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さらば愛しき女よ
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【この小説が収録されている参考書籍】
さらば愛しき女よの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 41~60 3/5ページ
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| 30年以上も前、高校時代に読んだきり(当然、その時の本は清水訳の『さらば愛しき女よ』だが)で、村上春樹訳になったということで再読した。マロイの印象があまりにも強いのだが、実はあまり登場していなかったことに気づいた。著者は本当に印象の強い人物を創造するのがうまい。 ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)では、村上春樹訳を堪能したが、本書は意外に冗長だった。ロング・グッドバイの時のように、一気には読めなかった。あとがきもあっさりしていて、そこは少し残念なところである。 | ||||
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| 高校時代に清水訳で読み、大男のマロイの 裏切られても愛する女性を追い続ける哀しさ が印象に残っていました。 この村上さんの訳では、その味わいを 感じられませんでした。きちっと細部まで 訳しているぞ、、というような翻訳者の 気取りまで感じてしまった、、は言い過ぎかな。 正直 馴染めなかったです。 ただ原作がそうさせているのかもしれません。 いつものチャンドラーの筋立てのうまさはある ものの、細部に拘りすぎていて読みづらかった。 ソウルフルなマロイの服からしても 日本語に置きかえするのは難しいのでしょう。 いつにもまして、マーロウは饒舌。 しつこいぐらいに アイロニーたっぷりの 会話。そこまで「シェークスピア(警官)」 を「意識」しなくても良いのに、、。 私は『湖中の女』『高い窓』(田中小実昌訳)の 方が楽しめました。 | ||||
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| 旧訳を以前読んでいたので比較してみようかなと思って本棚を眺めたら、ない。なので、純粋に本書単品のみを読んだ感想。 読書は通勤電車の中でしているのだけど、周りの状況や目の具合(遠近両用メガネのピントが合わないときがある)によって、集中力がそがれる時がある。そんな事情はあるのだけど、本書を読みながら地の文がかったるく感じられる時がままあった。訳者があとがきで「細部をできるだけ正確に日本語に置き換えようとすると、場合によってはだんだん頭がこんがらがってきて・・・」と書いているが、読者(私)のほうも読み飛ばしもせず真面目に読むと少々頭がこんがらがるのだった。 訳者が訳者だけに思い切った意訳ありでチャンドラーの世界を読みたかったなとも思うけれど、英語が読めないので原文に沿った翻訳でチャンドラーの文体・表現の雰囲気を日本語で味合わせてもらえるのはありがたかった。 フォローというわけでもないが、会話部分はすごくよかったと思う。格好よかった。会話がイカしてる分だけ、描写がしつこく感じたのかもしれない。描写よりもその時の心理や情景がイメージできる会話シーンでした。 あーだこーだ書いたけれど、もちろん次に同じ訳者のチャンドラー訳が文庫本で出れば読みますよ。 余談ですが、本書の後に矢作俊彦の「あ!じゃぱん」を読むとおもしろいのではないかと思います。 | ||||
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| 最初から最後まで大方一定のリズムで読んだ。 焦ることも慌てることもなく優雅なリズムだった。 情景がありありと想起され、まるで海外の作品とは思えない。 さながら上質なウィスキーのような芳香と風格が本作には心地よく漂っていた。 | ||||
