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密やかな結晶
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密やかな結晶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全74件 1~20 1/4ページ
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物とそれにまつわる記憶がすこしずつ消失していく島に暮らす語り手=小説家が、記憶を保持する少数派の存在である編集者を自宅に匿い、記憶を保持する者を狩る秘密警察から守ろうとする……という筋書きである。すこしずつ何かが喪われていくという世界観自体、ある種甘美な響きがあり、淡々と喪失を受け入れながらも編集者の世話を甲斐甲斐しくする小説家の姿には、純愛に似た感動をもたらすかもしれない。だが、この小説はそれにとどまらない。 そもそも小説家と編集者の関係はすこしおかしい。独身女性である小説家は編集者にたいして敬語で接し、まもなく子供が生まれる妻帯者の編集者は小説家にたいして余裕のあるタメ口で接する。ここに非対称関係があるうえ、小説家はどうやら編集者に恋愛感情をもっているらしいということも早い段階でわかる。そのような存在である編集者を、小説家はいかにも献身的な素振りで自宅に匿うのだが、これはかならずしも純粋に無私の行為であるとはいえず、編集者を妻子から引き離し「監禁」するものとしても読める。事実、編集者を「飼育」に近いかたちで世話をしながら、主導権の多くは自身にあるにもかかわらず脆く弱い存在として編集者に頼り、小説家は情愛を深めていく。ここに男女の力の非対称性を逆転する、倒錯的な性愛を見出すことができる。 いわば小説家は「信頼できない語り手」の一種であり、彼女が編集者を保護するのは献身なのか欲望なのかじつは曖昧であるというのが、この物語のキモでもあるだろう。そもそも世界から消えていくもののリストがおかしいのだ。エメラルドに香水に、ハーモニカにラムネに乗車券に、鳥に写真にカレンダーに……とそれは、いかにも「少女趣味的」な対象であり、そのリストにけっして水虫や梅毒や白血病や、トコジラミやバクテリアや性具や鼻糞が入り込む余地はない。あたかも世界が消失する対象を意図的に選んでいるかのようで、それは語り手=小説家の趣味にいかにも近く、この語り手がどこまで正直に語っているのか読者には判断がつかない。 さらに、小説家が書き進めている小説内小説の筋書きともシンクロする。小説内小説では本筋の物語とは逆に(というかオーソドックスに)、タイピングの教師である男が受講生である女をしだいにコントロールし、声を奪い、ある部屋に監禁して支配するというものだ。これが反転したかたちで、本筋の小説家(支配する側)と編集者(支配される側)の関係性を形作っているともいえる。 小説内小説では最後、声を奪われた女は支配された末に監禁部屋のなかで存在を消すが、本筋の物語では、支配されていた男(編集者)が、声だけ残された支配者である女(小説家)から解放されて、女の肉体をさまざまな物品とともに残したまま監禁部屋から外に出る。谷崎潤一郎『刺青』のように、支配する側がいつのまにか支配される側に転化するようなフェティシズムをここに感じることもできるだろう(足にたいするこだわりも谷崎を思わせる)。だが、あくまでも一見、非力である女が、潜在的に男を閉じこめ、支配し、愛でたすえに、肉体を失いながら男に記憶のコレクションのひとつとして部屋に取り残されるという点に、谷崎にはない、性愛のあらたな展開がある。『密やかな結晶』をたんなる美しいディストピア小説で終わらせない魅力はここにある。 | ||||
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私の中ではまさしく小説が消滅しているのかもしれないです。 美しい文章だと思うのですが、無味無臭の鉱物でも噛んでいるような感じで、最後まで憂鬱でした。 おじいさんの存在だけが救いでした。 | ||||
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きれいな本をありがとう | ||||
