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さらば愛しき女よ



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さらば愛しき女よの評価: 4.20/5点 レビュー 84件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.20pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全70件 1~20 1/4ページ
No.70:
(5pt)

村上春樹さんの翻訳を読みたかったので買いました。

村上春樹さんの翻訳を読みたかったので購入しました。
大学時代に別の翻訳を読んだのですが、内容を忘れていたので、2倍楽しめました。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.69:
(5pt)

チャンドラー代表作にして、ハードボイルド・ミステリの金字塔

チャンドラーの代表作であり、本作を読まずしてハードボイルド小説は語れないほどの傑作。前作の「大いなる眠り」に比べストーリーが整理されており読みやすく、最後には意外な真相が用意されていて、ミステリとしての出来ばえもすばらしい。
街並みの描写や登場人物のセリフなど、キメ細かな描写によって1940年代の米国の雰囲気が生々しく伝わってくるし、悪役を含め登場キャラ全てが個性的で生き生きと表現されている。特にある登場人物(犯人)が最後にとる行動が、とてもビジュアル的で鮮鋭に描かれており、強烈に印象に残る。
本作はハードボイルド・ミステリの金字塔であり、欠点といえば、とにかくマーロウがカッコよすぎることぐらいだろう。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.68:
(5pt)

ハードボイルドのステレオタイプを作った作品

ロンググッドバイに続いて、チャンドラーの2作目として読みました。
最初に驚いたのは、マシンガンのように放たれる比喩を含む描写の数々。
ロンググッドバイでは、ここまで多くなかったと思い、読み返してみたらやっぱりそうでした。
両作の間には十年以上も開きがあるので、チャンドラー自身がまだ若かったということなのでしょうか。
例えば、ある場所から別の場所に舞台が移り変わるたびに、2、3ページに渡って情景描写が差し込まれます。
人物の外見描写も普通よりかなり長く、比喩が多いですね。
これが、チャンドラー人気の理由なんでしょうね。
ミステリーとしても、とても面白く、楽しめました。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.67:
(4pt)

村上版翻訳タイトルの妙味

言わずもがな「さらば愛しき女よ」(清水版)が事実上スタンダードになっている日本。原題の『Farewell, My Lovely』のLovelyはたしかに美人を指して言う事もあるからなのだろうけれど、本文をよく読むと、主人公フィリップ・マーロウが共感し憎めない愛すべきと述べているのはむしろムース・マロイやレッドに対してであるわけで。
確かに一見してムース・マロイの粗暴だけれど一途な愛を向けて去る、あるいはすでに変貌し思い出の中にしかいなかったという視点から見れば「さらば愛しき女よ」となるのかもしれないけれど、いささかハードボイルドな小説にあってロマンティックなタイトルにすぎるようにも思えてならない。かといってどちらとも取れるし、それは読者の選択に委ねられている。
「ロング・グッドバイ」でも見られるようにそうした一見曖昧なタイトルはレイモンド・チャンドラーならではの「タイトルに多重の意味を含ませる」という手法であり小説世界作り方のひとつなのかな、と。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.66:
(5pt)

チャンドラーを読む愉しみを共有できました

村上春樹の小説を読んで、描写がチャンドラーに似ていると感じ、この本を読みました。映画のロバート・ミッチャムは老いていてイマイチでしたが、小説は人物・風景描写等が秀逸です。50年前に読んだ時に比べ、社会経験・想像力が増したせいか夢中になりました。これから村上春樹版を全巻読もう決めました。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.65:
(5pt)

Farewell, My Lovely

本書は、レイモンド・チャンドラーの二作目の長編で、1940年の作品である。著者の二大傑作と言われているうちの一冊だ。
もう一冊は1953年の作品『長いお別れ』で、両作品共、最近になって村上春樹の新訳版が出版されたりもしている。
主人公は、言わずと知れたフィリップ・マーロウだ。著者の長編作では決まって彼が主人公である。タフで肝の据わった、口の減らない私立探偵だ。
本書では、二作目だけあってマーロウも若く、行動的で次々と事態が進展し続けるし、なかなかのモテっぷりも発揮している。
そして、よく殴られる。
この辺りの暴力性が、その後の犯罪小説では強調されることが多くなった。それらの多くは、ハードボイルド小説と言うよりも、暴力小説と読んだ方が相応しいと私は思う。

