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密やかな結晶
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密やかな結晶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全74件 21~40 2/4ページ
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冗長で最後まで読み終えるのが苦痛でした(最後の方は流し読みにさせていただきました、ゴメンなさい。彼女は今後も小説作りに行き詰まる、といことは無い作家さんなのでしょうが、意外にも、『博士の愛した・・・・』だけの作家さんかも)。 思わせぶりな小説。人間の記憶は個人差はあるものの徐々に失われていきます。特にアルツハイマー型の認知症などに罹患すると、その経過・結末には過大な悲しさが伴います。この小説は、その様を壮大な《比喩》として、長々と記述した・・・・と私には読めました。読者(わたしだけ?)にペイシェント(忍耐、我慢、苦痛?)を要求します。 著者は物語として巧みに記述したと思っているのかもしれませんが―――冷静に読むと―――物語の中味は意外に薄く(だらだらし過ぎ:冗長)、読み進むのが、本当に苦痛でした。 現在の脳生理学の研究では、この小説に登場する理不尽に、冷酷に記憶を奪ってゆく「秘密警察」が脳の中で何に相当(可溶性オリゴマー状態のペプチド:最小の蛋白質)するのか、誰の脳にあのイヤらしい「秘密警察」が訪れるのか、まさに研究の真っ最中で詳細は分かっておりません。 壊れつつある、あるいは壊れた神経細胞(記憶)を綺麗に掃除するのは「ミクログリア(小膠細胞)、後に残るのがアミロイド・ベータ(老人斑)ということになるのでしょう。 | ||||
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小川洋子さんの作品は、比較的好きなんですが、この作品は最後まで読むのが辛かったです。内容がつまらないとかではなく、展開が私には退屈でした。残念です。 | ||||
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本の状態もよく満足しました。 | ||||
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大きな喪失感や自分のアイデンティティへの不安など、情緒面で深く沈んでいるような状態でこの作品に出会ったとしたら、とても心に染みてきたと思う。冷静にかつ思索的に捉えるのは私には難しい作品でした。 村上春樹さんの短編『象の消滅』(というタイトルだったと思うのですが)が読み返したくなりました。 | ||||
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ある島(恐らく、日本のメタファー)で、秘密警察のために、人々にとって大事で素敵なモノ及びその記憶が次々と消滅してしまう近未来の監視社会の恐怖を透明感溢れる筆致で描いた傑作。一人称のヒロインの職業は作者を反映してか小説家。勿論、ヒロインにとって消滅して困るのは言葉。ヒロインの(連行された)彫刻家の母親を筆頭に、人々の中には記憶を保持する者も居るが、そうした人物は秘密警察の記憶狩りに遭うという設定。 冒頭を読み、直感的に、題名の「密やかな結晶」とはヒロインが書いた本作そのものだと思った。何しろ島には小説以外に新しく結実するものはないのだから。小説家としての矜持という雰囲気も感じた。そして、ヒロインの編集者Rが記憶保持者である事が判明し、ヒロインは秘密裡に自宅をRの隠れ家として提供する。Rは記憶の変遷や余韻を語る。ヒロイン(とR)の世話をする"おじいさん"も記憶の強靭さを語る。ヒロインの作中作のヒロインが声を失うのも意味深。そして、とうとうカレンダーも春も消滅し、島人は雪に閉ざされる。"おじいさん"の誕生日、乏しい食材の中、3人でささやかながらも楽しいパーティを行なっていた(Rは消滅した筈のオルゴールをプレゼントとして用意いていた)時、秘密警察が踏み込んで来て、一変した雰囲気にヒロインが号泣してしまう切なさ。そして、とうとう小説も消滅するが、Rは小説を書き続ける事を薦める。ここは作家としての作者の真剣勝負である。最初は何も書けなかったが、母親の彫刻の中に消滅した筈のモノを発見して隠れ家に消滅した筈のモノが溜まって来た上に、"おじいさん"の死(切な過ぎる)という悲しい出来事のショックが記憶に深く刻まれ、次第に簡単な文章を綴れる様になる。 遂には、左足、右腕と体の一部も消え始め、全身が消滅する事が明らかになる。例え全身が消滅しようとも「物語の記憶は消えない」というメッセージが響くラストである。 | ||||
