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さらば愛しき女よ
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【この小説が収録されている参考書籍】
さらば愛しき女よの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全84件 1~20 1/5ページ
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村上春樹さんの翻訳を読みたかったので購入しました。 大学時代に別の翻訳を読んだのですが、内容を忘れていたので、2倍楽しめました。 | ||||
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チャンドラーの代表作であり、本作を読まずしてハードボイルド小説は語れないほどの傑作。前作の「大いなる眠り」に比べストーリーが整理されており読みやすく、最後には意外な真相が用意されていて、ミステリとしての出来ばえもすばらしい。 街並みの描写や登場人物のセリフなど、キメ細かな描写によって1940年代の米国の雰囲気が生々しく伝わってくるし、悪役を含め登場キャラ全てが個性的で生き生きと表現されている。特にある登場人物(犯人)が最後にとる行動が、とてもビジュアル的で鮮鋭に描かれており、強烈に印象に残る。 本作はハードボイルド・ミステリの金字塔であり、欠点といえば、とにかくマーロウがカッコよすぎることぐらいだろう。 | ||||
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ロンググッドバイに続いて、チャンドラーの2作目として読みました。 最初に驚いたのは、マシンガンのように放たれる比喩を含む描写の数々。 ロンググッドバイでは、ここまで多くなかったと思い、読み返してみたらやっぱりそうでした。 両作の間には十年以上も開きがあるので、チャンドラー自身がまだ若かったということなのでしょうか。 例えば、ある場所から別の場所に舞台が移り変わるたびに、2、3ページに渡って情景描写が差し込まれます。 人物の外見描写も普通よりかなり長く、比喩が多いですね。 これが、チャンドラー人気の理由なんでしょうね。 ミステリーとしても、とても面白く、楽しめました。 | ||||
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海外の小説、ゲームに限らず、銃で制圧されて捕虜になってどこかに監禁されてというシーンが頻出する 洋ゲーだと大体一回は必ず入ってるくらい人気のプロットだ たぶん巌窟王とか鉄仮面のころからの伝統なのかもしれない ここでもとっつかまって麻薬ばんばんうたれてとある。ある意味、はいはい、なろうなろうみたいな定番なのかも。1940年にこんなの書かれた日には、そりゃ戦争負けるわとしか。 暴れる君の意外な純情、時代劇や新宿鮫とかで定番のネタ、ここから来たのかもしれない 今じゃありえない人種差別ばりばり君 マーロウこんなにぼこぼこにされて普通の人なら脳内出血そのほかもろもろで死んでると思う | ||||
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言わずもがな「さらば愛しき女よ」(清水版)が事実上スタンダードになっている日本。原題の『Farewell, My Lovely』のLovelyはたしかに美人を指して言う事もあるからなのだろうけれど、本文をよく読むと、主人公フィリップ・マーロウが共感し憎めない愛すべきと述べているのはむしろムース・マロイやレッドに対してであるわけで。 確かに一見してムース・マロイの粗暴だけれど一途な愛を向けて去る、あるいはすでに変貌し思い出の中にしかいなかったという視点から見れば「さらば愛しき女よ」となるのかもしれないけれど、いささかハードボイルドな小説にあってロマンティックなタイトルにすぎるようにも思えてならない。かといってどちらとも取れるし、それは読者の選択に委ねられている。 「ロング・グッドバイ」でも見られるようにそうした一見曖昧なタイトルはレイモンド・チャンドラーならではの「タイトルに多重の意味を含ませる」という手法であり小説世界作り方のひとつなのかな、と。 | ||||
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村上春樹の小説を読んで、描写がチャンドラーに似ていると感じ、この本を読みました。映画のロバート・ミッチャムは老いていてイマイチでしたが、小説は人物・風景描写等が秀逸です。50年前に読んだ時に比べ、社会経験・想像力が増したせいか夢中になりました。これから村上春樹版を全巻読もう決めました。 | ||||