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記憶狩りによって消滅が静かにすすむ島の生活。 人は何をなくしたのかさえ思い出せない。 何かをなくした小説ばかり書いているわたしも、 言葉を、自分自身を確実に失っていった。 「BOOK」データベースより 1994年に出版された小川洋子のデストピア小説「密やかな結晶」が2019年に 英訳されたのを機に、全米図書館賞ノミネートや映画化の話が進む等 再び脚光を浴びています。 「アンネの日記」との出会いが小説を書く切っ掛けになったという小川洋子が、 アンネへのオマージュとして新たに組み立て直した本作は、 理不尽な政治権力に何もかも奪われても、消滅した記憶が心の奥底に密やかな結晶と なって残っていて、その小さな感覚を不自由な言葉と言う道具によって紡ぎだすことで、 誰も犯すことのできない「言葉に出来ない自由な場所」へ導いて行きたいと言う 思いが根底に込められています。 小説を書いていた時と今と、君自身はどこも変わっていない。 ただ違うのは、本が燃えてしまったとうことだけだ。 紙は消えたけれど、言葉は残っている。 だから大丈夫。僕たちは物語を失ったわけじゃないよ ※本文より抜粋 終わり方に批判的な意見が多いようですが、読む人の心の弱さや想像力に対して 普遍的に問いかけるには、閉ざした物語にする必要があったわけで、 彼女が今でも小説を書き続けなければならない理由とも言えるでしょう。 | ||||
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孤島に住む人々の話です。この島ではある突然、船、切手、鳥、ハーモニカ、身近なものがどんどん消滅します。 ものが消滅するとその記憶も消えてしまいますが、最初からなかったことになるので、人々は生活が不便になってもあまり不満を持ちません。 一方、一部の記憶が消えないひともいますが迫害を受け、拘束されるか、隠れ家に身を潜めるか、いずれにせよ自由が奪われます。 自分は、記憶が消えるのと消えないとでは、どちらがいいのだろうか?記憶が残った場合、社会に抗って生きることができるのか?そんなことを感じました。 | ||||
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鬼のようにつまらなかった 糾弾の物語、とか解説には描かれてますが、ここまで残酷に全てを葬る必要があるのですか?それをじわりじわりと体感させるために読む時間を費やしたと思うと、どれほどに無駄だったかと哀しくなります。ツッコミどころ多いです。R氏との関係も然り。書いていた小説の内容も然り。作者の自己満足としか思えません。 | ||||
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鳥、香水、フェリー、薔薇…など、少しずつ、いろいろなものが消失していく島。ものは「消失」し、人々はそれを持っていたら捨てたり燃やしたり川に流したりし、次第に記憶からも消えていく。しかし時々、記憶を持ったままの人たちもいて、その人達は秘密警察に連れ去られてしまう。 小説家である「わたし」の担当であるR氏は記憶保持者。「わたし」と「おじいさん」は、R氏を隠し部屋に匿うことになる。 ものが消失していくことへの不安、暗く長い冬。食料も日用品も不足がちな閉鎖された島。威圧的で恐ろしい秘密警察。全体的に暗いトーンなのだけれど、主人公やおじいさん、R氏とのやり取りは明るく、心がこもっていて、希望が持てた。あまりにも不思議な設定なので「これは誰かの脳内世界なのか」と思っていたけれど、そういうオチではなく、謎は謎のまま結末を迎える。 描写がていねいで、また迫力があった。作中小説の、タイプライターの話もとても意味深だった。 なにかとても象徴的な、不思議な雰囲気をまとった小説だった。 | ||||
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自分なりに考察すると…(幻想的な物語を、考察するのも野暮かもしれないけど、腑に落ちたかったので理論的に考えました) ↓ネタバレしてるので見たくない方飛ばしてください↓ 秘密警察側は、本当は消失していないけどそう思わせる電磁波かなにかを放出しているのではないだろうか。そういう電磁波が効かない人間が一部存在するのだろう……消失の行われない人間 連行された人たちは特権階級として扱われているのかもしれない。(母親を迎えにきた車の豪華さ、いぬい先生に約束された環境などから推測) 秘密警察たちが消失の行われない側の人間ということは、主人公に出されたものがおそらく消失したはずのコーヒーらしき描写があるため確実だ。 