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記憶がテーマで、皆さん褒めていますが、私にはこの手の小説は楽しめないし、読後の記憶には何も残っていない。 多分この本のテーマのように読んだことすら忘れているのではないかと? | ||||
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この物語は、どう受け止めたらいいのか。 人は最後まで、どんなに自由を剥奪されようと、諦めてはいけない、というのだろうか。 はなから諦めた人間に、未来はないという物語なんだろうか。 小川さんの紡ぐ物語は何か一つのわかりやすい訴えを投げかけるのではなく、 全体からじわじわと、と同時に部分部分のすべてに、ささやかで大切なメッセージが込められているように思うので、今回のこの物語も、「こういうことが言いたいんだと思います」などと安易なことは言えない。 とはいえ、感じたことを一応、書いてみる。 この物語を読む人は、ホロコースト(特にユダヤ人迫害)を思い浮かべると思う。第二次世界大戦の日本の憲兵隊も連想する。その状況に当てはめるように読むと、一方的に自分の一部であった数々の物や記憶を剥奪されようと、それを取り戻せなくても、自分の「声」を失ってはいけない、という想いが込められてるように思う。 物語の中に出てくる「物語」(主人公が執筆している小説)も、声について強調されている。また、「消失」を強制される主人公は、はなから消失していくことを受け入れ、抵抗しない。いっぽう、消失しない人であるR氏は、危険であると知りながら、主人公に消失した記憶を取り戻させようと、必死だ。 結末、自由になるほうはどちらか。ここにこの物語の強いメッセージを感じる。 以前読んだフランクルの『夜と霧』で心に伝わってきたことと、どこか共通している。 小川さんの小説は、いつも、物事は解決されない。だから、すっきり爽快の探偵ものなどを好む人は、もしかするともやもやするのかもしれない。 でも、繊細に丁寧に心の微細な部分に入り込んでくる言葉で、魅了してきて、すっかりこの世界に閉じ込められる。完璧な小説の世界に取り込まれます。 この物語、とても好きで、大切なほんになりました。 とにかく、「おじいさん」が素敵すぎて、だいすきで、涙しました。 | ||||
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話題になっているようなので、読んでみました。 1994年に書かれた作品ですか・・・ 70年代に書かれたというのなら、分かるのですが・・・ 今ではもちろん、90年代でも、消化不良感は否めない作品・・・と感じました。 ただ、繊細で、美しく、哀切な描写の魅力は、十分過ぎるほどあります。 | ||||
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小川洋子の世界観 そのもの | ||||
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少しずつ記憶を失っていく人々が住んでいる島での話である。 記憶を失うといっても、痴呆とか物忘れではなく、あるモノの概念自体を認識できなくなるという、不思議な世界の住人の話だ。 主人公の「わたし」が、その世界の住人で、記憶を失う能力を普通のこととして受け止めているので、我々読者とは感覚が異なっている。その様子が見事に描かれている。 ただ、この哀しい状況には、救いがない。そういうものとして淡々と受け入れていくしかない、という受け身の姿勢が続いていく。希望がないので、読み終わった後に自分の心も弱くなったような気がする。 | ||||
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まだ、読んでない❗目がしょぼしょぼしてしまいました? | ||||
