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さらば愛しき女よ
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【この小説が収録されている参考書籍】
さらば愛しき女よの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 21~40 2/5ページ
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| ハードボイルドのお手本のような作品です。 私立探偵のフィリップ・マーローが活躍する代表作です。 翻訳は、清水俊二さんです。 タフで、寡黙で、やくざで、頑固で、機知に富み、孤独なロマンチストというハードボイルド私立探偵の典型です。 ひとクセもふたクセもある煮ても焼いても食えない個性的な登場人物が次々に登場し、早いテンポで展開します。 人物描写が緻密・詳細で、イメージしやすいです。 最後まで、飽きずに一気に読ませます。 ただ日本語訳は、60年前です。いかにも古めかしい箇所があります。 数年前に村上春樹訳で出されているので、そちらも読みたいと思っています。 映画「さらば愛しき女よ」は、ハードボイルド映画の傑作と思っていますが、原作をかなりアレンジしています。 それでいて原作の雰囲気を壊すことなく、それ以上の出来に仕上げています。 脚本家の腕に舌を巻きます。 | ||||
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| ミステリー好きで、今回セールだったので読んでみましたが、表現が冗長でスピード感が全くなく、やはり古典ってことなのか、と思いながら読みました。 | ||||
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| ハードボイルド派の王者チャンドラーの長編第二作「さらば愛しき女よ」1976年清水俊二訳が実に33年振りに村上春樹氏による新訳「さよなら、愛しい人」として甦りました。昨年は「長いお別れ」が「ロング・グッドバイ」の題名で出されましたが、今回は同様に「フェアウェル・マイ・ラヴリー」とはならず、ガラリとイメージを変える為に相当に苦労されたのではないかと思います。しかし結果的に見ると、歴史的名作という鎧を脱いで気取りが無くなった分(賛否両論あるとは思いますが)、今風のとても親しみ易い題名になったと言えるでしょう。今回どうにか旧訳のHM文庫を探して訳文を比較して私が感じたのは、昔の方が淡々として簡潔に書かれているのに対して、今回の訳は濃厚に感情が込められているという点でした。それは微妙な違いで、例として本書の最後の一文を以下に並べますと、旧訳「しかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。」新訳「しかしさすがにヴェルマが向かったところまでは見えなかった。」で、やはりそれぞれに違う味わいの良さを感じました。さて、今回読んで際立つ印象は若い私立探偵マーロウの大人気ないと言って良い奇矯なユーモアと言動です。何処の病院にいたと訊かれて「ペット病院」と答えたり、自分の印象だけで男を勝手にヘミングウェイと呼んだり、ピンク色の小さな虫の行方を気にしたりといった具合で、良く考えればタフな彼が深刻にならず正気を保つ為の方法なのでしょう。小娘アンがマーロウを評して「勇敢で強情で幾ら散々な目に遭わされても前に前にと攻め立て最後には相手を根負けさせる」と惚れ込む賛辞が最高です。物語はへら鹿マロイの野卑だが純粋な情愛と凄絶な最期に圧倒され、ある意味男よりも怖い悪女の仕掛ける非情な人間ドラマが読み手の心に深く刻まれるでしょう。ハードボイルド文学屈指の名作が再び華々しい脚光を浴びた事を喜び心から祝福したいと思います。 | ||||
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| マーロウは結構やられます。が、最後にはしっかり面目躍如。さすがです。 | ||||
