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博士の愛した数式
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博士の愛した数式の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全849件 341~360 18/43ページ
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一番感動すべきところで、吹いた。野球経験者には厳しい。2度と再び「本屋大賞」は買うまいと決意した1冊。これが私の全く知らないアイスホッケーなら星3つだったかも。 | ||||
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芥川賞受賞作家である著者がえがきだす本書は、第55回讀賣文学賞小説 賞を受賞し、第1回本屋大賞も受賞した作品で、映画化もされ、今なお 版を重ね続けている人気小説です。 家政婦として働く主人公の「私」は、1992年の春、年老いた元大学教授 の数学者の家で働くことになった。ケンブリッジ大学で学を修め、才能 溢れる数学者として将来を嘱望されていた「博士」は、17年前に不慮の 事故に遭い、それ以来、記憶は80分しか続かず、新しい記憶もできない 状態になってしまった。 いまだに数学に対して並々ならぬ情熱を注ぐ博士だったが、自分の生活 については無頓着で家政婦に対しても無愛想。今まで多くの家政婦が辞 めていった博士とは、やはり「私」もなかなかコミュニケーションが取れ るものではなかった。 しかし、そんな関係もふとしたことから「私」が息子の話をしたことから 変化をし始める。子どもに対して無尽の愛情を持つ博士は、「私」が仕事 をしている時には息子を家に呼び寄せるよう伝える。初めて息子が博士 の家に来ると、「ルート」と名付け、めいいっぱいの愛情を注ぐのだった。 そして、3人の穏やかで幸せな生活が始まった様子が中心にえがかれな がら、ルートと博士が愛する阪神タイガースの試合や往年の江夏豊の活躍 やプロ野球カード、博士の義姉との関係、そして次第に影を落とす博士 の記憶などが練りこまれながら、人間の愛情を豊かにえがき、ゆっくり と、温かく、物語が進行していきます。そして、何といっても、数学の 美しさが実に効果的にえがかれ、博士の人柄に色を添えています。 本が描き出す世界に入り込んで、温かい読了感を味わえる、小説の醍醐 味を感じさせてくれる本です。 | ||||
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著者はどんな動機でこの小説を書いたのだろう? ドラマティックではないが,最後までストーリーに引っ張られた。 博士の家政婦となった私(主人公)。64才の博士は1975年の自動車事故で記憶が自由でない(記憶が80分しか続かない)。数学の証明問題に日々を費やし,私には数学の美的な世界,素数の魅力を語る。私には息子ルートがいる。タイガースファン。実は博士も,江夏のいたターガースが好きだった。 私はしだいに素数の世界にはまる。博士は実生活に無頓着。身奇麗でないし、食べ方には品がないが,息子のルートにも私にもいたって優しい。3人は仲良くなる。 私が義姉の告口によって解雇されるが,博士の家政婦は誰も出来ないので復帰。球場でのタイガースの応援とその後の博士の発熱と発病,博士の野球カード・コレクションと数学論文,オイラーの公式の不可思議,話題が続く。 ついに記憶が壊れ,専門の医療施設に入った博士。私とルートは,定期的に彼を見舞う。ルートは教員試験に合格,中学の数学教員になる。数学・野球・人間の愛。 著者は何がきっかけでこんなに面白い小説を構想したのだろう? | ||||
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うまい小説だと思います。 泣ける小説という前触れであった。最後の数ページこそ 目頭は熱くなったが、それ以外は、泣くほどの場面はなかった。 数学に関する知識、阪神タイガース、博士の病気、どれも よく調べられ、見事に小説世界を構成している。 タイガースの戦績が事実に沿っているため、 まるでノンフィクションを読んでいる錯覚さえする。 以前、映画を観てしまったこともあるが、読みながら 映像が浮かびあがってくる。 技術的に素晴らしい小説であり、抑制の効いた文章も 好ましい。しかし、アフォリズム好きの私にとっては、 ここの1節を抜き書きしたい、胸に焼き付けたい、という 箇所、あるいは、キラキラっと光る情景描写や心理描写が なかったのは残念だ。おそらく、小川洋子は、そういう作家 ではないのだろうが。 第1回本屋大賞受賞作品である。書店員の皆さま、お目が高い。 | ||||
