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沈黙



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沈黙の評価: 4.41/5点 レビュー 388件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.41pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全388件 281~300 15/20ページ
No.108:
(5pt)

良かったです。

遠藤周作先生の世界観が良く分かりました。

とても勉強になりました。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.107:
(5pt)

作家自らのアイデンティティを探り出す鬼気迫る筆致

遠藤周作の小説はこれまで何冊か読んだことがある。テーマが極めてシリアスであり、しかもシリアスさをえぐり出すような巧みな物語展開が印象に残っている。この作品からも全く同じ印象を受けたが、この作品は日本人とキリスト教という、キリスト教徒である筆者にとってのアイデンティティに直結するテーマを扱っていることもあり、自らの人生と信教の意味を深く深く探り出すような筆致には鬼気迫るものがあった。これほど迫力がある本にはそうお目にかかれない。戦後日本文学の傑作の一つだと思う。

名脇役であるキチジローは隠れキリスト教徒だが、主人公である司祭ロドリゴを命欲しさのために何度も裏切り、その度に後悔の念につきまとわされる。そしてロドリゴもまたキチジローに対する冷淡な態度がキリストの教えに反するのではないか、また隠れキリスト教徒が次々と処刑されていくのも自分の存在のためなのではないかと苦悩し、最後は踏み絵の前に屈する。このように人間は弱いものであるのに、神は何故いつも「沈黙」したままなのか、というキリスト教的にはタブー視されるのではないかと思えるような問いを本書は突き詰め、最後で、登場人物の言葉を借りて、筆者なりの答えに行き着く。圧巻だった。

また、本書は歴史小説的な側面も強く、読みやすい。島原の乱以後も宣教師が日本に潜入していたという事実を私は本書を読んで初めて知った。本書で登場する生月や平戸には旅行で訪れたことがあるが、かつてのキリスト教信仰の面影が依然として残っていた。本書を読んでから行く長崎旅行もまた格別なのではないか。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.106:
(5pt)

今後「愛読書」と呼ぶのにふさわしい本

かつて高校の現国の教科書に載っていた。四半世紀以上が過ぎて通読してみたが、一度や二度読んだくらいではとても味わい尽くせない。それゆえ、生涯読み続ける必要がある書物。
長い間本棚の奥に眠っていた聖書をもう一度引っ張りだして目を通す機会を与えてくれた。クリスチャンではない私に、信仰の根源という概念に真正面から向かい合わせてくれた。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.105:
(4pt)

なぜカトリック教会で禁書扱い(?)されたのか

この作品が発表されてから40年以上たつが、いまも忘れられることのない遠藤周作氏の代表作の一つだと思います。しかしこの本、発表当時はカトリック教会から(特にこの作品の舞台となった長崎で)禁書扱いされていた、というウワサを耳にします。遠藤氏自身もカトリック信者であり、当時かなり批判されたようですが、失礼ながらその理由はなんだったのか、同じカトリック信者の一人として、読んでみました。

宣教師ロドリゴが最後には踏み絵を踏んで棄教するという結末は、教会関係者にとっては確かに問題作といえるが、それらの場面の文章・描写に、禁書にするほどの問題があるとは思えない。カトリックとプロテスタントの「救い」「義認」についての考え方の違いがどうのこうのというのは考えすぎ。
「おまえが棄教しなければ、他の者はいくら棄教しても許されない」なんていう条件を出された究極の状況では、絵を踏んで棄教するか踏まずに殉教するかどちらが正しいか、どうすればよかったのか簡単には言えないはずで、そこを問いかけたことが、多くの人の胸を打つものになったのではないかとも思える。その意味では、カトリック信者が読んではいけないようなものでは決してない。

しかし、よく読んでみると「これは問題発言じゃないのか?」と思ってしまう場面があった。それは、先に棄教してこんどはロドリゴに棄教を促すフェレイラの言葉、「この国の者たちがあの頃信じていたのは、我々の神ではない。・・・彼らが信じたのは基督教の神ではない。日本人は今日まで神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう。」これは、カトリック教会関係者が読んだら激怒してもおかしくない文章ではないだろうか。400年以上前、日本のキリシタンがみなすべて正確にキリスト教のことを理解できていたわけではなかったとしても、「彼らが信じたのは基督教の神ではない」は遠藤氏の勝手な独自解釈ともいえるもので、だったらその時代に日本人でありながら司祭にまで叙階されその後殉教した聖トマス西や福者ジュリアン中浦(天正遣欧少年使節の一人)は何だったというのか?と教会関係者が反論したくなるのは当然だろう。また「日本人はこれからもキリスト教を理解できないとでもいうのか?」という批判もじゅうぶん考えられる。