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| 村上春樹新訳のチャンドラーは4冊目だが、この作品は確実に読んだことがあるので再読だ。とりあえず登場人物の名前で思い出したんだけど、細部はまるで覚えていなかったのもいつも通り。タイトルも「さらば、愛しき人よ」と言う名訳だったはずだが、新訳である事を示すためこんな平凡なものになっちゃったんだろう。これは村上春樹に同情。 物語の最重要人物「ヘラ鹿マロイ」も「大鹿マロイ」だったはずで、日本人はヘラ鹿なんて知りませんから。巨大なシカで、車と衝突しても平気。その事故で年間何百人も死者を出すらしく、転じて巨漢のニックネームによく使われると言うが・・・調べなきゃわからんのはどうだろう? それはともあれ、巨体でその気はないのに人を殺してしまうほどの怪力の持ち主マロイが刑務所から帰って来て、愛する女性を探し求めて暴れる所に居合わせたフィリップ・マーロウ、と言う出だし。マロイは力余って人を殺してしまうのだが、どこかへ隠れて捕まらない。結局ストーリーの終盤まで登場しないが、愛する女性に対する純情を貫きながら壮絶な最期を迎える彼が、ほとんど出番がないのに凄い存在感。年下男を手玉に取る絶世の美女として描かれるその悪女も魅力的だけど、チャンドラーの描く女性は類型的でさほど印象には残らない。反対に男は端役に至るまでことごとく個性的で、例えば色男だけどアッサリ殺されるジゴロとか、悪臭を放つボディーガードのインディアンとか、どの男もとても印象に残る。 さて肝心のマーロウだが、「長いお別れ」の渋い中年男の印象が強かったので本書の彼は意外なほどに若くて無鉄砲。実際5回くらい殺されててもおかしくないハードボイルドさで、ブラックジャックで殴られて昏倒し、気が付いたら怪しい病院に監禁されて麻薬漬けにされ、最後は明らかにヤバイとわかってる賭博船に一人で乗り込んでいくと言う・・・ 今作のマドンナ役の若い女性宅に命からがら逃げ込み、まだ体調が万全でないからしばらく泊まっていけとお誘いまで受けながら、フラフラの状態で出て行き彼女の機嫌を損ねてしまうマーロウ。めちゃくちゃ格好良いんだけど完璧なバカだな(笑) 文章に凝りまくるチャンドラーを忠実に訳した村上訳で読むのに2日掛かってしまったけど、マーロウを初めタフで純情で愚かな男達のストーリーを堪能した。一応ミステリーっぽいトリックもあるんだけど、チャンドラーの得意技なので又か、と言う感じ。まあ、そんなのどうでもいい。いくら騙されても愛する女に対する純情を貫き通して惨殺された大鹿マロイの愚かな男のロマンに乾杯。 | ||||
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| 書籍のコンディションが「非常に良い」とのことだったので、こちらで購入しましたが、 届いた本は「非常に良い」どころか、大目に見て「良い」、人によっては「可」と感じられてもしょうがない状態でした。 何しろ、本の上下左右、1~2cmに茶色くヤケています。 1ページに書き込みがあったため見落としていた、ということであれば理解出来ますが、全ページが茶色く変色しているので 明らかに確信犯であると思わざるを得ません。 アマゾンでかなり古本を購入していますが、こういった例はありません。 | ||||
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| アメリカを代表するハードボイルド小説作家レイモンド・チャンドラー(1888 - 1959)の〈私立探偵フィリップ・マーロウ〉シリーズ第2作 “Farewell, My Lovely”(1940)の邦訳。旧訳『さらば愛しき女よ』(清水俊二訳、1956)と同じ早川書房から、村上春樹氏により『さよなら、愛しい人』として出版された新訳です。 本作はシリーズのなかでプロットのひねりぐあいが控えめで、読みやすいほうの作品でしょう。くわえてシリーズ前期の作品ということで、主人公マーロウもまだ若く、後年にくらべてシニカルになりすぎず、さほど厭世観にひたってはいません。 のろのろとしてか進めず、なにを探しているのかもわからず、たとえ転げ落ちても、それでもどこかに向かおうとする小さな虫に感情移入するマーロウ。愛について悲観的な想いを抱きつつ、それでも愛にかすかな希望を持とうするマーロウ。本作を読むたびに、それらの描写に胸をうたれてしまいます。 (以下、訳について) 訳文の傾向でいえば、清水訳は意訳が多く、テンポ重視。清水氏が映画のなかで話される英語をかぎられた文字数の日本語に移し替える字幕の仕事を手がけていただけあって、清水訳では原文の単語や文章が削られている箇所が多い。ばあいによっては数行にわたる文章が一行くらいに要約されているところもあります。 反対に、村上訳は直訳調で、なるべく単語や文章を削ることなく忠実に日本語に置き換えようとされています。