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80分しか記憶が持たない博士と家政婦さんとその息子、そして博士の義姉が過ごす日常を、家政婦さん視点で描いた作品。 複雑で寂しいシチュエーションのなかで、それぞれの当事者の心模様に、暖かさや優しさや繊細さを感じ取ることができます。 状況を悲しむでなく、過ごせる一時一時を大切に過ごしている三人(四人)の姿に、私は毎日を幸福のために使っているのだろうかと、立ち止まるきっかけにもなりました。現実は変わらず、それをどう消化するか次第で、辛い現実のなかでも楽しさや幸せを感じることができる、博士や家政婦さんや息子さんの感性にとても惹かれます。 「数学」というロジカルなツールでのコミュニケーションが、感情と現実をバランスして、良いコミュニケーションの一役をかっているのかもしれないです。登場人物は、どこかで冷静で、現実を静かに受け入れ、不安を抱えながらも、安定して生きており、それができるのはやはり「数学」というアプローチのおかげな気がします。実際、本書では感情的などろどろした部分がほとんど書かれておらず、そのことが彼らを優しくさせているように思いました。 読了後は寂しい気持ちになりましたが、そんな読者である私をよそに、おそらく作中の全員が、幸せを感じていたことがひしひしと感じられます。不思議な作品でした。 見習う部分がたくさんあります。良い本です。 | ||||
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読みやすい訳でもない、面白い訳でもない。でもほんわかした気持ちにさせてくれる本です。 切なさが漂う本でした。 | ||||
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映画化もされているとても有名な作品ですね。 小難しそうな印象があったので読むつもりはなかったのですが、 数学が苦手な人向けに書かれている本の中で紹介されていたので読むことにしました。 80分しか記憶のもたない元数学者の老人と、 その家で働くことになった家政婦、 そしてその子どもとの交流を描いた作品で、 実際に読んでみると小難しいものではなく、 あっさりとした文章でとても読みやすいものでした。 ものすごく盛り上がるというわけではありませんが、 全体を通して温かみを感じることのできる作品でした。 数字(数学)の不思議にも出会えますし、 場合によっては数学に苦手意識のある人へ 興味を持たせることができるかもしれません。 数学や野球についての話が出てきたりしますが、 読んでいても興味を持てない場合は、 深く考えずに何となく受け止めればいよいと思います。 個人的には「読んでよかった」と思える作品でした。 | ||||
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阪神タイガース、江夏のどちらにも全く興味がなかったら読むのが辛そうだ。記憶に制限を付けた前提なのでいろいろつじつまが合わないのは承知の上で読むもの。 | ||||
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このところ少しずつだが小川洋子を読み続けていて、今更のようにようやく代表作である本書にたどり着いた。しかし初期の短編集を読んできた立場としては、読む前には期待と共に不安もあった。評判からすると本書はほのぼの感動系らしい。だが今までの作品から読み取れたのは、そういう要素を持ちながらも、意外にしたたかで、仕掛けが多く、一筋縄ではいかない作家の姿だった。言ってみればあまりにも世間受けしてしまった本書は、ほのぼのを強調するあまり、持ち前の毒のようなものを失って、したがって私のようなある意味ひねくれた読者には魅力を損なってしまっている恐れはないのか? 読んでみて、たしかにこれは素直な本だろうと思った。これまで感じてきた、かすかに毒気をはらんだ謎めいた雰囲気、曖昧さが開いてみせるかもしれない可能性、という感じは、わずかに見受けられるとはいえ希薄である。 だがこの小説は小説で、小川洋子の一つの達成であるのはたしかだろう。