主人公の記載した個人情報を見て、母親が消失の行われない人間と知ったため、反応を試したのだろう。 また、連行の際に子供や配偶者など家族全員で連れていかれる描写がある(いぬいさんの例から家族の生活も保証されている)のは 主人公の母親がひとりで連行された際、死を選んだため、家族も連れて行くように制度が変わったのではないかと推測する。 物語終盤、激しくなっていく記憶刈りと消失で、人種選別は終わったので、全てを消した(消す暗示)をかけたのだろう。 部屋を出たR氏は春の訪れた世界で、拍手で迎えられているかもしれない。 ひょっとしたら彼の子供はR氏と同じように消失しない側の人間であり、妻は失ってしまったかもしれないが、子供は消失しておらず今後ふたりで生きていけるかもしれない。 「島」は大きな実験施設か、収容所なのか。気象も操作できる(季節の停止、人工地震、人工津波) それならば、連行された者たちは、特権階級などではなく、単に普通の暮らしに戻るだけだが、島から見れば至れり尽くせりの豊かな暮らしではあるだろう。 R氏はきっと島の外に出て、世界の真実を知っていく。主人公の母は真実を知ったが、外で暮らすのを拒み、家族やこれまで暮らしてきた世界に寄り添うことを選んだ。 電磁波の効かない人間でありながら、効いてしまう主人公たちと居ることを選んだ。 主人公やおじいさんには、そんな選択すらできない。ただ受け入れるだけ。羊。奴隷のように。人種選別される側の存在だから。 あまり考えたくはないが、島は「日本」の比喩なのかもしれない。はたしてすべてを粛々と受け入れていく側の人間でいいのだろうか? また、自分の考察だと、善と悪が反転してることになる……連行=家族みんなで実験施設から出られる……から、主人公が良かれと思ってR氏を隔離したが、しないほうが奥さん子供と家族揃って幸せな人生を送れたということになる。 選択も消失もできない主人公の、そんな主人公なりに抱いた、切ない願いや想いを感じる。 完全に自分の考察だが↑こういったテーマを感じさせる話を美しく幻想的に書き上げられる能力が、素晴らしすぎます。 | ||||
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雪が滅多に降らないある島を舞台に、20代前半の女性が島内で突然起こる「消滅」を受け止める話。ひたすら身の回りの「消滅」が続き、大きな抵抗なくそれを受け止めていく。 本作品を読みながら、想起したのは次のような本。 「アンネの日記」 「モモ」 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」村上春樹 「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ 「忘れられた巨人」 カズオ・イシグロ 「アルジャーノンに花束を」 ダニエル キイス 「わが母の記」井上靖 読み始めて3分の1までは、「アンネの日記」の印象が強く、「消滅」とは組織化された大きな力によって踏みにじられるものという印象である。 ただ、読み進めていくと、自分の周りでも不可逆的に「消滅」していったものも多いと考えさせられる。絶滅危惧種、少数民族の言語、社会の変化でやらなくなった行事や手に入りづらくなった食材など、「消滅」の危機に瀕しているものは沢山ある。まあそれらは自他の「他」と言える。 作者は意図していないだろうが、私は自分に起こるだろう「自」の「消滅」を強く意識した。老いや病などにより、できていたことができなくなる、思い出すことが難しくなることは避けられない。もっと日常を見れば、興味や関心がなくなり、自分の中から消滅したものは数えきれない。作中では「消滅」が広がりを見せるため、テーマがやや曖昧になる感があるが、突き詰めていけば、自分の中の「消滅」をどう認識するかが最も重要で、その辺りを上手く書き切れていない点が物足りない。物語はどこに残るのだろうか。 | ||||
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ある日突然人や物が奪われていく そんな恐ろしいことを静かに受け入れていく コロナ禍の不安で閉ざされた環境の中読んだら共通するものがあり、さらに小川さんの小説は あまりにも穏やかで美しい表現なので、恐ろしさを紛らわせ滑らかに受け入れる気持ちにさせられた 人を傷つけてしまったり迷惑をかけたり、自分の間違いで物事を壊してしまったり、物を捨てたり、 そしてそれらを忘れていたり、振り返ってみると実は自分も恐ろしいじゃないかと思ったり ずしりと余韻を残す作品 美しい表現力に魅了されっぱなしだった | ||||