今回、本書を何十年振りかに読んでみたのだが、出だし以外をすっかり忘れていて、やや驚いた。
だが、そのお陰で改めて新鮮に名作を愉しむことが出来た。
さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))Amazon書評・レビュー:さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))より
415070452X
No.64:
(4pt)

まっとうに生きたい

究極の個人事業主、独立自営業、反組織、脱組織、一匹狼。べつに波風を立てようとしているのではないが、まっとうに生きているだけで世間のほうがかってに波風を浴びせてくる。おかしな世の中に流されずにまっとうに生きたいと思っている普通の読者はそんなフィリップ・マーロウの行動に共感する。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.63:
(5pt)

オーディブルは声優次第

古屋敷さんは最高だった
最初の購入が「長いお別れ」で早乙女太一で最悪。下手くそに高いお金を払うのは辛い。
「高い窓」も木村某は声優としては上手いのだろうが、ハードボイルドを知らずに演じていてお話にならない。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.62:
(5pt)

説明の通りで満足です。

説明の通りで満足です。
さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))Amazon書評・レビュー:さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))より
415070452X
No.61:
(4pt)

今回はミステリアスな内容です

マーロウはかっこいいですね、シェイクスピアの言い回しがかっこいいです(シェイクスピア読んだことないんですが)。

今回は伏線がたくさんあり、ミステリアスな内容です。気合入れて読まないと、伏線回収で付いていけなくなります(私です)。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.60:
(5pt)

フィリップ・マーロウかっこいい!

フィリップ・マーロウかっこよすぎ!
このシリーズは全部愛読書です!
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.59:
(5pt)

41章からなるこの作品:第39章の最終部分、わたしが最も好きな、そして哀しみのストーリーの複数パラグラフを、原作英文とレビュアーの逐語訳に加えて、清水訳、村上訳を併記してみた

[ 摘要]
翻訳の際、英文の逐語訳が基本にあることに異論は少ないと思う(もちろん、英会話は別です)。このチャンドラーの作品では、清水訳では“逐語訳”に近く、村上訳では“意訳”の要素が強かった。 読者として、作品として魅力的に感じられたのは村上訳でした。ただ、翻訳、《村上>清水》と単純には判定できない。そのことは1970年代の翻訳である清水の名誉のためにも強調しておきたい。 考察でも述べたが、村上の翻訳の仕方が、この作品とカーヴァーの作品では明らかに異なる・・・・チャンドラーとカーヴァーの原文英語の構造が持つ違いに起因するのではなく、作品内容に依拠した翻訳テクニックの相違、のような感じがどうしてもぬぐえない。この私の仮説が、それなりに正しい内容を含んでいるとしたら、「翻訳って、いったい何でしょう?」という究極に問いに行きつく。

原著英文を他言語に置き換える際、どうするのが正解なのか、という永遠の課題を顕在化できる良い具体例だと思う。自画自賛?

[目的]
この作品「さよなら、愛しい人」(村上春樹訳では)は、全41章から成り、ムショ(刑務所)帰りのヘラ鹿マロイ(清水訳:大鹿)が8年後、お努め(刑期)を終え、かって愛した女ヴェルマを捜し出し、そして哀しい結末に終る・・・・とのお話とひとくくりに要約しても、それほど乱暴とは言えないでしょう(並列する、主人公、私立探偵のラブ・ストーリーあり)。
  このレビューでは、第39章、大男マロイが、逢いたくて会いたくてならなかった、かっての恋人ヴェルマ―――現在は富豪ルーイン・ロックリッジ・グレイル夫人になっている―――と哀しみの出会いのシーンに焦点を合わせた。
  ここでは、悲劇の場面を、長めの原文、そこに埋め込んだレビュアーの逐語訳、そして、いまや古典ともいえる清水の真摯な翻訳、加えて、約50年を経過しての、同じ早川書房から再出版されることになった村上訳を並記してみた。
  「このような一部分の抽出翻訳で、清水と村上の訳の特徴、まして優劣なんか付けられるものではないでしょ?」 という、至極まっとうな意見が、何人かの心の中に、湧き出ると思います。わたしも、そのことについては、「まったくおっしゃる通りだと思います」と答えるしかありません。ただ、全体の英文と清水、村上訳を暇にまかせて比較した方なら、ほぼ100%同意していただけると思うのは、ここに抜粋して提示した比較例は、この小説全体にも当てはまる、ということです。
  最近の論文では緒言の最後に簡単な結論のような事を書くことが多いようです。それに倣いまして; 物語としては、正直なところ村上>清水、という結論です。ただ、真摯な翻訳という天の声に耳を傾けると、単純に 《村上>清水》 とはならないと感じました。 こんなプライベートなレビューで、ほんの僅かの人の眼に触れるだけとはいえ、これだけは、清水さんの名誉のためにも主張すべきであると考えました。