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| 村上春樹訳のマーロウものである。村上春樹ファンが読みはじめると、富豪の妻やら、悪徳医師やらの人物描写、山道や賭博船の風景描写などの翻訳文を、既存の村上作品の文章と比較したり、あるいは、村上作品になにか影響があっただろうかなどと想像する楽しみがあると思う。一方、ミステリファンは、既存の清水訳を読んでいる人が多いと思う。場合によっては、村上訳で読んでみるか悩んでいる人がいるかもしれない。原作はハードボイルドの古典としての評価が定まっている作品で、本格探偵小説ファンであっても、この作品は読んでいるといったレベルの傑作である。村上ファンは素直に楽しめる作品であることは、間違いない。村上春樹がこの作品の翻訳作業を楽しんだように。ミステリファンで一度読んだことがある人もぜひ、この訳で再読することをおすすめする。それほど感じが違う。フィッツジェラルドの訳文を読んだ感じと似ているかもしれない。映画的というよりも文学的なのだろうか。筋書きは現代ではそれほど驚くことはないので、その分キャラクターの印象が強く残ることだろう。 ひとつ読む前に注意することを教えてさしあげると、動物図鑑で「へら鹿」を調べておくとよい。できれば動物園でみておくことをおすすめする。現代の日本人には想像できないところなので。 | ||||
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| 訳は悪くないと思います。私にとって問題は内容なのですが、なぜこの作品がここまで支持されるのかがわかりません。 一つ一つの出来事がそのまままとまりのない短編のような印象を受けますし、最後のまとめ方は悪くないと思いますが、どうしても全体がばらばらな印象は拭えないと思います。 確かに、「文章家」と形容されるように、チャンドラーの文章はとても読みやすいと思います。しかし、探偵物ミステリーとしては、いかがなものでしょうか。 登場人物も、当然ながら、現代ライトノベルのような陳腐にアニメ化されていない点で、好感がもてるのですが、では、作品中、マーロウの個性が強烈に輝いているかというとそういうわけでもありません。 彼の事件に介入する動機もよくわかりませんし、腕利きの探偵というわけでもなく、ただ、事件に巻き込まれながら、シニカルな皮肉をいう人物以上の印象をもつのは難しいと思います。 | ||||
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| 村上新訳か、清水訳かについては、他のレヴュワーが詳しく書いているので、特には書かないが、完全訳を成し遂げた村上氏には賛辞を惜しみたくない。村上氏はこの良質なミステリの筋よりも、本人が書いているように、むしろチャンドラーの"tangible"な文体に惚れたのだ。 「それが私という人間だ」の一行にゾクッとさせられる。これは男の美学が描かれたミステリ、と言ったらフィリップ・マーロウ、かっこよすぎるだろうか。 オリジナルがリリースされたのが1940年ということだが、全然古さを感じさせない。2011年の今読んでも引き込まれる面白さはさすが!である。 | ||||
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| チャンドラーは比喩の使い方がとても上手く,本作においても比喩を多用することで 人物や風景の描写,匂いや音が生々しく感じることができます。 今回は文体を,特に比喩の使い方を意識して再読し,気に入ったいくつかの比喩を上げてみたい と思います。 「自由の女神像を初めて見たヨーロッパからの移民みたいに」うっとりとした表情 「エンジェルケーキに乗ったタランチュラみたいに人目をひく」服装 「ベッドに行くのを拒否する強情な子どもたちのように,端っこにしがみついて咲いていた」野生の花 「古い城にある,九百年くらい昔に掘られた井戸」のように深い瞳 「サーカスの呼び込みのような愛らしい」声 「ワルツを踊っている二匹のネズミみたい」にふらふらする身体 などなど,数え切れないほどの比喩の数(比喩が使われていないページの方が少ないくらい)で,それが実に生き生きとしています。 清水版で物語りの面白さに酔った方も,本書を再読することで,絶妙な文体を味わうことができます。 | ||||
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| プロットはすでに非常に有名なものですし、翻訳は、読みやすくスッキリしております。 タイトルについて申し上げさせていただきますと、過去の清水氏の「さらば、愛しき人よ」は 一つの作品のタイトルとしてだけとらえれば他に比肩するモノがないほど美しく、すばらしいものです。 誰もが忘れられないタイトルで、私が頭に描いているハードボイルドのイメージそのものです。 しかし、「Farewell、Mylovely」と語るのが誰なのかを考えると、村上氏の訳の方が、俗な響きと甘さが同居しており、内容に沿っているのではないかとも思っています。 確かに、細かくみていくと、疑問を感じる部分もありますが、もはや社会的に定番となっているタイトルについて、このように考え直す機会ができたこと、書店に古典ハードボイルドが平積みされる機会を与えてくれたことを評価して星5つで行きたいと思います。 | ||||