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日本人作家がブッカー賞候補に…とか、全米図書館賞の対象に…(だったかな)、とかなにかと話題だったので読んでみました。kindleUnlimited対象だし。 秘密警察に、食料が足りない状況…と、日本の戦時中みたいな状況ですが、不思議とどこか遠くの国、ヨーロッパとかの話を聞いているような感覚。 誰が、どのように決めているのかは描かれないけど、日々、住んでいる島で何かが「消滅」していく。 そして、島の人々は、素直に、関連の物を焼却して跡形もなくなるようにする。秘密警察も監視している。人々の記憶からも失われていき、何だったか思い出せなくなる…。 そんななか、記憶が失われない人々がおり、それを匿う人々がおり、秘密警察の強制捜査や連行、検問対象となる。 小説の主人公は、女性の小説家であり、両親はそれぞれ消滅と関わりつつも他界しており、子供の頃から家族ぐるみで親しい「おじいさん」と共に、好意を抱いてる担当編集者R氏を自宅で匿うことに…。 作中の小説の原稿と、物語の終わりは不思議な符丁で同じような流れであり(いや、作者の意図なんだろうけど)、そういう終わり方なんだ~、と。 淡々と事態が進んでいくようにも見えるけれど(人々が唯々諾々と消滅の後始末に荷担したり)、実は秘密警察やいろいろな社会的な装置によって、その事が作りだされていたのかな、とか、この感想を書きながら思ったり。 解説に出てきたが、タイトルへの質問に作者は「誰でも心のなかに密やかな結晶を持っている」と。 ぼんやり生きてると意識することのないそれを、消滅、なくなっていくという危機の前で、より鮮明に意識するのかもしれない。 | ||||
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小川洋子さんの小説は紹介文を読むとどれも面白そうだけど読んでみると私には読みやすいものと読みにくいものがある。『ことり』を読んで面白かったので、タイトルをどう英訳しているのか気になって米Amazon.comで"Yoko Ogawa"と検索したらトップに出てきたのが"The Memory Police"こと本書であった。もちろん読んだのは日本語版の「原書」で、自分としてはこの本は読みやすい方に分類されるものだった。ストーリーには関係ないが、「秘密警察」がやってきたときに「秘密警察だ!」と言っていて、「ああ、名乗るのか」と思った。秘密なのに。 | ||||
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左足が無くなり、右手が消えて、最後に声だけ残り、そして存在さえ無くなるという不気味なお話。しかし、本書のような虚無の世界を提示されることで、現実の世界がいかに豊かであるかが浮き彫りにされてくる。 「秘密警察」の存在は、ナチスのユダヤ人狩りを連想させるが、「支配」「被支配」という政治的ニュアンスは薄い。 | ||||
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〇 作者の着想はこんなことではなかっただろうか。まずアンネフランクの隠れ家のような物語を書きたいと思った。次に「ユダヤ人狩り」に替えて、国家が「消滅」させたモノの「記憶」を持ち続ける人達を対象とする「記憶狩り」が行われるという設定にした。そして花を消滅させると世の中はどう変わるか、カレンダーを消すとどうか、小説ならばどうか、左足は、右手は、身体は、声は・・・・とシミュレーションでもするように淡々と描いて行った。 〇 かくして作者は「消滅させられた世界」を描き上げるのだが、ここにどんな意味を込めたのかとなるとあまり深読みをしない方が良いと思う。作者に特定の意図はなく、読者が自由に思い描いてくれれば良いと考えていたような気がする。抽象画を観た人に画の解釈を委ねるようにだ。 〇 私自身はこの作品を読む間に色々なことを考えた。第一に、暗い未来社会の可能性を思った、第二に、あって当然と思っているモノや日常の持つ意味合いに改めて注意を向けた、第三に、世の流れを無批判に受け入れる大衆社会の脆さ弱さに思いを馳せた、第四に、暗い社会でも心を通じ合える人々から慰めを得られることを感じた。 〇 読者のなかに幅広いイメージと思考を呼び起こすところに、この作品の価値があるのではないかと思う。 | ||||