それははっきり感じられた。旺盛な創作活動をずっと続けているわけだし、私がまだ知らないだけで、ネットの作品紹介など見てみても、いわば謎や毒の路線の本もいろいろありそうで、それはまたそれで別の機会に楽しむこととして、今はより素直なこの小説を楽しめばいいということだろう。『博士』は、素材自体はいわゆる美談に近い、見ようによってはあからさまなまでに感動的な内容には違いないのだが、そうとしても出来が半端ではないのである。 小川洋子は緻密な作家である。文章は隅々まで磨き抜かれている。いや、磨くというとニュアンスが違う。細やかに心配りがなされているとでもいおうか。プロットもよく工夫されて洗練されたものである。結果的に小川洋子の小説は品がよく柔らかで、かつある種の堅固さに支えられた安心感をもたらすものになる。題材自体は、しばしば困難な、問題意識の強いものだが、それでもどうしようもない不安の中に放り出されるようなことはない。これは大きな特徴ではないかと思う。 ここでもそれはよくわかる。この小説も、優れた数学者でありながら記憶がわずかしかもたないという障がいを抱えた「博士」と、決して恵まれているとはいえない生い立ちの語り手の家政婦とその息子を描いて、設定は重い。だが、それが苦しさよりも明るい希望を展望させることになる。 家政婦という設定にもちゃんと意味がある。変人扱いされる博士に寄り添えるだけの、いわばその資格というべき傷を抱えているということなのだ。 博士の記憶力が衰えていくのは、たとえば『アルジャーノンに花束を』を連想する痛ましさがあって心を打つが、そうした不安要素や、また秘められた人間関係や発見の秘密をめぐって、ミステリーの要素も巧みに作者は使いこなしていて、真実が浮かび上がったときの感動は深い。 独創的なのは、なんといっても数学と、そして、作者自身が熱烈なファンであるタイガースの、とくに江夏豊にまつわるモチーフである。それらによって三人の絆が見事に結ばれてゆく。数学の担う役割は、すでに初期短編にも現れていたが、ここでも同じだろう。要するに数学というのは、その内包する美しいまでの秩序のゆえに、決してやさしくはない生きるという営みの中での、祈りのようなものなのである。そしてその数学とタイガースとが結び合うという、一見突飛な工夫もこの作者ならではの独創であり、これまた数式のように美しい一つのハーモニーを生み出している。 さて、設定の上で最大の問題は、なぜこのように記憶の続かない人物を描くか、ということではないかと思う。むろん答えなどどこにも書いてはいないし、ネタばれというようなことではないから、ここで私が一つの考えを述べても許されると思う。博士の記憶が保たれる80分という時間の枠は、私にはまず、小川洋子がずっと描き続けているともいえる生の不安、その不確かさのようなものを象徴する表現のように思われた。しかしそれは、物語の進行とともに、限られているからこそ、消えゆくからこそかけがえのない、すばらしい時間を意味するものにも見えてくるのである。こうして光と影とを混ぜ合わせる離れ業。その才能にあらためて脱帽である。 | ||||
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80分しか記憶を持たない博士と、そこに勤める家政婦とその息子ルートの交流を描いたお話。 小川洋子の物語は、閉鎖的な空間、情景をを描くことが多いように思います。この話は数学の教授であった博士のため、数学に関する話が多く出てきますが、数学に精通していない私にも、数学の魅力を感じさせてくれました。数学というと難しいイメージを感じられるかもしれませんが、博士の語る数学は音楽のように美しい。小川洋子さんの文章がとても優しく静かだからでしょうか。 また、博士は、毎日自分は80分しか記憶が持たないことに毎朝気づき、絶望から始まりますが、ルートとの交流が博士の幸せにつながっていく様子が心をうたれます。 愛する数字のように、毎日初対面のルートと接する博士。相手の良いところを引き出し、相手の考えがいかに素晴らしいかを語り尊重していく博士の優しさや、記憶が80分しかもたない博士を傷つけまいとする家政婦とその息子の優しい心遣いがやがて絆として結ばれていく過程が、淡々としたストーリー展開にも関わらず、読者を引き込んでいきます。 博士は幸せな人生だったのだなと改めて思い返し涙が出てきます。何が幸せで何が不幸せなのか改めて考えさせてくれる作品です。 ルートが博士にプレゼントを贈るシーンは神々しいとすら感じます。 詳しくは語られませんが、義姉の切ない思いも伝わってきます。 ルートが選んだ就職先を知った時も最後にに家政婦とルートが博士とあった日の様子を思い出すと涙が止まりませんでした。 心が温かく、優しくなれる名作だと思います。 | ||||
