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沈黙
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【この小説が収録されている参考書籍】
沈黙の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全388件 361~380 19/20ページ
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遠藤周作の作品を面白く思って一気に何冊も読むと、同じような考えや話にすぐに出くわします。気をつけましょう。 遠藤の本は一年に一冊読むぐらいにしないと飽きてしまいます。 ただし、テーマは別にしてお涙ちょうだいものです。 全体的にゆるめな書き方ですが、舞台こそ違えど壬生義士伝と同じ感じの本です。 | ||||
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日本人信徒への残忍な拷問、殉教に「神は何故沈黙するのか」と問う宣教師の悲痛な叫び・・・。 私は日ごろ神や仏を信仰しているわけではないですが、かと言って神がいないと思っているわけでもなく、もしも生きるか死ぬかという窮地に立たされたら、きっと神に命乞いをするに違いありません。それが一般的な日本人の姿だと思います。信仰心が厚ければ人は病気にならないか、事故に遭わないか、愛するものの命を不意に奪われないか、答えはノーです。では、何故人は信仰するのか。心の救いを求めるからです。信じる者の心にのみ神は存在するのです。 神の為に潔く殉死していく隠れ切支丹たち、その拷問を受ける姿に耐えられなくなったパードレの選択は・・・。クライマックスは壮絶です。神とは、信仰とは、人間とは、深い思考の渦に落とし込まれます。これこそ世代を超えてすべての人に読んでもらいたい名作です。 | ||||
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ぼくは、中学の先生のすすめでこの本を読みました。ほんとうにこんな退屈そうな本(題名からしても)が良いのかなと思いながら・・・。結果は別に感動するというわけでもなければ面白い!!というわけでもありませんでした。言ってみれば「ふう~~ん。なるほどな。」という感じでした。なにかを説明されたような、ぼうぜんとした気持ちでした。そして何かを得たような得ていないような気持ちでもありました。人間という生き物の考えと行動、心の強い人間と弱い人間、ものすごく迷い、自分が何をしているのか、したらいいのか、何を望んでいるのかもわからない。しまいにはこっちまで真剣に考えてしまう。そして「神の沈黙」。それに遠藤周作の自分の事のように思わせるような書き方。ものすごくお勧めの1冊です。ぜひ読んでいろいろと考えてください。 | ||||
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信仰の負の部分にこれほど光をあてた小説もないのだろうか。殉教をなしとげたすばらしさはおおくかたられるが、その影にある信仰に躓いた人間にたいする洞察がよくなされていると思う。ユダも殉教者もキリストの前では等しく愛されることがわかる。弱いも強いもない。それが私の救いでした。 | ||||
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作者自身が大きく関わったオペラ「沈黙」。その鑑賞に先立って、予習のつもりで手に取った文庫本が、私と遠藤周作の出会いだった。学校の授業で習った「隠れキリシタン」だったが、この「棄教のドラマ」は信仰ということについて深く考えたことが無かった私にとって、大きな衝撃だった。西洋のように確固とした共通の信仰を持たない日本人の倫理、あるいはその西洋式のーキリスト教式のーいわば集団心理的な倫理、その両方のもろい部分、弱い部分をすべてさらけ出して、読者に問いかけてくる文章はとても重い。 「何が正しいのか」ではなく、「何が勇気ある行動か」ということ、「誰かのためにどんなことが出来るか」これはその信仰の有無にかかわらず、人間が誰しも抱える命題である。 最初に読んだときは、クリスチャンの作者がこんな作品を書いても良かったのか?と思った。2度目に読んだときは、これはクリスチャンの作者だからかけたのだ、と思った。そして今は、真摯に「信仰」そして「人間」というものを見つめた遠藤周作にしか書けなかったのだ、と思う。 | ||||
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島原の乱後、幕府は禁教を行いました。 その状況の中で、司祭として日本に渡ったセバスチャン・ロドリゴを主として、物語は進行します。 緊迫した雰囲気を持ちながら、 要所要所に信仰の形、神の沈黙、西欧と日本の思想の支柱、などの問いが、 しっかりと詰まっています。 なぜ神は沈黙するのか。 答えは本文の中に。 現代にたくさんの宗教が氾濫する中、 この本を読むことは現代人の義務でもあり、 読まずにいたことを後悔するほど素晴らしい作品なのではないでしょうか。 | ||||