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本書は、レイモンド・チャンドラーの二作目の長編で、1940年の作品である。著者の二大傑作と言われているうちの一冊だ。 もう一冊は1953年の作品『長いお別れ』で、両作品共、最近になって村上春樹の新訳版が出版されたりもしている。 主人公は、言わずと知れたフィリップ・マーロウだ。著者の長編作では決まって彼が主人公である。タフで肝の据わった、口の減らない私立探偵だ。 本書では、二作目だけあってマーロウも若く、行動的で次々と事態が進展し続けるし、なかなかのモテっぷりも発揮している。 そして、よく殴られる。 この辺りの暴力性が、その後の犯罪小説では強調されることが多くなった。それらの多くは、ハードボイルド小説と言うよりも、暴力小説と読んだ方が相応しいと私は思う。 今回、本書を何十年振りかに読んでみたのだが、出だし以外をすっかり忘れていて、やや驚いた。 だが、そのお陰で改めて新鮮に名作を愉しむことが出来た。 | ||||
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究極の個人事業主、独立自営業、反組織、脱組織、一匹狼。べつに波風を立てようとしているのではないが、まっとうに生きているだけで世間のほうがかってに波風を浴びせてくる。おかしな世の中に流されずにまっとうに生きたいと思っている普通の読者はそんなフィリップ・マーロウの行動に共感する。 | ||||
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古屋敷さんは最高だった 最初の購入が「長いお別れ」で早乙女太一で最悪。下手くそに高いお金を払うのは辛い。 「高い窓」も木村某は声優としては上手いのだろうが、ハードボイルドを知らずに演じていてお話にならない。 | ||||
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説明の通りで満足です。 | ||||
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マーロウはかっこいいですね、シェイクスピアの言い回しがかっこいいです(シェイクスピア読んだことないんですが)。 今回は伏線がたくさんあり、ミステリアスな内容です。気合入れて読まないと、伏線回収で付いていけなくなります(私です)。 | ||||
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ロンググッドバイくらいを期待すると、すこし物足りないかも。ストーリーの本質と関係のない伏線やパートが多く、散漫に感じる。キャラクターが、あんまりたってない。 | ||||
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フィリップ・マーロウかっこよすぎ! このシリーズは全部愛読書です! | ||||
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[ 摘要] 翻訳の際、英文の逐語訳が基本にあることに異論は少ないと思う(もちろん、英会話は別です)。このチャンドラーの作品では、清水訳では“逐語訳”に近く、村上訳では“意訳”の要素が強かった。 読者として、作品として魅力的に感じられたのは村上訳でした。ただ、翻訳、《村上>清水》と単純には判定できない。そのことは1970年代の翻訳である清水の名誉のためにも強調しておきたい。 考察でも述べたが、村上の翻訳の仕方が、この作品とカーヴァーの作品では明らかに異なる・・・・チャンドラーとカーヴァーの原文英語の構造が持つ違いに起因するのではなく、作品内容に依拠した翻訳テクニックの相違、のような感じがどうしてもぬぐえない。この私の仮説が、それなりに正しい内容を含んでいるとしたら、「翻訳って、いったい何でしょう?」という究極に問いに行きつく。 原著英文を他言語に置き換える際、どうするのが正解なのか、という永遠の課題を顕在化できる良い具体例だと思う。自画自賛? [目的] この作品「さよなら、愛しい人」(村上春樹訳では)は、全41章から成り、ムショ(刑務所)帰りのヘラ鹿マロイ(清水訳:大鹿)が8年後、お努め(刑期)を終え、かって愛した女ヴェルマを捜し出し、そして哀しい結末に終る・・・・とのお話とひとくくりに要約しても、それほど乱暴とは言えないでしょう(並列する、主人公、私立探偵のラブ・ストーリーあり)。 