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序盤、人物の肉付けはちょっと強引じゃないかなあとか、1 + 2 + … + 10 = 55 の解き方を考えるところはちょっと不自然なんじゃ、と気になったところはいくつかあったけれど、全体的におもしろかった。 28が完全数(約数をすべて足すとその数になる、28 = 1 + 2 + 4 + 7 + 14)であることや、220 と 284 が友愛数(220 の約数を足すと 284 に、284 の約数を足すと 220 になる)であることの神秘、数学の持つ崇高さを賛美する博士の語り口や私の詩的な響きが本書の魅力のひとつだろう。 オイラーの等式についての描写はさすがに大げさで気になったけど。「私」が図書館で調べたところ、 「果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な奇跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙から π が e の元に舞い下り、恥ずかしがり屋の i と握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。(p.197)」 オイラーの式は数学初心者の語り手が作品中に触れるもっとも高級な数式だし、ファインマン曰く「我々の至宝」かつ「すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式」とのことなので、ここは最上級の賛美を送る場面なわけだけど、それでも大げさだなあ、という感はある。 それから、「別に家政婦に頼まないでも、未亡人が博士のお世話すれば?」。杖をついているから難しい、ということなのかな。頼んだ仕事って料理と掃除くらいなんだけど。 作品の本当に些細な部分にイチャモンつけてばかりとしまったけれど、文章・構成ともにうまいなあと思うところはたくさんあった。 | ||||
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『目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。 厳かに暗闇を貫く、幅も面積もない、無限にのびてゆく一本の真実の直線。 その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした』 小説の中盤にあるこの文章の中に、この物語のテーマが一番よく表されていると感じる。 数学が気高く、美しいのは、そこに目には見えない真実があるからである。 そしてその真実にこそ、神がつくられた世界の本当の姿がある。 もしそのことを少しでも理解し、感じることができれば、人の心はどれだけ勇気づけられるだろう。 記憶障害のある孤独な老人、シングルマザーの家政婦とその息子。登場人物たちは目に見える世界にあっては、 あまりにも小さく、無力で、か弱いものたちだ。しかしそこに通う愛情は目に見えないが、数学と同じように美しい。 人の心は数学の高みにほど昇ることはできないかもしれないが、少なくとも数学と同じ方向をむくことはできる。 ただなぜ星が3つでしかないかというと、私がとても大きなミスを犯してしまったからだ。 小川洋子さんの作品を読む順番を間違えてしまった。私は近刊の『猫を抱いて象と泳ぐ』から、読んでしまったのだ。 こちらの小説では、目には見えない美しさというテーマがさらに見事に結晶化されている。 そのためどうしても両者を比較してしまい、こちらの小説が若干見劣りするように感じてしまった。 | ||||
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数学を「勉強」として受け取る今日の私たち。 だけど、そんな数学を心をつなぐ大切な絆として描いている。 愛情とは、友情とは、真理とは何かを優しく伝えてくれる物語。 | ||||
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優しい文体で静かに淡々と物語が過ぎていくのですが、なぜか痛いくらいに心を掴まれました。 ラスト、江夏選手の野球カードの描写が大好きです。 | ||||