個人的には村上訳のほうがマーロウの皮肉屋っぷりや天邪鬼っぽさがよくでていると思います。ただし重要な描写で間違いがあるということはないものの、村上訳は訳に違和感を感じる箇所が散見されます。 たとえば、林のなかでマーロウが依頼人マリオ(村上訳では「マリオット」)の乗っている車を一度離れ、ふたたびそこに戻り、依頼人に話しかけたすぐあとのシーン。清水訳は1976年に再刊された版を参照しています。 “There was a vague movement behind but he didn’t answer. I went on trying to see something besides bushes. Whoever it was had a nice easy shot at the back of my head. Afterwards I thought I might have heard the swish of a sap. Maybe you always think that - afterwards.”(原文) 「私の背後で何かがかすかに動いたような気がしたが、マリオは返事をしなかった。私は叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った。 誰が殴ったのかしらないが、私の頭をうしろから殴ったものがった。狙いがはずれるはずはなかった。後で考えてみると、私は背後で物音を聞いたような気がした。いつも、後になってから、そんなことを考えるものだ。」(清水訳、p.77) 「後部席で定かではない動きがあった。しかし返事はなかった。私は茂みのわきに何かがあるのを目にとめ、そちらに行って確かめようとした。 そのとき誰かが、私の首の後ろに手際の良い一撃を食らわせた。どこかの誰かだ。ブラックジャックがさっと空気を切る音を耳にしたような気が、あとになってした。人はいつもあとになって思うものなのかもしれない。そういえばと。」(村上訳、p.98) “behind” が清水訳では「私の背後で」、村上訳では「後部席で」と訳されています。村上氏は、マーロウが一度車を離れる前のシーンで依頼人が後部座席にいたため、「後部席で」と訳したのでしょう。 けれど、そうするとマーロウは「後部席で定かではない動き」を見てとったのに、その直後に茂みにもなにかを見てとり、前者ではなく後者に意識を切り替えたことになります。それでは、移動や連続性を示す “went on” という次の文章の語句とに齟齬がでてしまいます。ここは清水訳のように「私(マーロウ)の背後で何かがかすかに動いた」ので「(マーロウの背後にあった)叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った」とすべきです。 そのあとの段落の文章も村上訳のほうがうまいのですが、マーロウが誰かに殴られる箇所での “the back of my head” は「首の後ろ」ではなく、清水訳の「後頭部」と訳したほうが適切です。下記のように、次のシーンで「帽子があって助かった(The hat had helped)」という記述があるからです。たしかに “head” は「首」という意味もありますが、マーロウがかぶる帽子はハットです。ハットは首まで守ってくれません。 “I felt the back of may head. My hat was still on. I took it off, not without discomfort and felt the head underneath. Good old head, I’d had it a long time. It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender. But a pretty light sapping at that. The hat had helped. I could still use the head. I could use it another year anyway.”(原文) 「私は後頭部に手を触れようとした。私はまだ帽子をかぶっていた。私は帽子をとって頭に手を触れた。永らく使っている頭だ。少々ふらふらしていた。だが大したことはなかった。帽子で助かったのだ。まだ、使える頭なのだ。とにかく、あと一年ぐらいは使える頭なのだ。」(清水訳、p.79) 「私は首の後ろをそろそろとさすってみた。帽子はまだ頭の上に載っていた。