このレビューでは、第39章、大男マロイが、逢いたくて会いたくてならなかった、かっての恋人ヴェルマ―――現在は富豪ルーイン・ロックリッジ・グレイル夫人になっている―――と哀しみの出会いのシーンに焦点を合わせた。 ここでは、悲劇の場面を、長めの原文、そこに埋め込んだレビュアーの逐語訳、そして、いまや古典ともいえる清水の真摯な翻訳、加えて、約50年を経過しての、同じ早川書房から再出版されることになった村上訳を並記してみた。 「このような一部分の抽出翻訳で、清水と村上の訳の特徴、まして優劣なんか付けられるものではないでしょ?」 という、至極まっとうな意見が、何人かの心の中に、湧き出ると思います。わたしも、そのことについては、「まったくおっしゃる通りだと思います」と答えるしかありません。ただ、全体の英文と清水、村上訳を暇にまかせて比較した方なら、ほぼ100%同意していただけると思うのは、ここに抜粋して提示した比較例は、この小説全体にも当てはまる、ということです。 最近の論文では緒言の最後に簡単な結論のような事を書くことが多いようです。それに倣いまして; 物語としては、正直なところ村上>清水、という結論です。ただ、真摯な翻訳という天の声に耳を傾けると、単純に 《村上>清水》 とはならないと感じました。 こんなプライベートなレビューで、ほんの僅かの人の眼に触れるだけとはいえ、これだけは、清水さんの名誉のためにも主張すべきであると考えました。 [結果] 【原著英文、およびレビュアーによる逐語訳の併記】:( )内の日本語は、理解のため、私、レビュアーが付け加えた。 《原作:from Page 295, First line to Page 296, Line 2》 All she did was take her hand out of her bag, with a gun in it. All she did was point it at me and smile. All I did was nothing. そのとき彼女(参考:グレイル夫人:ヴェルマのこと)のしたことといえば、自分のバッグから銃を取り出すと、その銃を私に向け、そして微笑んだ。私には、何もなすすべはかった。 But that wasn’t all that was done. Moose Malloy stepped out of the dressing-room with a Colt.45 still looking like a toy in his big hairy paw. しかし、それがその時起こったことのすべてではなかった。ムース・マロイがドレッシング・ルーム(更衣室)から飛び込んできて、彼の毛むくじゃらの手にはまるでオモチャのようにみえる銃、コルト45が握られていた。 He didn’t look at me at all. He looked at Mrs Lewin Lockridge Grayle. He leaned forward and his mouth smile at her and spoke to her softly. 彼は私の方など一瞥(いちべつ)だにしなかった。 彼は、ただルーイン・ロックリッジ・ グレイル夫人を見ていた。彼は前のめりになり、口もとは彼女に微笑みかけ優しく話しかけた。そして、やさしく彼女に語りかけた。 ‘I thought I knew the voice, ’ he said. ‘I listen to that voice for eight years – all I could remember of it. I kind of liked your hair red, though. Hiya, babe. Long time no see.’ 「その声、たしかに憶えているぜ」と言った。「俺は8年の間、その声をきいていたんだぜ; 何せ、それが俺の思い出のすべたもんな。 お前のその赤い髪、俺は大好きだったったんぜ、ほんとに久しぶりだよな」。 She turned the gun. ‘Get away from me, you son of a bitch,’ she said. He stopped dead and dropped the gun to his side. He was still a couple of feet from her. His breath labored. (その時、)彼女は、銃をマロイに向けた。そしてこう言った「お前は、お脳(おつむ)が腐っているバカか? 私の前からとっとと消えなさいよ」。 彼は(思わず)立ちすくんで、銃を下ろした。まだ彼女の所まで2フィートは離れていた。彼は息をするのさえ奪い取られたかのようだった。 ‘I never thought,’ he said quietly. ‘It just came to me out of the blue. You turn me in to the cops. You. Little Velma.’ 「考えてもみなかったぜ」彼は静かに言った。「まったく、地獄に突き落とされたようだぜ。お前が、俺をサツに売ったのか?! あの可愛いかったヴェルマが!」 I threw a pillow, but it was too slow. She shot him five times in the stomach. The bullet made on more sound than fingers going into a glove. 私は(傍にあった)枕を、彼女に向かって投げつけたが、それはいかにも遅すぎた。彼女はマロイの胃のあたりに5発の銃弾をまとめて撃ち込んだ。手袋に指を入れる程度の音しかしなかった。 Then she turned the gun and shot at me but it was empty. She dived for Malloy’s gun on the floor. I didn’t miss with the second pillow. I was around the bed and knocked her away before she got the pillow off her face. I picked the Colt up and went away around the bed again with it. そして、彼女は銃を私に向け、そして撃った。ただ、銃倉は空だった。床に転がっていたマロイの銃に彼女は飛び付いた。私は彼女に向かって(、もうひとつの)枕を投げつけた。今度は失敗しなかった。私は、彼女が、投げつけられた枕を顔面から取り除く前に、(すばやく)ベッドを回り込み彼女に一発食らわした。そしてコルトを取り上げ、ベッドを廻って元のところに帰った。 He was still standing, but he was swaying . His mouth was slack and his hands were fumbling at her body. He went slack at the knees and fell sideways on the bed with his face down. He gasping breath filled the room. 彼は前後に揺れながらもまだ立っていた。口はだらしなく開き、両手は何かを掴もうとしているかのように動いていた。(そのあと、)膝からベッドの上に、横向きに頭から崩れ落ちた。マロイの苦しそうな呼吸が部屋に満ちていた。 【清水俊二 翻訳】 《ページ304、12行目から、ページ305、後ろから7行目まで》 彼女(ミセス・グレイル:ヴェルマのこと)はハンドバッグから手を出した。その手にはピストルが握られていた。彼女はピストルを私に向けて、微笑した。私はただ黙って立っていた。 しかし、そのとき起こったことはそれだけではなかった。大鹿が大きく毛むくじゃらの手に、玩具のように見える四五口径の拳銃(コルト)を握って、戸棚からとび出してきたのだ。 彼は私には眼もくれなかった。そして、ルーイン・ロックリッジ・グレイル夫人のほうに巨躯をかがめ、微笑を浮かべながら、優しく話かけた。 「お前の声をまだ覚えていたよ」と、彼はいった。「八年間、その声が聞きたかったんだ。それに、その赤い髪にも、たまらねえ想い出がある。ほんとうに久しぶりだったなあ」 彼女はピストルの向きを変えた。 「そばへ寄ると、承知しないよ」と、彼女はいった。 彼は思わず立ちすくんで、ピストルを持った手をだらりと垂らした。彼女とのあいだに、まだ二フィートの距離があった。マロイの呼吸(いき)づかいが荒くなった。 「そうだったのか」と、彼は静かにいった。「たったいま、わかったよ。お前が俺を警察にさしだしたんだな。ヴェルマ、お前が・・・・」 私は枕を投げた。しかし、間に合わなかった。彼女はマロイの腹部をめがけて、つづけざまに五発撃った。指を手袋にいれたほどの音しかしなかった。 それから、彼女はピストルを私に向けて撃った。しかし、もう弾丸(たま)はなかった。彼女はすぐ、床に落ちたマロイのピストルを拾おうとした。私はまた枕を投げた。こんどはしくじらなかった。私はベッドをまわって、顔に当たった枕を払いのけようとしている彼女をつきとばした。そして、拳銃を拾い、またベッドをめぐって、もとのところに戻った。 大鹿マロイはまだ立っていた。大きなからだが力なく揺れ動き、口をだらりとあけ、両手でからだをかきむしっていた。