密やかな結晶
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物とそれにまつわる記憶がすこしずつ消失していく島に暮らす語り手=小説家が、記憶を保持する少数派の存在である編集者を自宅に匿い、記憶を保持する者を狩る秘密警察から守ろうとする……という筋書きである。すこしずつ何かが喪われていくという世界観自体、ある種甘美な響きがあり、淡々と喪失を受け入れながらも編集者の世話を甲斐甲斐しくする小説家の姿には、純愛に似た感動をもたらすかもしれない。だが、この小説はそれにとどまらない。 そもそも小説家と編集者の関係はすこしおかしい。独身女性である小説家は編集者にたいして敬語で接し、まもなく子供が生まれる妻帯者の編集者は小説家にたいして余裕のあるタメ口で接する。ここに非対称関係があるうえ、小説家はどうやら編集者に恋愛感情をもっているらしいということも早い段階でわかる。そのような存在である編集者を、小説家はいかにも献身的な素振りで自宅に匿うのだが、これはかならずしも純粋に無私の行為であるとはいえず、編集者を妻子から引き離し「監禁」するものとしても読める。事実、編集者を「飼育」に近いかたちで世話をしながら、主導権の多くは自身にあるにもかかわらず脆く弱い存在として編集者に頼り、小説家は情愛を深めていく。ここに男女の力の非対称性を逆転する、倒錯的な性愛を見出すことができる。 いわば小説家は「信頼できない語り手」の一種であり、彼女が編集者を保護するのは献身なのか欲望なのかじつは曖昧であるというのが、この物語のキモでもあるだろう。そもそも世界から消えていくもののリストがおかしいのだ。エメラルドに香水に、ハーモニカにラムネに乗車券に、鳥に写真にカレンダーに……とそれは、いかにも「少女趣味的」な対象であり、そのリストにけっして水虫や梅毒や白血病や、トコジラミやバクテリアや性具や鼻糞が入り込む余地はない。あたかも世界が消失する対象を意図的に選んでいるかのようで、それは語り手=小説家の趣味にいかにも近く、この語り手がどこまで正直に語っているのか読者には判断がつかない。 さらに、小説家が書き進めている小説内小説の筋書きともシンクロする。小説内小説では本筋の物語とは逆に(というかオーソドックスに)、タイピングの教師である男が受講生である女をしだいにコントロールし、声を奪い、ある部屋に監禁して支配するというものだ。これが反転したかたちで、本筋の小説家(支配する側)と編集者(支配される側)の関係性を形作っているともいえる。 小説内小説では最後、声を奪われた女は支配された末に監禁部屋のなかで存在を消すが、本筋の物語では、支配されていた男(編集者)が、声だけ残された支配者である女(小説家)から解放されて、女の肉体をさまざまな物品とともに残したまま監禁部屋から外に出る。谷崎潤一郎『刺青』のように、支配する側がいつのまにか支配される側に転化するようなフェティシズムをここに感じることもできるだろう(足にたいするこだわりも谷崎を思わせる)。だが、あくまでも一見、非力である女が、潜在的に男を閉じこめ、支配し、愛でたすえに、肉体を失いながら男に記憶のコレクションのひとつとして部屋に取り残されるという点に、谷崎にはない、性愛のあらたな展開がある。『密やかな結晶』をたんなる美しいディストピア小説で終わらせない魅力はここにある。 | ||||
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私の中ではまさしく小説が消滅しているのかもしれないです。 美しい文章だと思うのですが、無味無臭の鉱物でも噛んでいるような感じで、最後まで憂鬱でした。 おじいさんの存在だけが救いでした。 | ||||
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きれいな本をありがとう | ||||
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記憶狩りによって消滅が静かにすすむ島の生活。 人は何をなくしたのかさえ思い出せない。 何かをなくした小説ばかり書いているわたしも、 言葉を、自分自身を確実に失っていった。 「BOOK」データベースより 1994年に出版された小川洋子のデストピア小説「密やかな結晶」が2019年に 英訳されたのを機に、全米図書館賞ノミネートや映画化の話が進む等 再び脚光を浴びています。 「アンネの日記」との出会いが小説を書く切っ掛けになったという小川洋子が、 アンネへのオマージュとして新たに組み立て直した本作は、 理不尽な政治権力に何もかも奪われても、消滅した記憶が心の奥底に密やかな結晶と なって残っていて、その小さな感覚を不自由な言葉と言う道具によって紡ぎだすことで、 誰も犯すことのできない「言葉に出来ない自由な場所」へ導いて行きたいと言う 思いが根底に込められています。 小説を書いていた時と今と、君自身はどこも変わっていない。 ただ違うのは、本が燃えてしまったとうことだけだ。 紙は消えたけれど、言葉は残っている。 だから大丈夫。僕たちは物語を失ったわけじゃないよ ※本文より抜粋 終わり方に批判的な意見が多いようですが、読む人の心の弱さや想像力に対して 普遍的に問いかけるには、閉ざした物語にする必要があったわけで、 彼女が今でも小説を書き続けなければならない理由とも言えるでしょう。 | ||||
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孤島に住む人々の話です。この島ではある突然、船、切手、鳥、ハーモニカ、身近なものがどんどん消滅します。 ものが消滅するとその記憶も消えてしまいますが、最初からなかったことになるので、人々は生活が不便になってもあまり不満を持ちません。 一方、一部の記憶が消えないひともいますが迫害を受け、拘束されるか、隠れ家に身を潜めるか、いずれにせよ自由が奪われます。 自分は、記憶が消えるのと消えないとでは、どちらがいいのだろうか?記憶が残った場合、社会に抗って生きることができるのか?そんなことを感じました。 | ||||
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