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これまで私が読んだ小川洋子さんの作品とはまるで異なる、衝撃的な読み物でした。 なにかと話題の本なので読んでみましたが、読後感がとても複雑です。 心地よさはありません。 爽快感もありません。 ただ、静かに「今いる世界を、手足を動かして歩き周り、文字を書き、声をだせる生活を大切にしよう」と改めて思いました。 主人公「わたし」が小説家で、その小説家が書いた物語もまたリアルで強烈です。 その物語では、ある女性が恋人によって時計塔に閉じ込められ、次第に身体の機能が低下していき、まるで人形のように恋人に扱われます。 その物語を書く主人公自身は、仕事上の知り合いだった男性を自宅内の「隠れ部屋」にかくまい、やがて二人はベッドで抱き合い慰め合う関係になっていきます。(その描写に、いやらしさは全くありません) つまり、立場は逆でも、両方とも「監禁」に陶酔しているのです。 それがときに官能的に、甘美に描かれています。 だからこそ、読んでいて恐怖が募りました。 でも、登場人物のひとり「おじいさん」には、癒やされます。 人への愛情とは、こういうことをいうのだとしみじみ思いました。 主人公「わたし」から、おじいさんへ向ける愛情もまた純粋で深く、心打たれます。 特に、終盤のこのあたりに感動して、涙が込み上げてきました。 ・・・引用はじめ・・・ 子供の頃から、わたしはおじいさんの手が大好きだった。みんなで一緒に出掛ける時は、いつでもおじいさんと手をつないだ。それはおもちゃ箱や、自動車のプラモデルや、カブト虫の飼育箱や、お手玉や、電気スタンドや、自転車のサドルカバーや、魚の燻製や、リンゴケーキや、とにかく何でも作り出すことができる。関節は強固なのに、掌は柔らかくて気持がいい。その手に触れてさえいれば、絶対にわたしは一人ぼっちになったり、邪魔にされたり、見捨てられたりはしないという安心感があった。 ・・・引用おわり・・・ 最初から設定が日常からかけ離れていて、どこか距離を保ちながら読んでいましたが、ここだけは身につまされて涙が止まらなくなりました。ここ以外は、感情移入するのが難しかったです。小川洋子さんの頭の中は一体どうなっているのだろう?と驚嘆しながら読むばかりでした。 星4つにしたのは、「小説」が島から消失したときに、図書館がまるごと燃やされたところに納得がいかなかったからです。小説は小説であって、本すべてではないはず。詩集や画集や写真集や図鑑や辞書や事典や学術書や歴史書など、すべて「小説」の消失にともなって燃やしてしまうのは変だと思いました。いっそ「本」の消失だったら、図書館そのものを燃やす展開にも納得したのですけど。 | ||||
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日本で1990年代に書かれてから四半世紀を経て登場した小川洋子の「密やかな結晶」の英訳本。 ノーベル文学賞への登竜門という噂のあるマン・ブッカー賞の最終候補に残ったという作品です。 英訳の題名は「The Memory Police」 たしかに、物語は秘密警察が島で人々の記憶の消滅に関わっているのですがあまりにも捻りがない。 「密やかな結晶」の方が、何か深遠な意味が置かれているようで素敵に感じるのですが。。 物語は、空想的な島で社会の集団的認識が概念ごと一つ一つ消滅していき、それに伴い不随している記憶も同時に消滅するということがおきていきます。 登場人物には名前が記されていません。作家である主人公「わたし」と編集者「R氏」と「おじいさん」の三人で物語は回っています。 記憶警察から逃れるための狭い秘密の部屋での出来事が、物語の重要な意味を抱え込んでいるのです。 (これは小川洋子の作家になることになった原点が「アンネの日記」にあるという事と関連しているそうです) 個人的なインスピレーションではありますが、「結晶」というのは大事な記憶が昇華した標本のようなものではないかと考えました。 簡単には消失させたくない、密やかに大事にとり置かれた純粋な結晶という意味です。 この物語の中の概念の消失というのは、いろいろな比喩に置き換えることが可能です。 この物語から読み取るべきアレゴリーは、現代の社会兆候からの視点で考えると、情報操作による歪んだ世界の俯瞰的な眺めではなく、そのもっと先にある概念自体が忘れ去られていく世界の物語かも知れないということ。(恐ろしい未来ですが) 実際的な話に戻すと、人はすでに失ったものには、案外気づいていないのではないかと。 生きている時は人の感情は定まったものではなく、生きていく中で様々に変化したりしていくものですが、その人が閉じてしまうとそれは定まった(確定した)概念として記憶されています。 ただこの物語の島の人々は記憶自体が消されてしまうので、喪失した後の日常を、肯定はしないまでもそのまま受け止めて生活をしています。 ある意味これは非常に恐ろしいことではあります。 