そのうちに、膝をふるわせ、ベッドの上に横ざまに倒れた。苦しそうな呼吸づかいが部屋じゅうにひびいた。 【村上春樹 翻訳】 《ページ354、9行目から、ページ355、後ろから10行目まで》 ミセス・グレイル(ヴェルマのこと)はバッグから手を出した。手には拳銃が握られていた。彼女はそれを私につきつけ、微笑むだけでよかった。一方、私にできることは何ひとつなかった。 しかしそこに新たな展開が加わった。ムース・マロイがコルト45口径を手に、化粧室から出てきたのだ。その拳銃は彼の毛深い大きな手の中では、相変わらず玩具のようにしか見えなかった。 マロイの目には私の姿はまったく映っていなかった。彼が見ているのはただ一人、ルーイン・ロックリッジ・グレイル夫人だった。彼は前屈みになり、女に向かって微笑かけ、そして優しい声で言った。 「声でわかったよ」と彼は言った。「俺は八年間、いっときも忘れなかった。俺としちゃ、以前の赤毛の髪もけっこう気に入っていたんだがな。 ようベイビー、久しぶりじゃないか」 彼女はそちらに銃を向けた。 「私に近づくんじゃない、このうすのろが」と彼女は言った。 彼は凍りついたように立ち止まり、拳銃を持った手をだらんと下におろした。二人のあいだは五十センチほどの距離しかなかった。彼は荒い息をしていた。 「今まで考えもしなかったが」と彼は静かな声で言った。 「今思い当たった。お前が俺をサツに売ったんだな。お前が、かわいいヴェルマが」 私はクッションを投げつけた。しかしそのときはもう遅すぎた。彼女はマロイの腹に弾丸を五発撃ち込んだ。指を手袋に入れるときほどの音しか聞こえなかった。 それから銃を私に向けて撃った。しかし弾丸は切れていた。彼女は床に落ちたマロイの拳銃に飛びついた。二つ目のクッションはうまく命中した。私はベッドを回り込んで、彼女が顔からクッションをはがす前につきとばした。そしてコルトを拾い上げ、それを手にもう一度ベッドを回り込んだ。 マロイはまだ立っていた。しかし身体は揺らいでいた。口はだらんと垂れて、両手は身体をまさぐっていた。ゆっくりと膝をつき、ベッドの上に横向きに倒れた。顔はうつ伏せになっていた。彼の喘ぎの音が部屋を満たしていた。 [考察] ここでの両者、清水と村上の訳、そしてレビュアーの逐語訳から見えてくることは、翻訳とはどこまで許されるのか、という素朴な疑問です。ここで提示した範囲での訳のみならず、この作品全体の訳についも言えるが、清水が、比較的に原文に忠実に(尊重して)訳しているのに比べて、村上は構文を思いきっていじっており、訳文も同様の傾向がみられる。清水の他の作家の翻訳は存知あげないが、村上は、彼の好きなカーヴァーの翻訳ではかなり原文に忠実なように感じられる。チャンドラーとカーヴァーの小説では、端的な例を当てはめると、内容的には、「直木賞 VS.芥川賞」のような違い、・・・・なのしょう?! 英文の原文では、チャンドラーとカーヴァーでは村上は訳し方を大きく変えています。上記の違いを英文から感じとれませんでした。わたしの、疑問は、英文原文の違いというより、作品を書いた作家の性向、内容によってのファクターがかなり大きいのでは、ということです。いうまでもなく、レビューアーの英語解釈の脆弱性は認めつつも、・・・・繰り返しになりますが、書かれている物語の内容に合わせて、日本語の表現方法を変えただけなのでは、という小さな疑義が、わたしの小さな胸に残りました。 ただ、いずれにせよチャンドラーの小説はすばらしく、どのような日本語に置き換えられたとしても、自力のある物語の展開は、翻訳でのかなりの変動を簡単に乗り越えてしまう、これが解っただけでも、清水と村上の訳の比較をした甲斐がありました。 [使用小説] 1:Raymond Chandler 「Farewell, my lovely」, ペーパーバック: 320ページ, 出版社: Penguin (2010/10/28), ISBN-10: 0241954355 2:清水俊二訳、レイモンド・チャンドラー:「さらば愛しき女よ」、文庫: 365ページ、出版社: 早川書房 (1976/4/1)、ISBN-10: 415070452X 3:村上春樹訳、レイモンド・チャンドラー:「さよなら、愛しい人」、単行本: 375ページ、出版社: 早川書房 (2009/4/15) 、ISBN-10: 4152090235 参考情報: 優しく乱暴な大男マロイの、心の中でのみ永遠に生きている女性ヴェルマのイメージにピッタリと合う、華麗でいて素々とした美しさをもつコーヒー・カップ、この小説の舞台に時代が近似している、1940年後期ー1950年代、スージー・クーパー女史デザインの『クレマチス:鉄線蓮』でコーヒーを飲みつつこの小説を読みました。わたしにとっての、至福の時間でした。 | ||||