それと、作中で井上筑後守が語る「五島や生月島にはいまだに切支丹があまたに残っておるが、奉行所ではもう捕える気もない。・・・五島や生月の百姓たちがひそかに奉じておるデウスは、切支丹のデウスとは次第に似ても似つかぬものになっておる。」は、史実とはまったく異なる。五島ではこの時代(1600年代)、弾圧によってキリシタンは根絶されているし、生月島でも島原の乱の後にも厳しい取り調べがあって多くのキリシタンが処刑され、そしてそれを潜り抜けたキリシタンの子孫の中には明治になってカトリックに戻った人たちもいる。小説だから必ずしも歴史に忠実でなくてもよいのかもしれないが、五島や生月島のカトリック信者や教会関係者にしてみれば、「外海だけ取材に行って、五島や生月まで来もしないで何いいかげんなこと書いてやがる」と憤慨するのは必至だっただろう。私自身、島出身の信者の一人として、この箇所を読んだ時には、本を破り捨ててやりたいほどの激しい憤りを覚えた。だからこそ、特に長崎のカトリック教会で禁書のように扱われたのではないかと推測する。

この本を歴史書と思って読むことは間違いで、キリシタンについての誤解を生んでしまう。

しかし、それらを抜きにすれば、小説としてはとてもよくできた、考えさせられることの多い一冊だと思う。カトリックのみならずクリスチャンもそうでない人も、深く感じるところのある作品ではないだろうか。
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4101123152
No.104:
(5pt)

バチカン

遠藤周作は、バチカンによる陰の圧力が無ければ、間違い無くノーベル文学賞を受賞しています。
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4101123152
No.103:
(3pt)

サスペンスやホラーを期待してはダメですよ〜

「宗教を気にせず読んで欲しい」と仰ってる方がおりますが、やはりテーマは宗教です。
その証拠に本作は、小説としての出来はイマイチです。
「ゆみこ♪」さんが書かれているレビューで、あらすじの9割以上です。それ以上の劇的な何かを期待されている方にはお勧めしません。
「となると、人物の心情描写が上手いの?」と思うかもしれませんが、特にそれが上手い、味があるとも思いません。
悲しい場面では「暗雲が立ちこめ雨が降り出した」り、明るい場面では「太陽に向かって鶏が大きく鳴いた」りするような、よくあるアレです。
人物の会話も、含みや面白みが無いというか、かなり淡泊に感じられます。何せ主人公は生まれてから現在まで、心の底から100%キリスト教を信仰しており、人生に疑いを持った事がありません。
キリスト教が、彼のこれまでの人生の全てです。
ここまで設定に隙が無いと、「物語」としての登場人物として見るには、逆に厚みが無いのです。
また、その経歴から、私含め多くの人は簡単に感情移入したりできないはずです。(できると言う人は、嘘か、熱心過ぎる程のキリスト教信者のはずです。)
だから、ドキュメンタリーが近いと思います。

そんな本書が何故歴史に残っているかというと、テーマが宗教であり、宗教こそが多くの人にとっての人生のテーマだから、という以外に考えられません。
この小説を真剣に読む人が多いキリスト教国でこそ、評価が高いのでしょう。
この小説は、展開やストーリー内容自体に、何か面白さがあるものではありません。
要約すれば1ページで終わってしまいます。
著者自身がキリスト教信者ですが、読者に何を感じて欲しかったのか、何を考えて欲しかったのか、正直最後まで分かりませんでした。
これが、神様を信じていない私の、本作に関する、またキリスト教に関する、正直な感想です。
「この小説を読んで考えさせられました」なんていう人は、どう考えたのか教えてください。
安易に、そんな事言わないでください。
どんな風に人生観が変わったのですか?去年のクリスマスやお盆と、今年はどう変わったのですか?
私は真剣にこの本を読みましたが、宗教に対する価値観は変わりませんでした。
これからも今まで通り、神様やキリストの存在には懐疑的に生きると思います。
この小説を読んだ意味が無かったのかというと、まだ分かりません。
努々、この小説がお涙頂戴の人間ドラマであるかのように言わないで頂きたいです。

[以下、ネタバレありです。]


ロドリゴは踏み絵を踏む瞬間、踏み絵の中のキリストがこう言ったのを聞きます。
「踏むがいい。踏むがいい。おまえ達に踏まれるために、私は存在しているのだ」

もちろん、言ったのはキリストではありません。ロドリゴです。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.102:
(4pt)