昨今のフェイクニュースに始まる個人の価値観のすり替えが、疑似認知への巧みな操作によって容易にすり替えることが可能になりつつある時代に、英語圏の批評家達にはたまらなく魅力的に映ったのではないかと考えました。 カテゴリ化すれば村上春樹の、比喩に中に展開する物語と同じ感触。 読み手の中に物語の膨らみを与えるという手法でも。 その物語の中に読者を引きずり込む文章の力量はさすがです。 ただ、村上春樹の作品と一つ違うところは、あまりにも静かに丁寧に物語が描かれていて、料理の中の香辛料にあたるちょっとした微妙な違和感がないと言う事です。 喉の中を通り過ぎる時のゴツゴツ感というか。 しかし、小川洋子のファンにとっては逆に、そういう部分が大切な魅力となっているのでしょうが。 追加。 主人公の書いていた小説の中で登場する失語症の「わたし」は、物語とパラレルに動いていきますが、その自由を奪われた「わたし」と主人公である消滅していく「わたし」は最後に見事なまでに同質化して物語に深みを与えています。 不思議な余韻が深く持続していく小説。 「博士の愛した数式」と同じ「記憶」に関連しているようですが、こちらの物語の方は普遍的で大きなテーマを示しています。 | ||||
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ブッカー国際賞報道で作品自体を初めて知りました。ずいぶん以前のものですね。小川さんの作品らしく、大きな虚構を緻密なディテールでうめて、説得力のある物語に仕上げています。主題は言葉と記憶の喪失です。 数ある小川さんの本の中で、この作品がブッカー賞の最終候補になったのは、排外的な主張が世界中で台頭している今、作品の舞台となっている島の出来事が我々の世界の行方を暗示していると評価されたのかなと勝手に想像しています。 ブッカー国際賞は著者とともに翻訳者も受賞します。 この作品も、優れた英訳を得たんでしょうね。 だいたい小川さんの小説の舞台や道具立てはそのままヨーロッパに持って行っても通用しそうです。 論理的な文体と併せて英語圏の翻訳者に優しい日本の小説ではあるのかもしれません。 考えさせられますが、おすすめです。 | ||||
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ブッカー国際賞のショートリストに上がっていたので、読みたいと思い、紙媒体が数日かかるていうことで電子ブックにしました。すぐ読みたくて、安価な文庫のときは電子ブックもいいなと思いました。本の内容はディストピア小説なんだけれど、美しい文章で静かに語られていて、無力感が際立つ。主人公たちの静かな抵抗に美しさを感じる。消滅に向かって静かに時が流れて、その一瞬一瞬を愛おしんでいる姿に打たれます。著者はこの小説をアンネ・フランクの日記のオマージュというようなことをかつて語っていた記憶が。 | ||||
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今ここでは、スーパーへの買い物と町内の散歩しか許されていません。親が死にそうだとしても会えません。 そんな時にこの本を読みました。ブッカー賞の候補に挙がっていたのがきっかけでしたが、なんともタイムリーな物を読んだ感があふれました。 消失の流れに逆らえず、秘密警察に怯える私たちの、あきらめとも言える静かな静かなため息が | ||||
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英国ブッカー国際賞候補の6作品に選ばれた、ということで読んだのですが、失っていく感覚とサイコパス(psychopath)的要素が入り混じった不思議な内容で、2016年の映画「クリピー偽りの隣人」主演香川照之を思い出しました。 | ||||
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思った内容と違っていたので自分なりには少しガッカリ | ||||
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安部公房さんが書いた作品だったとしたら、結構高得点だったかもしれませんが……。自分としては、小川洋子さんには二度と書いてもらいたくない類の作品です。 | ||||
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「石原さとみ」さん主演での同じタイトルの舞台が大変良かったです。 | ||||
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