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清水俊二訳で読んだ時にはタイトルは、マロイからヴェルマへの言葉と疑いもしませんでしたが…今回の村上春樹訳では、わざとタイトルの女を人としたのだと感じました…ヴェルマから老旦那への言葉とも取れる。 | ||||
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清水の訳がまずいのか、チャンドラーの文章力がまずいのか、その両方がまずいのか、私の頭がまずいのかわかりませんが、読みにくいです。内容以前に読みにくいです!レビュワーのみなさん、本当にこんな読みにくい本を読み切ったんですか?本当のことを言いなさーい(笑) | ||||
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ファラウェイ マイラブリー、 マロイの事なのか? べェルマの事なのか? 虫さんの事なのか? それともマーロウのセンチな心なのか?? 良い作品と思います❗ | ||||
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ハードボイルドのお手本のような作品です。 私立探偵のフィリップ・マーローが活躍する代表作です。 翻訳は、清水俊二さんです。 タフで、寡黙で、やくざで、頑固で、機知に富み、孤独なロマンチストというハードボイルド私立探偵の典型です。 ひとクセもふたクセもある煮ても焼いても食えない個性的な登場人物が次々に登場し、早いテンポで展開します。 人物描写が緻密・詳細で、イメージしやすいです。 最後まで、飽きずに一気に読ませます。 ただ日本語訳は、60年前です。いかにも古めかしい箇所があります。 数年前に村上春樹訳で出されているので、そちらも読みたいと思っています。 映画「さらば愛しき女よ」は、ハードボイルド映画の傑作と思っていますが、原作をかなりアレンジしています。 それでいて原作の雰囲気を壊すことなく、それ以上の出来に仕上げています。 脚本家の腕に舌を巻きます。 | ||||
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ミステリー好きで、今回セールだったので読んでみましたが、表現が冗長でスピード感が全くなく、やはり古典ってことなのか、と思いながら読みました。 | ||||
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ハードボイルド派の王者チャンドラーの長編第二作「さらば愛しき女よ」1976年清水俊二訳が実に33年振りに村上春樹氏による新訳「さよなら、愛しい人」として甦りました。昨年は「長いお別れ」が「ロング・グッドバイ」の題名で出されましたが、今回は同様に「フェアウェル・マイ・ラヴリー」とはならず、ガラリとイメージを変える為に相当に苦労されたのではないかと思います。しかし結果的に見ると、歴史的名作という鎧を脱いで気取りが無くなった分(賛否両論あるとは思いますが)、今風のとても親しみ易い題名になったと言えるでしょう。今回どうにか旧訳のHM文庫を探して訳文を比較して私が感じたのは、昔の方が淡々として簡潔に書かれているのに対して、今回の訳は濃厚に感情が込められているという点でした。それは微妙な違いで、例として本書の最後の一文を以下に並べますと、旧訳「しかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。」新訳「しかしさすがにヴェルマが向かったところまでは見えなかった。」で、やはりそれぞれに違う味わいの良さを感じました。さて、今回読んで際立つ印象は若い私立探偵マーロウの大人気ないと言って良い奇矯なユーモアと言動です。何処の病院にいたと訊かれて「ペット病院」と答えたり、自分の印象だけで男を勝手にヘミングウェイと呼んだり、ピンク色の小さな虫の行方を気にしたりといった具合で、良く考えればタフな彼が深刻にならず正気を保つ為の方法なのでしょう。小娘アンがマーロウを評して「勇敢で強情で幾ら散々な目に遭わされても前に前にと攻め立て最後には相手を根負けさせる」と惚れ込む賛辞が最高です。物語はへら鹿マロイの野卑だが純粋な情愛と凄絶な最期に圧倒され、ある意味男よりも怖い悪女の仕掛ける非情な人間ドラマが読み手の心に深く刻まれるでしょう。ハードボイルド文学屈指の名作が再び華々しい脚光を浴びた事を喜び心から祝福したいと思います。 | ||||
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