殆ど使用感がありません

外装状態、内部も殆ど使用感が感じられなかったので、満足です。
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4101123152
No.101:
(5pt)

大変人生において考えさせられる本です。

昔から何度も読んでようやく少し分かりかけてきました。片づけて見えなくなり今回求めましたが本当の信仰とは、神とはを考える機会を与えられたように思います。この本を少しでも理解すると世界から宗教戦争はなくなるのではないでしょうか。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.100:
(5pt)

【必読】普遍的な宗教小説。

様々なキリスト信仰の根源的な問題を衝き、「神の沈黙」という答えなき問に挑んだ作者の勇気と、読者を最初の一文で一気に作中に惹きつけ、畏るべき結末へと着実に導く小説家としての力量は実に見事。未だ嘗て、これ程までに劇的な小説を読んだことはなかった。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.99:
(5pt)

装丁もきれいでした。

全く問題なく、古さを感じさせない良品でした。 BOOKOFFで買うより満足度ありですね。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.98:
(5pt)

言葉を失うほどの重さと静謐。

読み終えて、言葉を失うほどの重さと静謐が残りました。
日本では、隠れキリシタンという言葉は流布されていて、慣用的よく使われます。
『沈黙』には、日本に密航し布教を試みたポルトガルの司祭とその隠れキリシタンが描かれています。
歴史が証明しているのは、暴力で信仰を止めることはできないということでした。
信仰とは一体人間にとってどういう意味があるのか?読みながら常に問いかけてくる問題でした。
隠れキリシタンにとって、キリスト教の教義さえ信じなければ弾圧されることはありません。
それなのに命を懸けて、自らの信条を守り通すのです。その為に死んでゆきます。
これは一体どういうことなのでしょうか?

一方で、暴力に負け、「転んだ」キリシタン達がいます。
日本人にはなじみ深い「踏み絵」という道具があります。
「踏み絵」を踏めば、「転び」と呼ばれ、キリスト教を捨てたと見られるのです。
拷問を受ける人たちは、死ぬか、転ぶかの選択しかありません。
死を受け入れられない弱い人は、踏み絵を踏みます。
踏み絵を踏めば、もうキリスト教徒ではないのでしょうか?
拷問がなければ善良な信者が暴力に負けて踏み絵を踏めば裏切り者なのでしょうか?
誰がその人の信仰心を決めるのでしょうか?教会でしょうか、それとも個人でしょうか?
信仰とは誰のものか?というもう一つの問題が提示されています。
遠藤周作さんは、転んだ隠れキリシタンを裏切り者のユダと対比させ、聖書の言葉の意味を探ってゆきます。

『沈黙』を読むのは2度目なのですが、時間が経ち年齢を重ねてここに書かれている意味がやっとわかるようになってきました。
この本を読むということは、人間という存在を探る行為に近いと思います。
必読と思える作品です。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.97:
(5pt)

とてもよかった

内容は非常に良い。伝教の苦難がよくわかった。編集から経時変化があり、読む途中から本がバラけるのが困った。
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4101123152
No.96:
(5pt)

愛の中には言葉よりも多くの沈黙がある<ピカート>

本書のページをめくると、蟻地獄にはいったようにどんどん物語に引き込まれていく。
なにゆえ、人生は不条理なのか、信仰は答えてくれないのか。
私にはこれといって信仰はありませんが、辛い時には、なぜ?と思わず口走ってしまいそうになることもあったかもしれません。
どう生きるべきか。
本書はキリスト教を信仰する著者が書いた本ですが、宗教に関わらず一つの生き方を示してくれることでしょう。

“魅力あるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった”
“強いものも弱いものもないのだ。強い者より弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう”
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4101123152
No.95:
(5pt)

赦すイエス=それって阿弥陀如来

遠藤周作が求めた赦す神・イエスとは結局、浄土信仰の阿弥陀如来じゃねえの?とオモタ
「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」の
親鸞の絶対他力・悪人正機説に行き着くような
キチジローのようにどんなに弱く罪深い人間でも
「南無阿弥陀仏」とただの1回でも唱えれば
西方浄土に一人残らず救済してくれる阿弥陀如来のようなイエス像を
日本人・遠藤周作は求め続けた
日本人キリスト教徒として彼がが求め続けたイエス像は
浄土信仰の阿弥陀如来、利他・他者救済に生きる菩薩行、大慈悲に
どうしてもなってしまう
というのが今の感想
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.94:
(5pt)

信仰とは何か

遠藤周作は「イエスの生涯」で自分なりの史的イエス像にせまろうとしたが、
そのことで保守的なカトリック教徒からは批判され、
一方、史的聖書学者の田川建三氏からも痛烈に批判されることになった。