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宗教や信仰によって、我々は救われるのでしょうか。信仰している宗教も特になく、キリスト教についても知識などほとんどない私の読後の感想です。神は沈黙を守り、我々をその場では救ってくれない。しかし転んだ司祭に対して、踏み絵のキリストは沈黙を破り語りかけてきた。その言葉は本当は誰の言葉だったのだろうか。そもそも司祭はあの現場で「転んだ」行為自体はどう判断されるのか。一緒に日本に渡ってきた司祭の行為とどう比較されるのか。死とは何なのか。信仰をまもればパライソに行けると信じて殉教する人々の行為は果たして正しいのか。宗教と哲学と道徳はどう違うのか。無宗教の私は現代日本でなにを価値基準として生きていけば良いのか。 ウーン、考えさせられます。 | ||||
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島原の乱後の峻厳なキリシタン禁制の元、日本人信者に対する残忍な拷問と彼らの悲惨な殉教のうめき声を目の当たりにして苦悩するポルトガルの宣教師。もちろん「信仰とは何なのか」に対する著者の思いが主題として描かれているのですが、実は、換骨奪胎を旨とする日本人の持つ東洋思想と、あるがままの一神教を信じる西洋思想との根本的な思想的断絶を描くことによって、一つの立派な日本人論になっています。キリスト教信者・非信者に関係なく、深く感動することを保証します。後世に残すべき書物の一冊です。本書を読んで感動した人には、三浦綾子の「塩狩峠」も是非読んでもらいたいです。 | ||||
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これまで読んだ本のなかで、恐らくいちばん好きな本です。 何度も読んでいますが、最後のロドリゴと、フェレイラの 対決の場面では、いつでも涙をこらえることができません。 なぜ、神は沈黙するのか。 福音書と合わせて読むことをオススメします。 | ||||
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「水磔」「穴吊り」など、隠れキリシタンに対する拷問の描写に唖然。いずれもすぐには殺さず長時間苦しめるために考案された恐るべき方法。「転びます」(改宗します)と言ってるのにやめてくれないなんて! | ||||
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実はこの本、20年近く前、高校の夏休みの宿題であった読書感想文用に読んだ本である。当時の私には遠藤周作と言えば、「狐狸庵先生」の名で非常に軽妙で愉快なエッセーを書いていた面白いオヤジであり、相前後して竹中直人の顔真似のネタになっていた愛すべきオヤジであった。そんな状況から、「さっさと呼んで宿題片付けよっ!」と軽~い気持ちで手にしたのだが...夏休みが楽しくなくなったことは言うまでもない。高校生には「難しい!」の一言に尽きる。それまで本もろくに読んだことの無い高校生にはかなり高いハードルだった。でも悪戦苦闘しながら読み切った。そして思った。「軽妙な文章を書く遠藤周作とこの重厚な文章の遠藤周作とは同一人物なのか?だとしたら人は何故このような二重人格みたいな行動ができるのであろうか???どっちが本物なのか?」と、この本の主人公ほどではないが苦悶した。この本は敬虔なキリスト教徒である氏の宗教観が表れていると言われている。従って、あまり宗教に傾注しない私には難しかったのである。数年して、氏が「県人会のような日本的な組織は全く理解できない。」と語っていたのを目にしたことがあるが、私にはよっぽど「県人会」がある理由の方がイメージしやすいと思った。それだけ氏との距離があったのである。でも読むに越したことはない。読まなければそのように考える機会もなかったのだから。当時の私と同じくらいの今の高校生も時間があれば読んでみよう。「葛藤」ということが少し分かるかもしれない。氏のエッセーから入り、先ず、親しみをもつのも一つの手だ。そういえば、確か、氏の生前に「沈黙」のミュージカルがやっと完成したと思ったがあれはどうなったのだろうか? | ||||
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タイトルの、沈黙の主体は誰なのか? 神が黙して語らず、信仰を失っていくとだけ 捉えて終わっても良い作品とは思えない。 文章ひとつひとつの読み解き方で、 様々なメッセージが伝わってくる。 重苦しく、魂の底へと響いてくる作品だが、 読みにくいというわけではない。 むしろ、文章は平易で読みやすく、 まっすぐ心に伝わってくる。 万人にお薦めできる文学作品である。 | ||||
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この小説は、なぜ神は沈黙しているかという問いに、1つの答えを出した作品ではないかと思います。 神はなぜ沈黙し続けるのか? でも本当は、神は沈黙せずに、たくさんの人間に答えを与えてくれているのかもしれません。それをわかろうとしないのは、人間の方なのかもしれません。 たとえば道端で困っている人がいて、それを見たとき、神様にあの困っている人を助けてと祈ったとします。しかし、祈っても神は降りてきて、その困っている人を助けてはくれないから、神は沈黙ばかりしていると思うかもしれない。しかし、困っている人を見たときに、自分の心のなかに、一瞬でも僕が困っている人を助けてあげればという思いがあるとしたら、それが神の答えではないだろうか。 人間が神に祈り、その神の!答えが、その困っている人をあなたが助けてあげなさいという答えなら・・・ もしかしたら、沈黙しているのは神ではなく、人間のほうなのかもしれません。この小説を読み終えて、そんなふうに感じました。 | ||||
