わたしたちが孤児だったころ
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わたしたちが孤児だったころの総合評価:
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全1件 1~1 1/1ページ
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ジョンハートのように淡々とストーリーが進んで行く。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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| カズオ・イシグロマラソンラスト。 これはなんというか、華やかな場面が多いのに後半はもう辛すぎた。 主人公のバンクスは、前半とても理知的で落ち着いた私立探偵の立ち居振る舞いだったのだが、後半の上海に渡ってからの場面は、全てが行き当たりばったりであり、その言動が自己中心的過ぎてみていられない。その自己中心的な様こそが、イギリスが中国に抱いていた見下した態度なのだろうなというのを思った。それは日本に対してもそうなのであった。 後半のバンクスはそれこそカズオ・イシグロの真骨頂、夢と現実、自分の認識と周囲がずれまくっているけど進んでいく不気味な感じがすごかった。幼馴染との再会(?)からはもう何が正しいのか、どういう読み方をしたらいいのかわからなくなる。 ネタバレになるので書けないのだが、ラストは哀しかった。なんとも言えない気持ちになった。 孤児って誰なんだろう。それはその時代に生きた人みんな、現代に生きる自分もそうなのかもしれない。 | ||||
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| 内容に関しては五つ星なのだが、翻訳の問題で星一つ減点した。翻訳だけで星をつけるなら星2つだ。翻訳者は、言語に携わりながらメタレベルで言語を捉えていないという点では到底プロとは言えない。翻訳者の名前は見ずに小説を読み進めていたのだが、フィリップという男性の登場人物のセリフにある「~んだものね」という文末表現を見て、この翻訳者は女性なんだろうと判断した。「~んだもん」なら男女両用だが「~んだもの」は女性の文末表現である。男性の登場人物のセリフ中に女性文法が使われるミスによって翻訳者の性別が知れてしまうなど、プロとしてあってはならない。他にも、「午後中」(「午前中」とはいうが「午後中」とは言わない)、「~た前」「~た間」(英語の過去形をそのまま日本語の「た」にしているがこの文型は過去のことでも「~る」になる。どちらもテンスではなく未完了)、「会合」と翻訳すべきを「会議」、「よ」「ね」などの終助詞のいい加減な使用(根拠のない使用)など、まさに語彙・文法レベルの誤用の宝庫となっている。他の評者も書いているが、カズオ・イシグロの翻訳は、土屋政雄氏、飛田茂雄氏など、優れた翻訳者が担当しているが、なぜこの著作だけは異なるのだろうか。カズオ。イシグロ氏に対しても読者に対しても失礼である。出版社はチェックをしないのだろうか?改訂版を出版すべきである。 | ||||
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| 早く届いて良かったし、本のストーリーも面白いのでおすすめします。 | ||||
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| 英国の私立探偵による、人生の回想と親探しの物語です。 この作品、おいそれと人には薦められません。ポイントはふたつあります。 ・「信頼できない語り手」というミステリの手法を知らないと、面食らってしまう 本作では、カズオ・イシグロの初期の代表作でも用いられたこの手法が全編を通して使われています。 つまり、主人公が語る内容はあくまで、ひとりの孤児が必死の思いで作り出したフィクションにすぎないということです。 この点を念頭に置いて(あるいは途中で気付いて)読まないと、なにか変なものを読まされているという気になってしまうでしょう。 ・カズオ・イシグロ作品の中では度を越して暗い 中盤くらいまでは楽しく読めたのですが、物語は次第に暗くなっていき、最後はもう絶望のどん底に突き落とされることを理解しながらも「まあここまで読んじゃったしな」と思いつつ読み終えました。 しみじみと人生を振り返り、辛いことも楽しいこともあったね、と穏やかな気持ちになる、そんな作品ではありませんでした。「信頼できない語り手」の手法を活用した、これでもかというほど残酷な物語です。読者は、人生という物語の、劇的な崩壊の場面に立ち会うのです。それでも最後はある程度品よく着地するので、いちおうカズオ・イシグロ作品としての体を成してはいるな、という印象を持つのですが、人によってはショックを受ける内容かも知れません。心が弱っているときには読まないほうがいいでしょう。 内容が衝撃的すぎるという意味で星をひとつ減らしました。作品の質としては星5ですが、Amazonレビューの星には、おすすめ度合いという意味もあるので。 | ||||
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| 美術でアートとデザインの区別が不明になって久しい。言葉のアートもデザインと区別ができない。コナン・ドイルと『ウォーリーを探せ』を合体させ、漆喰細工か竹細工のような風合いで上海を描く。すべてが(戦争も)そのだまし絵の壁画に埋め込まれ、幾つもの惹句としてのセリフが、長編のあちこちにストーリーと無関係にはめ込まれる。主人公がクリストファー、日本人少年がアキラとあるが、キヨシではなかったか。本書で祝典の舞台とされるジェスフィールド公園には「犬と中国人立ち入り禁止」の立て札があったと武田泰淳が書いている。たぶん英語で。それにしても、原文の装飾性を日本語にするのは容易ではない。 | ||||
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