帽子を取ったが、それは少なからぬ痛みを伴った。それからその下の頭を撫でた。昔なじみの頭だ。長い間それひとつでやっている。今ではいくらかソフトになり、いくらかぐずぐずになり、かなり大幅に脆くなっていた。しかし完膚なきまでに殴られたわけではない。帽子が衝撃を和らげてくれた。今しばらくこの頭でやっていくことはできそうだ。少なくともあと一年くらいは。」(村上訳、p.101) 上の文章で一番違うのは、“It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender” の訳。清水訳では(適訳なのかわかりませんが)「少々ふらふらしていた」とすっきりと訳されていますが、村上訳では逐語訳です。 チャンドラーの文章にはひねられすぎて意味のとりづらいものが多く、そうした文章は清水訳ではコンパクトに意訳される一方、村上訳ではひとつひとつ漏らさずに訳そうとされています。テンポのよさを求める方には清水訳、多少の違和感があっても全文訳を求める方には村上訳のほうがいいように思われます。 | ||||
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| 何気ない出来事から、1つ1つ疑問を解決する姿が、チャンドラーらしく明快で好気を感じます。 | ||||
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| 言い回しは面白かったけれど、ストーリーはラスト以外は冗長で推進力に欠け、読んでいて退屈だった。 ハードカバー版のブックデザインはダサい。 | ||||
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| 随分前に清水訳でチャンドラーの本をほとんど読んだのですが、すっかり内容を忘れていました。 探偵小説というよりは、普通の小説っぽいなと当時から思っていました。 今回村上さんの新訳で新たに読み直してみて、あまりに面白くて電車の中で読んでいる時など降りる駅をすっ飛ばしそうになりました。 確かに、人物や風景の描写が凝っているので、テンポが遅く感じられるかもしれないけど 人物の描き方がとっても魅力的で生き生きとしているので、思わず引き込まれてしまいます。 村上さんの小説にも共通する特徴なのかもしれません。 Farewell my lovelyの原題についてですが、「さらば愛しき女よ」だと少しカッコよすぎるかも。 私にとっては、My lovelyという言葉は、俺の愛しい女というニュアンスです。とくにムース・マロイの言葉なのだとしたら。。 それにしても、、チャンドラーの小説は、善悪の彼岸を行く、、、といった感じで 善男善女ではない、欠点だらけの人間の愛しさ、魅力をたっぷり堪能できて、人生悪くないなと思わせてくれる稀な小説だと思います。 単なる犯人探しのミステリーではありません。 | ||||
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| レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を、過日何十年ぶりに再読し、『さらば愛しき女よ』を再読してみたくなり家中探したが見つからずアマゾンで古本を購入してしまった。 『長いお別れ』は、1953年(昭和28年)探偵フィリップ・マロウものの第6作である。 本書『さらば愛しき女よ』は、このシリーズ第2作目で1940年(昭和15年)の作品である。 やはり13年の時の流れは随所に読みとることができてなかなか面白い。 この『さらば愛しき女よ』では、マーロウが若くて女性にモテモテなのが『長いお別れ』では、中年になったマーロウをうまく描写しているから13年という時の流れを読者に与えてくれる。(評者は、読む順序を間違えたようである) この『さらば愛しき女よ』が、チャンドラーが私立探偵マーロウのを書いた2作目だからか、『長いお別れ』と比べると勢いはあるが、少し荒削りで繊細さに欠けるように思えた。 ロバート・ミッチャムがマーロウ役で映画化されたのが1975年であるが、本書に登場するマーロウが若いだけになんだかピンとこない映画だった記憶がある。 やはりチャンドラーのマーロウものでは、『長いお別れ』がベストではないかと思いながら本書を何十年ぶり再読したのだが、ベストではないかもしれないが楽しみながら読み終えることができた。 | ||||