[結果]
【原著英文、およびレビュアーによる逐語訳の併記】:( )内の日本語は、理解のため、私、レビュアーが付け加えた。
《原作:from Page 295, First line to Page 296, Line 2》

All she did was take her hand out of her bag, with a gun in it. All she did was point it at me and smile. All I did was nothing.
そのとき彼女(参考:グレイル夫人:ヴェルマのこと)のしたことといえば、自分のバッグから銃を取り出すと、その銃を私に向け、そして微笑んだ。私には、何もなすすべはかった。
But that wasn’t all that was done. Moose Malloy stepped out of the dressing-room with a Colt.45 still looking like a toy in his big hairy paw.
しかし、それがその時起こったことのすべてではなかった。ムース・マロイがドレッシング・ルーム(更衣室)から飛び込んできて、彼の毛むくじゃらの手にはまるでオモチャのようにみえる銃、コルト45が握られていた。
He didn’t look at me at all. He looked at Mrs Lewin Lockridge Grayle. He leaned forward and his mouth smile at her and spoke to her softly.
彼は私の方など一瞥(いちべつ)だにしなかった。 彼は、ただルーイン・ロックリッジ・ グレイル夫人を見ていた。彼は前のめりになり、口もとは彼女に微笑みかけ優しく話しかけた。そして、やさしく彼女に語りかけた。
‘I thought I knew the voice, ’ he said.  ‘I listen to that voice for eight years – all I could remember of it. I kind of liked your hair red, though. Hiya, babe. Long time no see.’
  「その声、たしかに憶えているぜ」と言った。「俺は8年の間、その声をきいていたんだぜ; 何せ、それが俺の思い出のすべたもんな。 お前のその赤い髪、俺は大好きだったったんぜ、ほんとに久しぶりだよな」。
She turned the gun.
‘Get away from me, you son of a bitch,’ she said.
He stopped dead and dropped the gun to his side. He was still a couple of feet from her. His breath labored.
  (その時、)彼女は、銃をマロイに向けた。そしてこう言った「お前は、お脳(おつむ)が腐っているバカか? 私の前からとっとと消えなさいよ」。 彼は(思わず)立ちすくんで、銃を下ろした。まだ彼女の所まで2フィートは離れていた。彼は息をするのさえ奪い取られたかのようだった。
‘I never thought,’ he said quietly. ‘It just came to me out of the blue. You turn me in to the cops. You. Little Velma.’
  「考えてもみなかったぜ」彼は静かに言った。「まったく、地獄に突き落とされたようだぜ。お前が、俺をサツに売ったのか?! あの可愛いかったヴェルマが!」
I threw a pillow, but it was too slow. She shot him five times in the stomach. The bullet made on more sound than fingers going into a glove.
  私は(傍にあった)枕を、彼女に向かって投げつけたが、それはいかにも遅すぎた。彼女はマロイの胃のあたりに5発の銃弾をまとめて撃ち込んだ。手袋に指を入れる程度の音しかしなかった。
Then she turned the gun and shot at me but it was empty. She dived for Malloy’s gun on the floor. I didn’t miss with the second pillow. I was around the bed and knocked her away before she got the pillow off her face. I picked the Colt up and went away around the bed again with it.
  そして、彼女は銃を私に向け、そして撃った。ただ、銃倉は空だった。床に転がっていたマロイの銃に彼女は飛び付いた。私は彼女に向かって(、もうひとつの)枕を投げつけた。今度は失敗しなかった。私は、彼女が、投げつけられた枕を顔面から取り除く前に、(すばやく)ベッドを回り込み彼女に一発食らわした。そしてコルトを取り上げ、ベッドを廻って元のところに帰った。
He was still standing, but he was swaying . His mouth was slack and his hands were fumbling at her body. He went slack at the knees and fell sideways on the bed with his face down. He gasping breath filled the room.
  彼は前後に揺れながらもまだ立っていた。口はだらしなく開き、両手は何かを掴もうとしているかのように動いていた。(そのあと、)膝からベッドの上に、横向きに頭から崩れ落ちた。マロイの苦しそうな呼吸が部屋に満ちていた。