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| 昔読んだけど、内容は全く覚えておらず。村上春樹新訳ということで、読み直した。男はあらゆる意味において強くなければならないという信念を持って、若い時は僕も生きていた。線の細い気の小さな優等生が、酒を飲みタフガイを演じて、前歯をへし折られたりもした。男らしさの病を手放し、ありのままの弱い自分を受け入れてノロノロ生き方を変えた今でも、フィリップ・マーロウのような男の魅力は僕を引きつける。「正直に生きたくても、正直に生きられない時代」。本の中のそんな台詞が印象に残った。狂おしく女を愛してしまった男の切なさと哀しさ。でも、マロイが不幸だったとは思いたくない。 | ||||
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| 味気ないのにも程があります 「さらば愛しき女よ」では何故いけないんですかね? | ||||
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| 赤毛的な古き良き世界と、染められた金髪の世界との葛藤の物語。 アメリカ男性の理想の女性像は昔、赤毛だったそうだ。それが金髪にとって代わられた。ハメットの書く悪女は赤毛。大衆ハードボイルドのスピレインは金髪。この本が書かれたのは、世代交代の時期だったのかも。 あるいは偽金髪だって、赤毛の田舎者であり続けたかったろう。でも都会で生きるには自分を偽らねばならなかった。彼女の歌う感傷的な失恋の唄は、赤毛的な世界に向けられてたのかもしれない。巨漢の元夫、父親代わりの現在の夫、そして本来の自分の属する世界に。 清水訳で読んだときは、DVを感傷で正当化する話としか思えなかった。俺もそれなりに歳くったのかな。 | ||||
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| 村上春樹が『ロング・グッドバイ』に続いて新訳に挑戦した、レイモンド・チャンドラーによる1940年発表の、私立探偵フィリップ・マーロウの物語。これも私は初読なので、清水俊二の翻訳による『さらば愛しき女よ』との比較ではなく、作品自体の感想になる。 8年間の服役を終え、消えた恋人を捜してLAの街をさまよう前科者ムース・マロイ。彼と出会ったことでマーロウは奇妙な事件の渦中に巻き込まれる。 『ロング・グッドバイ』の時もそうであったが、次に舞い込む依頼や出会う人々、遭遇する殺人事件、またマーロウが痛めつけられるわけは、一見本筋とは無関係に思われるのだが、読み進んでいくうちにそれぞれにつながりがあることが分かる。 本書では肝心のマロイが表に登場するのは巻頭と巻末だけにすぎないが、彼の存在感と、捜し求める恋人ヴェルマが、物語の最後まで影のようにつきまとうのだ。そして意表をつく真相。読者は一体いつの間にマーロウはそこに辿りついたのか煙に巻かれるようだ。物語の終末で、アン・リオーダンがマーロウに言う言葉はまさに的を射ている。 「どこまでも勇敢で、強情で、ほんの僅かな報酬のために身を粉にして働く。みんながよってたかってあなたの頭をぶちのめし、首を絞め、顎に一発食らわせ、身体を麻薬漬けにする。それでもあなたはボールを離すことなく前に前にと敵陣を攻め立て、最後には相手が根負けしてしまう」 ともすれば本書は、村上春樹が訳したということがクローズアップされがちだが、上述のマーロウの姿や意外な真相・男女の哀切な愛情に心を揺さぶられる、<チャンドラー・ハードボイルド>の古典的名作である。 | ||||
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| ミステリーとしての質はともかく、翻訳があまりよろしくありません。訳文にセンスが感じられず、翻訳家としては不器用な方の手になるもので、少々読みにくい。有効な省略を試みることなく、不必要に主語を連発しているのも気になるし、具体的には挙げませんが、不自然な日本語の用法が目に付きます。村上さんに期待します。 | ||||
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| ミステリーとしての質はともかく、翻訳があまりよろしくありません。訳文にセンスが感じられず、翻訳家としては不器用な方の手になるもので、少々読みにくい。有効な省略を試みることなく、不必要に主語を連発しているのも気になるし、具体的には挙げませんが、不自然な日本語の用法が目に付きます。村上さんに期待します。 | ||||