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| レイモンド・チャンドラーが1940年に発表した第2作目の長編。 原作は、長く清水俊二訳の『さらば愛しき女よ』(1956年刊行)で親しまれてきたが、本作品は2009年に村上春樹が新訳で発表(単行本。2011年に文庫化)したものである。(邦題は清水訳が優れていると思うが) 本作品の魅力は、やはりフィリップ・マーロウのかっこよさであろう。月並みな表現ながら、これが一番ピッタリくるように思われる。 推理小説としては、巧妙なトリックに優れたアガサ・クリスティーやエラリー・クイーンの作品(刑事コロンボ物が典型か?)に譲るのかも知れないが、発表後70年を経ても新たな支持を失わないのは、マーロウのクールで、ウィットに富んでいて、少しシニカルな語りと、見かけによらないタフガイ振りに、魅せられる読者が多いからであろう。 あるホテルに聞き込みに行ったマーロウが、情報を得るために切り出す場面〜「好きな方を選んでくれ・・・聖書を一章読んであげてもいいし、酒をいっぱいおごってもいい。どっちがいいね?」 事件を解決した後、アン・リオーダン嬢がマーロウに語る場面〜「あなたって大したものよね・・・どこまでも勇敢で、強情で、ほんの僅かな報酬のために身を粉にして働く。みんながよってたかってあなたの頭をぶちのめし、首を絞め、顎に一発食らわせ、身体を麻薬漬けにする。それでもあなたはボールを離すことなく前に前にと敵陣を攻め立て、最後には相手が根負けしてしまう。どうしてそんなことができるのかしら」 なんというかっこよさ。。。 村上春樹は「あとがき」で、「チャンドラーの小説のある人生と、チャンドラーの小説のない人生とでは、確実にいろんなものごとが変わってくるはずだ。そう思いませんか?」と書いているが、言わずもがなであろう。 (2013年5月了) | ||||
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| ネタバレになるので内容は書きません。 ただ翻訳についての感想を書かせていただきます。 私は原文も読んでいますし、また清水訳も読んでいます。ただ大分前の話になるし、好きなチャンドラー作品ということもあり今回村上春樹訳ということで新しい小説を読む感じで幾分期待して購入しました。 読み始めて数ページ、なんか違和感を感じる。あれ?チャンドラー作品ってこんなに読みにくかったけ?変だな。すかさず清水訳を手にとり読み直してみた。その文章のスピーディーでリズミカルなこと。ウィスキーサワーをウィスキーと訳していたりしたのは残念ではあるがとにかく読みやすい。それから原文をみてみる。なんてことだ。村上春樹訳が読みにくい原因はなぜだかしらないが、ささいなところを省いてしまっているではないか、また選ぶ言葉が丁寧すぎる。清水訳では最初のシーンにきちんと原文にあるとおりマーロウと黒人バーテンダーは手を壁につかされるし、マーロウは黒人バーテンダーを突き飛ばす。jostledという言葉が原文で使われた言葉だ。村上訳にはマーロウは手をつかないし、バーテンダーを押し出してしまう。突き飛ばすと押し出すとは細かいようだが印象が大分変わってしまう。村上春樹訳にもいいところがもちろん沢山あるんだが、やはり原文とは性質が違っている。 そのことをわきまえ読んでいたほうがいい。他のレビューにあったように100%忠実とは私には思えなかった。 | ||||
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| 気にいったのは、 或る作家が、”チャンドラー小説を読んでいる人と、読んでいない人生では、いろんな事が変わってくるはず.”と言っているが、正にその通り。 探偵小説が好きで、色々な作家の作品を読んできたが、チャンドラーの小説は面白い!! 特にその文章表現は他者とは違う、そういう箇所に出会うとウワ~とタダタダ感心。 読む価値大いにありますよ。 大西塊山 | ||||
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| 状態が「良い」ということで購入しましたが実際は外見もボロボロ、中身もシミだらけ・・・ 一瞬で読む気が失せました。もう二度とこの作品には触れないでしょう。 駿河屋絶対に許さん。 | ||||
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| チャンドラーにハズレなし読み尽しに挑戦 これも一気に読んで後味迄たのしんだ。 | ||||