【清水俊二 翻訳】
《ページ304、12行目から、ページ305、後ろから7行目まで》

彼女(ミセス・グレイル:ヴェルマのこと)はハンドバッグから手を出した。その手にはピストルが握られていた。彼女はピストルを私に向けて、微笑した。私はただ黙って立っていた。
  しかし、そのとき起こったことはそれだけではなかった。大鹿が大きく毛むくじゃらの手に、玩具のように見える四五口径の拳銃(コルト)を握って、戸棚からとび出してきたのだ。
  彼は私には眼もくれなかった。そして、ルーイン・ロックリッジ・グレイル夫人のほうに巨躯をかがめ、微笑を浮かべながら、優しく話かけた。
  「お前の声をまだ覚えていたよ」と、彼はいった。「八年間、その声が聞きたかったんだ。それに、その赤い髪にも、たまらねえ想い出がある。ほんとうに久しぶりだったなあ」
  彼女はピストルの向きを変えた。
  「そばへ寄ると、承知しないよ」と、彼女はいった。
  彼は思わず立ちすくんで、ピストルを持った手をだらりと垂らした。彼女とのあいだに、まだ二フィートの距離があった。マロイの呼吸(いき)づかいが荒くなった。
  「そうだったのか」と、彼は静かにいった。「たったいま、わかったよ。お前が俺を警察にさしだしたんだな。ヴェルマ、お前が・・・・」
  私は枕を投げた。しかし、間に合わなかった。彼女はマロイの腹部をめがけて、つづけざまに五発撃った。指を手袋にいれたほどの音しかしなかった。
  それから、彼女はピストルを私に向けて撃った。しかし、もう弾丸(たま)はなかった。彼女はすぐ、床に落ちたマロイのピストルを拾おうとした。私はまた枕を投げた。こんどはしくじらなかった。私はベッドをまわって、顔に当たった枕を払いのけようとしている彼女をつきとばした。そして、拳銃を拾い、またベッドをめぐって、もとのところに戻った。
  大鹿マロイはまだ立っていた。大きなからだが力なく揺れ動き、口をだらりとあけ、両手でからだをかきむしっていた。そのうちに、膝をふるわせ、ベッドの上に横ざまに倒れた。苦しそうな呼吸づかいが部屋じゅうにひびいた。

【村上春樹 翻訳】
《ページ354、9行目から、ページ355、後ろから10行目まで》

 ミセス・グレイル(ヴェルマのこと)はバッグから手を出した。手には拳銃が握られていた。彼女はそれを私につきつけ、微笑むだけでよかった。一方、私にできることは何ひとつなかった。
  しかしそこに新たな展開が加わった。ムース・マロイがコルト45口径を手に、化粧室から出てきたのだ。その拳銃は彼の毛深い大きな手の中では、相変わらず玩具のようにしか見えなかった。
マロイの目には私の姿はまったく映っていなかった。彼が見ているのはただ一人、ルーイン・ロックリッジ・グレイル夫人だった。彼は前屈みになり、女に向かって微笑かけ、そして優しい声で言った。
  「声でわかったよ」と彼は言った。「俺は八年間、いっときも忘れなかった。俺としちゃ、以前の赤毛の髪もけっこう気に入っていたんだがな。 ようベイビー、久しぶりじゃないか」
  彼女はそちらに銃を向けた。
  「私に近づくんじゃない、このうすのろが」と彼女は言った。
  彼は凍りついたように立ち止まり、拳銃を持った手をだらんと下におろした。二人のあいだは五十センチほどの距離しかなかった。彼は荒い息をしていた。
  「今まで考えもしなかったが」と彼は静かな声で言った。
「今思い当たった。お前が俺をサツに売ったんだな。お前が、かわいいヴェルマが」
  私はクッションを投げつけた。しかしそのときはもう遅すぎた。彼女はマロイの腹に弾丸を五発撃ち込んだ。指を手袋に入れるときほどの音しか聞こえなかった。
  それから銃を私に向けて撃った。しかし弾丸は切れていた。彼女は床に落ちたマロイの拳銃に飛びついた。二つ目のクッションはうまく命中した。私はベッドを回り込んで、彼女が顔からクッションをはがす前につきとばした。そしてコルトを拾い上げ、それを手にもう一度ベッドを回り込んだ。
  マロイはまだ立っていた。しかし身体は揺らいでいた。口はだらんと垂れて、両手は身体をまさぐっていた。ゆっくりと膝をつき、ベッドの上に横向きに倒れた。顔はうつ伏せになっていた。彼の喘ぎの音が部屋を満たしていた。 