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| マーロウの人柄が全面に出ています。 何と言うか、決していい性格とは言いがたいのだけれども なぜかこういう人に女は惹かれるという… 特にこの本には 謎解き要素は含まれていません。 と言うかそれなりにミステリを読みなれている人だったら 序盤に出てくる謎の女性はある人だと 絶対にわかるはずです。 ご親切なことにある部分を文中強調していますし。 面白いのはやはり ひそやかな作戦を強いられるときや 終盤のある場面でしょう。 銃撃戦もまた、面白くありました。 | ||||
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| マーロウの人柄が全面に出ています。 何と言うか、決していい性格とは言いがたいのだけれども なぜかこういう人に女は惹かれるという… 特にこの本には 謎解き要素は含まれていません。 と言うかそれなりにミステリを読みなれている人だったら 序盤に出てくる謎の女性はある人だと 絶対にわかるはずです。 ご親切なことにある部分を文中強調していますし。 面白いのはやはり ひそやかな作戦を強いられるときや 終盤のある場面でしょう。 銃撃戦もまた、面白くありました。 | ||||
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| 村上春樹が「The Long Goodbye」に続いて「Farewell, My Lovely」を翻訳した。熱烈なチャンドラーファンの私も早速読んだ。日本人のほとんどのチャンドラーファンは英語に堪能な人を除けば、清水俊二の翻訳を通じてその作品に親しんでいると思う。私も例外ではない。つまりこの村上訳も清水訳と比較される運命にある。結論から言うと村上訳は清水訳に惜敗である。 まずタイトルの「Farewell, My Lovely」を「さらば愛しき女よ」とした清水訳は、ちょっとマヌケな村上訳のタイトルを見るに及んで、さりげないが凄いセンスであることが今になってよく分かった。そして「moose」という語はどの英和辞典でも「へらじか」としか訳語がついていない。米国ではデカくてタフな男に「moose」というあだ名をつけるのはフツーのことらしいのだが、わが国にはいない生き物なので、馴染みがない。だから「moose malloy」に「へらじかマロイ」と訳語を当てても、ただマヌケなだけだが、これをあへて「大鹿マロイ」とした清水訳はあっぱれとしか言いやうがない。これを拝借するわけにはいかない村上訳は、苦肉の策で「ムース・マロイ」となるのだが、これもなんだか力が入らない名前だ。 これら二つの訳語のセンスだけでも清水訳の勝ち。そして文体も、キビキビした正統派ハードボイルド調の清水訳に対して、村上訳はややユルイかな。プロの翻訳家とそうでないひとの差は、実は歴然たるものがある。さらに重箱のスミを突っつかせてもらうと、第35章305pで、ブルーネットに会うためにボートに乗り込む件で「麻でできた緩衝物に云々」という文章がある。この緩衝物を船舶用語では「防舷物」と呼称するはずであるが、こんな言葉も知らずして・・・と、やや絶句。因みに清水訳ではこの部分は省略されている(笑)。 とは言え、村上氏はあとがきで「チャンドラーのある人生と、ない人生では確実にいろんなものごとが変わってくるはずだ」と述べているがこれは的を得た指摘であろう。清水訳を読みつくしているチャンドラーファンは、この当代一流の人気作家がいかにチャンドラーを料理したのかを、味わってみる価値は本書には十分にあると思う。 | ||||
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| 『さらば愛しき人よ』を村上春樹が新たに訳したら、題名まで変わってしまった。 訳はともかく、題名は前の方がよかった思う。 マーロウより自分が年上になるとは思わなかったけど、この小説のマーロウはすごく若く感じる。アン・リオーダンに対する彼の態度もなんだか大人げない。でも、やっぱり名作。次は何かしら? | ||||
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| ボコボコにのされたあと主人公は「気分爽快とまではいかずとも、予想していたほどひどくもない。会社勤めをするのに比べたら数段ましな気分だ」とつぶやきます。そこには著者自身のにがい過去の思い出も含まれているのでしょう。今の日本人は、この小説に描かれるような世界よりもむしろ会社勤めをがまんする方を選んでいます。訳者である村上春樹の世界観はこの両者の間のどのあたりにあるのでしょう。 | ||||
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