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少しずつ、物を記憶を失っていく島の話。 生きていかざるをえない人間を取り巻くモノの意味を問いかける話は、比喩に満ちていて考えさせられます。 ただ無気力になりがちなコロナ禍の現在、落ち込むだけなので、おすすめはしません。 | ||||
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小川洋子さんが「アンネの日記」を読んで書きたくなった。とのこと!さすがに小川洋子さん、「消滅」という人間が抵抗できない必ず訪れ 受け入れなければならない「消滅」という「恐怖」。それが人為的に起こされたのが「ホロコースト」や「戦争」ですが、人為的でない「消滅」の恐ろしさを女性作家を通して描いているところがこの作品を一層盛り上げているような気がします。作中、主人公の描く作品に、なぜか「シェルブールの雨傘」を連想しました。この映画の主題曲は美しいことで有名ですが、内容は…。それを重ねたとき、小川洋子さんならでは!の構成力を感じました。血を流さず、人を殺さずこんな怖い物語は はじめてでした。 | ||||
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某知恵袋サイトで、美しい表現や比喩をされているような小説を求めている質問の中にこの小説がありましたので、内容を全く知らないまま手に取ってみました。 美しい表現はたくさんありました。しかし、すこし周りくどかったり、口語なのに文語的な言葉を「わたし」たちが発するので、主人公が小説家だとしてもすこし非現実的なコミュニケーションに感じてしまいました。 また、タイトルのように話の半分あたりから少女漫画みたいだなと感じてしまいました。記憶がなくなっていくことを受け入れていたり、雪がずっと降ってたり、表現が美しい部分については村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の「世界の終り」での話に似ているような気がしました。しかし、主人公の心象表現は女性が書いたものだろうと感じられますし、R氏の行動もどことなく少女漫画というか、、、ボディタッチが多いのが気になって仕方ないです(笑)。私は登場人物の姿をいつも想像しながら小説を読むのですが、なんとなく今回の小説は少女漫画に出てきそうな小柄で目が大きい少女と髪がとんがっている少年を想像してしまいました。 内容についてですが、コロナ禍で再びを注目を浴びているらしいのですが、いまいち作者の伝えたいことを探らないと、ただ物語を読んでいるだけでは「そういう話ね」で終わってしまう気がします。物事が消えるという比喩は何を表しているのか、それを想像していくことができるのならば、この小説を読んで良かったと感じます。 | ||||
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終末を思わせる舞台の雰囲気は悪くない。 ただ「アンネの日記」をもとにしたというが、むしろ「1984」や「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に近い感じだ。 作中劇と本線の絡み・収束さえ、もっとよければと思う。 | ||||
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駄作である。つまらなかった。 ただのディストピア小説だった。 また、文庫にしては誤植が多い。 小川洋子はわりと好きな作家だが、この本は100ページも読むことができなかった。 他の本を買うのが価値ある選択といえるだろう。 | ||||
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日本文化要素がゼロで登場人物の人種もなんとなくヨーロピアン。登場するおじいさんと主人公はアルプスの少女ハイジみたい。安部公房が女性視点で書いたようなノスタルジックなSFみたいで、うっすら残酷だけどえげつなくない。コロナだけでなく、ユダヤ人迫害やウィグル族弾圧などが思い浮かぶ内容は、昔の作品なのに驚くほど示唆的。ノーベル賞とるんじゃないかと思います。 | ||||
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