[考察]
ここでの両者、清水と村上の訳、そしてレビュアーの逐語訳から見えてくることは、翻訳とはどこまで許されるのか、という素朴な疑問です。ここで提示した範囲での訳のみならず、この作品全体の訳についも言えるが、清水が、比較的に原文に忠実に(尊重して)訳しているのに比べて、村上は構文を思いきっていじっており、訳文も同様の傾向がみられる。清水の他の作家の翻訳は存知あげないが、村上は、彼の好きなカーヴァーの翻訳ではかなり原文に忠実なように感じられる。チャンドラーとカーヴァーの小説では、端的な例を当てはめると、内容的には、「直木賞 VS.芥川賞」のような違い、・・・・なのしょう?!
  英文の原文では、チャンドラーとカーヴァーでは村上は訳し方を大きく変えています。上記の違いを英文から感じとれませんでした。わたしの、疑問は、英文原文の違いというより、作品を書いた作家の性向、内容によってのファクターがかなり大きいのでは、ということです。いうまでもなく、レビューアーの英語解釈の脆弱性は認めつつも、・・・・繰り返しになりますが、書かれている物語の内容に合わせて、日本語の表現方法を変えただけなのでは、という小さな疑義が、わたしの小さな胸に残りました。
  ただ、いずれにせよチャンドラーの小説はすばらしく、どのような日本語に置き換えられたとしても、自力のある物語の展開は、翻訳でのかなりの変動を簡単に乗り越えてしまう、これが解っただけでも、清水と村上の訳の比較をした甲斐がありました。

[使用小説]
1:Raymond Chandler 「Farewell, my lovely」, ペーパーバック: 320ページ, 出版社: Penguin (2010/10/28), ISBN-10: 0241954355
2:清水俊二訳、レイモンド・チャンドラー:「さらば愛しき女よ」、文庫: 365ページ、出版社: 早川書房 (1976/4/1)、ISBN-10: 415070452X
3:村上春樹訳、レイモンド・チャンドラー:「さよなら、愛しい人」、単行本: 375ページ、出版社: 早川書房 (2009/4/15) 、ISBN-10: 4152090235

参考情報:
優しく乱暴な大男マロイの、心の中でのみ永遠に生きている女性ヴェルマのイメージにピッタリと合う、華麗でいて素々とした美しさをもつコーヒー・カップ、この小説の舞台に時代が近似している、1940年後期ー1950年代、スージー・クーパー女史デザインの『クレマチス:鉄線蓮』でコーヒーを飲みつつこの小説を読みました。わたしにとっての、至福の時間でした。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.58:
(5pt)

愛しい人

清水俊二訳で読んだ時にはタイトルは、マロイからヴェルマへの言葉と疑いもしませんでしたが…今回の村上春樹訳では、わざとタイトルの女を人としたのだと感じました…ヴェルマから老旦那への言葉とも取れる。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.57:
(4pt)

人間性

ファラウェイ マイラブリー、

マロイの事なのか?

べェルマの事なのか?

虫さんの事なのか?

それともマーロウのセンチな心なのか??