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彼女はいつも美しい作品を書きますね。優雅で優しい、メリハリのない静かな物語。 寝ちゃうとかあるけど、彼女の作品はそれでもいいんです。躍動感ばかりが大事ではありませんよ。 ついつい惹かれてしまいます。穏やかな気持ちで読めて、癒される。 | ||||
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何て素敵なお話。 こんな本に出会ったりするから、 だから読書は止められない。 | ||||
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登場人物が、老数学者に家政婦、その10歳の子供と数学者の義姉だけという地味な設定にも係わらず、実にドラマティックで静謐で、哲学的な特筆すべき作品であった。本所を推薦してくれた盟友amonに感謝する。ここ数年に読んだ小説の中で、まさに最高傑作であったと思う。 背番号28(この数字が重要)をつけた江夏豊が重要な役割を果たすというだけで、上記設定と一体どんな接点があるのだと不思議に思うだろう。 いやはや、この謎解きだけでもドラマティックだ。 数字をこれほどセクシーに、これほど純粋に美しく、宇宙そのもののように捉えたまさに希有の作品と言えるだろう。 静かに流れる時間とかけがえのない「今」。 改めて人生と大事な人との時間を考えさせられる、本当に嬉しいお話しでした。 | ||||
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タイトルに挙げた3つを、無理なく編み上げた良質の小説。 過去の事故により80分しか記憶が持たない老数学者、 彼を世話することになったまだ若いひとり親の家政婦、 家政婦の息子である野球好きな小学生の少年。 この3人が、疑似家族のように(実の家族以上に)労り合い、尽くし合う。 老数学者はふたりに数学の素晴らしさを説き、 家政婦はふたりに栄養のある食事を振る舞い、 少年はふたりを子供だけが持つ眩しさで照らす。 少年の父親も研究者であることからして、老数学者は一見、少年の父親役のようだが、 実は家政婦こそが縁の薄かった自分の父親像を投影しているように思う。 とにかくこの3人は、与え合い、補い合い、尊敬しあう間柄なのだ。 ひとつ不思議なのは、少年が青年となっても、老数学者が彼を『庇護すべき者』と認識していた点だ。 彼の脳機能からすれば、初対面の、保護など要らぬ大人の筈なのに。 彼の脳は本当に壊れていたのだろうか? それとも脳以外に記憶する部位があると? 「心」などという概念は、非現実過ぎるが。どちらにせよ、彼の内面はずっと健やかだったのだ。 他者全てを尊ぶという、美しい特質において。 | ||||
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何気ない物語です。 ただ、博士がいかに数を愛しているのか、 その愛が伝わります。 そしてその愛が、主人公の女性やその子どもをも動かして行く わずかなわずかな動きが描かれています。 そして、読み終わったとき、自分自身も、 博士の数への愛によって影響を受けているのに驚きます。 カメラの製造番号を見ても、目につく「数字」に意味を探ろうとしてしまいます。 初めての小川洋子さんの小説でしたが、読めて良かったです。 エッセイ?の「科学の扉をノック」するを読み、 小川洋子さんに興味をもって手にしたのですが、 家政婦の女性はきっと小川洋子さんなのだろうなと胸が少し暖かくなります。 | ||||
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確か、この本には大切な事が描かれていたなぁ・・・ そんな記憶が残っていて、 久しぶりに読み返しましたが、やっぱりそうでした。 なんの駆け引きもない優しい気持ちとか、子どもを守ろうとする温かな愛情とか、 深々と身に染み入ります。 どんなに複雑で忙しい今を生きていても、そのスピードをふっと緩めて、 人とのつながりに、相手を思いやって、温かな気持ちを注ぐ。そういうことの大切さを思い出させてくれます。 博士やルートくんの<純朴な心持ち>と、続いていく暖かな交流に、ホッとします。 ちょっと疲れちゃったときに、読み返したくなる一冊です。 | ||||
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