信仰とは何か。

信仰とは私的で内面的な問題である。だがそれならば、迫害や拷問に対し、
口先では信仰を捨て、心の中で信じていればそれで済むのか?
そこにまた新たな苦悩が生まれる。
その苦悩はやはり信仰によって解決されなければならない。

私は日頃からの氏の苦悩が、
見事に司祭の苦悩に投影されているように感じられ、
厳かな気持ちで拝読させていただいた。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.93:
(4pt)

イエスは私の中にいる

ゴルゴダの丘で、イエスは十字架にかけられた。イエスは問う。「わが神.....どうして私をお見捨てになったのか。」されど、神は沈黙していた。いや、神は本当に沈黙していたのか。

 パードレは、イエスと似て非なる刑を受けた。鞭打ち、市中引き回し。その後、イエスは十字架で殺されたが、パードレは殺されなかった。自分の死は、自分で受けいればいい。だが、自分の信仰のために、信者が殺される。自分は、どうすればいいのか。彼の説得者は言う。「神は何もせぬではないか。」確かに、神は沈黙していた。

結局、彼は信者を生かすために、転んだ。踏絵を踏んだ時、絵の中のイエスが言った。「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために、十字架を背負った。」

沈黙―いや、沈黙ではない。孤独、監視、軽蔑と、飼いならしの先に見えた答えが、「イエスは私の中にいる」と言うことだろうか。本書は、信仰とは何か、生きるとは何かを投げかけてくる。ゆえに、語り継がれているのだろう。
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4101123152
No.92:
(5pt)

沈思黙考

キリシタンへの弾圧があった当時に、一信者としてもし自分自身が存在していたならどうであったか。密告をした者、周囲からの中傷、拷問。私は一人沈黙し、考える。
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No.91:
(4pt)

キリスト教の禁忌に深く切り込んだ意義深き傑作

1614年のキリスト教追放後に、転向した師の消息を求め日本に潜入するポルトガル人宣教師の行動と心情により、キリスト経思想の禁忌に深く切り込んだ傑作です。

元ロシア外交官の佐藤優さんは、苦難を抱えるキリスト教信者への神の沈黙という壮大なテーマを扱った欧米知的エリートに広く知られる優れた日本小説と紹介されていました。

信仰・愛・人間の根源的在り方と真理・神と人間の距離と関係性等について深く洞察し・主人公の行動と心情をもってそれらを深く表現した非常に意義深い小説です。個人的には以下の主人公たちの言葉に心が捉われました。星四つなのは私の感性が未熟だからなのかも知れませんが、五年後・十年後にまた読んでみたい作品です。

・神は自分の運命を、信じられない者に委ねられた
・生きていることがこんなに幸せ
・美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいがみじめなものや腐敗したもののために死ぬのは難しい
・神から超えられない試練は与えられない
・この世は苦患(くげん)ばかり
・罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れること
・神は襤褸(ボロ)のように汚い人間しか捜し求められなかった
・行為は正邪・善悪を区別できるものではない
・憐憫は情欲と同じように一種の本能に過ぎなかった
・仁慈の道とは我を棄てること
・師と比較し自尊心を満たすことで漸く眠りについた
・人はどんな状況でも虚栄心から抜けられない
・祈りはその苦しみをやわらげやしない
・全てのものを私は認めます。もう自分の全ての弱さを隠しはせぬ。
※小説に記載順
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.90:
(5pt)

日本文学の傑作

日本文学というと和のイメージしか思い浮かばない方もいるかもしれません。
しかし鎖国していた日本というイメージも持って欲しいです。
そこから人々がどう考え禁止や信仰と戦ってきたかわかる本です。
フィクションですが事実のように伝わってきます。
友人のクリスチャンは喉から心臓が飛び出してきそうで読めきれませんでした。
最後の一行も意味不可視気に書いてあり余韻も十分に味わえる作品です。
ぜひ読み切って下さい。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.89:
(3pt)

キリスト本人ならどうするか

教条的なキリスト教は、世界中に余計なお世話を振りまき災いの種となってきた。

殉教。聞こえはいいが、それは人の意見に聞く耳を持たない自己満足の結果にすぎない。こういう融通のきかない頑なな態度が多くの無駄な血を流させてきた。

キリスト本人に帰れ。

キリスト本人なら教条的なキリスト教は棄教するんじゃないか?そんな風に、キリストに自分を重ね、その良心に従うことこそが本当のキリスト教なのだ。

…というお話だったと思う。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152

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