良い作品と思います❗
さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))Amazon書評・レビュー:さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))より
415070452X
No.56:
(5pt)

ハードボイルとのお手本

ハードボイルドのお手本のような作品です。
私立探偵のフィリップ・マーローが活躍する代表作です。
翻訳は、清水俊二さんです。

タフで、寡黙で、やくざで、頑固で、機知に富み、孤独なロマンチストというハードボイルド私立探偵の典型です。

ひとクセもふたクセもある煮ても焼いても食えない個性的な登場人物が次々に登場し、早いテンポで展開します。
人物描写が緻密・詳細で、イメージしやすいです。
最後まで、飽きずに一気に読ませます。

ただ日本語訳は、60年前です。いかにも古めかしい箇所があります。
数年前に村上春樹訳で出されているので、そちらも読みたいと思っています。

映画「さらば愛しき女よ」は、ハードボイルド映画の傑作と思っていますが、原作をかなりアレンジしています。
それでいて原作の雰囲気を壊すことなく、それ以上の出来に仕上げています。

脚本家の腕に舌を巻きます。
さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))Amazon書評・レビュー:さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))より
415070452X
No.55:
(5pt)

ハードボイルド文学屈指の名作が再び華々しい脚光を浴びた事を喜び心から祝福します。

ハードボイルド派の王者チャンドラーの長編第二作「さらば愛しき女よ」1976年清水俊二訳が実に33年振りに村上春樹氏による新訳「さよなら、愛しい人」として甦りました。昨年は「長いお別れ」が「ロング・グッドバイ」の題名で出されましたが、今回は同様に「フェアウェル・マイ・ラヴリー」とはならず、ガラリとイメージを変える為に相当に苦労されたのではないかと思います。しかし結果的に見ると、歴史的名作という鎧を脱いで気取りが無くなった分(賛否両論あるとは思いますが)、今風のとても親しみ易い題名になったと言えるでしょう。今回どうにか旧訳のHM文庫を探して訳文を比較して私が感じたのは、昔の方が淡々として簡潔に書かれているのに対して、今回の訳は濃厚に感情が込められているという点でした。それは微妙な違いで、例として本書の最後の一文を以下に並べますと、旧訳「しかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。」新訳「しかしさすがにヴェルマが向かったところまでは見えなかった。」で、やはりそれぞれに違う味わいの良さを感じました。さて、今回読んで際立つ印象は若い私立探偵マーロウの大人気ないと言って良い奇矯なユーモアと言動です。何処の病院にいたと訊かれて「ペット病院」と答えたり、自分の印象だけで男を勝手にヘミングウェイと呼んだり、ピンク色の小さな虫の行方を気にしたりといった具合で、良く考えればタフな彼が深刻にならず正気を保つ為の方法なのでしょう。小娘アンがマーロウを評して「勇敢で強情で幾ら散々な目に遭わされても前に前にと攻め立て最後には相手を根負けさせる」と惚れ込む賛辞が最高です。物語はへら鹿マロイの野卑だが純粋な情愛と凄絶な最期に圧倒され、ある意味男よりも怖い悪女の仕掛ける非情な人間ドラマが読み手の心に深く刻まれるでしょう。ハードボイルド文学屈指の名作が再び華々しい脚光を浴びた事を喜び心から祝福したいと思います。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.54:
(4pt)

今回はすんなりとはいかない。

マーロウは結構やられます。が、最後にはしっかり面目躍如。さすがです。
さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))Amazon書評・レビュー:さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))より
415070452X
No.53:
(4pt)

