが何箇所かありますが、それは、「人間だから」とも置き換えることができると思います。また、「罪と罰」でラスコーリニコフが大地に接吻をし、謝罪しましたが、それがなぜ天に向かってではなかったのかが、よくわかりました。 私はキリスト教徒ではありませんが、人知を超えた偉大な存在を認め、相手の事情も汲み取り、赦すということを、今後の人生で少しずつでも実践していきたいです。また、自然や動物への感謝の気持ちと一体感を、更に強く持って生きていきたいです。 本書に出会えて、本当に良かったです。 | ||||
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本の中身のことではありませんが、また本がひどい状態で届きました。まとめて5巻必要で、在庫の揃っていたアマゾンを利用したのですが、ここ数年の袋にドサッと入れられただけの状態で、2冊が表紙カバーの折れ曲がりほか、小口に糊のあとがあり、頁の一部が開かない状態でした。しかも、袋の一部に破れがあり、中に砂かホコリが入っていて、本全体にザラつきがありました。本当に新品なのか、思わずカスタマーセンターに問い合わせしたほどです。 少なくとも、袋の中で本が動かないようにはできないのでしょうか? とりあえず中身が読めればいい人には良いのかもしれませんが、本好きにはオススメできません。 アマゾンは元々、本のネット販売から始まったのに、その本を大切に扱わないようではダメですね。楽しみにしていただけに、本当にがっかりです。 本来のレビュー欄の使い方ではないのは重々承知していますが、同じく本好きの方たちに同じ思いをしてほしくないので、書かせてもらいました。 | ||||
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この巻までめっちゃ楽しく順調に読んできたのに、第8編ミーチャから進まなくなった…こういう男大嫌いだから…。こんな男どうなろうとどうでもいいと思っちゃう。自力で稼ぐ手段は持たないくせに無駄遣いは派手、女に狂って他人に暴力ふるったり弱い者いじめしたり、迷惑かけまくって、1mmも共感できない。卑怯者の自覚があれば卑怯さが許される訳じゃなかろう。勝手にさっさと自滅すればいいのに。飛ばしたら話わかんなくなりそうだしマジで困ってる。でもこういう、思い込みが激しくてストーカーになるタイプの男の描写としては上手い。あの純真で愛らしいアリョーシャも、とんでもなく酷い目に遭わされて可哀相だし。この話ずっと続くの?誰がフョードルを殺したかなんてどうでもいいなぁ…。イワンとアリョーシャにずっと駄弁っててもらいたいわ。 | ||||
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高校生の時に読んだ『カラマーゾフの兄弟 』を再読したくなって購入。 実は、この前に、高評価の亀山郁夫訳の第1巻を読んだのだが、私の国力が足りないのか、ところどころ日本語に違和感を感じたので、昔から書店に並んでいる原卓也訳の本書に乗り換えた。 (名文とされる「大審問官」については、亀山訳は第2巻に入っているようで読んでいない。) 原卓也訳はもっと古色蒼然とした翻訳かと思って身構えたが、まったく古臭くなく、読みやすかった。好みの落ち着いた素直な文章。 変な言い方だが、作品そのものに集中できるというか。古典(的)作品が好きなら、こちらのほうが読みやすいかもしれない。 内容的に初めのうちこそちょっと読みにくいが、修道院での集会の場面あたりから面白くなって一気に読み進められる。 1巻目の本書から、劇的な出来事がたくさん起こって目が離せない。それにしても、「神かがり」の人も出てくるし、登場人物みんな喜怒哀楽が相当激しい。ロシア人て、みんな、こんな感じなのだろうか。 | ||||
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希望と絶望。愛と憎悪。この壮大な小説には、人が持つあらゆる感情が描かれているのではないかと思わされます。登場人物達はみな生々しいまでに人間であり、一言では言い表せることのできない魂の複雑と深遠さに圧倒されます。 たった一日に起こった出来事だけで数百ページを費やす描写の細かさに、なぜこの人物達はそんなに思い悩み、おしゃべりなのか。物語の進展の遅さと登場人物達のセリフのしつこさに始めはイライラするかもしれません。しかしこの本を読む大きな楽しさは、そうした人間の「複雑さ」を感じることにあります。飛ばし読みなどせず、焦らず、一つ一つの言葉を味わいながら読むとこの本の価値を最大限引き出せるのではないでしょうか。数日で読み切ろうとせず、数週間かけてじっくり読むのがよいでしょう。 | ||||
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イワンの話が面白い。確かに殺された人間に代わって、殺した人間を許す権利なんて誰が持ってるのか。神がそれを許すというなら神という存在は随分と傲慢ということになる。復讐してもしなくても大切な人が帰ってこないなら、復讐した方がすっきりするという名言もある。しかし許さなければ殺し合いは永遠に続く。イワンが一番キャラの中で共感できるので前半は面白い。後半はどうなるかわからないが。 | ||||
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面白かったです。 | ||||
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もう本当に好きな本です。みなさん仰るように冒頭が多少とっつきにくいですがその後はドラマティックで一気に読めます。イワンが好きでたまらない。 | ||||
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いいと思います。 | ||||
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いい本です。 | ||||
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ゆっくり読み進めた。→ 急に歩き出す。 急に叫び出したり、泣き出したり、本当に面白い。 行動が急だったり、ふいにだったり、落ち着いて何かをすることがほとんどない。実際に思い浮かべると本当に面白い。 | ||||
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