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| 新刊本同等の綺麗さであった。 知らせ通りの日に到着した。 梱包も問題ない。 しばしば行われている、古本表示の裏表紙への直接貼付がなく良かった。 | ||||
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| ところどころジョークがわかりにくいところがあります。英語で読んでも、同じかもしれません。わからないかも。訳は簡潔でこちらのほうが読みやすいとの評を見てこちらにしました。本は黄色くなって臭いがするのではじめは気になりましたが、読んでいるうちに大丈夫でした。 | ||||
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| 読んでいて大変勉強になった。読後感は二点である。 一点目。村上春樹は気のきいた喩えやセリフで有名であるが、その先生はチャンドラーであることが 今回良く分かった。実際に本書を読んでいると、チャンドラーのセンスの冴えにはいささか驚かされた。 村上はチャンドラーを「文章で戦える人」だとどこかで評していた記憶があるが、その意味が今回良く 分かった。かつ文章やセリフのセンスという点では、チャンドラーは村上を凌駕していることも強く 感じた。先生である以上、生徒には負けられないとでも言うべきか。 二点目。チャンドラーに欠けているものも本書から見えてくる思いがした。 本書には鮮やかな脇役が出てくる点は村上も指摘している。但しきらりと光る登場人物が有っても 背景が書きこまれない重要人物も多い。特にムースマロイに関しては、彼の「哀しみ」にもう少し彫の 深さが有ったら本書はがらりと変わったはずだ。Farewell,My Lovelyと言っているのはマロイだと理解 した僕としては、そのFarewellという言葉の重さをもう少し感じたいと思った次第である。 「一流の文学」という言い方は好きではない。しかし敢えて使うとしたら、チャンドラーは「一流の 文学」という範疇には入らないかもしれない。但し、村上が何故チャンドラーを今再発見させているのか を想像することは楽しい。勿論、村上がチャンドラーを偏愛しているからであろうが、では何故村上 がチャンドラーを偏愛しているのかである。僕としては、それは上記の通り「文章で戦う」という 点で村上はチャンドラーに強く共感したからだと思う。 実際、優れた文章とは、含まれているコンテンツだけではなく、表現形態としての「文章」に因る 部分は非常に大きい。これは文学だけではなく、例えば業務上の報告書でも同様だ。僕自身、例えば 出張報告といった無味乾燥な文章にも妙にこだわりがある。それは非常に稚拙なレベルとはいえ、村上 の「共感」に共感しているからかもしれない。 | ||||
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| ■ハードボイルド小説の大家、レイモンド・チャンドラー(1888‐1959)。彼は生前7つの長編を書いた。全作に探偵フィリップ・マーロウが登場した。『プレイバック』におけるマーロウの台詞「タフでなければ生きてゆけない。やさしくなければその資格もない」はあまりにも有名だ。 ■村上春樹は、チャンドラーをこよなく愛しており、文体にはその影響も見られる。確かに、ある種硬質で、乾いたユーモアの漂う文体は両者に共通して流れている。 ■本書はチャンドラーの長編第2作で原題は「フェアウェル、マイ・ラヴリィ」。これまで清水俊二訳の『さらば愛しき女よ』があり、ロングセラーを続けてきたが、2009年、チャンドラー没後50年の節目の年に村上春樹が新訳の単行本を発表、邦題も『さよなら、愛しい人』として決定版とした。その文庫化が本書だ。 ■私立探偵マーロウは、しがない人探しの仕事をしている最中、殺人事件に遭遇する。刑務所帰りの派手な服を着た大男、ムース(へら鹿)・マロイが、熱を上げていた踊り子のヴェルマを探しに来ていて、かつての店が黒人の店に様変わりして相手にされなかったことに逆上、オーナーの首をへし折って店を去る。マーロウは、ナルティー警部からヴェルマ探索を持ちかけられる。 ■かくして探偵はロスの街を彷徨するのだ。渋い顔つきで、ほろ苦い余韻漂うラストに向かって―。イヤー、泣けます。 | ||||
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