愚かな男のロマンに乾杯

村上春樹新訳のチャンドラーは4冊目だが、この作品は確実に読んだことがあるので再読だ。とりあえず登場人物の名前で思い出したんだけど、細部はまるで覚えていなかったのもいつも通り。タイトルも「さらば、愛しき人よ」と言う名訳だったはずだが、新訳である事を示すためこんな平凡なものになっちゃったんだろう。これは村上春樹に同情。
 物語の最重要人物「ヘラ鹿マロイ」も「大鹿マロイ」だったはずで、日本人はヘラ鹿なんて知りませんから。巨大なシカで、車と衝突しても平気。その事故で年間何百人も死者を出すらしく、転じて巨漢のニックネームによく使われると言うが・・・調べなきゃわからんのはどうだろう? それはともあれ、巨体でその気はないのに人を殺してしまうほどの怪力の持ち主マロイが刑務所から帰って来て、愛する女性を探し求めて暴れる所に居合わせたフィリップ・マーロウ、と言う出だし。マロイは力余って人を殺してしまうのだが、どこかへ隠れて捕まらない。結局ストーリーの終盤まで登場しないが、愛する女性に対する純情を貫きながら壮絶な最期を迎える彼が、ほとんど出番がないのに凄い存在感。年下男を手玉に取る絶世の美女として描かれるその悪女も魅力的だけど、チャンドラーの描く女性は類型的でさほど印象には残らない。反対に男は端役に至るまでことごとく個性的で、例えば色男だけどアッサリ殺されるジゴロとか、悪臭を放つボディーガードのインディアンとか、どの男もとても印象に残る。
 さて肝心のマーロウだが、「長いお別れ」の渋い中年男の印象が強かったので本書の彼は意外なほどに若くて無鉄砲。実際5回くらい殺されててもおかしくないハードボイルドさで、ブラックジャックで殴られて昏倒し、気が付いたら怪しい病院に監禁されて麻薬漬けにされ、最後は明らかにヤバイとわかってる賭博船に一人で乗り込んでいくと言う・・・
 今作のマドンナ役の若い女性宅に命からがら逃げ込み、まだ体調が万全でないからしばらく泊まっていけとお誘いまで受けながら、フラフラの状態で出て行き彼女の機嫌を損ねてしまうマーロウ。めちゃくちゃ格好良いんだけど完璧なバカだな(笑)
 文章に凝りまくるチャンドラーを忠実に訳した村上訳で読むのに2日掛かってしまったけど、マーロウを初めタフで純情で愚かな男達のストーリーを堪能した。一応ミステリーっぽいトリックもあるんだけど、チャンドラーの得意技なので又か、と言う感じ。まあ、そんなのどうでもいい。いくら騙されても愛する女に対する純情を貫き通して惨殺された大鹿マロイの愚かな男のロマンに乾杯。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
4150704627
No.52:
(4pt)

〈私立探偵フィリップ・マーロウ〉シリーズ第2作を新訳で

アメリカを代表するハードボイルド小説作家レイモンド・チャンドラー(1888 - 1959)の〈私立探偵フィリップ・マーロウ〉シリーズ第2作
“Farewell, My Lovely”(1940)の邦訳。旧訳『さらば愛しき女よ』(清水俊二訳、1956)と同じ早川書房から、村上春樹氏により『さよなら、愛しい人』として出版された新訳です。

本作はシリーズのなかでプロットのひねりぐあいが控えめで、読みやすいほうの作品でしょう。くわえてシリーズ前期の作品ということで、主人公マーロウもまだ若く、後年にくらべてシニカルになりすぎず、さほど厭世観にひたってはいません。
のろのろとしてか進めず、なにを探しているのかもわからず、たとえ転げ落ちても、それでもどこかに向かおうとする小さな虫に感情移入するマーロウ。愛について悲観的な想いを抱きつつ、それでも愛にかすかな希望を持とうするマーロウ。本作を読むたびに、それらの描写に胸をうたれてしまいます。

(以下、訳について)

訳文の傾向でいえば、清水訳は意訳が多く、テンポ重視。清水氏が映画のなかで話される英語をかぎられた文字数の日本語に移し替える字幕の仕事を手がけていただけあって、清水訳では原文の単語や文章が削られている箇所が多い。ばあいによっては数行にわたる文章が一行くらいに要約されているところもあります。
反対に、村上訳は直訳調で、なるべく単語や文章を削ることなく忠実に日本語に置き換えようとされています。個人的には村上訳のほうがマーロウの皮肉屋っぷりや天邪鬼っぽさがよくでていると思います。ただし重要な描写で間違いがあるということはないものの、村上訳は訳に違和感を感じる箇所が散見されます。

たとえば、林のなかでマーロウが依頼人マリオ(村上訳では「マリオット」)の乗っている車を一度離れ、ふたたびそこに戻り、依頼人に話しかけたすぐあとのシーン。清水訳は1976年に再刊された版を参照しています。