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布教のために命がけではるばる渡来したカトリックの聖職者が、その不屈の信仰にもかかわらず、幕府の弾圧の前に遂に棄教させられる苦悩。一途に救いを求め縋る宣教師に神は、ついに『沈黙』したままである。いかにカトリック信者だったとはいえ、遠藤周作のペンは、この期に及んでも沈黙する神の前に悶える、四百年前のポルトガル人宣教師の精神世界を、恰も神に催促するように描き出している。狐狸庵先生の言動に騙されてはいけません。あの飄々とした雰囲気からは想像も出来ない思索の深さは、最近の作家からは期待できないものだ。ノーベル文学賞は故人には受賞できないものだろうか? | ||||
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布教のために命がけではるばる渡来したカトリックの聖職者が、その不屈の信仰にもかかわらず、幕府の弾圧の前に遂に棄教させられる苦悩。一途に救いを求め縋る宣教師に神は、ついに『沈黙』したままである。いかにカトリック信者だったとはいえ、遠藤周作のペンは、この期に及んでも沈黙する神の前に悶える、四百年前のポルトガル人宣教師の精神世界を、恰も神に催促するように描き出している。狐狸庵先生の言動に騙されてはいけません。あの飄々とした雰囲気からは想像も出来ない思索の深さは、最近の作家からは期待できないものだ。ノーベル文学賞は故人には受賞できないものだろうか? | ||||
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人は窮地に追い込まれたときに神にすがり奇跡を乞う。しかし、キリスト教に限らず神が目の前に現れ、その窮地を救ってくれるということはない。命さえ投げ打つような強い信仰心を持つ者にも、必ず奇跡が起き神が救ってくれるということはない。自分がなぜこんな目に会わないといけないのか?!どうしたらこの暗闇から救ってもらえるのか?!奇跡を望むが、奇跡は起きない。ではなぜ人は信仰心を持つのか・・・信仰が与えるものは一体何なのだろうか。宗教を持つ人にも持たない人にも色々考えさせられる内容です。 | ||||
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これは文句ないです。神はいるのだろうかという宗教的?な問いかけも考えさせるし、小説として読み手をあきさせないストーリーだと思います。 「ああ、最後こうなっちゃうのか。」とため息混じりに読んでしまいましたし、逆に「しょうがないのかな。」といった気持ちもありました。そして「神って罪な存在だな」と思ってしまいました。 私はあの主人公に神に縛られず自分の考えに従って生きればよかったと思いました。神に従うから苦悩があるわけで、彼はもともと素晴らしい人間です。だから神に従わなくても善行をしていたと思います。 この本の解説には「遠藤周作はドラマチックな作家である」と書いていましたが、私はその通りだと思います。 結末が全く想像できなかった。本ァ?テレビを見ている途中で結末がわかってしまう事はよくありますが、この本は想像できませんでした。 詳しくいうと、「なぜそういう結末になるのか?」という部分が非常にすっきりしているのです。だからなんの疑問点も持たずにこの本の「問いかけ」みたいな点を考えられる。 もしも自分が読んだ本に文句をつければすんなりと共感できないと思うのです。簡単な勧善懲悪ものや映画などでは主人公に簡単に感情移入できますが、こういった純文学というか人間の繊細な心の問題で共感をもつことができるとは素晴らしい本だと思いました。 | ||||
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高校生の頃読んだのですが、今の所私の中では1番の小説です。困った時に神頼みをしても、神はなんにも答えてはくれません。それで、この世には神も仏もないと思っている人に読んでほしいです。 | ||||
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日本に於けるキリスト教弾圧。「形式的にだけ踏めば許す」という踏絵への甘言。なおさら踏むわけにはいかない心情、心理。どんなに祈っても助けてはくれないキリスト。信仰とは、神とは、キリスト教とは一体何なのか?どんな不幸な結末も神のおぼしめしと割り切るのか?私は小学校から大学までキリスト教の教育を受けてきているが、常に信仰に対する数え切れないほどの疑問があった。それらに、正しいかは分からないが一つの答えをくれた本である。あなたは考える教徒か、盲目な信者か?が問われる。 | ||||
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隠れキリシタンと聞いて私達は踏絵ぐらいにしか思いつかない。ところが執拗なまでの虐殺と拷問、これが真実なのかあまりのことに愕然とする。人間の本当の強さとは、と問い掛けている。現在のクリスチャン必読。 | ||||
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