“There was a vague movement behind but he didn’t answer. I went on trying to see something besides bushes.
 Whoever it was had a nice easy shot at the back of my head. Afterwards I thought I might have heard the swish of a sap. Maybe you always think that - afterwards.”(原文)

「私の背後で何かがかすかに動いたような気がしたが、マリオは返事をしなかった。私は叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った。
 誰が殴ったのかしらないが、私の頭をうしろから殴ったものがった。狙いがはずれるはずはなかった。後で考えてみると、私は背後で物音を聞いたような気がした。いつも、後になってから、そんなことを考えるものだ。」(清水訳、p.77)

「後部席で定かではない動きがあった。しかし返事はなかった。私は茂みのわきに何かがあるのを目にとめ、そちらに行って確かめようとした。
 そのとき誰かが、私の首の後ろに手際の良い一撃を食らわせた。どこかの誰かだ。ブラックジャックがさっと空気を切る音を耳にしたような気が、あとになってした。人はいつもあとになって思うものなのかもしれない。そういえばと。」(村上訳、p.98)

“behind” が清水訳では「私の背後で」、村上訳では「後部席で」と訳されています。村上氏は、マーロウが一度車を離れる前のシーンで依頼人が後部座席にいたため、「後部席で」と訳したのでしょう。
けれど、そうするとマーロウは「後部席で定かではない動き」を見てとったのに、その直後に茂みにもなにかを見てとり、前者ではなく後者に意識を切り替えたことになります。それでは、移動や連続性を示す “went on” という次の文章の語句とに齟齬がでてしまいます。ここは清水訳のように「私(マーロウ)の背後で何かがかすかに動いた」ので「(マーロウの背後にあった)叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った」とすべきです。

そのあとの段落の文章も村上訳のほうがうまいのですが、マーロウが誰かに殴られる箇所での “the back of my head” は「首の後ろ」ではなく、清水訳の「後頭部」と訳したほうが適切です。下記のように、次のシーンで「帽子があって助かった(The hat had helped)」という記述があるからです。たしかに “head” は「首」という意味もありますが、マーロウがかぶる帽子はハットです。ハットは首まで守ってくれません。

“I felt the back of may head. My hat was still on. I took it off, not without discomfort and felt the head underneath. Good old head, I’d had it a long time. It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender. But a pretty light sapping at that. The hat had helped. I could still use the head. I could use it another year anyway.”(原文)

「私は後頭部に手を触れようとした。私はまだ帽子をかぶっていた。私は帽子をとって頭に手を触れた。永らく使っている頭だ。少々ふらふらしていた。だが大したことはなかった。帽子で助かったのだ。まだ、使える頭なのだ。とにかく、あと一年ぐらいは使える頭なのだ。」(清水訳、p.79)

「私は首の後ろをそろそろとさすってみた。帽子はまだ頭の上に載っていた。帽子を取ったが、それは少なからぬ痛みを伴った。それからその下の頭を撫でた。昔なじみの頭だ。長い間それひとつでやっている。今ではいくらかソフトになり、いくらかぐずぐずになり、かなり大幅に脆くなっていた。しかし完膚なきまでに殴られたわけではない。帽子が衝撃を和らげてくれた。今しばらくこの頭でやっていくことはできそうだ。少なくともあと一年くらいは。」(村上訳、p.101)

上の文章で一番違うのは、“It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender” の訳。清水訳では(適訳なのかわかりませんが)「少々ふらふらしていた」とすっきりと訳されていますが、村上訳では逐語訳です。

チャンドラーの文章にはひねられすぎて意味のとりづらいものが多く、そうした文章は清水訳ではコンパクトに意訳される一方、村上訳ではひとつひとつ漏らさずに訳そうとされています。テンポのよさを求める方には清水訳、多少の違和感があっても全文訳を求める方には村上訳のほうがいいように思われます。
さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)Amazon書評・レビュー:さよなら、愛しい人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
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No.51:
(4pt)

一つひとつ疑問を解明

何気ない出来事から、1つ1つ疑問を解決する姿が、チャンドラーらしく明快で好気を感じます。
さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))Amazon書評・レビュー:さらば愛しき女よ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-2))より
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